20年後に「ゴーン事件」はどう回顧されているのか 週刊プレイボーイ連載(363)

日産自動車の会長だったカルロス・ゴーン氏が東京地検特捜部に逮捕され、世界じゅうが驚愕しました。事件の詳細はこれから解明されていくでしょうが、直接の容疑は、退任時に受け取るはずだった報酬約50億円を有価証券報告書に記載していなかったというもので、会社の資金で世界各地に豪邸を購入するなど、それ以外にも目に余る私物化が行なわれていたとされています。

事件の背景にあるのはルノーと日産の経営統合構想で、フランス政府が筆頭株主として15%の株式を保有する「半国営企業」に吸収されるのを嫌った日産側のクーデターという見立ては間違っていないでしょう。首相官邸も了承のうえで行なわれた、日本企業と日本人の雇用を守るための「国策捜査」というわけです。

ゴーン氏が日本にやってきた1990年代末から、わずか20年で世界経済の様相は大きく変わりました。その当時、日本の大手電機メーカーが中国や台湾の企業に買収されるとか、韓国の電機メーカーがソニーを超えるとか、中国にシリコンバレーに匹敵するIT起業が誕生するといったら、頭がおかしくなったと思われたでしょう。

そんななかでも日本の自動車メーカーだけはグローバル競争に踏みとどまり、雇用を保障し利益を生み出してきました。しかしそれも、20年後にどうなっているかはまったくわかりません。

最大の脅威は、稀代のベンチャー経営者で映画『アイアンマン』のモデルともなったイーロン・マスク率いるテスラでしょう。その理想が実現すれば、ガソリン車はすべて自動運転の電気自動車に置き換えられることになります。自動車メーカーを頂点とする巨大なサプライチェーンが不要になるのはもちろん、徹底的にロボット化されたテスラの工場は自動車を組み立てるための労働者をほとんど必要としません。

これが絵空事ではないことは、イーロン・マスクのもうひとつのヴィジョンである「人類の火星移住」を実現するためのスペース・エックスを見ればわかります。国の威信をかけた日本のロケット打ち上げが失敗を繰り返しているときに、スペース・エックスははるかに大規模なロケットをかるがると宇宙空間に送り込んでいるのです。

もちろんテスラはたびたび投資家を失望させており、その事業が成功できるかどうかは現時点ではわかりません。しかし、世界じゅうから野心にあふれた天才たちを集めるシリコンバレーには、イーロン・マスクの跡を継ごうと待ち構える長い列ができています。早晩、そのなかの誰かが驚異的なテクノロジーとイノベーションで旧態依然とした自動車産業を一掃することは間違いないでしょう。

そう考えると、いまの大事件も20年後には「そういえば、そんなひとフランスから来てたよね」となるかもしれません。あるいは、「そんな自動車会社、あったよね」とか。

20年前、保身しか考えない経営陣と、あらゆる改革に抵抗する頑迷な労働組合のために、日産の経営破綻は時間の問題といわれていました。一時的かもしれませんがそこから復活させてもらったのですから、自分と家族を養うことのできた関係者は、この剛腕で傲慢な外国人経営者に相応の感謝を示すべきでしょう。

『週刊プレイボーイ』2018年12月3日発売号 禁・無断転載

靖国神社は戦没者の御霊を「独占」できるのか 週刊プレイボーイ連載(362)

靖国神社の宮司が天皇を批判して退任するという前代未聞の出来事は、靖国神社がネトウヨの同類に乗っ取られたかのような衝撃を与えました。その後、当の宮司の手記が月刊『文藝春秋』に掲載され、実態がすこしわかってきました。

前宮司によると、靖国神社は不動産や駐車場の賃貸収入、資産運用の利益などもあって財政的に恵まれており、職員のほとんどは学校を出てから定年まで勤める公務員のような身分です。そのうえ単立宗教法人であるため神社本庁には人事権や指導権がなく、自分たちの好きなように処遇を決めることができます。

日々を大過なく過ごすことしか考えていない靖国神社の職員たちにとって、天皇の親拝問題は、自分たちでどうにかできるわけではないので考えても仕方ありません。「改革」を叫ぶ新任の宮司はうるさいだけの存在で、内部の研究会での暴言を録音してマスコミに流すことでやっかいばらいした、ということのようです。

前宮司も、神職たちに「ぼしんせんそう(戊辰戦争)」を漢字で書かせるような知識問題をやらせたといいますから、恨みをかっていたのはたしかでしょう(驚いたことに、幹部クラスでも低い点数の者がいたそうです)。靖国神社は日本の伝統を「保守」しているのではなく、たんなる「生活保守」だったのです。

前宮司は研究会で、「どこを慰霊の旅で訪れようが、そこに御霊はないだろう? 遺骨はあっても」と述べて、今上天皇の慰霊の旅を全否定したわけですが、なぜこのような発言をしたかの真意も手記で述べられています。

私たちは漠然と、魂は超自然的な存在で、自分の墓だけでなく、生命を失った場所にも、遺族のところにも、思い出の場所にもいるはずだと思っています。しかし元宮司は、こうした時空を超えた魂の遍在を否定し、正しい神道では戦死者の御霊は靖国神社にしかいないといいます。戦場に残されたのはたんなる「遺骨」でしかなく、だからこそ、そんな場所で「鎮魂」してもなんの意味もないのです。

これはきわめて偏狭な考え方ですが、靖国神社には戦死者の御霊を「独占」しなければならない事情があります。御霊がどこでも望む場所に行けるなら、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にもいるはずだからです。そうなれば皇族も政治家も、参拝のたびに「歴史問題」が騒がしい靖国ではなく、どこからも批判の出ない千鳥ヶ淵でこころおきなく戦没者の霊を鎮めればよいことになってしまうのです。この危機感が、「今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ」との暴言につながったのでしょう。

靖国神社を守るためには、靖国が御霊を独占しなければなりません。ところがそうすると、今上天皇が生涯をかけた慰霊の旅が、御霊のない場所を訪れるだけの「観光旅行」になってしまいます。これは保守派にとって深刻な矛盾であり、このことを率直に述べただけでも前宮司の手記には大きな意味があります。

保守論壇はあれだけリベラルのダブルスタンダードを叩いたのですから、「御霊は靖国神社にしかいないが、天皇は鎮魂の旅をしている」という自らのダブルスタンダードにも真摯に向き合うべきでしょう。

参考:「今上陛下は靖国を潰そうとしている」発言の真意 小堀邦夫前宮司独占手記「靖国神社は危機にある」(月刊『文藝春秋』2018年12月号)

『週刊プレイボーイ』2018年11月26日発売号 禁・無断転載

徴用工判決で、なぜ韓国の民意を無視するのか? 週刊プレイボーイ連載(361)

韓国の大法院(最高裁)が元徴用工の賠償請求を認める判決を出したことで、またもや日韓関係が揺らいでいます。1965年の請求権協定で「(強制動員の被害補償は)完全かつ最終的に解決済み」というのが日本政府の立場で、河野外相が「両国関係の法的基盤が根本から損なわれた」と批判するのも当然でしょう。

国際政治では長らく、リアルポリティクス(現実主義)とリベラル原理主義が対立してきました。典型は核兵器問題で、リアルポリティクスの論者(大半の国際政治学者)はゲーム理論に基づき、米ソいずれも相手を確実に破滅させられる核兵器を保有する「相互確証破壊」こそが平和を維持しているとして、中途半端な軍縮交渉を批判してきました。それに対してリベラル原理主義は、こうした賢しらな論理を嫌悪し、核兵器は「絶対悪」なのだからどんなことをしてでも全廃しなければならない、と主張します。

こうした対立は、日本では沖縄問題で顕著です。

リアルポリティクス派は、「沖縄に負担が集中しているのは事実だが、中国・北朝鮮の軍事的脅威や日米安保を考えれば、住宅街にあって危険な普天間基地を辺野古に移設する以外の選択肢はない」という立場でしょう。それに対してリベラル原理主義は、「沖縄のひとたちが“基地はいらない”といっている以上、普天間も辺野古も認めない」と主張します。リアルポリティクス派にとって、民意はものごとを決めるひとつの要素にすぎないのに対し、リベラル原理主義では、「民主主義では民意こそがすべて」なのです。

私個人は、この世界が完璧なものでない以上、利害の対立するやっかいな問題はリアルポリティクスで対処するほかないと考えますが、そうはいっても「理想」になんの価値もないと切り捨てることもできません。そんな軟弱な人間から見ても、韓国批判一色に染まる日本国内の反応は異様です。

韓国のメディアのなかには日韓関係の悪化を危惧するものもあるようですが、各紙とも一面トップで大法院の判決を歓迎しています。韓国国民の大多数が、今回の判決を支持していることも間違いないでしょう。すなわち、韓国の民意は「元徴用工に賠償すべきだ」ということで一致しています。

それに対してリアルポリティクス派は、「沖縄の民意と同様に、韓国の民意も考慮する必要はない」と一貫した主張ができます。しかし日本では、「国家と個人が対立したら個人の側に立つべきだ」とするリベラル派まで、元徴用工に寄り添った判決を否定し、韓国の民意を「国民情緒法」などと揶揄しているのです。大法院の判決で日韓関係が揺らぐのが問題なら、辺野古への移転に反対して日米関係を危機にさらすことも同じように問題でしょう。

私の疑問は、「沖縄(日本人)の民意は大切で、韓国(外国人)の民意はどうでもいい」というのは、外国人差別ではないか、というものです。それとも、沖縄の民意は正しく、韓国の民意は間違っているという決定的な理由があるのでしょうか。

どなたか、私の誤解を解いていただければ幸いです。

『週刊プレイボーイ』2018年11月19日発売号 禁・無断転載