第93回 持続化給付金、グレーな申請(橘玲の世界は損得勘定)

新型コロナウイルスの影響で売上が減った事業者などを支援する持続化給付金は、中小企業200万円、フリーランスなど個人事業者100万円を上限としている。トラブルが多発しているのは申請要件の甘い個人事業者向けで、税理士などが前年度の架空の確定申告書を作成し、申請者はそれを使って税務署で期限後申告し、今年度の架空の売上台帳で売上が減少したように見せかけて給付金を申請する手口のようだ。

不正が許されないのは当然で、かかわった者はきびしく罰せられるべきだが、ここで「中小企業向けの200万円の給付金には同様の不正受給はないのだろうか」と疑問に思うひともいるかもしれない。

結論から先にいうと、不正受給はほぼあり得ない。とりわけ家族経営や自営業者の法人成りのような零細法人なら、大半が給付の要件を満たすばかりか、年間の売上が増えていても200万円を受給できるだろう。

取締役1名(すなわち自分)のマイクロ法人を経営している私のところにも、会計士から「持続化給付金を申請できますがどうしますか」という案内が来た。今年度の売上がどうなるかわからなくても、決算を待っていては資金繰りに窮するかもしれない。そんなときのために緊急避難的に、「前年同月比で事業収入が50%以上減少した月が存在すること」が受給条件になっているのだという。

中小企業でも、10億円規模の資本金や2000人ちかい従業員で大きなビジネスをやっていれば、前年同月比で売上が半減するのは大事件だろう。だが私のような超零細企業では、月ごとの売上が大きく増減するのは当たり前で、前年度に新刊が出た月と比較すれば「50%以上減少」はすぐに見つかる。

仮に都合のいい月がなかったとしても、それを意図的につくるのもかんたんだ。売上の総額は変わらないとしても、それをどの月に計上するかは広大なグレイゾーンがある。だったら前年度の売上の多い月を探して、それに対応する今年度の売上を前月か翌月に振り替えればいい。

ちなみにこうした会計操作は、よほど極端なことをしないかぎり不正とは見なされない。だからこそ会計士や税理士が顧問先の中小企業に「持続化給付金を受給できますよ」というメールを堂々と送っているのだ。

「そんなのおかしい!」と思うだろうが、そもそもこの制度自体が「グレイゾーンの申請」を前提としている。なぜなら、給付金を申請する零細事業者には地元企業や商店主が多く、自民党から共産党まであらゆる政党の支持基盤になっているから。

日本の政治はこれまで、なにかあるたびに中小零細法人にお金をばらまいてきた。新型コロナでも同じことをやっただけだから、「問題」が起きるはずはないのだ(個人事業主向けでトラブルが起きたのは慣れていなかったからだろう)。

この法外な利権は関係者ならみんな知っていることだが、サラリーマンのような「無知な大衆」にバレると騒ぎになるので、黙っているだけなのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.93『日経ヴェリタス』2020年11月28日号掲載
禁・無断転載

日本人はなぜ「曲芸」のような食べ方をしなくてはならなくなったのか? 週刊プレイボーイ連載(455) 

新型コロナウイルス感染者の急増で、政府・自治体が混乱しています。医療機関の逼迫を危惧して警戒レベルを引き上げると飲食店などから「今度こそもたない」と悲鳴があがり、Go To トラベル延長の方針には、観光地を抱える地域で感染拡大の不安が広がりました。

これが「感染抑制」と「経済活動」のトレードオフ(ジレンマ)で、どちらかを優先するともう一方がうまくいかなくなります。一時は日本と同水準まで感染抑制に成功したヨーロッパ諸国はこの罠にはまり、夏のバカンスシーズンの営業を優先したために感染が急拡大し、次々と再ロックダウンに追い込まれました。

こうした惨状に陥ったのは、当初、感染者増でも入院患者/死者数がほとんど変わらず、経済への悪影響を恐れて感染抑制策を躊躇したからだとされます。「検査数が増えている」「治療情報が共有された」「ウイルスが弱毒化した」などさまざまな説が唱えられましたが、感染が爆発的に拡大すれば入院患者が増えるのは当然で、やむなく「経済活動」をあきらめることになりました。感染者が増えはじめておろおろする日本の様子は、ヨーロッパの体験とよく似ています。

矛盾するメッセージが同時に出され、受け取る側が混乱するのが「ダブルバインド」です。文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンが1950年代に、「あなたのことを愛しているの」といいながら、子どもが近づくと拒絶するような母親の態度が統合失調症の原因だと唱え、広く知られるようになりました。精神疾患との関係は現在では誤りだとわかっていますが、コロナ対策の混乱はこれでうまく説明できます。

政府は、鳴り物入りで始めたGo Toキャンペーンの失敗を認めることができず、一部制限への転換が遅れました。官僚は政治家からの身勝手な要求に応えるのに手いっぱいで、一貫した方針を考えるどころではありません。その結果、「やっていいけど、やってはいけない」という場当たり的な「対策」が次々と打ち出され、国民は「ダブルバインド状況」に翻弄されることになったのです。

コロナウイルスの拡散は、ほとんどが飛沫感染とされています。マスクは一定の効果がありますが、戸外を一人で散歩するようなときまで着けていても、飛沫が飛ばないのですからほとんど意味がありません。換気のいい建物内も同じでしょうが、これは不安に思うひとがいるからで、感染症対策というよりエチケットでしょう。

感染源となるのは、風俗店のような濃厚接触を除けば、マスクをせずに会話する食事の機会だとされます。しかし少人数の会食まで自粛を求めると、飲食店の経営が成り立ちません。そこで、食べ物を口に入れるときだけ一瞬マスクをはずし、すぐに元に戻す食べ方が推奨されることになりました。

中国やベトナムがいち早く経済成長の軌道に戻したことで、きびしい統制によって感染を抑制すれば経済活動と両立できることが明らかになりました。こうした手法は「全体主義」と嫌われますが、そんな国でもこんな曲芸のような食べ方はしていません。

「クルーズ船騒動から10カ月もたったのだから、もうすこし納得感のある対策を示してほしい」と思うのは、ぜいたくすぎるのでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2020年11月30日発売号 禁・無断転載

『マンガ 投資のことはなにもわかりませんが、 素人でも株でお金持ちになる方法を教えてください』あとがき

出版社の許可を得て、本日発売の『マンガ 投資のことはなにもわかりませんが、 素人でも株でお金持ちになる方法を教えてください』の「あとがき」を掲載します。書店でこの2人を見かけたら、その成長を活躍をぜひ読んでみてください。

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最初に、本書のタイトルについて。

おわかりのようにこれは、経済評論家・山崎元さんのベストセラー『図解・最新 難しいことはわかりませんが、お金の増やし方を教えてください!』(文響社)を参考にしたものです。――いろいろ考えたものの、これを超えるパターンを思いつけませんでした。

このタイトルを快諾してくださった山崎元さんと、編集者で共著者でもある大橋弘祐さんにまずは感謝します(書店さんは、いっしょに並べてもらえるとうれしいです)。

次に、マンガ家の北野希織さんについて。

講談社の佐渡屋秀樹さんからこの企画を聞いたとき、私がこれまで資産運用について書いたものをほんとうにマンガにできるのか半信半疑だったのですが、北野さんは自ら株式投資を実践していて、PER(株価収益率)、PBR(株価純資産倍率)はもちろん、最終的には使わなかったものの、第一稿にはファイナンス理論でノーベル経済学賞を受賞したウィリアム・シャープの「CAPM(キャップエム)=資本資産評価モデル」まで出てきてほんとうにびっくりしました。

トーリーに若干のアドバイスはしたものの、本書はすべて北野さんの素晴らしい仕事です。これからもどんどん面白い「ファイナンスマンガ」を描いてください(マンガ界はあなどれません)。

本文に入れられなかったものの、最後に大事なことをひとつだけ。それは、「お金の限界効用は逓減(ていげん)する」です。

暑い夏、喉がからからに渇いたときに飲む生ビールの最初のひと口はものすごく美味しいでしょうが、2口目、3口目になるにつれて美味しさは減っていって、大ジョッキをお代わりする頃には惰性で飲むようになります。このときのビールの美味しさが「効用(幸福度)」で、美味しさがだんだん減っていくのが「逓減」です。

ヒトの脳はいろいろな刺激に慣れるようにつくられていて、ビールと同じくお金も例外ではありません。10万円の給料が11万円に増えればものすごくうれしいでしょうが、月収100万円のひとが101万円になったとしてもなんとも思わないでしょう(というか、気づくこともないかもしれません)。

このように、お金の限界効用も逓減していきます。その水準はひとそれぞれでしょうが、日本のある大学の調査では、平均して年収800万円(夫婦と子どものいる家庭なら年収1500万円)を超えると効用(幸福度)は変わらなくなるとされています。

それは、これだけの年収があれば世間一般でいわれる「幸福」(ブランドものを買ったり、海外旅行に行ったり、あるいは子どもを私立に通わせたり、週末に夫婦で食事に行ったり)を実現できるからでしょう。さらに収入が増えれば海外旅行のホテルを3つ星から5つ星にしたり、食事を近所のお洒落なビストロからミシュランの星付きレストランにすることもできるでしょうが、だからといって幸福度はそれほど変わらないのです。

これは、「お金は大事だけれど、必要以上のお金はたいして意味がない」ということでもあります。

富を獲得することがゴールではありません。「経済的独立」を実現して自由な生き方を手に入れ、その「土台」のうえにどのような人生をつくっていくかは、あなた次第なのです。

2020年11月 橘 玲