格差問題を語る前に「公平」と「平等」を再定義しよう 週刊プレイボーイ連載(465)

新型コロナウイルスの感染拡大で世界的に失業率が上昇しているにもかかわらず、金融市場は大賑わいで、GAFAなどプラットフォーマーが軒並み最高益を更新し、新興ゲーム会社の株価がSNSの投稿で乱高下し、イーロン・マスクのテスラが購入したビットコインなど仮想通貨の価格も上昇しています。その結果、経済格差はさらに拡大しており、今後、政治的な争点になるのは間違いありません。

ところで、格差の問題を考えるとき、いたずらに議論を混乱させるのは「公平(機会平等)」と「平等(結果平等)」がごっちゃになっていることです。ここではそれを50m競走で説明してみましょう。

「公平」とは、子どもたちが全員同じスタートラインに立ち、同時に走り始めることです。しかし足の速さには違いがあるので、順位がついて結果は「平等」になりません。

それに対して、足の遅い子どもを前から、速い子どもを後ろからスタートさせて全員が同時にゴールすれば結果は「平等」になりますが、「公平」ではなくなります。

ここからわかるように、能力(足の速さ)に差がある場合、「公平」と「平等」は原理的に両立しません。

このようなとき、5歳の子どもであっても、(足の速い子が1等になる)不平等を容認するのに対し、(足の遅い子が優遇される)不公平は「ずるい」と感じることがわかっています。人が理不尽だと思うのは「不平等」ではなく「不公平」なのです。

もしひとびとが富の分布の不均衡に反発しているのなら、20兆円を超える資産を持つイーロン・マスクは世界中から罵詈雑言を浴びているはずですが、4500万人を超えるツイッターのフォロワーの反応は圧倒的に賞賛と応援です。

これはひとびとが、「グローバル資本主義」の不平等を受け入れていることを示しています。だったら、格差の何が問題なのでしょうか。

ひとつは、競争の条件が公平ではないと感じているひとがいることです。

アメリカでは、奴隷制の負の遺産によって黒人に不公平な機会しか与えられていないとされる一方で、それを是正するためのアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)によって、白人労働者が不公平な競争を強いられていると主張するひとたちもいます。両者の意見は折り合わないでしょうが、自分たちが不公平の「犠牲者」ということでは一致しています。

もうひとつは、競争の結果は受け入れるとしても、その競争を強いられるのは理不尽だと考えるひとが声を上げはじめたこと。

私がテニスで錦織圭と、将棋で藤井聡太と競えば、100回やって100回とも負けるでしょう。私はその結果を不公平とは思いませんが、そのようなゲームを強いられたことはとてつもなく理不尽だと感じるでしょう。

このようにして、「資本主義」というゲームに同意なく参加させられることを不公平だとするひとたちが現われました。これが「レフト(左翼)」とか「ラディカルレフト(過激派)」と呼ばれるひとたちで、資本主義ではない「より人間らしい」経済制度を求めています。

このように整理すると、すくなくとも議論の第一歩にはなるのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2021年2月22日発売号 禁・無断転載

わたしたちはステレオタイプなしで生きていくことはできない 週刊プレイボーイ連載(464)

新型コロナに翻弄される東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会ですが、こんどは森喜朗会長の「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」との発言に翻弄されています。翌日には「不適切な表現だった」と撤回・謝罪したものの、国際社会からも「女性蔑視」と見られており、オリンピック開催にさらなる暗雲が漂うことになりました(その後、森会長は辞任)。

発言の内容はたしかに問題ですが、すでにさんざん批判されているので、ここでは別の視点から考えてみましょう。

女性や移民・外国人、異なる人種や性的志向などの属性にネガティブなステレオタイプを当てはめることが「差別」です。森会長の発言は、「女性は話が長くて迷惑だ」と根拠を示さず(伝聞で)決めつけたのですから、差別・偏見と見なされてもしかたありません。

やっかいなのは、すべてのステレオタイプをなくせばいいわけではないことです。「リベラル」を自称するひとたちはそのように考えているかもしれませんが、もしそんなことになったら社会は大混乱に陥るでしょう。

多くのひとが集まる社会はとてつもなく複雑ですが、脳の認知能力には限界があります。人類が大半を過ごしてきた旧石器時代には、それにもかかわらず即座に判断・行動しないと生命にかかわるような場面がたくさんあったでしょう。そんなとき使われるのがステレオタイプ、すなわちパターン認識です。

奇声を発しながら近づいてくる見知らぬ男がいたとして、彼がどのような人物で、なにを意図してそのような行動をしているのかをじっくり観察していたら、あっという間に殺されてしまうかもしれません。そんなときはネガティブなステレオタイプをその男に当てはめ、即座に逃げ出した方が生存確率は高まります。

ところがその男は、友好的に交易を求めていて、異なる社会の言語で呼びかけていただけかもしれません。この場面を現代の価値観で判断すると、男を敵だと決めつけたのは「差別」で、じっくり話し合うのがPC(政治的に正しい)ということになるのでしょうが、人間はそんなふうに進化してきたわけでありません。

「俺たち」と異なる他者(奴ら)がどのような人物なのか(利益をもたらすのか、危険なのか)を短時間で判断するには、「型にはめる」以外にありません。このようにしてわたしたちは、乏しい認知能力の制約を補ってきたのです。

これが無意識の仕様であることは、森会長を批判するひとたちが、「老害」などといって高齢者へのネガティブなステレオタイプを平気で使っていることからも明らかでしょう。日常生活のほとんどはパターン認識で処理されているので、それなしには生きていくことすらできないのです。

だったらどうすればいいのか。それは上手に「空気」を読んで、ステレオタイプを当てはめてはならない場面で適切に振る舞うすべを学習することです(そもそも森会長は、「女は話が長い」などという話をする必要はまったくありませんでした)。これはますます「リベラル化」する現代社会に必須のスキルですが、83歳の老人にはいささかハードルが高かったようです。――おっと、これも典型的なステレオタイプですね。

『週刊プレイボーイ』2021年2月15日発売号 禁・無断転載

適切な罰則はよりよい社会をつくる 週刊プレイボーイ連載(463)

日本の「民主主義社会」の特徴は、罰則を極端に嫌うことです。新型コロナ対策の特別措置法でも、当初は「罰則などとんでもない」され、感染抑制対策は国民の努力義務(行政からのお願い)になりました。その結果が「自粛警察」の跋扈で、それがあちこちでトラブルを起こしたことでようやく、改正特措法では入院を拒否した感染者や、営業時間の短縮命令に応じない事業者に過料を科すことになりました。

コロナ禍が始まって1年経って罰則の導入へと一歩踏み出したわけですが、ルール違反を「罰する」ことはこれほどまで恐る恐るやらなければならないことなのでしょうか。

処罰の効果については、公共財ゲームを使った興味深い研究があります。参加者はそれぞれ同額のお金を渡され、そのなかから好きな金額をファンド(投資信託)に拠出することができます。ファンドは預けられた資金を運用して増やし、参加者全員に均等に分配します。

A、B、Cの3人に1000円ずつ与えられ、ファンドで投資資金を倍にできるというシンプルな例で考えてみましょう。全員が1000円全額を拠出すれば3000円の投資額が倍の6000円になり、それを均等に分配するのですから、1人あたり2000円です。参加者全員(みんな)のことを考えれば、これがいちばんいいに決まっています。

しかし、参加者Cにとってはもっとうまい方法があります。AとBが1000円を拠出し、自分が1円も出さなければ、倍になった4000円が3人に分配されて(分配金1333円)、自分のお金が(手持ちの1000円と合わせて)約2300円になるのです。当然、AとBもこの「抜け駆け」に気づいて全額を出すのをためらうでしょう。

このゲームを繰り返しやってみると、最初はみんなそれなりの金額をファンドに拠出しますが、回を重ねるにつれて(1円も出さない)ただ乗りが優勢になり、拠出額は減っていきます。自分だけが損をして相手がいい思いをするのはものすごく不愉快なのです。

そこで次に、このゲームに処罰を導入してみます。参加者は、自分の手持ちからいくらかお金を払うことで、抜け駆けしたプレーヤーを罰することができます。

すると驚いたことに、処罰が可能になるだけで、処罰なしの条件より平均拠出額が2~4倍高くなりました。それも回を重ねるごとに拠出額が上がり、最終ラウンドでは6~7.5倍にもなったのです。

この効果は、参加者がコストを払ってでも積極的に処罰することから説明できます。6ラウンドのゲームでは84.3%の参加者がすくなくとも1回は誰かを罰し、裏切り行為の74.2%は処罰されました。

いったん処罰が導入されると、抜け駆けすれば罰せられることを思い知らされます。その結果、処罰ありの条件では正直者がバカを見るリスクが減り、より多くのお金をファンドに拠出することが合理的な戦略になります。

処罰のない「やさしい社会」はフリーライダー(ただ乗り)を増やすだけで、適切な処罰はみんなを幸福にするのです。

参考:Ernst Fehr and Simon Gachter(2000)Corporation and Punishment in Public Goods Experiments, American Economic Review
パトリシア・S・チャーチランド『脳がつくる倫理 科学と哲学から道徳の起源にせまる』化学同人

『週刊プレイボーイ』2021年2月8日発売号 禁・無断転載