偏見をもたないように努力すると、より偏見が強くなる? 週刊プレイボーイ連載(471)

女性やLGBT(性的少数者)、人種・宗教的なマイノリティへの不適切な発言などを理由に、政治家、学者から芸能人まで、著名人を糾弾し辞任などを求める「キャンセルカルチャー」が日本でも世界でも猛威をふるっています。差別のない社会を求めるのは当然として、批判や炎上によって問題は解決するのでしょうか。

これについては、「ステレオタイプ(偏見)を抑圧しようとすると、より偏見が強くなる」という興味深い心理実験があります。

被験者はイギリスの大学生(男女)24人で、スキンヘッドの男性の写真を見せられて、5分間でこの人物の典型的な1日を書くよう求められます。このとき(ランダムに選んだ)半数は、「他人への印象はステレオタイプによるバイアスに強く影響されている」との心理学の知見を教えられ、偏見を抑制するよう暗に求められます。残りの対照群には、こうした指示はありません。

第三者が文章を評価すると、「教育」を受けたグループは偏見を感じさせる表現が少なくなっていました。ここまではよい話です。

被験者は次に、別のスキンヘッドの男性の写真を見せられ、同じく典型的な1日を想像するよういわれます。このときは、どちらのグループにも特別な指示がありません。

「教育」なしの対照群では、(当然のことながら)1回目と2回目の偏見のレベルは同じでした。ところが「教育」されたグループでは、2回目の偏見のレベルが大きく上がり、(「教育」なしの)対照群を超えてしまったのです。

2つめの実験では、被験者はスキンヘッドの男性について書いたあと、「本人が来ているので会ってください」と1人ずつ別室に案内されます。部屋には椅子が8つ並んでいて、いちばん端にデニムジャケットとバッグが置いてあり、「たぶんトイレで、すぐに戻って来るので、好きなところに腰かけて待っていてください」といわれます。

じつはスキンヘッドの男性などおらず、被験者がどこに座るのかを見るのが実験の目的です。偏見が強いなら、無意識に心理的な距離を取ろうとするでしょう。結果はというと、「教育」を受けたグループは、そうでないグループよりも遠くの椅子に座りました。

3つめの実験では、被験者はパソコンに表示される文字列を見て、単語か単語でないかを判断する課題をします。単語のなかには、「パンク」「暴力」など、スキンヘッドに関連する言葉が紛れ込んでいます。偏見が強いほどステレオタイプを想起しやすいのですが、「教育」を受けたグループの方が、偏見と結びつく言葉に素早く反応しました。

なぜこんなことになるのでしょうか。どうやらわたしたちは、「偏見をもつな」といわれると、(無意識に)偏見について考えてしまうようです。それを意識によって抑制するのですが、これは意志力(心理的エネルギー)を消耗するので、作業が終わったとたん、抑え込んでいた偏見が表に出てきてしまうのです。これは「思考抑制のリバウンド効果」と呼ばれます。

もちろんだからといって、差別を是正する努力が無意味なわけではありません。この実験からわかるのは、それがものすごくむずかしいということです。

参考:C. Neil Macrae, Galen V. Bodenhausen, Alan B. Milne, and Jolanda Jetten(1994)Out of Mind but Back in Sight: Stereotypes on the Rebound, Journal of Personality and Social Psychology

『週刊プレイボーイ』2021年4月5日発売号 禁・無断転載

会食バッシングではなく、接待が不要になる仕組みをつくろう 週刊プレイボーイ連載(470)

総務省の「会食疑惑」は、事務次官候補とされていた総務審議官が辞職するなど、底なしの様相を呈しています。内閣人事局の集計では、利害関係者との会食の届け出は、経産省や農水省では過去3年間で300件前後もあるのに、総務省は1件だけでした。

国家公務員倫理規定では、割り勘でも1人1万円を超える利害関係者との会食は届け出が必要とされています。とはいえ、業者から会食に誘われたときに1人1万円を超えるかどうかは知りようがなく、会食後に相手から「割り勘で1万円です」といわれたら、その計算が正しいかどうかも確認のしようがありません。総務省ではこの理屈で、「1万円さえ払えば接待OK」が常態化していたようです。

こんないい加減では批判されて当然ですが、会食ばかりをバッシングすると、「会食しなければいい」ということになりかねません。これが本末転倒なのは、「飲食をともなわない密室で談合するのは許されるのか」を考えれば明らかでしょう。

報道ではほとんど触れられませんが、問題なのは会食や接待ではなく、行政が民間の事業に対して強大な許認可権をもっていることです。旧大蔵省が金融機関の箸の上げ下ろしまで指導していたときは、MOF担という「お世話係」が大銀行のエリートコースで、高級官僚をノーパンしゃぶしゃぶなどで接待していました。認可が得られれば儲かり、拒否されれば会社がつぶれてしまうのなら、どんなことでもやろうとするのは当然です。

電波帯域は有限なので、テレビ局や通信会社は自由に事業に参入できるわけではなく、総務省から電波帯を割り当ててもらわなければなりません。これはまさに事業の根幹ですから、民間企業は電波資源を独占する総務省の一挙手一投足に右往左往せざるを得ません。この利権があるからこそ、高級ワインも飲めるし、定年後も天下りで優雅に暮らすことができるのです。

「7万円の接待などけしからん」と本気で思うなら、この利権構造をなくすのがいちばんです。なんの役得もないならそもそも接待などしないでしょうし、それでもおごるとしたらただの友だち関係です。

電波帯域の割り当ては、先進国ではオークション方式で行なわれ大きな財源になっていますが、日本だけは頑強に導入を拒んでいます。その理由は、オークションでは許認可が不要になるからでしょう。その実態がようやく国民の目に触れたのですから、この機会に、接待の必要のない公正でオープンな行政の仕組みに変えていけばいいのです。

だったらなぜ、そうした議論にならないのか。それはテレビ局が、オークションをやらないことで、稀少で高額な電波枠を格安で利用できる「既得権」を享受しているからです。日本の新聞社はテレビ局の大株主で、それに加えて自分たちも、値引きを禁止する再販制や、消費税の軽減税率などの恩恵を受けています。

そう考えれば、アワビやステーキだけを面白おかしく報じ、本質的な議論を避ける理由がわかります。日本のマスメディアは、新聞もテレビも、本音では行政の利権構造を維持することを望んでいるのです。

『週刊プレイボーイ』2021年3月29日発売号 禁・無断転載

第95回 金持ち賃貸 貧乏持ち家(橘玲の世界は損得勘定)

いまだに多くのひとが、「老後に備えて早めにマイホームを買わなければならない」と思っている。だがこの常識は正しいのだろうか。

ここで、「持ち家が得か、賃貸が得か」という神学論争を始めるつもりはない。マイホームの購入というのは、住宅ローンによってレバレッジをかけて不動産市場に投資することで、ファイナンス理論的には、株式投資の信用取引と同じだ。投資戦略でリスク・リターン比にちがいはあるだろうが、どちらが得かは結果論でしかない。

そこで視点を変えて、「持ち家なのに貧困」という現象を考えてみたい。

金融広報中央委員会が「家計の金融行動に関する世論調査」を毎年公表しているが、2019年の「2人以上世帯」では、「持ち家」と回答したなかに「金融資産非保有」が21%もいる。持ち家が5軒並んでいたら、そのうちの1軒は銀行口座に残高がほとんどない。

さらに驚くのは、金融資産ごとの持ち家率を計算してみると、「金融資産非保有」と回答した世帯のうちじつに69%が「持ち家」であることだ。

「貯金ゼロ」の7割が持ち家というこの奇妙な数字はなにを意味しているのだろうか。ここからは私の推測だが、貯金をはたいてマイホームを購入したケースもあるかもしれないが、その多くは貧困によって実家から出られないまま高齢になり、結果として「持ち家」の世帯主になったのではないだろうか。

80歳を過ぎて、持ち家(とりわけ一戸建て)を管理するのは大変だ。庭の手入れができなければ雑草に蔽われ、ゴミ出しが面倒になればたちまち「ゴミ屋敷」になってしまう。

この状態で貯蓄がなく、マイホームが「負動産」と化していたら、生活は立ち行かなくなってしまうだろう。今後、「持ち家の貧困層」が大きな社会問題になることは間違いない。

同じ調査では、金融資産1000万円以上でも持ち家率は82~87%で、富裕層の1~2割は賃貸生活をしている。「ヒルズ族」のように、大きな収入があっても身軽な賃貸を好む成功者はいるだろう。だがこれも、年齢別のデータがないので推測しかできないものの、高齢の富裕層が賃貸に移行しているのではないだろうか。

経済的に余裕のある世帯が、歳をとってからも持ち家にこだわり、ヘルパーに頼りながら買い物やゴミ出しをする理由はない。そう考えた富裕層が、自宅を売却して高級サ高住(サービス付高齢者住宅)や高級有料老人ホームに移れば、統計上は賃貸になる。

「人生100年時代」では、富裕層が「賃貸」になる一方で、乏しい年金をやりくりしなければならない貧困層は自宅から出られず「持ち家」のままかもしれない。

ここからわかるのは、重要なのは「持ち家か賃貸か」ではなく、時価評価した純資産の額だということだ。またもや身もふたもない結論になってしまうが、最後は「現金(キャッシュ)」がものをいうのだ。

PS  金融広報中央委員会の「家計の金融行動に関する世論調査」は2020年版も公開されていますが、(おそらくは)コロナの影響で貯蓄割合が大幅に上がるなど、これまでの傾向とはかなり異なる数字になっているので、ここでは2019年版を使っています。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.95『日経ヴェリタス』2021年3月20日号掲載
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