『無理ゲー社会』発売のお知らせ

小学館新書より『無理ゲー社会』が発売されます。発売日は7月29日(木)ですが、大手書店には、早ければ明日にでも並びはじめると思います。

Amazonでは予約が始まりました(電子書籍も同日発売です)。

日本も世界も、「リベラル化」の大潮流に翻弄されています。「生きづらさ」の大きな理由のひとつは、誰もが「自分らしく」生きられるリベラルな世界が(ある程度)実現したからです。

五輪前に勃発した日本版「キャンセルカルチャー」の背景もこの1冊でわかります。

<出版社より>

人生の攻略難易度はここまで上がった。

〈きらびやかな世界のなかで、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という困難なゲーム(無理ゲー)をたった一人で攻略しなければならない。これが「自分らしく生きる」リベラルな社会のルールだ〉(本書より)

才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア。誰もが「知能と努力」によって成功できるメリトクラシー社会では、知能格差が経済格差に直結する。遺伝ガチャで人生は決まるのか?  絶望の先になにがあるのか?  はたして「自由で公正なユートピア」は実現可能なのか──。

13万部を超えるベストセラー『上級国民/下級国民』で現代社会のリアルな分断を描いた著者が、知能格差のタブーに踏み込み、リベラルな社会の「残酷な構造」を解き明かす衝撃作。

「正直者がバカを見る」社会をどうすればいいのか? 週刊プレイボーイ連載(485)

東京都の感染増で、政府は4度目となる緊急事態を宣言しました。期間は8月22日までの6週間で、東京五輪も1都3県などが「完全無観客」となりました。結果的に、予想されたなかで最悪にちかいシナリオになってしまいました。

未知の感染症が蔓延しはじめてから1年以上たって、多くの企業は“新常態”に適応し、利益を上げるところも出てきました。世界的に株価は上昇しているし、日本でも法人税収が上振れして、60.8兆円と過去最高を更新しました。

緊急事態宣言が理不尽なのは、そんななかで一部の業態だけに負担が押しつけられていることです。最大の被害者は飲食業界で、外食大手ワタミの渡辺美樹会長は「お酒だけが原因とされ、我々だけがずっと犠牲になっている」と政府の対応を批判しましたが、これは当然でしょう。

事態をさらに紛糾させるのは、深夜までお酒を提供する一部の店が賑わっていることです。

東京・赤羽の飲食店街は「千円札1枚で酔っぱらえる“せんべろ”の街」ですが、時短営業する店の前での客引きが急増していると報じられました。客引きは20~30人で、「この先の店は、3人以上はダメ。うちは人数制限なしです」などと客を誘い、案内した客の会計の15%を報酬として受け取るといいます。都の要請どおりに営業している居酒屋の店主は、「ただでさえ経営が苦しいのに、こちらに『遠征』してまで目の前でネガティブキャンペーンされては、本当に苦しい」と語っています。

客引きを利用しているのは商店街の振興組合に加盟していない5店舗ほどで、男性店長は取材に対し、「今は年末並みの忙しさ」と笑顔で話しています。「(客引きが)いなきゃ店はガラガラ。生きていくのに仕方なくです」が理由だそうです。

こうした「抜け駆け」を許していては批判の声が高まるばかりなので、政府は酒類提供を続ける飲食店と取引を行なわないよう販売業者に要請し、さらには金融機関から店に圧力をかけるという奇策も飛び出しました(さすがにこれは即日撤回)。どちらもきわめて評判が悪いのですが、自民党の支持基盤である商店主や商店組合から「抜け駆け」に対する苦情が地元議員に殺到し、無理筋だとわかっていてもなにかやらなくてはならなくなったのでしょう。

「正直者がバカを見る」ままでは、日本の未来を担う子どもたちは、「ルールを守ると損する」「裏をかけば成功できる」と学習するでしょう。その先にあるのは道徳の全面的な崩壊です。

だったら、どうすればいいのでしょうか。真っ先に思いつくのは、ルール違反をする店をよりきびしく罰することです。実際、日本よりずっとリベラルなヨーロッパでは、政府の指示に従わないと罰金だけでなく、警察に逮捕され収監されることもあります。

でも、この問題にはずっとシンプルな解決策があります。「お酒を出して儲けるのはおかしい」のは確かですが、原因は感染拡大なのですから、中国のように強い社会統制で感染を抑制すれば、すべての店がお酒を出せるようになるでしょう。なぜか誰もこのことはいいませんが。

参考:「客引き急増、悩む「せんべろ」の街」朝日新聞2021年7月7日

『週刊プレイボーイ』2021年7月19日発売号 禁・無断転載

第97回 お金を使いきれぬ「小金持ち」(橘玲の世界は損得勘定)

新型コロナで第1回の緊急事態宣言が発出されていたから、昨年の5月頃だろうか。近所を歩いていて、百貨店の食品売り場の袋を抱えた身なりのいい老夫婦を目にした。非常食を買いにきたのかと思ったが、どうもそうではないらしい。

「買い物したいのはわかるけど、これ以上買っても食べられないだろう」という夫を、妻がぶぜんとした顔でにらみつけている。外出制限で買い物くらいしかすることがなくなったものの、食品だけでは妻の購買意欲は満足できなかったようだ。

そのあと知人の女性から、コロナ禍でも美容院やエステ、ネイルサロンなどの売上はそれほど落ちていないという話を聞いた。来客数は減っているが、高額の出費をする高齢女性たちがそれを埋め合わせているのだという。

今年3月から、帝国ホテルが月額36万円のサービスアパートメントを始めた。ネイルサロンのオーナーによると、それを知って真っ先に予約したのは店の常連客やその友人たちだという。みんな裕福な高齢女性たちで、国内旅行も海外旅行も行けなくなったので、銀座や六本木の高級ホテルに泊まって、ミシュランの星付きレストランを食べ歩くのが流行っているらしい。

経済格差というのは、社会が富裕層と貧困層に二極化することだ。日本では貧困問題にばかりに目がいくが、その反対側には使いきれないお金を抱えているひとたちがいる。

とはいえ、ここでいう「富裕層」は資産数十億円、数百億円の「富豪」というわけではないだろう。

都内の高級住宅地に持ち家があれば、それを売って多額の資金をつくれるから、老後のお金の心配をする必要はない。夫がサラリーマンとして出世していれば、平均より多い年金を受給しているだろう。

そう考えると、コロナで「小金持ち」が直面した状況がわかる。旅行や会食、パーティなどでお金を使うことができなくなり、銀行口座の残高だけが増えていくのだ。

お金が貯まっていいではないかと思うかもしれないが、高齢者は「時間」が限られている。80歳を過ぎると、旅行に出かける気力や体力がなくなってしまうかもしれない。

いまどきの富裕層は、子どもたちにできるだけ多く資産を残そうなどとは思わなくなったのではないか。デパ地下の買い物やエステ、高級サービスアパートメントなどで散財するのは、お金を残したまま歳をとり、消費できないお金が口座に貯まっていくと、損をした気になるからかもしれない。

近所の高級中華料理店の個室は、土日はほぼ満席だ。会食はまだ無理だが、ワクチン接種を終えた高齢の夫婦や友人同士の利用が増えているという。

欧米では、経済活動再開にともなう消費の回復が伝えられている。超高齢社会の日本では、残された時間のうちに「余分なお金」と使いきってしまおうという富裕な高齢者たちが、コロナ後の消費を牽引するのではないだろうか。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.97『日経ヴェリタス』2021年7月9日号掲載
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