「上級国民」と「下級国民」の気の遠くなるような落差 週刊プレイボーイ連載(503)

アメリカ大統領選の結果を受け入れないトランプ支持者が連邦議会議事堂に乱入・占拠するという前代未聞の混乱で幕を開けた2021年も、残すところあとわずかになりました。

日本では8月にコロナの感染拡大で医療が逼迫、患者が次々と自宅で死亡したことで、菅前総理は総裁選の出馬を断念しました。ところがその後、なぜか感染者数が急激に減りはじめ、それを追い風に「新しい資本主義」を掲げる岸田自民党が総選挙を制し、いつもと変わらない日本政治の風景が続いています。

今年最大のイベントは東京五輪で、それなりに盛り上がったものの、大リーグ大谷翔平選手の活躍によって、いまではひとびとの記憶も薄れつつあるようです。五輪関連で強い印象を残したのは、開会式の演出にかかわったアーティストや演出家の過去の言動がSNSで炎上し、次々と辞退(キャンセル)に追い込まれたことでしょう。欧米ではこれは「キャンセルカルチャー」として10年ほど前から問題視されていましたが、世界の潮流から一周遅れで、いよいよ日本にもその大波が到来したことになります。

キャンセルカルチャーは「社会正義」を求める左派(レフト)の運動で、攻撃の対象になるのは人種差別や性差別にかかわったとされる者です。ところが日本では、結婚問題をめぐって、皇族とその婚約者が大々的な「キャンセル」の標的になるという前代未聞の事態が起きました。

ヒトの脳は「下方比較」を報酬、「上方比較」を損失と感じるように進化の過程で設計されており、自分より上位の者を引きずり下ろすことで大きな快感が生じます。SNSは「正義」の名の下に、ゼロコストかつ無リスクでこの快感を手に入れる方法をすべてのひとに提供しました。日本や世界で広がる混乱は、この生理学的な仕組みでおおよそ説明できるでしょう。

8月には小田急線の電車内で36歳の男が刃物を振り回し、乗客10人が重軽傷を負う事件が起きました。男は車内に灯油をまいて火をつけようと計画したものの入手できず、常温では発火しないサラダ油で代用し、からくも大惨事をまぬがれました。
加害者の男は大学を中退したあと「ナンパ師」をしていましたが、やがて無職になり生活保護を受けていたとされます。男が最初に狙ったのは、「勝ち組っぽく見えた」20歳の女子大生でした。

この事件に続いて10月のハロウィンの夜に、京王線の特急列車内で、「バットマン」の悪役ジョーカーの仮装をした24歳の男が、72歳の男性をナイフで刺したあと、ライターオイルを床に撒いて火をつけ、18人が重軽傷を負う事件が起きました。年下の恋人と破局し、バイト先で客のシャワールームを盗撮しようとするなどのトラブルを起こし、コールセンターの仕事を辞めたあと、大量殺人で死刑になることを考えたと供述しています。

その一方で、電気自動車のテスラやロケット開発のスペースXの創業者であるイーロン・マスクの個人資産が30兆円を超え、従業員7万人(連結従業員36万人)のトヨタの時価総額に並びました。。「上級国民/下級国民」というネットスラングが現実化した気の遠くなるような落差も、今年を象徴する出来事でしょう。

『週刊プレイボーイ』2021年12月20日発売号 禁・無断転載

政府が「賃上げ闘争」し労働組合が傍観する奇妙奇天烈な国 週刊プレイボーイ連載(502)

「新しい資本主義」を掲げた岸田首相が春闘に向けて「3%を超える賃上げ」を期待し、それを受けて経団連もベースアップ(ベア)の実施を表明しました。

しかし、従来の常識からするとこれは奇妙奇天烈な話です。そもそも春闘というのは、労働組合が経営者に対し、生活給の底上げ(ベア)を求める運動で、それに対して経営側は抵抗し、「左傾化」を恐れる政府が組合運動を抑圧する構図がずっと続いていました。ところが安倍政権以来、両者の関係が逆転し、組合が要求もしていないのに政府が率先して賃上げを求めるようになったのです。

なぜこんなことになるのかは、「日本と世界の労働組合はぜんぜんちがう」ということから説明しなくてはなりません。世界標準である「ジョブ型」の働き方では、どの会社に所属するかにかかわらず、同じ仕事には同じ報酬が支払われます。

飲食店のフロアスタッフで考えてみましょう。2軒の居酒屋があって、一方が時給1100円、もう一方が1200円だとしたら、自宅からの距離などの条件が同じなら、時給の高い方を選ぶでしょう。それに対して、ファストフード店が時給1100円、居酒屋が1200円なら、勤務時間や仕事の大変さが異なる(ジョブがちがう)ので、時給の安い方を選ぶひともいるはずです。これが「同一労働同一賃金」の原則です。

「ジョブ型」の雇用制度では、性別や年齢、国籍などの属性にかかわらず、ジョブが同じなら、労働条件はどの会社でも(基本的には)同じになります。そうなると、労働者は会社の垣根を超えて団結して、経営者団体に賃上げを求めるのが合理的です。

ところが日本の雇用制度は「メンバーシップ型」で、同じ居酒屋でも、A店は時給2000円、B店は時給1100円だったりします。当然、B店で働くのはバカバカしいので、優秀なスタッフはA店に移ろうとするでしょう。ところがA店のホールスタッフになれるのは「メンバー」だけで、「資格がない」と門前払いされてしまうのです。

このような条件では、A店のホールスタッフはB店の従業員と一緒になって賃上げ交渉する理由がありません。日本型雇用制度では、労働者が団結して経営者団体(総資本)と対決する必要はないのです。とはいえ、これでは、労働組合の存在意義がなくなってしまうので、せめて年に一度くらいは労働者全員の利益のためのなにかしようというのが「春闘」です。

しかしそうなると、日本の労働組合は何をしているのでしょうか。それはいうまでもなく、メンバー(正社員)の「身分」を守ることです。そのためには、非正規の従業員が正社員になれないようにし、中途入社(横入り)を阻止し、いったんメンバーになったら定年までの生活が保障されるようにしなければなりません。

このように考えると、労働組合がベースアップに冷淡で、その肩代わりを政府がしなくてはならない不可思議な構図も理解できます。「新しい資本主義」とは、日本の差別的な雇用制度には手をつけず、政府が労働組合の「お手伝い」をすることのようです。

*その後、連合は「ベースアップと定期昇給で4%程度の賃上げを求める闘争方針」を決め、「政府の発言だけでは賃金を改善しない」と、「官製春闘」に頼らぬよう傘下の労働組合に釘を刺したとのことです。(日本経済新聞2021年12月2日「連合会長「官製春闘」頼みにクギ 4%賃上げ要求決定」)

『週刊プレイボーイ』2021年12月13日発売号 禁・無断転載

『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』あとがき

出版社の許可を得て、新刊『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』の「あとがき」を掲載します。昨日発売で、すでに書店さんには並んでいると思います(電子書籍も同日発売です)。

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20年前に書いた本が、なぜか一昨年くらいから版を重ねている。2002年に出版された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』で、14年に改訂、17年に文庫化された(現在は幻冬舎文庫)。読者の多くは若い世代で、SNSでの情報交換によってこの作品を知るようになったらしい。

ネットのレビューを見ていて興味深かったのは、新しい読者はこれを「ハック本」だと思っていることだ。そしてこれは、まったく間違ってはいない。

どのようなシステムも完璧なものではない以上、そこには必ず“バグ”がある。それを上手に利用することで、労せずして超過利潤を得ることができる。このような無リスクの収益機会が「黄金の羽根」だ。

グローバルな金融市場では、同じ株式や通貨が、別の市場で異なる価格で取引されていることがある。このとき、割高なものを売り、割安なものを買えば、いずれ価格差はなくなって確実に利益が実現する。この投資手法をアービトラージ(さや取り)という。

これは経済学的にはあり得ないフリーランチなので、鵜の目鷹の目で儲けようとしているヘッジファンドなど機関投資家によって、その収益機会(黄金の羽根)はたちまち失われてしまうはずだ。ファイナンス理論では、これが「効率的市場仮説」が成立する根拠とされる。

だが現実社会は金融市場ほど効率的ではなく、さまざまな政治的思惑がからんで、制度のバグがいつまでも温存されることがある。税制はその典型で、自民党から共産党にいたるまで、すべての政党の選挙基盤が地域の商店主や自営業者、中小企業経営者であることで、サラリーマンに比べてこうした「弱者」は圧倒的に有利な扱いを受けている。日本は「サラリーマン社会」なので、そこからこぼれ落ちるひとたちに便宜をはかったとしても、さほど大きな問題にはならないのだ。

行政にとっても、源泉徴収と年末調整でサラリーマンから確実に税・社会保障費を徴収できるのだから、わざわざ政治家の票田に手を突っ込んでトラブルを引き起こす理由はない。このようにして、20年前に紹介したハックの手法(マイクロ法人)をいまでもほぼそのまま使うことができるのだ(1)。

私は当初から、これを「日本というシステム」のハッキングだと考えていたが、世間一般の評価は「巧妙な節税法」で、すべて合法であるにもかかわらず「脱税指南」とのいわれなき批判を受けたこともある。それがこの数年で、「ハック本」として(正しく)再評価されるようになった。

この個人的な体験から、「ハックの大衆化」とでもいうべき大きなトレンドが起きていることに気づいた。いまやコンピュータ・ネットワークだけでなく、あらゆるものがハッキングの対象になった。なぜなら知識社会が高度化し、正攻法の人生設計が通用しなくなって、「別の道」を探すしかなくなったから。

これが日本だけの現象ではないことは、アメリカにおいて、恋愛の難易度が上がったことでPUA(ピックアップ・アーティスト)が登場し、経済格差が広がったことで、ビットコインなど仮想通貨を売買したり、「ミーム株」と呼ばれるネット仕手株の投機に参加して、短期間で大きな富を手にしようとする流行が起きたことからもわかる。そしていまでは、自分自身をハッキングして〝拡張〟するトランスヒューマニズム(超人主義)が現実のものになろうとしている。こうした傾向を、AI(人工知能)をはじめとするテクノロジーの急速な進歩が後押ししていることも間違いない。

コロナ禍の緊急事態宣言で、東京など多くの地域で飲食店の営業時間が短縮され、酒類の提供が禁止されたが、それにもかかわらず繁華街では深夜までお酒を提供する店が繁盛し、メディアでもその様子が繰り返し報じられた。

飲食店が感染拡大の原因なのかについては専門家のあいだでも意見が分かれ、「1日6万円(東京都)の協力金では家賃分にもならない」という飲食店もある。「ルールを破っている」と一方的に責めるわけにはいかないものの、それでも酒類を提供せずに営業を続けている店があるのだから不公平感は否めない。──その一方で、個人営業の飲食店などは売上を超える収入を得て、「協力金バブル」「協力金長者」と呼ばれた。

この状況を目の当たりにした(日本の未来を担う)子どもや若者たちは、「正直者が馬鹿を見る」という現実を思い知らされたはずだ。そんな社会で生き延びていくには、唯々諾々と常識(お上の要請)に従うのではなく、自分に有利なルールでゲームをプレイしなければならないし、そうでなければあっという間に「下級国民」に落ちてしまう。このようにして、「ハック」はさらに広まっていくだろう。

本書を読んでいただければわかるように、ハッキングには一定の(あるいはとてつもない)効果があるものの、すべてのひとにその利益が公平に分配されるわけではない。というよりも、そこは一部の者が成功し、大多数は失敗するロングテールの世界だ。身も蓋もないいいかたをするなら、大半の果実は「とてつもなく賢い者」が独占していく。

わざわざ断る必要もないと思うが、本書はハックを勧めているわけではない。もちろん、自信があるのなら挑戦するのは自由だが。

私は2019年に、若い世代に向けて『人生は攻略できる』(ポプラ社)という本を書き、21年の『無理ゲー社会』(小学館新書)では、「攻略不可能なゲーム」に放り込まれてしまったと感じる若者たちが増えている背景を考察した。だがこれは、かつては可能だったものが不可能になったということではない。

「進化論的制約」から、人間はしばしば不合理な選択や行動をし、社会・制度のバグは簡単にはなくならない。それを考えれば、むやみに大きなリスクをとることなく、経済合理的に考え行動することで「人生を攻略する(ハックする)」ことは、(一部のひとにとっては)まだじゅうぶんに可能だろうと思っている。

 2021年11月 橘  玲

 

*1 より詳しくは拙著『貧乏はお金持ち 「雇われない生き方」で格差社会を逆転する』(講談社+α文庫)を参照されたい