「誰がやっても同じ」という残念な現実 週刊プレイボーイ連載(493)

【9月30日執筆のコラムを一部加筆訂正しました。】

自民党の総裁選で岸田文雄氏が決選投票で河野太郎氏を破り、第27代総裁に選出されました。自民党は岸田政権の下で10月31日投開票の衆院選に臨むことになります。

総裁選の討論で岸田氏は、コロナ対策のほか、新自由主義(ネオリベ)から脱却し、「『成長と分配の好循環』による新たな日本型資本主義」を掲げ、「令和版 所得倍増計画」で経済格差の是正を目指すとしました。「真性保守」の安倍元首相が頑強に反対してきた選択的夫婦別姓では党内の推進議連に参加しており、同性婚についても「多様性を認めるということで、議論があってもいい」と述べています。

このように見ると、岸田氏が掲げる政策は「リベラル政党」である立憲民主党にとてもよく似ています。なぜこんなことになるのか。その理由は、そもそも日本の政治には選択の余地がほとんどないからです。

人類史上未曾有の超高齢社会に入った日本では、2040年には国民の3分の1が年金受給年齢の65歳以上になります。1980年に年25兆円程度だった社会保障費は2010年に100兆円を超え、40年には200兆円ちかくに膨らむと予想されています。その時の現役世代人口を5000万人とするなら、単純計算で1人年400万円の負担です。

財政赤字については「経済成長率が金利を上回っていればいい」「円建て国債が国内で保有されていれば財政破綻は起こらない」などの議論もありますが、GDP(2020年は540兆円)の3分の1を超えるような巨額の社会保障給付を長期にわたって続けることに「持続可能性」がないことには誰もが同意するでしょう。日本国の借金はすでに1200兆円を超え、歳出の半分以上が社会保障費と国債費(借金の返済)で消えているのです。

予算の自由度がほとんどない状況では、「もうちょっと公助を増やそう」というか(リベラル)、「もうすこし自助で頑張ってもらわないと」とするか(ネオリベ)は、たんなるレトリックの問題です。いずれにせよ、縮んでいくパイに既得権層が群がって、小さなカスを奪い合うしかないのですから。

外交にしても同じで、日本にはもはや世界を動かすような国力はなく、アメリカと中国の超大国にはさまれて、どちらの逆鱗にも触れないようになんとかやっていくしかありません。エネルギー政策も、化石燃料を減らしたぶんを原発で補う以外に「2050年に二酸化炭素排出実質ゼロ」の実現は不可能というのは専門家の常識です。

しかしこれらはいずれも「不都合な事実」なので、大っぴらにいうと選挙で負けてしまいます。その結果、候補者のちがいは、靖国神社に参拝するかどうかといった些細なことになってしまうのです。

旧民主党時代を「悪夢」と呼んだ安倍晋三氏は、旧民主党の野田政権が目指した「消費税増税」「TPP参加」「原発再稼働」などの重要政策をそのまま引き継いで長期政権を実現しました。それを考えれば、誰が自民党総裁になっても日本の政治はたいして変わらないし、さらにいえば野党(共産党を除く)に政権交代したとしても同じでしょう。

しかしこれではあまりに夢がないし、なによりエンタテイメント性に欠けてメディアが困るので、「政治が変われば日本は変わる」という幻想をみんなで一生懸命守っているのです。

『週刊プレイボーイ』2021年10月11日発売号 禁・無断転載

「自由と人権」を守るのは右翼・保守派と陰謀論者? 週刊プレイボーイ連載(492)

「自分らしく自由に生きたい」という価値観は、1960年代のアメリカ西海岸で「ヒッピー・ムーブメント」「カウンターカルチャー」として始まり、たちまち世界じゅうの若者たちを虜にしてパンデミックのように広まりました。これはキリスト教やイスラームの成立に匹敵する人類史的事件で、いまや誰も(「右翼」「保守派」を自認するひとですら)このリベラルな価値観を否定することはできません。

リベラル化する社会では、「自分らしく生きる」ことを阻むものはすべて否定されます。「黒人だから」「女だから」という理由で進学や就職の機会を奪われるとしたら、そのような理不尽な差別をなくしていくのは当然のことです。

日本でも、「リベラル」を自称するひとたちが、自由や人権を抑圧する「権力」と闘ってきました。新型コロナの感染抑制対策でも、「人権派」の弁護士などが「ワクチン接種の強制は許されない」「ワクチンパスポートで接種者を優遇するのは打たないひとへの差別だ」などと主張し、それを「リベラル」な新聞・テレビが大きく取り上げました。

ところがいまや、日本よりずっとリベラルな欧米諸国で困惑するような事態が起きています。

フランスは「自由と人権の祖国」ですが、ワクチン接種証明(および6カ月以内の感染証明、72時間以内の陰性証明)の提示義務を、当初の大規模集会だけでなく、国内の長距離移動やレストラン、百貨店の入店にまで「全面導入」しました。イタリアもほぼ同様の規制を行なっており、ワクチン接種をしていないと通常の日常生活にも支障を来します(大規模な反対デモが起きていますが、感染者数が減少したこともあり世論は好意的です)。

アメリカではバイデン政権が、ワクチン接種率が頭打ちになったことへの対策として、100人以上の従業員を抱える企業に、従業員にワクチンを接種させるか、未接種なら少なくとも週1回の陰性証明の提出を求めるよう義務付けると発表しました。また400万人を超える連邦職員は、正当な理由なくワクチンを打たない場合は懲戒処分となります。

これに対して、いまだトランプ氏の影響力が大きい共和党は、「ワクチンを受けるかどうかは本人の自由」と主張し、「憲法違反」として政府を提訴する構えです。

こうした事態が興味深いのは、権力から「自由と人権」を守ろうとするのが右翼や保守派(あるいは「反ワクチン」の陰謀論者)で、人権を抑圧してでも接種率を上げて感染抑制しようとするのがリベラル派になっていることです。従来の「保守vsリベラル」の関係はかんぜんに逆転してしまいました。

この現象についてはさまざまな意見あるでしょうが、ひとつだけたしかなのは、日本でも、馬鹿のひとつ覚えのようなきれいごと(権力はけしからん)を唱えているだけでは、まともなひとから相手にされなくなったことです。コロナ禍は社会に甚大な損害をもたらしましたが、これはそのなかで数少ない「よいこと」のひとつでしょう。

『週刊プレイボーイ』2021年10月4日発売号 禁・無断転載

政治家の仕事は「国民のための政治」ではなく、次の選挙で当選すること 週刊プレイボーイ連載(491)

【9月16日執筆のコラムです。29日の総裁選で岸田文雄氏が新総裁に選出されましたが、記録のためそのままアップします。】

菅首相が自民党の総裁選出馬を断念したことで、政治が大きく動き出しました。いったいなにが起きたのかは、政治家という「自営業」の特徴を考えるとよくわかります。

すべての政治家が身に染みて感じているのは、再就職がきわめて困難なことです。ワイドショーのコメンテーターや大学の教員になれるのはごく一部で、公務員のような天下り先もなく、落選した元国会議員を雇ってくれるような会社もありません。アメリカでは議員からロビイストに転身するケースがあるようですが、日本にはそのような仕事は存在せず、「選挙に落ちればただの人以下」です。

これほどまでつぶしがきかないと、政治活動の大半が「次の選挙に勝つこと」になり、天下国家のことにはたいした興味をもたなくなるでしょう。実際、官僚が政治家に政策の説明をすると、二言目には「それは選挙に有利になるのか?」と訊かれるそうです。

衆院選が近づくなか、メディアはさかんに安倍政権の検証をしていますが、長期にわたる「一強」を維持できたいちばんの理由は支持率が高かったことです。安倍氏の「看板」で当選した議員が安倍政権を支持し、次の選挙でも勝つという好循環によって、盤石の権力基盤がつくられました。

その安倍氏から権力をそのまま引き継いだ菅首相は、なぜ政権を維持できなくなったのか。「コミュ力が足りない」「説明責任を果たしていない」などといわれていますが、そんな難しい話をしなくても、「新型コロナの感染者数と支持率が連動しているから」で説明できてしまいます。

菅首相の目論見は、東京五輪を無事に終わらせ、ワクチン接種を進めながら緊急事態宣言を解除し、再選を目指すことだったはずです。ところが変異種の感染力が予想外に強く、感染者が急増して医療崩壊が起こり、入院できないまま自宅で死亡するケースが相次いできびしい批判を浴びることになりました。

ワクチン接種で先行する欧米諸国を見ても、菅政権のコロナ対策が間違っていたわけではありません。医療機関が感染症に対応できないのは構造的な問題で、かんたんに解決できる話ではないでしょう。――厚労省は病床確保のために1兆円を超える補助金を投入しましたが、ほとんど役に立ちませんでした。

その意味では運がなかったともいえますが、政治は「結果責任」です。とはいえこの責任は、国民のためによい政治をするというより、自党の議員が選挙で勝てる「看板」であり続けることです。

自民党には、選挙基盤が安定しない当選3回以下の「安倍チルドレン」が半分ちかくいます。「衆院選に勝てるなら誰でもいい」という若手議員の発言が報じられましたが、これが彼らの本音でしょう。

そのように考えれば、政権の支持率が30%を切った時点で、選挙に向けて看板を掛けかえる以外の選択肢は残されていませんでした。総裁選も、「誰がいちばんいい看板になるか」をめぐって争われています。

政治家も人間ですから、「“ただの人以下”になりたくない」と思うのは当然です。これまでも、これからも、民主政治はこの不安によって動いていくのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2021年9月27日発売号 禁・無断転載