米中対立は「言うだけ番長」 週刊プレイボーイ連載(504)

「今年はどうなる?」の予想が当たる確率はせいぜいコイン投げと同じというのが相場ですが、数少ない例外のひとつに米中対立があげられるでしょう。

バイデン政権は、国内が共和党支持(保守派)と民主党支持(リベラル)に二極化しているだけでなく、「過激化したリベラル」である左翼(レフト)からもはげしく批判されています。社会が不安定化したときに、特定の国(第二次世界大戦前の日本の鬼畜米英)や特定の集団(ナチスのユダヤ人に対するホロコースト)を悪魔化するというのは、歴史上、繰り返し行なわれてきました。

誤解のないようにいっておくと、もちろん中国にも批判される理由があります。とりわけ新疆で行なわれている監視テクノロジーを駆使したウイグル族への弾圧は、現代のリベラルな社会ではけっして容認できないものです。

とはいえこれは「米中冷戦」というコインの表側で、その裏側には欧米諸国の「コロナ敗戦」があります。コロナの死者・感染者数でみても、経済への影響や財政負担でみても、欧米の民主国家が感染症への対応で失敗したことはもはや否定しようがなくなっています。しかしこれは、「自分たちがもっとも優れている」と信じている(リベラルを含む)欧米の白人たちには受け入れがたい「ファクト」でしょう。――さらにアメリカにとっては、2030年代にGDPで中国に逆転される予想が現実味を帯びてきたという背景もあります。

そんなバイデン政権が昨年末に鳴り物入りで開催した「民主主義サミット」は、オンラインで行なわれたこともあって、まったく盛り上がらないまま、共同声明もなしに閉会しました。中国とロシアを「非民主国家」として排除する一方で、人権団体から「独裁」と批判されているフィリピンのドゥテルテ大統領やブラジルのボルソナロ大統領を招待したことで、すっかり足元を見透かされたようです。北京冬季オリンピックの「外交ボイコット」も、「嫌がらせ」以上の影響力はないでしょう。

米中対立が冷戦から熱戦に発展する可能性はあるでしょうか。これについて興味深いのは、トランプ支持者による連邦議会占拠事件(21年1月6日)の2日後、米軍トップの統合参謀本部議長が、中国人民解放軍のトップに電話で、中国を攻撃する意図はないと説明していた事実が暴露されたことです。

しかしこれは、軍幹部の損得勘定を考えれば不思議でもなんでもありません。米中両軍が衝突すれば兵士に大きな犠牲が出るでしょうし、万が一負ければ(あるいは予想以上の損害を被っただけで)責任をとらされて幹部のクビが飛ぶかもしれません(人民解放軍幹部にとっては生命の保証もないでしょう)。

だとすれば、米中どちらの軍幹部にとっても、危機を煽って多額の軍事予算を確保しつつ、ほんとうに危機が近づいたら、お互いに裏で話し合って丸く収める「言うだけ番長」が唯一の合理的な解なのです。

ゲーム理論によるこうした説明は「机上の空論」とされますが、軍人たちは実際に理論どおりの行動をしていました。今年も米中はお互いに罵り合うでしょうが、事態がエスカレートすることはなく、わたしたちは「ぎすぎすした平和」を享受できると予想しておきましょう。

『週刊プレイボーイ』2021年12月27日発売号 禁・無断転載

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

今年がみなさまにとってよい1年でありますように。

2022年元旦 橘 玲

*一昨年につづいて昨年もどこにも行けなかったので、2013年に訪れたヨルダン・ペトラ遺跡の写真を載せます。狭い岩の間を抜けると、突然、巨大な石の神殿が現われます。

 

ハックされるな、ハックせよ(2021年の大晦日に)

昨年から続いたコロナ禍で、ひたすら自宅と仕事場を(徒歩で)往復する日々が続いたことで、今年は3冊の新刊を出すことができました。

『無理ゲー社会』『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』は、2019年の『上級国民/下級国民』と合わせて、いまの日本や世界で何が起きているかを論じた三部作になります。

産業革命と啓蒙主義から始まった近代を前期と後期に分けるなら、その分岐点は1960年代のカウンターカルチャーです。それ以前は(相対的に)貧しい社会で、誰もが人生に一度は戦争や内乱を体験していました。

ところが第二次世界大戦が終わり、先進国で「とてつもなくゆたかで平和な社会」が実現すると、生存への脅威がないまま成人する世代が(おそらく)人類史上はじめて登場します。彼ら/彼女たちが求めたのが「自分らしく生きる」ことで、この(人類史的には)奇妙奇天烈な価値観が、”セックス・ドラッグ・ロックンロール”とともに、またたく間に世界じゅうの若者たちを虜にしました。

「わたしが自由に生きる」のなら、当然、「あなたにも自由に生きる権利がある」ことになり、この“自由の相互性”がリベラリズムの基礎になります。こうして現代社会では、人種、国籍、民族、性別、性的志向、障がいなど「自分では変えられない属性」を根拠とする差別は「許されない」ものになりました。

これが「リベラリ化」ですが、それが過激化したのがSJW(social justice warrior/社会正義の闘士)で、「差別」と認定した相手の社会的地位を抹消(キャンセル)する「キャンセルカルチャー」が、SNSによって燎原の火のように拡がっています。

日本では東京オリンピックの開会式の演出をめぐって、はじめて本格的な「キャンセル」の運動が起きましたが、皇族の婚約・結婚をめぐる一連の騒ぎも、かたちを変えたキャンセルカルチャーと見なせるでしょう。

市場経済とグローバル化によってゆたかな社会が実現すると、なにひとつ不正なことがなくても、自然に経済格差が拡大していきます。知識社会が高度化すれば、仕事に要求されるハードルを越えることができない労働者が増えるでしょう。

このようにしてアメリカでは、ラストベルト(錆びついた地域)に吹きだまる白人労働者階級が熱烈にトランプを支持し、「世界はディープステイト(闇の政府)に支配されていて、トランプはそれと戦っている」というQアノンの陰謀論を信じて連邦議会議事堂を占拠するという前代未聞の事件が起きました。

「誰もが自分らしく生きられる」社会では、一人ひとりが自分の”夢”を追い求めるよう駆り立てられますが、それによってあらゆるところで利害が対立して社会はますます複雑化し、夢の実現が困難になっていきます。それが典型的に現われるのが「恋愛の自由市場」で、男女の生物学的な性の非対称性から、ヒトのmating(つがい行動)では「男が競争し、女が選択する」ことになるため、性愛から脱落してしまう若い男性が世界じゅうで増えています。

日本でこれは「モテ/非モテ」問題ですが、アメリカでは「インセル(involuntary celibate/非自発的な禁欲主義者)」と呼ばれ、フェミニズムを敵視し、「一夫一妻制を徹底せよ(自分たちに女を“分配”しろ)」と主張し、北米では無差別銃撃事件のテロリズムが起きました。小田急線や京王線の車内で発生した無差別襲撃事件は、日本でも同じ事態が進んでいることを示して衝撃を与えました。

知識社会が高度化し、恋愛の自由市場化が進み、人間関係が複雑になるにつれて、どうやっても社会・経済的な成功や性愛を獲得できないと絶望する者たちが増えていきます。日本はこれに加えて人類史上未曾有の超高齢社会となり、懸命に働いても高齢者に「搾取」されるだけではないのかという不安が若者たちに広がっています。これが「無理ゲー」化です。

ゲーマーのあいだでは、「攻略不可能なゲームはハックするしかない」とされます。社会の「無理ゲー」化が進んだことで、「懸命に勉強し、新卒で大手企業に入社し、40年間滅私奉公する」という高度成長期の人生戦略は、もはや有効性を失ってしまいました。これは欧米も同じで、その結果、システム(恋愛、金融市場あるいは自分の脳や身体)をハックすることでこの罠から逃れようとするムーヴメントが同時多発的に起きています。

その一方で、急速に進歩するテクノロジーを駆使して、企業は消費者やユーザーの脳(報酬系)をハックしようとしています。いったん自社の商品やサービスに報酬系を”ロックイン”してしまえば、依存症者と同じで、生涯(”絶滅”するまで)忠実な顧客であり続けるのです。

これはべつに、「企業(資本主義)が悪だ」という話ではありません。倫理的・道徳的な企業であっても、AI(人工知能)とビッグデータを駆使して収益を最大化しようとすれば、必然的に、消費者の脳をハックするビジネスモデルができあがるのです。

テクノロジーの最先端であるシリコンバレーでマインドフルネス(仏教)やストア哲学、ミニマリズム(デジタル・ミニマリズム)が流行しているのは、「自分の脳が日常的にハックされている」という現実を身をもって知っている(あるいは自ら開発している)からでしょう。

このようにしてわたしたちは、「システムをハックしようとしつつも、システムからハックされる」世界を生きることになりました。そのような社会では、「ハックされるな、ハックせよ」が「たった一つの生存戦略」になるでしょう。

それと同時に、「経済格差社会」から「評判格差社会」への移行が急速に進んでいます。近代の都市化した匿名社会では、初対面の相手の能力や社会的地位を判断することができず、そのため学歴や資格、豪邸やスーパーカー、ブランドなどの「シグナリング」が重要になったのですが、SNSは「評判を数値化し、可視化する」というとてつもないイノベーションを実現しました。これによって若者たちの関心は、消費(モノ)からSNSでの評判に移りはじめています。

フェイスブックがメタバースに注力すると宣言したように、「評判格差社会」の舞台はリアルではなくヴァーチャル空間になっていくでしょう。そこではアニメ『竜とそばかすの姫』で描かれたように、世界じゅうからアクセスした参加者が評判を競いあうことになります。その先には、誰もが「自分らしく」ヒーローやヒロインになれる78億のメタバースが提供される「ユートピア/ディストピア」が待っているのかもしれません。

現代社会は、テクノロジーの指数関数的な発達とその融合(コンヴァージョン)を背景に、「リベラル化、グローバル化、知識社会化」の三位一体の巨大な潮流のなかにあり、「保守化、排外主義、反知性主義」というのは、この人類史的な大変化へのバックラッシュだ。――これが私の年来の主張ですが、この現代社会論は三部作で一区切りになりました。

「自分らしく生きる」ことを求められる社会では、「わたしとは何者か」がもっとも重要な問いになります。この分野では、脳の画像診断などの新しいテクノロジーによって、「人間」の理解が大きく更新されています。その成果が、「わたし(パーソナリティ)」がいくつかのユニットの組み合わせで構築されているという発見です。

日本ではまだあまり知られていませんが、これは哲学、心理学、社会学から経済学、政治学まで、人間や社会についての科学(学問)を根底から書き換える、とてつもないインパクトを秘めています。これについては『スピリチュアルズ わたしの謎』で概略を紹介しましたが、来年は、人間理解のパラダイム転換が自己啓発(自分らしく生きる)にどう活用できるかについて考えてみたいと思います。

それでは、よいお年をお迎えください。