「今日の仕事は楽しみですか?」と訊かれて怒るのはなぜ? 週刊プレイボーイ連載(495)

品川駅のコンコースに設置された数十台のディスプレイに「今日の仕事は楽しみですか」の大きな文字が表示され、それを「社畜回廊」と名づけたSNSの投稿が拡散・炎上して、広告を出稿した企業が1日で撤回する騒ぎになりました。そのすこし前にはサントリーの新浪剛史社長が「45歳定年制」を提唱し、これもSNSで炎上しています。

「今日の仕事は楽しみですか」の広告は「つらくても仕事を頑張っているひとを傷つける」などと批判されましたが、これはたんなる方便で、多くのサラリーマンの本音は「仕事が楽しみなわけないだろ」でしょう。

OECDをはじめとするあらゆる国際調査において、「日本人は世界でいちばん仕事が嫌いで、会社を憎んでいる」という結果が繰り返し出ています。しかもこれは「ネオリベ改革」のせいではなく、バブル絶頂期の1980年代ですら、日本人よりアメリカの労働者のほうがいまの仕事に満足し、友人に勧めたいと思い、生まれ変わったらもういちど同じ仕事をしたいと考えていました。

日本では右も左もほとんどの知識人が、年功序列・終身雇用の「日本的雇用」が日本人(男だけ)を幸福にしてきたとして「(正社員の)雇用破壊を許すな」と大合唱してきました。しかし現実には、日本的雇用が日本人を不幸にしてきたのです。

なぜこんなことになるかは、きわめてシンプルに説明できます。

そもそも大学卒業時点で、自分がどんな仕事に向いているか、どの会社が自分の希望をかなえてくれるかなどわかるはずがありません。それでもとりあえず就活してどこかに入社しますが、それがベストな選択である確率はきわめて小さなものでしょう。

問題は、日本的雇用では、たまたま入った会社に定年まで40年以上も拘束されてしまうことです。そうなると、ほとんどは「外れくじ」を引いているわけですから、意に添わない仕事を我慢して続けるしかなくなります。

この状況を改善するには、やりがいのある仕事を見つけるまで自由に転職できるようにしなければなりません。しかしそうなると、企業の側もより能力の高い(適性のある)者を受け入れるために、一定の基準に満たない社員を解雇して場所を空けられるようにしなくてはならないでしょう。

ところが日本では、会社への所属意識が(男性)正社員のアイデンティティになってしまっているので、解雇や人員整理がきわめて困難になっています。そこでこの隘路を抜けるために、定年を45歳に早めるという奇策が出てきたのでしょう。

とはいえ、「定年」は労働者個人の意思にかかわらず一定の年齢で強制解雇する制度ですから、いまでは「年齢差別」と見なされるようになり、アメリカ、イギリスをはじめ欧米では定年制を違法とする国が増えています。

だとすればやはり正攻法で、日本も定年を廃止し、その代わり金銭解雇のルールを決めて、仕事内容に応じて正規・非正規にかかわらずすべての労働者を平等に扱うグローバル・スタンダードの働き方に変えていくべきです。

会社や仕事を選択できるようになれば、すくなくとも、「仕事は楽しみですか?」と訊かれて激怒することはなくなるでしょう。

参考:小池和男『日本産業社会の「神話」経済自虐史観をただす』日本経済新聞出版社

『週刊プレイボーイ』2021年10月25日発売号 禁・無断転載

皇族の結婚騒動が示す「地獄とは、他人だ」 週刊プレイボーイ連載(494)

眞子さまの結婚問題で宮内庁は、婚姻届を提出しても皇室伝統の儀式・結婚式・披露宴は行なわず、皇室を離れる際に支給される一時金も辞退するという異例の対応を発表するとともに、眞子さまが「誹謗中傷と感じられる出来事」を長期間繰り返し体験したことで「複雑性PTSD」を患っていると説明しました。

これについて押さえておくべきは、そもそも憲法で、婚姻は「両性の合意のみに基いて成立」すると明記されていることです。「皇族は憲法の適用外」という規定はなく、母親の借金を子どもが解決しなければ結婚は認められない、などということがあり得るわけがありません。

それにもかかわらず、メディアは一貫して「親の不始末は子どもの責任」という奇怪な論理でこの結婚に反対し、それに加えて新郎となる男性の“態度”が悪く、このままで幸福になれないなどと主張しました。当事者同士の合意を否定し、自分たち(なんの関係もない第三者)が気に入った相手との結婚しか許さないというのは常軌を逸していますが、「リベラル」なメディア(やその関連会社の媒体)ですら、こうした記事・番組を平然とつくりつづけたことはきびしく批判されるべきです。

それに輪をかけて不思議なのは、ふだんは「人権問題」に素早く反応し、ときに国会前でデモを行なったりする「人権派」が、婚姻の自由を全否定され、法を犯したわけでもない私人がさらし者にされる異様な事態に対してずっと沈黙していることです。この明白な人権侵害に抗議できないとしたら、これまでの立派な活動はいったい何だったのでしょう。

さらなる疑問は、「皇室を守る」と一貫して主張してきた右翼・保守派が、皇族への理不尽きわまりないバッシングに抗議しないばかりか、批判の先鋒となってメディアやネットに登場していることです。

ここからわかるのは、彼らが守ろうとしてきたのは「理想の家族」としての皇室で、そこから外れるものはいっさい許容しないという偏狭さです。その背後には、(かつては「欠損家庭」といわれた)母子家庭への差別意識も垣間見えます。

今回の事態の現代的な特徴は、結婚問題の記事がネットにあがるたびに、罵詈雑言にちかい膨大なコメントが殺到することです。そこには、「国民の税金で暮らしている」皇族には人権がないとか、「上級国民」としてのすべての“特権”の剥奪を求めるものなど、極端な意見が溢れています。これにもっとも近いのは、生活保護(ナマポ)受給者に対するバッシングでしょう。

これをまとめると、メディアは皇族のスキャンダルで商売したいと考え、あるいは「結婚に反対している高齢者層の反感を買いたくない」と身動きがとれなくなり、リベラルは「天皇制に触れると面倒くさい」と傍観し、右翼・保守派はネット民といっしょになって「皇室の破壊」に邁進したということになるでしょう。この状況を見て、将来、皇室の一員になろうと考えるまともな男/女がはたして現われるでしょうか。

フランスの哲学者サルトルは、「地獄とは、他人だ」と述べました。そのことがよくわかる、なんとも後味の悪い事態になりました。

『週刊プレイボーイ』2021年10月18日発売号 禁・無断転載

「誰がやっても同じ」という残念な現実 週刊プレイボーイ連載(493)

【9月30日執筆のコラムを一部加筆訂正しました。】

自民党の総裁選で岸田文雄氏が決選投票で河野太郎氏を破り、第27代総裁に選出されました。自民党は岸田政権の下で10月31日投開票の衆院選に臨むことになります。

総裁選の討論で岸田氏は、コロナ対策のほか、新自由主義(ネオリベ)から脱却し、「『成長と分配の好循環』による新たな日本型資本主義」を掲げ、「令和版 所得倍増計画」で経済格差の是正を目指すとしました。「真性保守」の安倍元首相が頑強に反対してきた選択的夫婦別姓では党内の推進議連に参加しており、同性婚についても「多様性を認めるということで、議論があってもいい」と述べています。

このように見ると、岸田氏が掲げる政策は「リベラル政党」である立憲民主党にとてもよく似ています。なぜこんなことになるのか。その理由は、そもそも日本の政治には選択の余地がほとんどないからです。

人類史上未曾有の超高齢社会に入った日本では、2040年には国民の3分の1が年金受給年齢の65歳以上になります。1980年に年25兆円程度だった社会保障費は2010年に100兆円を超え、40年には200兆円ちかくに膨らむと予想されています。その時の現役世代人口を5000万人とするなら、単純計算で1人年400万円の負担です。

財政赤字については「経済成長率が金利を上回っていればいい」「円建て国債が国内で保有されていれば財政破綻は起こらない」などの議論もありますが、GDP(2020年は540兆円)の3分の1を超えるような巨額の社会保障給付を長期にわたって続けることに「持続可能性」がないことには誰もが同意するでしょう。日本国の借金はすでに1200兆円を超え、歳出の半分以上が社会保障費と国債費(借金の返済)で消えているのです。

予算の自由度がほとんどない状況では、「もうちょっと公助を増やそう」というか(リベラル)、「もうすこし自助で頑張ってもらわないと」とするか(ネオリベ)は、たんなるレトリックの問題です。いずれにせよ、縮んでいくパイに既得権層が群がって、小さなカスを奪い合うしかないのですから。

外交にしても同じで、日本にはもはや世界を動かすような国力はなく、アメリカと中国の超大国にはさまれて、どちらの逆鱗にも触れないようになんとかやっていくしかありません。エネルギー政策も、化石燃料を減らしたぶんを原発で補う以外に「2050年に二酸化炭素排出実質ゼロ」の実現は不可能というのは専門家の常識です。

しかしこれらはいずれも「不都合な事実」なので、大っぴらにいうと選挙で負けてしまいます。その結果、候補者のちがいは、靖国神社に参拝するかどうかといった些細なことになってしまうのです。

旧民主党時代を「悪夢」と呼んだ安倍晋三氏は、旧民主党の野田政権が目指した「消費税増税」「TPP参加」「原発再稼働」などの重要政策をそのまま引き継いで長期政権を実現しました。それを考えれば、誰が自民党総裁になっても日本の政治はたいして変わらないし、さらにいえば野党(共産党を除く)に政権交代したとしても同じでしょう。

しかしこれではあまりに夢がないし、なによりエンタテイメント性に欠けてメディアが困るので、「政治が変われば日本は変わる」という幻想をみんなで一生懸命守っているのです。

『週刊プレイボーイ』2021年10月11日発売号 禁・無断転載