せっかくインフレになりそうなのに、なぜ税金でデフレを維持するの? 週刊プレイボーイ連載(501)

「ガソリン価格の高騰」を抑えるために、岸田政権は石油元売り各社に補助金を出すことを検討しています。こうした補助金は前例がなく、予算が数千億円規模になる可能性もあって、効果や公平性に疑問の声があがっています。

この10年、自民党政権は「デフレからの脱却」を掲げてきました。素朴な疑問は、「それなのになぜ、税金で価格が上がらないようにするの?」でしょう。

もっともシンプルな説明は「よいインフレ(デマンドプル・インフレ)と悪いインフレ(コストプッシュ・インフレがある」でしょうが、現実の経済ではこの2つを明確に分けられるわけではありません。それ以前に、リフレ派が主張するように「デフレが諸悪の根源」であれば、どのようなインフレであってもデフレよりマシなはずです。

日銀の大規模金融緩和の目的は、日本国民に「インフレ期待」をもたせることでした。当初のリフレ派の説明では、日銀が「2%程度のインフレにする」という目標を「コミットメント(不退転の決意で約束)」すれば、国民はそれを信じて「物価が上がるなら早めに買い物しなきゃ」と思うようになり、予言が自己実現するように、消費が活性化して実際に物価が上がり始めるのだとされました。

ところが実際にやってみると、どれほど金融緩和しても物価はピクリとも動きません。その間、海外諸国の物価が上昇したことで、コロナ前は外国人観光客が殺到しました。これを日本人は「おもてなし」の魅力だと勘違いしていましたが、ほんとうの理由は「なんでも安い国」だからです。

なぜこんなことになるかというと、国民の「デフレ期待」が強すぎて、企業は値上げで消費者の怒りを買うことを恐れ、コストを価格に転嫁できなかったからです。そうなると当然、利幅が小さくなるので、人件費を抑制してなんとか最低限の利益を確保するしかありません。このようにして、デフレと賃金低下の悪循環にはまり込んでしまったのです。

この罠から抜け出すには、企業が仕入れコストを商品価格に転嫁できるようにしなければなりません。そうすれば名目上の売上も増えるので、人件費の引き上げも可能になるでしょう。

そう考えれば、今回の原油高と円安は、長年の「デフレマインド」から脱却する千載一遇の機会です。それにもかかわらず政府は、税金を使って「デフレ期待」を維持しようとしています。「デフレと闘う」はずのリフレ派は、なぜこの“愚策”に沈黙しているのでしょうか。

しかしそれ以上に疑問なのは、今回の原油高が、地球温暖化を防ぐ「脱炭素社会」を目指せば必然的に起きることだからです。化石燃料への投資を減らして供給が減れば、当然、価格は上昇します。

偏西風の帯域から外れ、モンスーン気候で日照率が高くない日本は、風力や太陽光など再生可能エネルギーの条件が悪く、原発に全面的に頼らないかぎり、「二酸化炭素排出量ゼロを本気で目指せば、電気料金は2倍程度に上がる」と専門家は予想しています。

だとしたら、いまの価格上昇はこれから起きる「嵐」の前兆にすぎません。それなのにこんな大騒ぎしていてはたして大丈夫なのか、不安は募るばかりです。

【後記】SNSでは「原油高によるインフレでは国内の富が流出する」ともいわれますが、これはさらに奇妙な理屈です。輸入した原油の代金を、日本の消費者がポケットマネーで払うか、税金を通じて日本国が肩代わりして払うかのちがいでしかないのですから、いずれにしても国富は「流出」します。

『週刊プレイボーイ』2021年12月6日発売号 禁・無断転載

「子どもへの10万円給付」を不公平と批判するのは自分がもらえないから 週刊プレイボーイ連載(500)

自民・公明が衆院選で公約に掲げた「10万円給付」の評判がよくありません。当初、公明党が18歳以下への10万円相当の「一律給付」を強く求めたところ、「ばらまき」との批判が高まり、「年収960万円」の所得制限をかけましたが、「なぜ世帯合算ではないのか」とさらに批判が強まったのです。

もとをただせば、児童手当を含めて、日本の社会保障制度が「世帯主である夫が働き、妻が専業主婦で子供が2人」という「標準世帯」を前提にしている問題があります。共働きが当たり前になり、ひとり親家庭も増えてきて、「標準」世帯はいまや少数派になったものの、世帯主を基準にする仕組みは変わりません。

海外では、社会保障は「世帯単位から個人単位へ」が主流になりました。日本でもこのことはずっと指摘されてきましたが、現行制度が「専業主婦のいるサラリーマン家庭」に有利になっており、その既得権をいじりたくない(無用な反発を生みたくない)という政治的な理由でずっと放置されてきました。「世帯の所得を合算せよ」と主張するひとたちは、(たとえば)年金制度を個人単位に変えれば、専業主婦が追加負担なしで年金受給できる第3号被保険者制度が廃止なることもちゃんと言及すべきでしょう。

しかし、今回のメディアや“識者”の「ばらまき批判」への違和感は別のところにあります。安倍政権は昨年夏に、年齢や所得の制限のない「一律10万円給付」を行ないました。明らかな「ばらまき」ですが、そのときには今回のような騒動はまったく起きていません。だとしたらなぜ、「制限付きばらまき」だけがバッシングされるのでしょうか。

その理由は、与党の地方組織などに「なぜ子どもしかもらえないのか」という批判が殺到したという報道を見ればわかります。ひとびとの不満の理由は「夫婦ともに年収960万円のパワーカップルが給付金をもらえるのはおかしい」などという些末なことではなく、「自分がもらえないのはおかしい」なのです。

新聞もテレビも、いまや主な読者・視聴者は団塊の世代です。そのため、収入がまったく減らない年金受給者にまでばらまいた前回の「一律給付」に諸手をあげて大賛成し、「給付金が消費に回って経済が活性化する」と正当化しましたが、その後のさまざまなデータで、貧困層を除けば給付金は貯蓄に回ったことが明らかになりました。

驚くべきは、本来は「困窮世帯を手厚く支援せよ」と主張するはずの(自称)リベラルのメディアですら、一律給付のばらまきを支持したことです。「必要なひとに素早く支給するには一律しかなかった」などといわれますが、この主張は、公明党がひっくり返すまでは、安倍政権が減収世帯に30万円給付の準備をしていたという事実(ファクト)を無視しています。

ところが今回は、最初から年金世代が支給対象から外れたので、読者・視聴者に気兼ねせず気分よく政権批判ができるようになりました。とはいえ、さすがに「子どもだけがもらうのはおかしい」とはいえないので、「世帯所得」と「世帯主の所得」を持ち出して「ばらまき批判」を始めたと考えると、いま起きていることがすっきり理解できるでしょう。

【後記】その後、「子どもへの10万円給付」に対する批判は「クーポンの印刷費など事務経費が高すぎる」に変わりました。一方、岸田政権が補正予算に計上した「非課税世帯への10万円給付」は、18歳以下への給付を上回る1.4兆円が必要ですが、こちらは受給世帯の7割が65歳以上の年金受給者になると報じられています。「子どもへの給付」をさんざん批判した新聞やテレビが、自分たちの読者・視聴者が得をする「非課税世帯への10万円給付」を同じように「ばらまき」と批判できるかどうかで、ここで書いたことが正しいか間違っているかが検証できるでしょう。

参考:「10万円給付の住民税非課税世帯「65歳以上世帯が7割」の現実」

『週刊プレイボーイ』2021年11月29日発売号 禁・無断転載

イーロン・マスクの保有株売却は納税のため 週刊プレイボーイ連載(499)

資産30兆円と、人類史上未曾有の大富豪になったイーロン・マスクが、6000万人を超えるSNSのフォロワーに、自身が保有するテスラ株の10%を売却すべきかを問うアンケートを行ないました。結果は賛成57.9%、反対42.1%で、マスクは約束どおり保有株の売却を始めています。

背景には、「納税義務を果たしていない」との批判があります。それを、ウォーレン・バフェットとジェームズ・サイモンズという2人の投資家の比較で考えてみましょう。

バフェットはいわずと知れた「世界最高の投資家」で、割安な株を長期保有するバリュー投資で10兆円を超える資産を築きました。それに対してサイモンズは、投資会社ルネサンス・テクノロジーズに数学の天才たちを集め、“最強のヘッジファンド”メダリオンを生み出しました。

両者のパフォーマンスを比較すると、バフェットの運用会社バークシャー・ハサウェイは1965~2018年で年率平均20.5%という素晴らしい運用成績を達成しています。しかしルネサンス・テクノロジーズの平均リターンは、それを大きく上回る年率39.1%(1988~2018年)です。これによってサイモンズは大富豪になりましたが、その資産総額は200億ドル(約2兆2000億円)でバフェットの5分の1です。

なぜこんなことが起きるのかは、税制によって説明できます。

メダリオンはビッグデータから市場の歪みを瞬時に探り当て、小さな利益を積み上げていくクォンツ系ヘッジファンドの頂点です。いったん正しいアルゴリズムを(AIが)発見すれば、あとはなにもしなくても儲かるのですから、触れるものすべてを黄金に変えたギリシア神話のミダス王のようです。

しかしこのファンドには、じつは大きな制約があります。取引額が大きくなりすぎると、自分の注文で市場を動かしてしまうのです。そのためメダリオンの運用資産額は100億ドルで、これは10年ちかく変わっていません。

運用額に上限があることで、ヘッジファンドは利益をすべて市場に再投資することができず、投資家に返還しなくてはならなくなります。あまりに成功したメダリオンは、投資家をすべて追い出して、ファンドの保有者全員が社員という「秘密組織」になってしまいました。――その結果、サイモンズの個人資産(200億ドル)はファンドの運用総額(100億ドル)の倍になりました。

ヘッジファンドからは毎年、社員に巨額の配当が出ますが、それには税金がかかります。「年収10億円のヘッジファンドマネージャー」は強欲資本主義の象徴ですが、彼らは毎年、巨額の納税をしているのです。

それに対してバフェットは、株式を売却しないかぎり「含み益」に課税されないことを利用して、無税のまま複利で資産を運用できます。両者の「逆転現象」は税コストのちがいだったのです。

「資本主義のルールは公正ではない」とする左派(レフト)は、ようやくこのことに気づいて、「富裕層の含み益に課税すべきだ」と主張するようになりました。マスクはその批判にこたえ、保有株の一部を売却して納税することを選んだのです。

さて、他の大富豪たちはどうするのでしょうか。

参考:グレゴリー・ザッカーマン『最も賢い億万長者 数学者シモンズはいかにしてマーケットを解読したか』ダイヤモンド社

*ルネサンス・テクノロジーズの創業者James Simonsは日本では「シモンズ」と表記されていますが、彼の場合は「サイモンズ」の発音になるのでそれに合わせました。

『週刊プレイボーイ』2021年11月22日発売号 禁・無断転載