LSDでうつ病を治療する「幻覚剤ルネサンス」が始まった 

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年9月24日公開の「欧米では、うつ病や末期がん患者へのLSDなどを使った幻覚剤治療が急速に再評価。日本でも検討が必要では?」です(一部改変)。

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この数年で、欧米では幻覚剤(サイケデリック)の再評価(ルネサンス)が急速に進んでいる。

イギリスのテクノロジー・ジャーナリスト、ジェイミー・バートレットは『ラディカルズ 世界を塗り替える〈過激な人たち〉』(中村雅子訳、双葉社)で、世界を変えようとする「過激なひとたち」に突撃取材しているが、そのなかに「トリップ・レポート」という章がある。ここでバートレットは「幻覚剤協会(Psychedelic Society)」なる団体がオランダで主催する「幻覚剤週末体験会」に参加する。参加者は25グラムのマジックマッシュルーム(サイロシビン)を与えられ、精神を変容させる旅(トリップ)に出る。

これだけならたんなるサイケデリック・パーティだが、興味深いのは参加の動機だ。バートレットが出会ったジェイクという30代半ばのアーティストは不安神経症とうつに苦しみ、向精神薬の依存症になったが、「幻覚剤が僕の命を救ってくれた」という。LSDやサイロシビンなどの幻覚剤はいま、終末期の患者の不安をやわらげたり、うつ病や依存症の治療薬として「真っ当な」医療関係者からも大きな注目を集めているのだ。

この会ではバートレットは取材者に徹したが、その後、自らサイロシビンを体験する機会を得た。それは次のように描写されている。

じっと木々を見ていると、それがゆっくりと変化しはじめた。脈うっているように見える。まるで呼吸しているかのようだ。(中略)そして草は、前と変わらない緑色だったが、いままでに見たどの緑色よりもはるかに緑に見えた。実際、これ以上ありえないほどの緑だった。(中略)わたしは呆然と――文字どおり口をぽかんと開けたまま――その場に立ちつくし、あのものすごい、呼吸する木々を見つめることの他にはこの世で何一つやりたいことはなかった。(中略)無であることに満ち足りた気持ち、何も考えることないのがうれしいという感覚だけがあった。(中略)わたしはそこにいると同時に、そこにいなかった。

幻覚剤はイギリスでは違法だが、オランダはマジックマッシュルームを乾燥させたものなら合法だ。そこで、訓練されたインストラクターがこのような「幻覚体験」を誘導するイベントが開催され、そこにヨーロッパじゅうから「治療」を求めるひとたちがやってくるのだという。

これを読んで社会現象としての幻覚剤に興味を持ったのだが、それがどのようなことかよくわからなかった。だがアメリカのジャーナリスト、マイケル・ポーランが「幻覚剤ルネサンス」を取材した『幻覚剤は役に立つのか』( 宮﨑真紀訳、亜紀書房)によってようやくその全貌を知ることができた。原題は“How to Change Your Mind(あなたの心を変える方法)”。

ポーランはこの本で、LSDやサイロシビンの発見から1960年代のヒッピー・ムーブメント(ティモシー・リアリーの“turn on, tune in, drop out”)、自身のトリップ体験、幻覚剤の神経科学まで広範に論じているが、ここではそのなかから「トリップ治療――幻覚剤を使ったセラピー」を紹介してみたい。こうした情報は日本にはほとんど伝えられていないので、おそらく多くのひとが驚くだろう。

幻覚剤を使った治験の驚くべき結果

ポーランによると、アメリカにおける幻覚剤ルネサンスは2011年、がん患者の不安をサイロシビンで抑制するカリフォルニア大学ロサンゼルス校のパイロット実験で始まり、それがニューヨーク大学(NYU)とジョンズ・ホポキンズ大学のより規模の大きな臨床試験につながった。

2016年、両大学が『ジャーナル・オブ・サイコファーマコロジー』誌の特別号に共同で論文を発表すると、12月、ニューヨークタイムズがそれを1面で報じた。なぜこれほど注目されたかというと、その結果が驚くべきものだったからだ。

「NYUとホポキンズ大、どちらの試験でも、約80パーセントのガン患者について、不安障害やうつ病の一般基準で、臨床的に有意な減少を示し、しかもその効果はサイロシビン・セッションのあと少なくとも6カ月は継続した。どちらの試験でも、神秘体験の強さと、症状がやわらぐ度合いとのあいだには、密接な相関関係があった。これほど劇的かつ継続的な結果が出た精神医学的治療は、これまであったとしてもごくわずかだった」とされ、アメリカ精神医学会の2人の元会長を含む精神医学界主流派の権威者たちが発見を祝うコメントを寄せた。

ただし試験数は両大学合わせても80例とごくわずかで、アメリカ政府がサイロシビンを指定薬物から外し、治療を認可するにはより大規模な臨床試験を繰り返す必要があった。そこで2017年はじめ、NYUの研究者が食品医薬品局(FDA)に第三相試験の許可を求める書類を提出すると、さらに驚くべきことが起きた。臨床試験のデータに驚愕したFDAの担当者が、研究の対象をうつ病に拡大してみないかと提案したのだ。

じつは期せずして、同じことがヨーロッパでも起きていた。2016年、終末期の患者の不安や抑うつ症状の治療にサイロシビンを使う許可を研究者たちが欧州医薬品局(EMA)に求めると、「もっと大規模に複数地点で試験してみてはどうか」と逆に促されたのだ。

このときEMAが参照したのは、イギリスのインペリアル・カレッジの研究室が行なった小規模な調査で、2016年に『ランセット・サイキアトリー』誌に掲載された。この実験では、「治療抵抗性うつ病(すくなくとも2種類の治療を試したが効果がなかった)」の男女6人ずつにサイロシビンが投与された。

その結果は、「(投与から)1週間後、被験者全員に症状の改善が見られ、3分の2は抑うつ症状がなくなり、こんなことは数年ぶりだと話す者もいた。12人のうち7人は、3カ月後もかなりの改善が持続していた。その後、合計20人にまで試験の規模が拡大され、このときは6カ月後の調査で6人に寛解の状態が持続していたが、ほかは程度の差はあれ症状が戻っていて、治療を繰り返す必要があることが示唆された。調査は規模もそう大きくないし、ランダム化比較試験でもなかったが、対象の被験者たちにサイロシビンは有害な副作用もなく許容され、大部分の明確かつ迅速な効果をあげた」とされる。

ちなみに、新薬の効果を調べるときに必須とされるランダム化や二重盲検が行なわれていないのは幻覚剤の特性による制約で、服用したとたん、どちらが幻覚剤でどちらがプラシーボ(偽薬)か、患者本人にも治験者にもわかってしまうのだ。

抑うつや不安を抑える画期的なドラッグの「再発見」

アメリカとヨーロッパでほぼ同時に幻覚剤によるうつ病治療の可能性が注目されたのには理由がある。欧米ではうつが深刻な社会問題になっているのだ。

アメリカでは10人に1人がうつ病に苦しみ、毎年4万3000人ちかい自殺者がいる(乳がんや交通事故の死亡者より多い)が、そのうちわずか半数しか治療を受けていない。世界保健機関(WHO)によれば、ヨーロッパで約4000万人がうつ病を患い、そのうち80万人以上が治療抵抗性うつ病に苦しんでいる。

それにもかかわらず、うつ病の治療薬は今や手詰まりの状態になっているとポーランはいう。1980年代に「奇跡の薬」と騒がれたSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)は効果が薄れはじめ、それに代わる新薬も見つかっていない。

SSRIの当初の良好な治療成績は、多くの医薬品同様、目新しさによるプラシーボ効果のためだと考えられており、日常的に処方されるようになったことで、今日、その効果は偽薬をわずかに上回る程度まで低下したという。その結果、うつ病に苦しむ多くのひとは、医療費の高さや、飲んでも効かない薬に失望し、あきらめてしまっているのだ。

そんなとき、突如として、抑うつや不安を抑える画期的なドラッグが「再発見」されたのだ。幻覚剤のような「リクリエーション・ドラッグ」の使用に慎重な専門家も、その効果を無視することはできなかった。

LSDやサイロシビンを使った「サイケデリック療法」を体験した被験者に定性面接を行なうと、抑うつを「分断」と「遮断」の状態だと感じていたこととがわかった。

分断の対象は他者、以前の自分、自分の感覚や気持ち、核となる信念や価値観、自然界などさまざまだが、被験者はこの感覚を「心の監獄で暮らしている」とか、「同じことをいつまでも反芻して堂々巡りのなかに閉じ込められている」、あるいは「精神的な交通渋滞」などと表現した。

遮断というのは、ある種の手に届きにくい感情と切り離されてしまうことだ。「うつ病患者は絶え間なく過去を反芻するため、しだいに感情のレパートリーが限定されていってしまう」のではないかとされる。

被験者の多くは、サイケデリック体験によって、たとえ一時的であっても、こうした「分断」と「遮断」から解放された。彼ら/彼女たちは次のように語っている。

「脳内の監獄から休暇をもらったみたいな感じでした。私は自由になり、何も心配がなくなり、エネルギーで満たされた」
「真っ暗な家で急に照明のスイッチが入ったみたいでした」
「はまり込んでいた思考のパターンから解放され、コンクリート製のコートを脱いだ感じ」

自然や他者とつながれるようになったと語る被験者もいる。

「目にかかっていたベールが取り払われて、急に周囲がくっきり見えるようになったんです。輝いて見えました。植物を見て、きれいだと感じたんです。今もランを見ると美しいと感じられます。これは長く続いている変化のひとつです」
「通りを歩く人を見て、よく考えました。『人間って本当に面白い。みんなとつながっている感じがする』」

イアンという39歳の音楽ジャーナリストは、子どもの頃、姉とともに父親から虐待を受けていた。成人してからきょうだいで父を告訴し、父は禁固刑に処せられたが、それでもずっと患っているうつから解放されなかった。心のなかで父親を「遮断」していたのだ。

だがサイケデリック治療で、ガイド役から、何か恐ろしいものに出会ったら「中に突き進んでみること」と言われた。

トリップのなかで父が現われたが、その姿は馬だった。後ろ足で立ち、ヘルメットと軍服を身につけた軍馬が、イアンに向けて銃を向けていた。恐怖をこらえて馬の目をにらみつけると、急にばかばかしくなって笑ってしまった。すると、バッドトリップが急展開を始めて、あらゆる感情が湧きだした。そしてイアンは悟った。

人は幸福感とか楽しさだとか、いわゆるいい感情だけを選んで感じるわけではありません。ネガティブなことを考えたっていいんだと思いました。それが人生なんです。僕の場合、感情に抵抗しようとするとかえってそれを増幅してしまう。でもいざすべてを受け入れてみると、すばらしかった。深い満足感を覚えたんです。圧倒的な感覚でした。感覚であって、考えでさえなかった――何もかもが、誰もが、愛される必要がある。僕も含め。

この体験のあと数カ月間、イアンは抑うつ状態を脱し、人生に対する新たな視点を持つことができた。どんな抗うつ剤でもこんなことはなかったが、残念なことに「自分自身と、あらゆる生き物と、宇宙が完璧につながった」感覚はしだいに消えていき、結局また抑うつ状態に戻ってしまった。

それでもイアンは、「試験の最中に得た悟りは残り、その後もけっして消えません」と述べ、今までよりうまくやれているし、仕事も続いているという。

うつ病は脳のシミュレーションの機能不全

サイケデリック治療は、なぜうつを寛解させるのか。詳しくは『幻覚剤は役に立つのか』を読んでいただくとして、私が理解した範囲で説明してみよう。

記憶には、事実についての記憶(意味記憶)と経験についての記憶(エピソード記憶)がある。過去の試行錯誤を覚えておくことは次の行動に役に立つので、人間以外にも多くの動物(とりわけ霊長類)が同じような記憶機能を持っているだろう。

だが(おそらくは)人間にしかない特殊な記憶の形式がある。それが「自伝的記憶」で、自己を中心に過去・現在・未来を構築する。これはプログラミングでいう「if~then~」の条件式のことで、「これをしたらこうなるだろう」という予測だ。

いまのところ、このように未来をシミュレーションができるのは人間だけだと考えられている。未来を予測する能力は、それを過去にあてはめれば、「あのときこうすれば、こうなっただろう」という別のシミュレーションになる。一般にこれは「反省」と呼ばれる。

過去を反省し、未来を予測するためには、時間の経過にかかわらず同一の「主体」が必要だ。現在の自分が、過去や未来の自分となんの関係もないのなら、そもそもなぜそんなことを気にしなくてはならないのか。

このように、人類の脳がシミュレーションの機能を手に入れたとき(これがいつかはわからないが)、必然的に主体=自己が誕生した。

「自己」は進化の歴史のなかできわめて新しいものなので、大脳のなかの進化的に新しい部位である大脳皮質から生じると考えられる。具体的には前頭前皮質、後帯状皮質、下頭頂小葉、外側側頭葉、背内側前頭前野などの皮質と、記憶や情動にかかわる海馬や偏桃体などの大脳辺縁系からなるネットワークで、「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」として近年、大きな注目を集めている。DMNは、脳が特定の活動をしていないとき(もの思いにふけっているなど)に活動する脳の部位だ。

このあたりは脳科学の最先端で、今後、さらなる大きな進歩が期待できるが、「自己」をシミュレーション装置と考えるならば、個人ごとにその性能や機能に差が生じていても不思議はない。

一般的には、シミュレーション速度が速いほど脳の性能はよくなる。未来の複雑なシミュレーションを素早く行なって最適な選択を見つけられれば、生存や生殖に大きな優位性をもたらすだろう。

だがそうやってシミュレーション速度を上げていくと、(複雑・精妙な機械がこわれやすいように)脳も機能不全を起こすおそれがある。

未来への過度なシミュレーションがネガティブな方向に偏ってしまうと、「このままではきっとヒドいことが起きるにちがいない」と思うようになるかもしれない。これが「不安」だ。

同様に、過去への過度なシミュレーションがネガティブな方向に偏ると、「あんなことをしなければよかった」といつまでも思いつづけるかもしれない。これが「後悔」だ。

このように考えれば、うつとは自己によるシミュレーションの「暴走」ということになる。この機能不全によって、未来への不安と過去への後悔という「自己の檻」に閉じ込められてしまうのだ。

ところが幻覚剤は、なんらかの作用によって(脳のセロトニン受容体に働きかけるとされる)このシミュレーション速度を落とすことができるらしい。これによって自己=DMNは後景に退き(あるいは「自己という檻」から解放されて)、意識が脳のさまざまな部位とつながることができるようになる。

こうして、それまで「過剰な自己」によって排除されてきた色や音が鮮やかに意識できるようになったり、(フロイト的にいうなら)抑圧されてきた感情が表に出るようになるのだ。

もちろんこれはまだ仮説の段階にすぎないが、サイケデリック治療を受けたうつ病患者の体験の説明としてきわめて説得力があるのではないだろうか。

末期がん患者や薬物依存にも効果がある

LSDやサイロシビンのような幻覚剤は、うつ病だけでなく、余命宣告されたがん患者などにも大きな効果があることがわかっている。これは、終末期の患者を苦しめるのが「(死という)未来への不安」だからだ。

サイケデリックによって「自己の檻」から解放された患者は、自分が「宇宙」や「自然」と一体化するイメージを体験し、死への不安をやわらげるのだという。

幻覚剤は依存症の治療薬としても期待されている。これは依存症が、アルコールやドラッグなどの依存の対象に「自己」がとらわれることだからだ。サイケデリックで自己が後退すると、依存をより客観的に見ることができるようになる。これは、宇宙飛行士が宇宙船から地球を眺める「概観効果(オーバービュー・エフェクト)」になぞらえられる。

サイロシビンの臨床試験に参加した依存症者は、「人生を遠くから見られるようになり、自分の依存症も含め、今まではひどくやっかいそうだったものが、やけにちっぽけに見え、簡単に操れそうだと思えるようになった」という。ずっとタバコを吸いつづけてきた喫煙者は、「タバコなんてくだらなく思えてね。だからやめたんだ」と語ってポーランを驚かせた。

ニコチン(タバコ)依存はもっとも止めるのが難しいが(ヘロインより困難とされる)、サイケデリック治療のあと6カ月経過しても禁煙を続けていた被験者は80%にのぼり、1年後には67%に落ちるものの、それでもニコチンパッチなど、現在もっとも有効とされる治療より成功率が高い。ここでも末期がんの患者と同様、完全な神秘体験をした被験者ほどよい結果が出たという。

精神的な健康のためのエクササイズとしてマインドフルネスのような瞑想が注目されているが、深い瞑想のときの脳を画像撮影すると、サイケデリック体験と同様に脳のDMNの活動が低下していることがわかった。ここから、幻覚体験を起こさない程度の微量のLSDを継続的に摂取して「自己」のレベルを下げ、マインドフルネスと同じ効果を得ようとする「マイクロドージングMicrodosing」の試みも、シリコンバレーなどで始まっているようだ。

1960年代、幻覚剤は「奇跡のドラッグ」として大きな注目を集めたが、その後、(ティモシー・リアリーが派手に煽ったこともあって)「脳を狂わせる」として社会から排除された。マイケル・ポーランが指摘するように、終末期の患者やうつ病の治療にサイケデリック体験が劇的な効果があることは、すでに半世紀以上前に研究者が繰り返し確認していた。それがいまになって「再発見」されたから、「幻覚剤ルネサンス」なのだ。

アメリカではうつによる自殺が社会問題となり、医薬品を管理する当局が幻覚剤の治験を認可し、その効果がニューヨークタイムズなどで大きく報じられた。そのアメリカの自殺率は10万人あたり14.3人だが、日本の自殺率はそれより4割ちかく多い19.7人だ。アメリカとともに幻覚剤研究の最先端にあるイギリスの自殺率は8.5人で日本の半分以下だ(2015年)。

日本は世界的にも自殺率が高く、うつ病に苦しむひとも多い。それにもかかわらず、幻覚剤は覚せい剤同様きびしく規制されているため、一部の医療機関で細々と研究されるにとどまっているようだ。

幻覚剤=違法ドラッグというステレオタイプから脱して、日本でもサイケデリックの可能性をより積極的に試してみてもいいのではないだろうか。

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