フランス大統領選が教えてくれた「選択肢はネオリベかポピュリズム」 週刊プレイボーイ連載(520)

ユーロ危機の頃ですから10年以上前になりますが、メキシコでアステカ帝国時代の遺跡を訪ねる外国人向けのツアーに参加しました。参加者の国籍はまちまちですが、たまたまランチで同じテーブルになったのが若いカップルで、女性はイタリア人、男性はスロベニア人で、ともにロンドンの金融機関で働いているという話でした。

その頃は毎日のように、ギリシアをはじめとする南欧諸国の金融危機が報じられていました。そこで彼女に、「故郷のイタリアはけっこう大変なことになってるんじゃないの?」と訊いたら、ちょっと困ったような顔をして、「そういうことにはぜんぜん関心がないの。だから、どうなってるかなんてわからないわ」といわれ、びっくりしたことがあります。

EU域内の移動・就労が自由化されたことで、高等教育を受けた若者たちは、国境を越えて高い給与を払ってくれる場所(大都市)で働くようになりました。このエリート層は「エニウェア(どこでも)族(Anywheres)」と呼ばれています。

海外で高給の仕事をするためには、専門知識のほかに、すくなくとも英語を話せなくてはなりません。もちろん誰もがこの条件を満たせるはずはなく、生まれ育った場所で仕事を探し、生きていくほかないひとたちもたくさんいます。こちらは「サムウェア(どこか)族(Somewheres)」です。

フランス大統領選の決選投票では、「エニウェア族(上級国民)」を代表するネオリベ(新自由主義)のエマニュエル・マクロンが都市部で圧倒的な支持を得て、得票率59%で再選を決めましたが、「サムウェア族(下級国民)」を代表する国民連合のマリーヌ・ルペンも地方の労働者層を中心に41%の票を獲得しました。第1回投票で3位になった左翼政党「不服従のフランス」のジャン=リュック・メランションは、燃料価格高騰(税率引き上げ)に抗議して始まった「黄色いベスト(ジレジョーヌ)」デモの参加者が支持基盤ですが、これも車がなくては生活できない地方のひとたちの大衆運動でした。

それに対して、歴代大統領を輩出した共和党の候補ヴァレリー・ペクレスは移民排斥を唱える極右のエリック・ゼムールにも及ばず(得票率4.78%の5位)、社会党の大統領候補アンヌ・イダルゴに至っては得票率1.75%と「泡沫候補」並みの惨敗(12候補中10位)でした。フランス社会は改革を求めるエリート層(マクロン)と、それに抵抗する右派ポピュリズム(ルペン)、左派ポピュリズム(メランション)の三極に分断し、中道右派・中道左派政党は崩壊してしまったのです。

マクロンが弱冠39歳で大統領になったことからわかるように、フランスは中国の科挙をモデルにした徹底したエリート主義の社会で、グランゼコールと呼ばれる高等教育機関の卒業生は行政でも企業でもいきなり幹部として採用されます。このような極端な学歴社会では、必然的に「上級国民」と「下級国民」の分断が進むでしょう。

テクノロジーの急速な発展を背景に、知識社会はますます高度化しています。フランスは、この潮流がどこに行きつくのかの貴重な「社会実験」をしてくれているのかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2022年5月2日発売号 禁・無断転載

成人は18歳ではなく25歳にした方がいい? 週刊プレイボーイ連載(519)

4月から成人年齢が18歳に引き下げられ、高校生でも父母の同意なく、「携帯電話を契約する、一人暮らしの部屋を借りる、クレジットカードをつくる、高額な商品を購入したときにローンを組む」(政府広報)ことが可能になりました。結婚ができる年齢も男女一律で18歳となり、これまで16歳だった女性の婚姻年齢が引き上げられました。こちらも父母の同意は必要ありません。

とはいえ、飲酒や喫煙はこれまでどおり20歳からで、成人としての完全な権利が認められるわけではありません。だとしたら「成人」とはいえないのではないか、との疑問は当然ですが、18歳から大人としての自覚をもたせるようにするのが国際社会の流れなので、日本もそれに合わせたということでしょう。

ただ、大人としての権利を与えることと、大人として振る舞えることは別の問題です。早くも、「18歳、19歳がアダルトビデオ(AV)出演を強要されるのではないか」との不安の声があがり、政府や与党のプロジェクトチームが緊急対策をとりまとめる事態になりました。

AV業界は健全化に取り組んでおり、今後も10代の女優を出演させない方針は維持されますが、団体に加盟していない業者が成人扱いになる10代の女性と契約した場合、それが強制されたものでないかぎり、取り消すことはできないというのが法律家の解釈です。

思春期になると、女の子は自分が大きな「エロス資本(エロティック・キャピタル)」をもっていることに気づきます。援助交際やパパ活など、その「資本」を簡単にマネタイズする方法はいくらでもあります。高校生の娘の裸がネットにアップされているのを見て、親が仰天することがないとはいえません。

同様に、思春期の男の子はリスクを好むようになります。高校生がローンを組んで車やバイクを購入したり、一攫千金を狙ってネットワークビジネスに手を出したりすることもありうるでしょう。

思春期とは、男にとっても女にとっても「パートナー獲得競争」に放り込まれる時期です。この熾烈な競争に勝ち残るには、男は友だち集団のなかで目立たなくてはならず、一発勝負で大きく当てる「ハイリスク・ハイリターン」を狙います。それに対して女は、自分のエロスを最大化して、そんな「勝ち組」の男から選ばれることが最適戦略になるのです。

近年の脳科学は、大脳辺縁系など情動を司る部位が先に発達し、前頭葉など制御系は遅れて完成することを突き止めました。進化のプログラムは、まずは冒険的になってパートナーを獲得し、子どもを産み育てる頃に落ち着くよう脳を設計したのです。

脳の発達は従来の常識よりずっと長く続き、制御系の成長が止まるのは25~35歳だということもわかりました。この知見を取り入れるなら、成人年齢は引き下げるのではなく、逆に引き上げなくてはなりません。

脳科学者のなかには実際、このような主張をするひともいますが、それが受け入れられることはないでしょう。ということで、今後さまざまな場面で混乱が起きることは避けられそうもありません。

『週刊プレイボーイ』2022年4月25日発売号 禁・無断転載

第102回 年金、繰り下げ過ぎは不利 (橘玲の世界は損得勘定)

2020年2月のこの欄で、「年金受給の70歳への繰り下げは有利だが75歳への繰り下げは意味がない」と書いた。この私見はずっと無視されていたのだが、田村正之編集委員が本紙「お金を殖やすツボ」(3月13日付)でこのことに触れてくれた。

それによれば、受給開始の年齢が上がるほど年金の繰り下げが不利になることを、厚労省は知っていた。それにもかかわらず、「60代後半は増額率を下げ、70代は高くするとややこしいので、いわば『えいや』で、どの年齢でも(増額率を年)0.7%にした」のだという。

厚労省の説明では、年金は受給開始年齢にかかわらず、全体の受給額が同じになるように設計されている。しかしこれは、ファイナンス理論の基本からして間違っている。

目の前のある1万円か、1年後にもらえる1万円か、どちらか選べといわれたら、よほどの変人でもないかぎり来年まで待とうとは思わないだろう。年金も同じで、後払いの選択にはそれに見合うメリットを提示しなければならない。

この利得は、銀行預金と同じく、年利に換算できる。簡易生命表を使ってそれを試算すると、65歳から70歳への繰り下げには年2.2%のプレミアムが与えられている。これは現在のゼロ金利に比べてかなりの大盤振る舞いだから、いますぐ年金を必要としないひとは繰り下げた方が得だ(お金を年利2.2%の元本保証で運用できる)。

ところが70歳から75歳への繰り下げを同様に計算すると、プレミアムは年0.7%に下がってしまう。これなら、さっさと受け取って自分で運用した方がいいと思うひとも多いだろう。

なぜこんなことになるかというと、(田村編集委員も指摘するように)平均余命は指数関数的に(複利で)短くなっていくのに対し、繰り下げは年0.7%の単利でしか増えないからだ。その結果、年齢が上がるほどプレミアムは低くなり、理論上は81歳でマイナスになる。

私はファイナンスの専門家ではないが、この程度のことはExcelでちょっと計算すればすぐにわかる。逆にいえば、なぜこれまで専門家が指摘しなかったのかが不思議だ。そこにはなにかの「陰謀」があるのだろうか。

年金をいつから受け取るかには、もうひとつ大事なポイントがある。ここまでの議論は、金利が変わらないことを前提にしていた。日本はデフレとゼロ金利がほぼ30年続いたが、戦争や円安、エネルギー政策の転換などさまざまな要因で物価が上がりはじめている。それにともなって、「金利のある世界」が戻ってくるかもしれない。

65歳から5年間の繰り下げは年利2.2%の預金と同じだが、市中金利がそれ以上なら不利になってしまう。ただし繰り下げた年金はいつでも受給申請できるし、プレミアムを放棄すれば、65歳以降にもらうはずだった全額を受け取ることもできる。

いまは想像もできないが、インフレ率も金利も高騰する世界になれば、いますぐ年金を受け取って銀行に預け直した方が合理的になるかもしれない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.102『日経ヴェリタス』2022年4月16日号掲載
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