ロシアのウクライナ侵略でグローバルな「リベラル化」が進む 週刊プレイボーイ連載(515)

【3月18日執筆のコラムです。状況は刻々と変わっていますが、記録のためアップします】

ロシアのウクライナ侵攻は大方の軍事専門家の予想に反して膠着状態に陥り、「数日でキエフを占領して傀儡政権を樹立する」というプーチンの当初の戦略は破綻しました。

ウクライナには「祖国を守る」という大義がある一方で、ロシアは奇矯な主張を繰り返すばかりで、この戦争を正当化することができません。SNSで世界中にメッセージを発し、各国の国会で演説するなどすっかり「ヒーロー」となったゼレンスキーに対して、プーチンがいまだに国際社会に向けてなにひとついえないことに、この戦争の「道義的な非対称性」が象徴されています。

断続的に停戦協議は行なわれているものの、このまま撤兵すれば政権の存続が危ぶまれるプーチンが安易に妥協するとは思えません。かといってロシア兵の士気は低く、ポーランド経由で最新式の兵器が大量に運び込まれているウクライナにも降伏する理由はありません。だからこそ、この状況を打開するためにプーチンが戦術核を使用するのではないかとの警戒感が高まっているのでしょう。

今後、なにが起きるかは予断を許しませんが、これまでにわかったことをまとめてみます。

ひとつは、ロシアの存在感が思ったよりも小さかったこと。プーチンは、ウクライナのような小国の運命など欧米は気にしないと高をくくっていたのでしょうが、そのロシアすら、石油や天然ガスなどの産出国としては一定の影響力はあるものの、経済制裁で国債がデフォルトしそうになっても金融市場はまったく反応せず、逆に株価が上がったりしています。ロシアのGDPは世界11位(2020年)で韓国より小さく、アメリカの7%、中国の10分の1しかありません。プーチンはロシアの威信を取り戻そうとしたのでしょうが、もともと威信などなかったのです。

もうひとつは、デモクラシー(民主政)の復権です。コロナ禍の初期には、大量の感染者・死者を出しながら右往左往する欧米諸国に対し、中国のような権威主義国家が効果的に感染を抑制しました。移民問題や経済格差の拡大を背景に、イギリスのEU離脱やアメリカでのトランプ大統領誕生などの混乱が起きたこともあり、「西欧の民主政は耐用年数を過ぎ、機能不全に陥っている」との危惧が広まりました。

そのとき提起された問題はまったく解決できていないものの、それがいまでは、「戦争を勝手に始める独裁政より、政治家が有権者の顔色をうかがう民主政のほうがずっとマシだ」と誰もが思うようになりました。ひとびとがもっとも大切にするのは、自分と家族の安全なのです。

ウクライナの凄惨な状況や市民の英雄的な抵抗がメディアで報じられ、SNSで拡散されることで、平和や自由、人権などのリベラルな価値観が再評価されています。とりわけ最大の権威主義国家である中国の脅威を感じるアジアの国々は、台湾を筆頭に、リベラルな政治・社会体制をつくることで中国と差別化し、欧米と連帯しようとするでしょう。

このようにしてグローバルな規模で「リベラル化」が進み、この潮流は東アジアや東南アジアにも大きな影響を及ぼすことになるはずです。日本がこの「リベラル化の競争」から脱落しないとよいのですが。

『週刊プレイボーイ』2022年3月28日発売号 禁・無断転載

ロシアへの経済制裁はどれほど効果があるのか? 週刊プレイボーイ連載(514)

【3月10日執筆のコラムです。状況は刻々と変わっていますが、記録のためアップします】

ロシアがウクライナに侵攻してから2週間がたちましたが(3月10日現在)、いまだに状況は混沌としたままです。欧米の軍事専門家は当初、ロシア軍は短期間でキエフを攻略し傀儡政権を樹立すると想定していましたが、いまは「(プーチンは)全ての点で間違っていた」と考えています。

ロシア軍が占領した都市では市民のはげしい抗議行動が続き、それが撮影されてSNSで世界じゅうに配信されています。仮にキエフが陥落し、ロシアがウクライナ全土を掌握したとしても、安定した統治を長期にわたって維持するのは不可能でしょう。問題は、それにもかかわらず、どこに落としどころがあるのか誰にもわからないことです。

米欧はきびしい経済制裁で対抗していますが、もうひとつの問題は、これがどこまで効果があるのかわからないことです。「このままではロシアはいずれ経済破綻する」と識者はいいますが、同様の経済制裁の対象となったイランや北朝鮮は破綻していないし、ベネズエラはたしかに経済が崩壊しましたが、それでも政権は倒れませんでした。――産油国のイランとベネズエラは、ロシア産原油の輸入禁止措置にともなって、国際社会への復帰の可能性が取り沙汰されています。

ロシアは2014年のクリミア編入で、地域限定の経済制裁をすでに経験しています。私は18年のロシアワールドカップのときにクリミアを訪れましたが、VISAやマスターなどのクレジットカードが使えないばかりか、ATMから現金を下ろすこともできず、国際SIMにつながらないため携帯通話もネットへのアクセスもできませんでした。

ところが不思議なことに、ロシア各地からやってくる観光客は、みんなスマホで楽しそうにおしゃべりし、レストランの食事代金をクレジットカードで支払っています。経済制裁に対抗して国内の金融決済網や通信ネットワークを整備したからで、「クリミアの暮らしに不便はなく、ヒドい目にあうのは外国人観光客だけ」と説明されました。

19年には同じ経済制裁下のイランを旅しました。通貨リアルのレートは暴落し、100ドル(約1万2000円)を両替すると5000万リアルを渡されます。一般に使われる高額紙幣は10万リアルなので、10万円を両替すると5000枚のリアル紙幣が返ってきて、レンガ2、3個分の厚さになります。

とはいえ、通貨が大きく下落してもハイパーインフレになるわけではなく、ひとびとは「経済制裁で生活が苦しい」と訴えますが、それでも市場は賑わい日々の生活は続いていました。分厚い札束を持っておろおろしているのは外国人観光客だけで、イランでは個人商店にもカード端末があり、地元のひとはクレジットカードやデビットカードで支払いをしていました。

核戦争につながる武力行使ができない以上、経済制裁でロシアに対抗するしかないことは間違いありません。ただ気になるのは、私がイランで出会った(海外で暮らした経験がある)ひとたちがみな、「この国の政治はヒドいけれど、アメリカがやったことはもっとヒドい」と口々にいっていたことです。

『週刊プレイボーイ』2022年3月21日発売号 禁・無断転載

プーチンは「狂人戦略」なのか、それとも… 週刊プレイボーイ連載(512)

【3月3日執筆のコラムです。状況は刻々と変わっていますが、記録のためアップします】

1955年のアメリカ映画『理由なき反抗』には、ジェームズ・デーィン扮する17歳の主人公が、地元の不良とチキンレースを行なう有名なシーンがあります。盗んだ中古車を崖に向かってフルスピードで走らせ、先に運転席から飛び出した方が「チキン(臆病者)」の屈辱に甘んじるのです。

チキンレースは一般に、2台の車が相手に向かって直進し、最初にハンドル切って衝突を避けた方が負けとされます。この不良の遊びはゲーム理論で検討されていて、どちらか一方が譲歩(チキンになる)しないかぎり、衝突という最悪の結果が避けられないことが証明されています。

チキンレースで確実に勝つ方法はないのでしょうか。ここで経済学者が提案するのが、走行中に車のハンドルをもぎとり、相手に見えるように投げ捨てるという意表をついた作戦です。これによってあなたはもはやハンドルを切ることができないのですから、相手はチキンになる以外に死を避ける方法がありません。これは「狂人戦略」とも呼ばれ、なにをするかわからない相手には、合理的な人間は屈服するしかないのです。

国際政治学者や軍事専門家の多くが、ロシアのウクライナ侵攻を予想できなかったと批判されています。しかしこれは、専門家が愚かというよりも、この作戦になんの合理性も見いだせなかったからでしょう。

「いくらなんでも、そんなバカなことはしないだろう」という楽観論は、欧米の専門家だけではありませんでした。

モスクワに拠点のあるヘッジファンドは、2月半ばの取材に対して「戦争にはならないと確信している」と言い切り、政府系銀行ズベルバンクなどロシアの大手企業の株を大量に買っていました。そのズベルバンクは、経済制裁で欧米拠点から大量の預金が流出、撤退を余儀なくされました。軍事作戦が始まったあとも、プーチン支持のロシアの政治学者までが、ウクライナ東部の親ロ派地域の確保が目的で、「キエフの占領などはなく、戦闘は数日で終わるだろう」と述べていました。

しかし現実には、(ほとんど)誰も予想していなかった全面侵略が行なわれ、しかも戦況が膠着してウクライナ市民の犠牲が増え、事態をどう収拾するのかわからないまま混乱が広がっています(3月3日現在)。欧米が主導する経済制裁も市場の予想を大幅に上回るきびしさで、ロシアは国際決済網から排除されただけでなく、中央銀行が保有するドル資産が凍結されたことで、外貨準備を使って通貨を買い支えられなくなくなりました。これによってルーブルは急落、金利は高騰し、ロシア市民の生活にも大きな影響が出ています。

ロシア軍が首都キエフを占領しても、ウクライナ政権はポーランドとの国境に近いリヴィウなどに移ることで徹底抗戦を続けるでしょう。傀儡政権を樹立できたとしても、それを安定して維持するのは莫大なコストがかかりますから、プーチンはなんとしても欧米の経済制裁をやめさせなくてはなりません。このようにして、「核の使用」に言及するようになったのでしょう。

問題は、これが「狂人」の振りをした合理的戦略なのか、ほんとうに狂人になってしまったのかがわからないことです。

『週刊プレイボーイ』2022年3月14日発売号 禁・無断転載