アメリカとイスラエルがイランを武力攻撃し、ホルムズ海峡が封鎖されて以降、全国で改憲反対のデモが起きています。4月には国会前に3万人が集まり、「戦争反対」「高市政権は憲法を守れ」などと声をあげました。
「戦争が近づいている気がする。憲法9条があるから、日本は戦争に巻き込まれずに済んだ」という声が、参加者の気持ちを代弁しているでしょう。ホルムズ海峡に自衛隊を派遣しろというトランプの要求を断ることができたのは、憲法9条で戦争を放棄しているからだ、というのです。憲法改正に反対するリベラルなメディアや知識人も同様の論理を述べていますが、これには違和感があります。
そもそもトランプに要求されて軍隊を派遣した国は、ただの1カ国もありません。イギリスやフランス、カナダなどは、憲法の制約なしに自国の軍隊を海外に派遣できますが、「われわれの戦争ではない」としてタンカーの護衛を断っています。だとしたらなぜ日本だけが、憲法がないと同じようにできないのでしょうか。これは「日本人はバカだから欧米のようにはできない」という典型的な「自虐史観」です。
一方、イラクのクウェート侵攻を機に勃発した1991年の湾岸戦争では、アメリカの呼びかけで28カ国が軍隊を派遣しましたが、日本は憲法の制約で自衛隊を参加させられず、その代わりに約130億ドル、当時のレートで2兆円の支援を行ないました。ところが、主権を回復したクウェートがアメリカの新聞に掲載した感謝広告に日本の名前がなかったことで、日本政府は大きな衝撃を受けます。
この歴史が示すのは、「憲法の制約」によって憲法の前文に書かれた国際社会での「名誉ある地位」が得られなかったことですが、この事実も都合よく無視されています。
高市首相は日米首脳会談で「ドナルド」とファーストネームで呼びかけ、繰り返しハグを交わす姿が「アイドルを前にする少女のよう」と揶揄されました。しかしこれは、高市首相だけでなく、戦後日本の外交はずっと同じようなことをしてきたのです。
敗戦で焼け野原になり、米軍に占領された日本は、朝鮮戦争の特需で息を吹き返すと、戦争という「汚れ仕事」をアメリカに丸投げし、金儲けに専念すればゆたかになれることに気づきます。
1966年、第一次佐藤栄作内閣で外務大臣を務めた椎名悦三郎は、日米安全保障条約にもとづいて米軍が駐留するのは「アメリカは日本の番犬」だからだと説明し、野党から批判されると「番犬さまでございます」と言い直しました。これが、戦後日本の本音だったのでしょう。
しかし、番犬を飼っておくためには機嫌をとらなくてはなりません。そこでひたすらお金という“エサ”を与えてきたのですが、これではアメリカに対して毅然とした態度など取れるはずがあるません。
「憲法は都合の悪い要求を断る方便に使えて便利だ」というだけでは、たんなる利己主義です。自立した国家というのは、「正しくない戦争」には参加できないと、はっきり伝えることをいうのでしょう。
そう考えれば、トランプに抱き着いた女性首相の姿は、わたしたちのグロテスクな戯画なのかもしれません。
参考:「日米会談 憲法に触れた首相」朝日新聞2026年5月3日
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