10年以上前のことですが、住民票が必要になって、自宅近くにある区役所の出張所を訪ねました。窓口の担当は右腕のない青年で、わたしが身分証明書類を持ち合わせていなかったため、本人確認のため個人情報を訊ねなければならない非礼を詫び、手際よく事務を処理してくれました。
出張所のフロアには20人ほどの職員が働いていましたが、障がい者は彼1人でした。書類が出来上がるのを待ちながら、わたしはふと疑問に思いました。世の中にこれほど障がい者に適した職場がありながら、なぜその場所を健常者が独占しているのだろう?
市場経済では、利益をあげなければ会社はつぶれてしまうのですから、どれほど社会貢献に熱心でもいずれは「効率性」の壁にぶつかります。しかしわたしたちの社会には、利潤の最大化を目指さずに働ける職場があります。それが、国家や自治体の「公務」です。
だとしたら、国防や警察・消防など一定以上の身体能力を必要とする業務を除いて、公的機関は全員が障がい者でもまったくかまわないのではないでしょうか。
こうしてわたしは、次のように書きました。
「厚労省は全国の社会福祉法人に対し、施設の建設費ばかりか職員の給与まで支給している。だが福祉に携わる公務員はもちろん、こうした社会福祉法人の職員もほとんどが健常者で占められている。なぜ彼らは障害者の職を奪うのか?
日本には300万人の身体障害者、50万人の知的障害者、200万人の精神障害者がいる。彼らが労働の喜びを知れば、日本の福祉は大きく向上するだろう。福祉施設や福祉関連団体に莫大な税金を投入する前に、80万人の国家公務員と300万人の地方公務員は自らの席を譲るべきだ」
わたしの多くの「極論」と同様に、この主張もまったく無視されてきました。誰からも相手にされないとがっかりしていたのですが、旗振り役である厚生労働省をはじめとして、中央省庁27機関が障がい者雇用を水増ししていたことが発覚し、じつはそうでもないことに気づきました。
水増し疑惑は地方自治体にも広がりつつあり、このままでは日本のほぼすべての公的機関が障がい者の数をごまかしていたことになりそうです。これは一部の組織のスキャンダルではなく、合理的な理由と断固たる意志がなければこんなことになるはずがありません。
報道では、「障がい者がうっとうしいと思われているからだ」などと解説しています。たしかに売上目標を達成しなければ減給や降格・解雇されてしまう職場では、「足手まとい」と扱われることはあるかもしれません。
しかしこれは、公的機関にはあてはまりません。公務員の仕事はお金を稼ぐことではなく、決められたルールにのっとって市民にサービスを提供することだからです。
そんな彼らが組織ぐるみで障がい者を雇用しないよう、全力をあげてきた理由はひとつしかありません。職場に障がい者が増え、彼らがふつうに仕事をしていることが市民の目に触れると、わたしと同じように、「なぜ健常者が彼らの仕事を奪っているのか」と疑問に思う人間が出てくるからです。
わたしのつたない文章を全国の公務員は正しく理解し、なりふりかまわず既得権を守ろうと頑張っていたようです。
参考:公務員は障害者に席を譲れ
『週刊プレイボーイ』2018年9月10日発売号 禁・無断転
世界各国で、移民に反対する人が、多くいます。
彼らは、移民に自分自身の仕事を奪われると感じて、反対しています。
そうであるならば「なぜ健常者が彼らの仕事を奪っているのか」と疑問に思う人間よりも
「なぜ障害者が健常者の仕事を奪っているのか」と疑問に思う人間の方が
多く出てくるのではないかと感じます。
五体満足ではないので、障害者手帳の取得も
勧められたことはありますが、取ってませんね。
既得権をもつ人間が、自分の既得権を毀損するような行動は決してしないだけの話。
香港人が自分の既得権を放棄し、中華人民共和国の一地方都市に埋没しますか?
アメリカ人が他国からの移民を自由に受け入れ、本当の「自由の国」になりますか?
ヨーロッパ諸国は中東からの移民を受け入れ、先進国としての責任を果たしますか?
そして日本は、シナや朝鮮への謝罪とともに、それらの国からの移民をどんどん受け入れますか?
がっかりです。
いや、労働とか公務に対する橘先生のお話はがっかりが多かったのですが… 根底にあるのは公務員叩きや正社員叩きの思想ですかね(一般ウケするよう身近な公務労働は除外してますし)。
>公務員の仕事はお金を稼ぐことではなく、
>決められたルールにのっとって市民にサービスを提供することだからです。
こんな現状を知らないタテマエ論を信じてる(信じてないにせよ人前で言ってしまう)方が公務員労働を語っていることが妥当性を欠いているようです。
障害者採用枠の障害者、女性だから当選する女性議員、少数民族枠で合格する受験生…みな同じです。同じ問題で、既存の、通俗的な発想では解決不可能です。
中央官庁と地方自治体の別を問わず、30年前くらい前からずっと定員削減や非常勤職員切りなどで慢性的に人手不足であるところに仕事量だけは増えており、公務員の世界も効率化から無縁ではいられない。最近ようやく報道されるようになってきたように、多くの部署は完全にブラック化している。そうした状況下で民間同様に「足手まとい」と見做される障害者が避けられるのは、自然な成り行きだったのではないか。有力な解決法のひとつは、旧来の仕事のやり方の大幅見直しとIT化の強力な推進くらいだろう。
障碍者には、身体障碍者だけではなくて、
精神障碍者や知的障碍者もいて、
その後者2つの総数は前者をはるかに超えるでしょう。
公務員が有利でなければ誰もなる人がいなくなり
障碍者にこそ進むべき職場になるだけの話。
ところで、パラリンピックには、オリンピックより速くなる競技の可能性があります。
ttps://tech.nikkeibp.co.jp/dm/atcl/column/15/091200067/091600002/?P=2
これが進むと、記録のために自ら四肢を切断する人すら出てくるでしょう。
「Z武 洋国(ズィーブ ようくに)」なる人物は、乙武洋匡氏とは無関係であり、彼の書いた著書「五体不満足」に感化され、自ら肢体を切断したという人物である。
ttp://アンサイクロペディア.com/wiki/Z%E6%AD%A6%E6%B4%8B%E5%9B%BD
今回は障害者差別解消!のふりをしながら、じつは悪質な差別が仕込んである煽り記事なので、もう一度述べます。
一つは「そんな仕事は誰でもできる。職業従事者に価値なし」という公務に対する職業差別、もう一つは「つまらなさそうな仕事は障害者にでもさせとけ」という障害者差別です。
>住民票が必要になって、自宅近くにある区役所の出張所を訪ねました
多分橘先生は、
「銀行は3時に閉まる。3時に帰れる銀行員は超楽な仕事!」とか
「訳の分からん呪文を呟いてるだけでお布施もらえる坊さんは、超楽な仕事!」とか
「小さな紙片売ってるだけで大儲けの鉄道会社は超楽して大儲け!」とか考えちゃう、ちょっと短ら…いえ、ファスト思考重視のひとなのでしょう。
そんなかたにおすすめなのがダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー」。名著だと思います。
先にコメントされた方の指摘するとおり、サービス業のフロント業務で「障害者雇用」のかたが目立つと、「障害者が健常者の仕事を奪っている」と考える人の方が、残念ながら多いのではないか…と私も感じます。
それに、公務員が業務中に机でペットボトルを飲んでいたり、たばこ休憩に立ち歩いたりする姿が見えることにまで「苦情」を申し立てる人がいるというこの日本。障害のある人が特別な配慮のもとで業務をしていた場合に、かならず文句を付ける人がいるに違いない。たとえば聴覚過敏の発達障害の人がヘッドホンをつけて仕事をしていたら? 緊張するとチックの出る人がまばたきを繰り返しながら業務をしていたら
? 若干「顔」や「目つき」に違和感のある人が接客に当たったら? それが公務員「でも」必ず苦情がくる(あるいは「だから公務員は…」と言われるとか)に違いない。そして苦情に対処している時間が惜しい(だって公務員だって人手不足ですよ、明らかに。どこでも仕事ができる人に仕事は偏るし)。そうして、皆が「障害者雇用、メンドクセ」となっていくわけですよね。
この件を短絡的な公務員たたきの材料につかってはいけないと私も思います。
→論屋さん
市場原理の元で効率化を迫られる民間企業と、民主主義によって一定の枠を与えられる公的機関では淘汰の働き方が異なる。というのが橘氏の前提であって、「誰でもできるつまらない仕事」という要素は含まれていないと思います。
過渡的には那珂通さんと三笠さんのおっしゃるような反応はあると思います。
ただそれは女性であれ有色人種であれ、マイノリティが社会進出する際に必ず起こる一時的なものなので乗り越えて行かざるを得ないように思います。
>、「誰でもできるつまらない仕事」という要素は含まれていないと思います。
はい、ご指摘の通り含まれていないかもしれません。私なりの煽りです。
別の問題を。「障害者にも対応の、つまり性格の悪い人はいる」ということを無視して無垢善人たるを障害者に押し付ける差別 といったらいいのでしょうか。
あと「公務員の仕事なんて誰でもできる」という蔑視。住民票交付で公務員全般を連想してしまう視野の狭さ。でも橘先生は著書ダブルマリッジで身分登録・公証業務の取材をしたのではないですか?まあ車イスの弁護士もいますからね。…なら法曹関係者は全部障害者に!でもいいんじゃないですか?
住民票取りに行ったら障害者職員に気持ちの良い対応をされたから公務員は全部障害者にしろ。……という暴論極論のやり方すら無視した主張?はどうにも聞くに耐えなかったもので。
さいごに。
アファーマティブアクションが差別に有効か?火に油か?というのは結論は出てないのではないでしょうか。やっぱ私は劇薬だと思いますけどね。
同じ職場に、「隻手」の人がいたことがあります。
ファスト&スローでは言及されていませんが、
私達の日常生活は恐ろしいほどに
「ファスト」=「自動化された行動」に支配されているのです。
「ファスト」は考えなくても済むということで、行動や思考の効率化に資している
という面もあるのです。
いわゆる「カチッサー効果」ですね。
ポットボトルの開閉すら、隻手だと困難だし、
片手だけだと拍手もできないのです。
もともと橘さんの根っこはリバタリアンですから、なんの不思議もないでしょう
ここ3年ほど役所に行ったことはありませんが、なんの不自由もないです
ならば、役所の中のひとが健常者であれ障害者であれ、どうでもいいことです
リバタリアン的には、国家はどうせろくな仕事しないのですから、わたしはまったく違和感覚えませんでした
10年以上前の話を出している時点で時代遅れ。こんな記事が週刊誌の記事になるとは
作家という職業は持論を勝手に述べている何も理解していない記事だと思った。公務員をすべて障碍者にという暴論。だったらそうしてみてくださいと言いたい。結果責任をとれるのなら。こんな無責任な記事で報酬を得ている人こそどうなんだろうと疑問しかない。
知的、精神の障碍者の方も一生懸命生きてる。自分のできることをさがしてる。そういう実態をこの方は果たして知ったうえで記事を書いているのか。
行政行為には
きそくこうい(羈束行為)
行政庁の行為のうち、自由裁量の余地のない行為。法の規定が一義的であって、行政庁はそれをそのまま執行しなければならない行為。
と
さいりょうこうい【裁量行為】
行政庁の行為のうち、法規が多義的なため、行政庁に一定範囲の裁量の余地があるもの。
があり、羈束行為は障碍者だろうがなんだろうが可能でしょうが、
裁量行為について判断と責任を問われるからそうなっているだけの話。
さらに言えば、羈束行為と裁量行為との境界はあやふやなのが実態なのです。
(戸籍の届出を受理するのは羈束行為で、「悪魔」という命名でも
受理すべしでしたが、そうならなかった例があります。)
よく考えてみれば、障碍者ができる羈束行為はさらにAIに置き換え可能ですな。
それならば、障碍者はAI打ちこわし運動をおこすべきです。
これこそが(現代のラッダイト運動)です。
(公務員が)「組織ぐるみの障がい者雇用水増し」を(全力をあげて)してきた理由→なりふりかまわず既得権を守ろうと頑張っていたから。
という記事に 論さん 藁人形でイチャモンつけてるだけではないですか….。
「障害者差別解消!のふり」記事では無いし
障害者採用枠…の解決方法について書かれた記事でもありません。
人は自分以外は物やサービスとして考えていて、人間として見ていません。
官僚に限らず自分が良ければどうでもいいと思うのは当たり前で、言われるまでもありません。
最近の先生の議論は、腑に落ちないことが多いですね。既に公務員になっている人にとって、公務員としての障害者の雇用が増えようが減ろうが関係ないと思いますよ。既に公務員となって身分保障されているわけですから。割を食うことになる公務員になりたい健常者は、きっと不満に思うでしょうが。その中には、法の下の平等や職業選択の自由を主張して、行政訴訟を起こす人もいるかも知れません。
水増しの原因は、別の所にあると思いますよ。