ニューヨークのホームレス

日本全国には約3万人のホームレスがいると推定されている。ニューヨーク市にはそれを上回る3万7000人のホームレスがいるが、旅行者がその姿を見かけることはあまりない。彼らは公園や河原のダンボールハウスに住んでもいないし、残飯を漁ることもない。

チャイナタウンの東側、ブルックリン橋に近いローワー・イーストサイドはハーレムと並ぶマンハッタンの貧困地域だ。ニューヨーク市の再開発事業でハーレムは今や観光地となったが、この一帯は旅行者が訪れることもなく、薄汚れた表通りに昼間から失業者が徘徊している。

この街の一角に、古い3階建てのビルを改造した簡易宿泊施設がある。部屋は男女別のドミトリー(共同寝室)形式で、照明を落とした部屋にカーテンで仕切られた小型のベッドが並んでいる。ホームレスはここで無料の食事とベッドを与えられる。室内は殺風景だが清潔で、スタッフが忙しく立ち働いている。

私がこの施設を訪ねたのは午後の早い時間だったが、ベッドは半分ほど埋まっていた。宿泊者のほとんどは毛布にくるまり、薄く目を開けて虚空を睨んでいる。職員が声をかけると、何人かが小声で挨拶を返す。年齢を判別するのは難しいが、統計によれば施設利用者の6割を20代と30代が占め、65歳以上は3%にも満たない。そして9割に犯罪歴があり、8割は薬物中毒で、約半数が精神障害を患っている。高齢者が少ないのは、彼らの平均寿命が短いためだ。

このホームレス・シェルターは、20代の若者たち数名が経営していた。彼らはボランティアではなく、ビジネスとして福祉事業を行なっている。ニューヨーク市には独身者向け・家族向けあわせて217カ所の簡易宿泊施設があり、ホームレスの大半を収容している(1)

ニューヨーク市は1993年にホームレスサービス局DHSを設立し、福祉政策を大きく転換した。公営の福祉施設を廃止し、精神病院の病床数を削減すると同時に、福祉サービスを民間に委託したのだ。

ホームレス支援事業に参入したい事業者は、DHSに計画書を提出する。企画が認められれば、予算から施設費(大半が廃ビルを改装したもの)と運営費が支給される。DHSは毎年、施設の利用状況を調査し、利用度の低い施設への援助を打ち切る。消費者(ホームレス)に支持されない施設は淘汰されていくのだ。福祉事業に市場原理を導入するこの制度によって、ニューヨークのホームレス問題は劇的に改善した。

日本でも、ホームレス向けの簡易宿泊施設を運営する民間組織がある。彼らはホームレスを収容すると、住民票登録をして生活保護を申請する。保護が下りると、その一部を本人に渡し、残りを宿泊費として徴収する。日本の生活保護制度は個人単位なので、あちこちからホームレスを掻き集めてくれば莫大な利益が転がり込む。このような施設が地域内にいくつも出来れば、自治体の財政は確実に破綻するだろう。

ニューヨーク市ではホームレス対策予算を議会が承認し、それが民間事業者に分配される。日本のように、保護対象者の増加によって支出が無際限に膨らんでいくことはない。問題は福祉予算の額ではなく、その分配システムにある。

日本は米国と並ぶ世界でもっとも豊かな国である。だがホームレスは、残飯を漁らなければ生きていけない(2)

(1)2004年4月現在。その内訳は独身者用51施設9000ベッド、家族用166施設1万ユニット。
(2)DHSの予算は2004年度で6億4000万ドル(約700億円)。同年度の東京都福祉局の予算総額は約5300億円。ホームレス数を勘案すれば、福祉予算の5%程度で東京都内のホームレスはダンボールハウスから解放されるだろう。

橘玲『雨の降る日曜は幸福について考えよう』(幻冬舎)2004年9月刊
文庫版『知的幸福の技術』(幻冬舎)2009年10月刊