日本は世界でもっとも格差の小さな社会? 週刊プレイボーイ連載(310)


なんのためにやったのかよくわからない総選挙の結果は、事前の予測どおり与党が安定多数を確保し、いささか賞味期限の切れかけた安倍政権で2020年の東京オリンピックを迎えることになりそうです。変化があったとすれば民進党(衆院)が分裂し、小池東京都知事が率いる希望の党が失速、立憲民主党が大きく票を伸ばしたことでしょうか。

今回の選挙で明らかになったのは、ひとびとが“右傾化”しているわけではなさそうだ、ということです。安倍政治にうんざりした有権者は、現状が大きく変わらないのであれば、右(小池新党)でも左(枝野新党)でもどちらでもかまわなかったのです。嫌われていたのは民主党=民進党で、政権党時代のスティグマがこれほど深く刻印されていては解党以外に道はなかったでしょう。

立憲民主党の枝野代表は自らを「リベラル保守」と述べており、日本の政治は“共産党以外ぜんぶ保守”という奇妙な状況になってしまいました。これではなにがなんだかわからないので、どこかに線を引く必要があります。憲法9条についてはすでにいいつくされているので、ここでは「格差」を考えてみましょう。

経済学では、「機会平等」と「結果平等」の2つの平等を考えます。徒競走にたとえれば、機会平等とはすべての選手が同じスタートラインに並ぶことで、結果平等は全員が同時にゴールすることです。

機会平等は自由な市民社会の基本原理で、身分制を理想とする封建主義者でもないかぎり右から左まで異論はないでしょう。ところが結果平等に対しては、深刻な意見の対立があります。

中国(文化大革命)やカンボジア(ポルポト)で死者の山を築き、ソ連が収容所国家と化したことで、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という共産主義の壮大な実験は悲惨な結果に終わりました。こうして90年代以降、「機会が平等なら貧富の格差が拡大しても問題ない」という“ネオリベ”的な論調が主流になっていきます。「改革」を掲げる希望の党や日本維新の会はこの路線です。

それに対して、“ネオリベ化”が極端に進むアメリカで、「これ以上格差が拡大すると社会が崩壊する」との警鐘が鳴らされるようになります。経済学者リチャード・ウィルキンソンは世界各国の膨大な統計データを調査し、平均余命、健康状態、肥満、学業成績、暴力や犯罪など、あらゆる指標で「格差社会」のアメリカが格差の小さな社会に劣っていることを示して大きな衝撃を与えました。

こうして「自由な競争を維持しつつも格差を一定範囲に抑えるべきだ」との主張が勢いを増してきます。これが現代のリベラルで、立憲民主党はこの立場をとることになるでしょう。

とはいえ、アメリカとちがって日本では格差をめぐる論争はいまひとつ盛り上がりません。

ウィルキンソンによれば、日本は北欧とならんで世界でもっとも格差の小さな社会です。そんな“平等主義者の理想郷”では、「みんなもうちょっと競争しようよ」という主張が「リベラル」になってしまうからかもしれません。

所得格差と健康の国際比較 リチャード・ウィルキンソン『平等社会』より

参考:リチャード・ウィルキンソン、 ケイト・ピケット『平等社会』

『週刊プレイボーイ』2017年10月30日発売号 禁・無断転載

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8件のコメント

  1. だから、
    「格差」
    というのは、
    人間の特性として、

    小さな「格差」については敏感に反応するが、

    大きな「格差」についてはおおざっぱになってしまうという、

    「感応度逓減性」の問題を
    考えないといけないということです。

    自分と同じ働きの同僚と給料が1万円違っていることには耐えられなくても、
    居酒屋でダルビッシュと田中将大の年棒の上下について云々してしまうのが
    人間の性なのです。

  2. 健康だから格差が小さいというのは一面的な主張だな。
    環境や先人たちの努力お互いを思いやる文化の恩を我田引水するのは、実に今の権力側が良くやる手口だ。

  3. 「改革」を掲げる希望の党や日本維新の会はこの路線です

    官公労と戦っている維新と連合をバックにしている希望とは、全く違います。
    希望は、民進党右派です。


  4. 所得格差ジニ係数は既に危険域に達しており、さらに高くなりつつありますが…
    もともとこの係数、日本は低くはありませんでした。つまり昔から格差がある国だったのです。

    日本(の社会)が優れているのは、そういう露骨な格差を隠蔽する技に長けていることです。
    誰か生活点と生産点、みたいな説明をしてませんでした?(確かカールマルクスだったような気がしますが…)
    資本家でも労働者でも、生活する場面では同じような消費者なんだよ、でも生産の場では厳然たる差があるから、いい気になってんじゃねぇよ、…とかいうやつです。

    自分たちのクビを絞めるだけの「改革」とか積極的に支持してる人…またの名を肉屋を賞賛する豚…をみると、ああ、奴隷になるべくしてなったんだな、と感じるものであります。

  5. 体で知った言葉で話そう 

    ドコかから拾ってきたモノを 
    自分の知識として語るくせに 

    自分から出た言葉は通りやすくするため人の言葉にかえごまかしていた 
    何をはぶいていたんだオレは‥ 

    オレの言葉はいつのまにか 
    死んでいた‥
    (湾岸ミッドナイト40巻 P131)

  6. そもそも機会の平等は全然確保されていないと思うな。

    生まれながらにして不平等である能力、美醜などはどうすることもできないだろうし、まあ良いと思う。でも、同じ生まれながらにしての不平等である貧富による機会の差は、まだまだ修正できるのに全くと言っていいほど放置されているじゃない。そこをもっと修正すれば、まだまだ日本も伸びる余地があると思うね。

    結果の平等は、進めすぎると碌な事はないだろうね。

  7. 橘さんの意図としては、自民党の右に希望と維新、左に立民、もっと左に共産という「きれいな対立図」を描きたいんでしょうが、実際はそうではありません。
    作家、ブロガーとしては、そういう「分かりやすい構図」の方が文章を売るのに都合がいいんでしょうが、そうではありません。

    日本では全ての政党が「大きな政府、所得再配分、社会福祉、ばらまき」のリベラルな立場です。自民党が国民の最大多数の要望を受け入れる大店で、その他の党が一部勢力の利害に応える小さな専門店みたいなもんです。

    「小さな政府、自由競争、市場主義、財政規律」の立場の政党も、「ネオリベ、格差容認、結果不平等容認」の政党も、一つも存在しません。
    だから安保とかモリカケとか、無意味な見せかけだけの対立しか発生しないのです。

    日本に必要なのは、労働生産性を高める施策、経済成長を促す戦略です。機会平等か結果平等かという論点は、それに付随して必要な範囲で問題となるだけであって、第一義的、本質的に重要な課題ではありません。
    欧米、特にアングロサクソン系の(ピューリタン的な)背景を持つ歴史的社会的対立は、日本にはなじまないし、おそらく根付くこともないでしょう。

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