日本でもアウトサイダー政党の時代が始まった(週刊プレイボーイ連載651)

参院選は与党の自民・公明が過半数割れの大敗となり、反ワクチン運動から始まった参政党が大きく票を伸ばしたことで、戦後日本の政治が地殻変動を起こしたといわれています。

この選挙結果にはさまざまな要因があるでしょうが、そのなかでもっとも大きいのは「デフレから“脱却”して、日本人がどんどん貧乏になっている」ことでしょう。

安倍政権の長いデフレでは、高齢者は年金の実質価値が上がり、現役世代は賃上げがなくても定期昇給で少しずつゆたかになっていくように思えました。少子化で大学生の就職内定率は9割を超え、若者からの高い支持も獲得できました。安倍政権は「諸悪の根源」であるデフレと戦ってきましたが、皮肉なことに、デフレによって長期政権が維持できたのです。

ところがコロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻で物価が上がりはじめると、賃上げが物価上昇に追いつかずに実質賃金は3年連続でマイナスになり、デフレで封印されていたマクロ経済スライド(物価の上昇率よりも年金の減額幅を大きくして、年金財政を健全化する仕組み)が発動されたことで、年金の実質価値も下がってしまいました。

こうして6割の世帯が「生活が苦しい」と感じるようになり、そこに主食のコメ価格が急騰したことで、多くのひとが「なにかが間違っている」「政治を変えなければならない」と考えるようになったのでしょう。

じつはこれと同じことは、すでにヨーロッパで起きています。象徴的なのはフランスで、2017年の大統領選では与党・社会党のオランド大統領が支持率低迷から立候補を断念し、「突然変異体」と呼ばれたエマニュエル・マクロンが若干39歳で大統領に当選します。さらに衝撃的なのはそれにつづいて行なわれた総選挙で、マクロンが創設した新政党・共和国前進が全573議席中306議席を獲得して圧勝する一方で、それまで与党だった社会党は得票率5.7%、30議席の壊滅的敗北を喫しました。

その後もヨーロッパでは、同様の“異変”が次々と起きます。イギリスではEUからの離脱を主導したナイジェル・ファラージのリフォームUKが、今年5月の下院補欠選挙や地方選挙で大躍進し、長くつづいた保守党・労働党の二大政党制が揺らいでいます。

ドイツでは「排外主義政党」と見なされるAfD(ドイツのための選択肢)が今年2月の連邦議会選挙で全630議席中152議席を獲得する大勝を果たし、その一方で与党だった中道左派の社会民主党ショルツ政権は議席を4割も減らしています。

さらに驚くべきはオランダで、“極右”のヘルト・ウィルデルスの“一人政党(党員はウィルデルス一人ですべての意思決定を握っている)”自由党が2023年の選挙で第一党になり、4党で連立政権が発足しましたが、そのうち3党(自由党・新しい社会契約・農民市民運動)が新興の「アウトサイダー政党」だったのです。

このようにヨーロッパでは、既成政党が失墜し、極端な政策を掲げるアウトサイダーが政権を獲得することがごくふつうになっています。だとしたら日本で同じことが起きたとしても、なんの不思議もないのでしょう。

参考:水島治郎編『アウトサイダー・ポリティクス ポピュリズム時代の民主主義』岩波書店

『週刊プレイボーイ』2019年7月28日発売号 禁・無断転載

 

西部劇『捜索者』からアメリカン・インディアンの歴史を考える(後編)

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年2月公開の記事です。(一部改変)

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アメリカ創世の神話には二つの大きな傷がある。ひとつはもちろん奴隷制で、もうひとつが「西部開拓」の名の下にインディアンの土地(と生命)を奪ったことだ。ハリウッドの西部劇では、白人の善良な開拓民を悪辣なインディアンが襲い、それを騎兵隊が救出するという勧善懲悪のドラマが人気を博した。

だが第二次世界大戦が終わるとともに、この「神話」は大きく揺らぐことになる。人種差別に反対する公民権運動の盛り上がりのなかで、西部開拓時代に対しても「白人の手は血で汚れているのではないか」との批判が突きつけられるようになったからだ。

ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の映画『捜索者』(1956)がつくられたのはこうした西部劇の変わり目で、映画制作の背景はアメリカのジャーナリスト、グレン・フランクルの労作『捜索者 西部劇の金字塔とアメリカ神話の創生』( 高見浩訳/新潮社)で詳細に述べられている。その概略は前回書いた(「インディアン」という言葉の使い方についても述べている)が、今回は「事実は小説(映画)より奇なり」という後日譚を紹介しよう。

参考:西部劇『捜索者』からアメリカン・インディアンの歴史を考える(前編) 続きを読む →

西部劇『捜索者』からアメリカン・インディアンの歴史を考える(前編)

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年1月公開の記事です。(一部改変)

APChanel/Shutterstock

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ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の西部劇のひとつに『捜索者』がある。原題は“The Searchers”で、インディアンにさらわれた幼い姪を捜索する武骨な男をジョン・ウェインが演じている。『理由なき反抗』や『ウエストサイド物語』のナタリー・ウッドが出演しているというだけの理由で高校生のときにテレビで見たのだが、肝心のウッドはインディアンの妻となった役でほんのすこししか出てこず、がっかりしたことを覚えている。

なぜいまこの映画の話をするかというと、アメリカのジャーナリスト、グレン・フランクルの『捜索者 西部劇の金字塔とアメリカ神話の創生』( 高見浩訳/新潮社)を読んだからだ。フランクルはこの1本の西部劇について、邦訳で500ページを超える大部の本を書いた。なにをこれほど語ることがあるのだろうかと、不思議に思ったのが本を手に取ったきっかけだ。

フランクルによると、映画『捜索者』は1956年に大型西部劇として鳴り物入りで公開されたものの、評価も興行成績も可もなく不可もなくという程度で、『駅馬車』や『アパッチ砦』『黄色いリボン』といったフォード西部劇の傑作と比べるとほとんど注目されなかった。

それが1960年代にジャン・リュック・ゴダールなどフランス・ヌーベルバーグの映画作家たちによって再発見され、マーティン・スコセッシ、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、ジョン・ミリアスといったアメリカの新世代の監督たちに熱烈に支持された。『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』といった作品にも歴然とした影響が認められるが、『捜索者』を現代に蘇らせたのはなんといってもスコセッシの『タクシードライバー』だという。

暗い怒りを抱いてニューヨークの町を流すタクシー・ドライバー(ロバート・デニーロ)は、少女の娼婦(ジョディ・フォスター)を救うという妄想に駆られ“たった一人の戦争”を決行する。その狂気は、『捜索者』でウェインが演じたイーサン・エドワーズと共通するというのだ。

こうした再評価により近年では“『捜索者』現象”とでも呼ぶべきブームが起きていて、アメリカ映画協会が2008年に行なった「アメリカ映画の名作」西部劇部門で1位に輝き、2012年にイギリスの『サイト・アンド・サウンド』誌が行なった投票では総合7位に選出されている。もはや『捜索者』は、押しも押されもせぬジョン・フォード+ジョン・ウェインの最高傑作のひとつになったのだ。 続きを読む →