イギリスは謎の組織シティに支配されているのか

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2013年10月24日公開の「金融立国イギリスの中心地・シティが ウォール街に対抗できる理由」です(一部改変)。

関連記事:グローバルな金融システムを批判する「左派(レフト)」の論理とは?

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日本経済の課題は、世界最強を誇った製造業が新興国から激しく追い上げられ、競争力を失ってしまったことだ。そこで製造業に代わる牽引役として、「金融立国」を目指すべきだというひともいる。

そのとき必ず例に挙げられるのがイギリスで、サッチャー政権の新自由主義的な改革によって長期停滞を克服し、金融業を中心にグローバル化に成功したとされる。だが私はずっと、こうした提言には懐疑的だった。日本とイギリスではあまりにも条件が違いすぎるからだ。

国際金融の世界では「世界最大のタックスヘイヴンはアメリカとイギリス」というのが常識になっている。イギリスはジャージー島、ガーンジー島、マン島の王室属領、ケイマンやジブラルタルなどの海外領土、シンガポール、キプロス、バヌアツのようなイギリス連邦加盟国、香港などの旧植民地がタックスヘイヴンの重層的なグローバルネットワークを形成している。その中心に位置するのがシティと呼ばれるロンドンの金融街だ。

謎に包まれた組織

シティはウォール街としばしば比較されるが、その実態はまったく異なる。

ウォール街は、金融機関が集積するニューヨーク市の一区画に過ぎない。それに対してシティは、ロンドン市(グレーターロンドン)の行政の一部であるとともに、中世からの長い歴史のなかで数々の特権を認められた“自治都市”でもある。

シティという不思議な場所についてはこれまでほとんど調査・報道されることがなかったが、イギリスのジャーナリスト、ニコラス・シャクソンの『タックスヘイブンの闇 世界の富は盗まれている!』(藤井清美 訳、朝日新聞出版)によってはじめてその概要を知ることができた。

シティの正式名称は、「シティ・オブ・ロンドン・コーポレーション」という。コーポレーションとは、刺繍業組合や皮革加工業組合など1000年も前から存在している123もの同業組合(ギルド)の「共同体」ということだ。

地理的には、シティはテムズ川左岸のウォータールー橋とロンドン橋を東西の両端とする1.22平方マイル(約2キロ平方メートル)の地区で、別名スクエアマイルとも呼ばれる。ロンドンにはシティグループやHSBCなどの高層ビルが建ち並ぶ再開発地区カナリーウォーフやヘッジファンドの集まるメイフェアもあり、これら新興の金融街と合わせて広義のシティ(ロンドンの金融ビジネス)といわれることもある。

2008年のデータだが、シティは国際的な株式取引の半分、店頭デリバティブ取引の45%ちかく、ユーロ債取引の70%、国際通貨取引の35%、国際的な新規株式公開の55%を占めた。猫の額のような小さな街が、グローバル金融のハブとして圧倒的な強さを誇っているのだ。

シャンクソンは『タックスヘイブンの闇』で、シティの競争力の源泉を3つ挙げている。アジアとアメリカの中間にあるという地理的優位性、金融ビジネスの標準語である英語を母語とすること、そして、シティにつらなるタックスヘイヴン群のグローバルネットワークだ。

2008年4月には、旧ソ連邦を構成するCIS(独立国家共同体)から100社もの企業がロンドン証券取引所に上場した。これはシティの上場基準が、アメリカ(ウォール街)でADRを上場させるよりはるかに緩いからだ。

ロンドンには約30万人のロシア人が住んでおり、「ロンドングラード」とも呼ばれる。そのなかにはサッカー・プレミアリーグのチェルシーを買収した石油王ロマン・アブラモヴィッチのような大富豪もいて、彼らはイギリス特有の「非定住者(Non UK Domiciled)」となって海外所得に課税されない特権を享受している。

財政破綻の危機に陥ったキプロスもイギリスの元植民地で、ロシアからマフィアの裏資金を含む大量のマネーを受け入れてきた。こうした資金もさまざまなルートを通じてシティに流れ込み、ロシアの副検事総長は「(シティは)犯罪によって得た資金を洗浄する巨大な洗濯屋」と述べた。

シティはそれ自体がタックスヘイヴン(オフショア金融センター)として、多国籍企業や富裕層、反社会的組織に対して、租税回避や守秘性など自国では手に入らないさまざまな便宜を図っているのだ。

国家のなかのもうひとつの国家

シティがいつ成立したのかは定かではないが、1189年にリチャード1世が即位したときにはすでに自治都市として国王と交渉した記録が残っている。

当時はすべての権利の源泉が国王にあり、都市は国王から下されるチャーター(許可状)によって設立されたが、シティにはこのチャーターが存在しない。これが、シティが国家(国王)と対等の政治的権利を有しているとされる根拠だ。

シティの自治を象徴する逸話には枚挙のいとまがない。

シティに入るときは、国王ですら武器を置かねばならなかった。エリザベス女王が在位50周年記念式典でシティを訪れたときは、町の境界でロード・メイヤー(シティの市長)の出迎えを待った。国王との取り決めで、許可なくシティに立ち入ることが許されていないからだ。「シティから会談の申し入れがあったら、首相は10日以内に応じなければならないし、女王は1週間以内に応じなければならない」とする規則がいまも残っている。

こうした数々の特権は、シティが英国王室の財政を支援する代償として手に入れ、コモンロー(慣習法)として認められてきたものだ。シティでは毎年11月に市長の就任を祝う盛大な「ロード・メイヤーズ・ショー」が行なわれるが、12世紀の行事を再現したこのパレードはたんなるお祭りではなく、シティがその特権を誇示し、自治権を広く知らしめるイベントでもある。

もちろんシティは、行政区域としてはロンドンの一部なので、イギリス政府やロンドン市が定めたさまざまな規則に従わなければならない。だがこれには例外があって、金融に関する自治権はアンタッチャブルなものとされている。シティは「ロンドン市のなかのもうひとつの都市」であり、「国家のなかのもうひとつの国家」なのだ。

世界最古の自治都市

シティは、「世界最古の民主的な自治都市」とも呼ばれる。

シティには、ロンドン市長(メイヤー・オブ・ロンドン)とは別に、ロード・オブ・メイヤーという市長がいる。それ以外にもロード・メイヤーの補佐役であるシェリフと、長老参事会員のアルダーマンがおり、さらにはコート・オブ・コモン・カウンシルなる市民議会まである。

シティの長老参事会はイギリスの貴族院(上院)、コート・オブ・コモン・カウンシル(市民議会)は庶民院(下院)と同じだ。これは偶然ではなく、イギリスの政治制度全体がシティを模してつくられている。イギリス首相は下院によって選ばれるが、これは市民議会がロード・オブ・メイヤーを選出する制度に倣ったものだ。

イギリスの中央銀行であるバンク・オブ・イングランドはもともとはシティの豪商たちが1694年に設立した民間銀行で、ようやく国有化されたのは1964年のことだった。それでも「中央銀行の独立」は不文律として残り、法律上はイギリス政府は中央銀行に指示を出すことができるが、この権限はこれまでいちども行使されたことがない。

シティは王室債権徴収官なる「世界最古のロビイスト」も擁している。王室債権徴収官はシティが英国王室に保有する債権の管理人で、現在でも議員以外でただ一人下院の議場に入ることができ、議長の後ろに座っている。その役割は、「シティが享受している権利や特権を妨げるあらゆる法案に反対すること」だ。

ヴァチカンをも上回る資産

各国の元首がイギリスを訪れたとき、もっとも華やかな晩餐会が行なわれるのはバッキンガム宮殿ではなく、マンションハウスと呼ばれるロード・メイヤーの公邸だ。王室の予算では200人を集めた晩餐会を開くのがやっとだが、ロード・メーヤーは700人のゲストを招くことができる。

シティの権力の源泉は、このとてつもない財力にある。シティは、3つのファンドを保有している。

シティ・ブリッジ・トラストは、年間1500万ポンド前後の慈善寄付を行なっている。シティ・ファンドは賃貸所得や利子所得に中央政府からの資金を加えたもので、行政機関としての日常的な運営費を賄っている。

もうひとつがシティ・キャッシュで、これは「過去800年間に積み上げられた私的基金」というだけで、その実態は謎に包まれている。シティの特権によって、情報公開の対象外になっているのだ。

『タックスヘイブンの闇』でシャンクソンは、シティ・キャッシュはロンドンだけでなく香港やシドニーなど世界各地に不動産を保有しており、その資産はヴァチカンをも上回る可能性があると述べている。その莫大な富によって、壮麗な晩餐会や権力誇示のパレード、独自の外交が可能になるのだ。

シティは、グローバル資本主義と中世のコミューンの奇妙な合体だ。シャンクソンはこれを、鷲と獅子が合体した伝説の動物グリフォンにたとえている。

現在のシティは、居住者が9000人しかいないのに対して、昼間人口が35万人強という歪な構造になっている。そこでシティは市民議会の選挙において、居住者の1人1票に加えて企業にも投票権を認めている。この投票権は従業員数に応じて決まり、3万2000票あまりと居住者(本来の市民)よりもはるかに大きな政治的影響力を持っている。

そのうえこの選挙では、従業員が自らの意思で投票するのではなく、企業が一括して票を入れる。シティの企業の大半は金融業だから、これによって金融ビジネスに最適な制度や環境の維持が保証されているのだ。

製造業が凋落したイギリス経済は金融ビジネスによって支えられている。シティが「国家のなかの国家」だとしても、イギリス政府は「国益」としてそれを守らなければならない。シティの権限を剥奪して国家に従属させようとする政治的試みはこれまですべて失敗してきた。

イギリスは国内にシティというタックスヘイヴンを抱え込み、王室属領や海外領土、イギリス連邦、大英帝国の旧植民地など世界じゅうに広がるタックスヘイヴンのハブ(中心)となることで、グローバルな金融ビジネスを支配している。

戦後も「世界帝国」の遺産をそのまま引き継いだイギリスに対して、日本は敗戦によって海外の権益をすべて放棄し、4つの島に引きこもらざるを得なくなった。シティがウォール街と互角にたたかえるのは、オフショアのネットワークがあるからだ。日本語しか通じない国で、東京を中心としたグローバルな金融ネットワークなど望むべくもない以上、「金融立国」はしょせん絵に描いたモチだったのだ。

禁・無断転載

キャンセルカルチャーの光と影 週刊プレイボーイ連載(572)

社会がぎすぎすして、自由に発言できなくなったと感じているひとは多いでしょう。これは日本だけでなく世界的な現象で、「ポリコレ(政治的正しさ)」に反する言動をした個人や企業・団体を一斉に批判し、社会的な地位を抹殺(キャンセル)する運動は「キャンセルカルチャー」と呼ばれています。

なぜこのようなことが目立つようになったのかは、大きく2つの理由が考えられます。

ひとつは、SNSによって「道徳エンタテインメント」が安価に提供されるようになったこと。近年の脳科学は、不道徳な者を罰すると脳の報酬系が活性化することを発見しました。これは長大な進化の過程で埋め込まれたプログラムで、法律も警察もない人類史の大半において、わたしたちの祖先はお互いに隣人を監視し、誰もが「道徳警察」になることによって共同体の秩序を守ってきたのです。

不道徳な相手に対して「正義」を振りかざすとき、ひとは怒りとともに大きな快感を得ることができます。芸能人の不倫、皇族の結婚から回転寿司店で醤油差しをなめる行為まで、毎日のようにネットやSNSが炎上しているのは、それが誰でも参加できる娯楽だからです。

もうひとつは、社会がリベラル化するにしたがってアイデンティティが多様化したこと。徹底的に社会化された動物であるヒトには、自我(わたし)を他者や集団と融合させるという驚くべき能力があります。これが「アイデンティティ融合」で、その対象がアイドルなら「推し活」と呼ばれ、国や宗教だとナショナリスト、原理主義者になります。

リベラルな社会の大原則は、本人の属性にかかわらずすべての市民が平等な人権をもつことですから、差別や偏見にさらされているマイノリティが、自分が属する集団にアイデンティティ融合し、権利のために闘うことには正当な理由があります。女性の参政権や黒人の公民権など、こうした運動によって社会は進歩してきたのですが、その一方で、個人が前面に出るにつれて共同体が解体し、アイデンティティは細分化されていきます(性的少数者の呼称が「LGBTQIA+」のようにどんどん長くなるのはその典型です)。

問題は、さまざまなアイデンティティが社会のなかで協調できる保証がないことです。欧米では黒人(有色人種)や移民に対して、白人労働者階級がトランプや「極右」政党を支持し、自分たちこそがリベラルの偽善に抑圧されているのだと主張しています。女性の権利拡大を目指す活動家(フェミニスト)と、自分たちこそが社会(性愛の自由市場)から排除されていると訴える男権活動家(MRA: Men’s Raights Activist)が衝突するのも同じ構図です。

アイデンティティの対立はどちらが正しいと客観的に決めることはできず、たちまち泥沼に陥ってしまいます。それに加えて、「ダイバーシティ(多様性)教育」の名の下にそれをビジネスにする者まで現われて、収拾がつかなくなっています。

新著『世界はなぜ地獄になるのか』では、こうした「社会正義」の光と影を描いています。このやっかいな状況を変えることはできなくても、「地雷」を踏まないようにするためには役に立つはずです。

『週刊プレイボーイ』2023年8月7日発売号 禁・無断転載

グローバルな金融システムを批判する「左派(レフト)」の論理とは?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年11月26日公開の「肥大化した「金融化」が市場経済を歪め、 経済格差を拡大させ「金融の呪い」を引き起こしている!」です(一部改変)。

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個人資産30兆円と、人類史上未曾有の大富豪になったイーロン・マスクが、6000万人を超えるSNSのフォロワーに、自身が保有するテスラ株の10%を売却すべきかを問うアンケートを行なった。結果は賛成57.9%、反対42.1%で、マスクは保有株の売却を始めたと報じられた。

これとは別に、国連の食糧支援部門WFP(世界食糧計画)は「ビリオネアへのたった一度の訴え(one-time appeal to billionaires)」を発表。事務局長デイヴィッド・ビーズリーは、超富裕層の寄付で4200万人を飢餓から救うことができるとして、イーロン・マスクに66億ドル(約7500億円)の寄付を求めた(マスクは、世界の飢餓と戦う方法が示されればテスラ株を売却して寄付するとtweetしていた)。

テクノロジーの急速な進歩とグローバル化の進展によって、これまでの常識では考えられないような富を保有する個人が登場した(マスクの個人資産はトヨタの時価総額に匹敵する)。それとともに、マスクやジェフ・ベゾス(Amazon)など超富裕層に対する「納税義務を果たしていない」「富をもっと社会に還元すべきだ」との風当たりが強くなってきた。

2021年6月、ロンドンで開かれていたG7(主要7カ国)の財務相会合で、グローバル企業への課税強化を視野に入れた「歴史的」な合意が交わされた。「企業が商取引で実際に利益を得ている現地で納税するよう制度を作るほか、法人税に各国共通の最低税率を定める方針」だという。

国際協調によって法人税を引き上げる背景には、「超富裕層やグローバル企業がタックスヘイヴンを使って納税義務を回避している」との批判がある。こうした「超富裕層・グローバル企業+タックスヘイヴン批判」を主導するのがNGO団体「タックス・ジャスティス・ネットワークTax Justice Network」で、この「税の正義派」はいまや国際社会で大きな影響力をもつようになった。

イギリスのジャーナリスト、ニコラス・シャクソンの『世界を貧困に導くウォール街を超える悪魔』( 平田光美、平田完一郎訳、 ダイヤモンド社)は、「税の正義派」が何を問題とし、どのような主張をしているかがわかるタイムリーな一冊だ(原題は“The Financial Curse:金融の呪い)”。シャクソンはTax Justice Networkの一員で、『タックスヘイヴンの闇 世界の富は盗まれている』(藤井清美訳、朝日新聞出版)では、イギリス(シティ)が大英帝国の遺産を使ってタックスヘイヴンの国際的なネットワークをつくりあげた歴史的経緯を白日の下にさらして大きな反響を得た。

金融化が市場経済を歪め、経済格差を拡大させている

シャクソンは、「あなたがインターネットで切符を購入したときの手数料75ペンス(約100円)がどのような「旅」をするか」から、国際的な金融ネットワークの説明を始める。

トレイラインは、イギリスおよび欧州大陸の電車とバスのチケットサービス会社で、ロンドンに拠点を置いている。ところが、イギリスの利用者がトレイラインを利用すると、その手数料は「英仏海峡を越えてタックスヘイブンのジャージー島へ、そこから再度ロンドンに戻り、(トレインライン・ホールディングスなど持ち株会社)5社を通過し、もう一度ジャージー島へ戻り、欧州大陸に飛んでタックスヘイヴンであるルクセンブルクの2社の銀行口座に落ち着く」。

だが、「ちっぽけな、しかし勇敢な75ペンス」の旅はこれで終わりではない。しばらく「金融のトンネル」に潜ったあと、今度はカリブ海へと移動し、ケイマン諸島の実態がつかみにくく不可解な3、4社を経て、「世界中の無数の資金の川や大河に合流し、まとまってアメリカの巨大な投資会社KKR(コールバーグ・クラビス・ロバーツ)の大きな胃袋に吸い込まれていく」。

しかしこれでも旅は終わらず、KKRの創業者で億万長者のジョージ・ロバーツとヘンリー・クラビスを含む株主の口座に移り、それが「実在する」300社以上に再投資されていく(実体のないものを加えると、KKRが所有する企業数は4000社を超える)。

タックスヘイヴンを介したこうした複雑怪奇な金融取引の連鎖が「金融化(ファイナンシャルゼーション)」で、シャクソンはこう批判する。

金融化時代の到来で、企業経営者やそのアドバイザーと金融セクターは、これまで主流であった経済に貢献する形態の富の創出から乖離し、金融手法を駆使して、経済から富を搾取する方向に舵を切った。金融化は、株主や経営者に莫大な利益をもらす一方、そのよって立つ土台である実体経済、すなわち私たち庶民が暮らしを維持し、働く場である実体経済は沈滞してしまっている。いわばこれら莫大な利益と経済の沈滞はコインの表裏であり、いずれも富の搾取なのだ。

ここからわかるように、シャクソンは資本主義を否定するのではなく、金融化によって資本主義が異形のものに変わってしまい、それが市場経済を歪め、経済格差を拡大させていると主張しているのだ。

「金融化がイギリスをゆたかにした」という“常識”は神話にすぎない

開発経済学における「資源の呪い」とは、石油やダイヤモンドなど天然資源の豊富な国が、資源の乏しい近隣諸国と比較して、その資源のゆたかさゆえに経済成長が遅れ、政治的腐敗や摩擦が増加し、より独裁的な政治と極度の貧困に苦しむようになることだ。シャクソンは、それと同じことがイギリスで起きているとして、これを「金融の呪い(本書の原題)」と名づけた。

1970年以前の1世紀ほどを見ると、イギリスのGDPのおよそ半分を銀行の資産が占めていたが、その後、金融化の到来とともにその比率は急上昇し、2006年までにはイギリスの銀行の資産はGDPの500%に達した(これは欧州平均の倍で、アメリカの4~5倍)。さらに、保険会社や他の金融関連機関の保有する金融資産にまで広げれば、イギリスのGDPの10倍をはるかに超える額になる。

イギリスの「競争力」の源泉はこの金融化(低税率と金融中心の経済)だとされているが、一人当たりの所得水準は北欧のどの国のそれよりも低く、高税率のフランスと比較して25%以上も生産性が低い。ロンドン以外では生産性はさらに低く、この状態はかなり長期にわたって続いている。

こうしたデータから、「金融化がイギリスをゆたかにした」という“常識”は神話にすぎないとシャクソンはいう。彼の試算によれば、肥大化した金融セクターがイギリス経済にもたらす損失の概算はおよそ4兆5000億ポンド(約700兆円)で国内総生産の2年半分に相当し、一世帯あたり17万ポンド(約2600万円)の負担になるというのだ。

タックスヘイヴン支配するシティ

イギリスの金融化を牽引するのは「シティ・オブ・ロンドン」という奇妙な自治都市だ。これについてはシャクソンの『タックスヘイブンの闇』に詳しいが、シティはロンドン市を構成する一自治体ではなく、中世から続く「金融ギルド」であり、国家(国王)と対等の政治的権利を有すると見なされた。シティは「ロンドン市のなかのもうひとつの都市」であり、「国家のなかのもうひとつの国家」なのだ。

第二次世界大戦後の冷戦期に、イギリスはシティを活用して、アメリカ本国では禁止されている(ソ連や中国、あるいはドラッグカルテルを相手にするような)ドル取引ができる「なんの規制もない」金融の自由市場を創設することで大英帝国の凋落を防ごうとした。これがユーロマーケット(欧州共通通貨のユーロとは関係ない)で、そこで取引される米ドルが「ユーロダラー」だ。そこは、国家によって管理されることのない「無責任で、儲かる、垣根のないグローバル金融の冒険的な遊園地」だったとシャクソンはいう。

イギリスにとって都合がよかったのは、世界各地に大英帝国時代の植民地があり、そのなかの弱小国家は独立しても自力では生きていけないため、英連邦に属しながら、「国家主権」を使った金融ビジネスに活路を見い出さざるを得なかったことだ。

イギリスの14の海外領土のうち、アンギラ、バミューダ、英領ヴァージン諸島、ケイマン諸島、ジブラルタル、モンセラット、タークス・カイコス諸島の7つは重要なタックスヘイヴンで、これに英王室属領であるジャージー島とガーンジー島(チャネル諸島)、マン島が加わる。こうした島国は、「海賊からの避難所として、または近隣の大陸の法的管轄権の及ばない、不正行為の隠れ家として」長い歴史をもっていた。これらの小国・地域がクモの巣のような金融ネットワークを構成し、それをシティが束ねているのだ。

タックスヘイヴン国がシティを頼るのは、イギリスの法制度が金融資産の保護を提供できるからだ。小さな島のタックスヘイヴンでは、行政の構成員が元漁師や民宿のオーナー、または従業員であることも珍しくない。そんな彼らに金融や税制の複雑な法律を起草できるわけもなく、すべてはシティの意を受けた法律事務所や会計事務所が代行している。

「ケイマン諸島登録の銀行が保有する資産は1兆ドルで、その極小国家のGDPの1000倍に相当、従って権力がどこにあるかは自明である」とシャクソンはいう。

節税ツールとしての信託

シャクソンは本書で、シティを中核とするタックスヘイヴン・ネットワークだけでなく、アメリカの一部の州が減税や守秘義務の強化など「タックスヘイヴン政策」で企業や資金を誘致しようとしていることや、EU内部でもルクセンブルクが事実上のタックスヘイヴンになっていたり、アイルランドがグローバル企業に節税機会を提供している実態などを暴いていく。

その詳細は本を読んでいただくとして、ここでは日本人には馴染みのない「節税ツールとしての信託」を紹介しておこう。

信託というのは、委託者・受託者・受益者の三者で構成される法的スキームで、親が子どものために財産を信託するときは、親が「委託者」、子どもが「受益者」で、子どもが成長するまで一時的に財産を預かり運用する金融機関や法律事務所などが「受託者」になる。

日本の場合、信託を利用しても税制の恩恵はほぼなく、親が死亡すると信託に預けた財産も相続税の対象になる。だが欧米では、富裕層(貴族などエスタブリッシュメント)の財産を保護するために、一定の条件を満たした信託財産は、受益者に移転されないかぎり非課税(課税が繰り延べられる)とされた。その結果、この「法律のバグ」を利用して大規模な租税回避が起きており、シャクソンによれば、イギリスにおける年間の相続対象財産額が1000億~1500億ポンドとされるなかで、相続税の徴収額はたったの3%、年間50億ポンドにすぎない。

もちろん、財産を信託すれば自動的に課税されなくなるわけではない。重要なのは、「受益者が信託財産に対する権利を行使できるかどうか」で、子どもが信託財産を自由に処分できるのなら、当然のことながら相続財産として課税される。しかしこれを逆にいうと、受益者の権利行使が「法律上」不可能になっていれば、税務当局には課税の根拠がない。

これを利用したのが「一任信託」で、「信託証書には誰が何を、いつどこでどのように、そしてなぜ受け取れるのかに関する細かい規定はなく、ひとえに受託者の自由裁量権に任されている」。信託財産を預かる受託者は、名目上の自由裁量権をもっており、法的には「誰が何を受け取るのかを決定するまでは、受益者の誰もが、現在も未来も、それに対する権利を主張できない」。税務当局は一任信託に手をつけることができず、信託弁護士らはこれを「訴訟要塞」と命名した。

イギリス本土の一任信託が保有している推定資産総額は13億ポンドだが、ジャージー島の信託の保有資産推定額は1兆ポンド相当で、グローバルな信託財産の総額は9兆~36兆ドルとされる。信託とは「個人仕様のタックスヘイヴン」なのだ。

名門家族の財産を世代から世代へと受け継ぐことを目的にする信託は「ダイナスティ信託」と呼ばれる。超富裕層の相続税対策に便宜をはかるために、さまざまな租税回避のための信託(法的スキーム)が開発されている。

「不確定(取消可能)信託」は、税務調査または犯罪捜査の渦中にあると感じている間は資産を信託に譲渡し、調査の可能性がなくなれば信託を解散し、資産を取り戻すことができる。

「消費者保護信託」は放蕩息子から信託財産を守るスキームで、金銭トラブルに巻き込まれた一族のメンバーを受託者が不適格と認定し、受益者のリストから排除することができる。

さらには、税務当局や捜査当局に対していかなる支払いも強固に拒絶する「強制条項」や、他国の法執行機関が嗅ぎまわりはじめた場合、信託財産を別の管轄地域に素早く非難させる「避難条項」をもある。

アメリカには、受益者に資産に対するほぼ無制限の支配権を与える、意図的に歪曲された「受益者欠損信託」なるものも存在する。「受益者匿名信託」に至っては、受益者の詳細はもちろん、受益者であること自体を一切明らかにしない。まさに「やりたい放題」の状況になっているのだ。

「金融の呪い」から逃れる道は?

公正な課税を求めるシャクソンは政治的には左派(レフト)で、「金融化」にかかわる国家、金融機関、大富豪などを「悪」として断罪する。その主張は過激すぎるようにも思えるが、グローバルな金融市場がマネーゲームと化すなかで、容認しがたい歪みが生じていることは事実だろう。

しかしこれは、さまざまな思惑が絡まってつくられてきた「現実」であり、一朝一夕に解決できる問題ではない。

タックスヘイヴン国は、日本でいうなら沖縄どころか奄美諸島程度の小さな島国かもしれないが、国際社会で認められた「主権(神の権利)」をもっている。その税制を国民が「民主的」に決めた以上、先進諸国の税源を侵食しているからといって、強制的に廃止させることはできない。信託にしても、「所得税などを支払ったあとに手元に残った資産をどのように保全・運用しようが個人の自由で、それに対する国家の介入は基本的人権(所有権)の侵害」という主張は一定の支持を得るだろう。

既得権にがんじがらめになったこの現状を、どのように変えていくのだろうか。それに対するシャクソンの答は意外なものだ。

1983年公開の映画『ウォー・ゲーム』では、高校生のハッカーが偶然、アメリカとソビエトの全面核戦争をシミュレートする政府のコンピュータにアクセスしてしまい、現実の核戦争を引き起こしそうになる。コンピュータの暴走を止める手段はないと思われたが、ハッカーはコンピュータに「核戦争に勝つ方法」を計算させることで、危機一髪で核戦争の回避に成功する。モニタに表示されたのは、「奇妙なゲームだ。このゲームに勝利する唯一の方法は、プレイしないことだ」との文字だった。

シャクソンは、「金融の呪い」もこれと同じ奇妙なゲームだという。そこから逃れる唯一の道は「プレイしないこと」すなわちイギリスが一方的に「金融化」のレースから離脱することなのだ。

だがどうやって? それについては「政治的行動に移す、影響力のある改革グループへ寄付する、デモに参加する」などの提案がなされている。「もはや臆病ではいられない。フェイスブックで勇壮な言葉だけを並べ、あなたと同意見のお友達にメッセージを送るだけでは、不十分だ。たった一人でもいいから、あなたと反対の意見を持つ人に、我々の社会に存在する肥大化した金融センターの危険性に気づいてもらえれば、それだけでもあなたは大きな貢献を果たしてことになる」のだという。

シャクソンの世界観では、イギリスは右派(保守派)と左派(リベラル)の政治イデオロギーで分断されているのではなく、いま起きているのは「金融化および金融の呪いを支持する者」と、「金融を社会に貢献する本来のものとして、元のあるべき姿に戻すことを熱望する者たち」との闘いになる。

この単純な「善悪二元論」にどの程度の実効性があるのか私は懐疑的だが、現実に、国際社会に一定の影響力をもち始めている以上、その動向を無視することはできないだろう。

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