小説『HACK(ハック)』発売のお知らせ

世界はHACKされるのを待っている
バグだらけのシステムだ

欠陥(バグ)があるから
侵入(ハック)する、だけ。

今度の「マネーロンダリング」は、暗号資産(=仮想通貨=クリプト)! これが令和の冒険ミステリーだ!!

橘玲11年ぶりの書き下ろし長編。

新刊『HACK(ハック)』が幻冬舎から発売されます。発売日は22日(水)ですが、都内の大手書店などでは今日の夕方から並びはじめるところもあると思います(電子書籍も同日発売です)。

長らくお待たせしましたが、『マネーロンダリング』(2002年)、『永遠の旅行者』(2005年)、『タックスヘイヴン』(2014年)につづく、国際金融ミステリーの4作目になります。シリーズを読んできた読者は、なつかしい登場人物にも出会えます。

今回の舞台はタイのバンコク。暗号資産で得た利益への課税を逃れて東南アジアで暮らすハッカーの樹生(たつき、30歳)は、安宿で沈没している情報屋と出会い、ちょっとした好奇心から特殊詐欺の捜査にかかわることなる。そんな樹生に、スキャンダルを起こして日本を追われ、バンコクの闇社会に拾われた元アイドルの咲桜(さら)が接触し、クリプト(暗号資産)を駆使した国際的な「陰謀世界」へと迷い込んでいく……という物語です。

20代の頃に夢中になったハードボイルド小説をもういちど読みたいと思って書きました。楽しんでもらえたらうれしいです。

『HACK』の舞台を体験できるPHOTOツアーのページをつくりました。
本を読みながら、「どんなところだろう」と思ったら見てください。

旧ユーゴスラビアの民族紛争はいかにして始まったか(後編)

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2015年9月公開の記事です。(一部改変)

NATOの空爆を受けたベオグラードの国防省ビル/Best smile studio/Shutterstock

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1990年代に旧ユーゴスラビアで起きた凄惨な民族浄化の背景には、半世紀前のナチス占領下での「歴史の記憶」があった。ナチスの傀儡国家「クロアチア独立国」の極右民族主義団体ウスタシャの「民族浄化」の標的とされたのは、ユダヤ人、ロマ、そしてセルビア人だった。

参考:旧ユーゴスラビアの民族紛争はいかにして始まったか(前編)

第二次世界大戦後、ユーゴスラビアは対独パルチザン(人民解放軍)を率いたチトー(ヨシップ・ブロズ・チトー)によって再統一され、スターリンのソ連と距離を置いた独自の社会主義(自主管理社会主義)によって1970年代には東欧諸国随一の繁栄を謳歌した。だが1980年5月にチトーが死ぬと、民族主義の台頭によってユーゴ社会はふたたび動揺しはじめる。

今回も東欧史・比較ジェノサイド研究の佐原徹哉氏の『ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化』(ちくま学芸文庫)に依拠しながら、この時期、「歴史の記憶」がセルビアとクロアチアでどのように“修正”されていったのかを見ていこう。

肛門にビール瓶が突き刺さった農夫

1985年5月1日、コソボに住むセルビア人農夫ジョルジェ・マルティノヴィチが肛門にビール瓶が突き刺さるという尋常ならざる状態で病院に担ぎ込まれた。

コソボはセルビア、マケドニア、アルバニア、モンテネグロに囲まれたバルカン半島の内陸部にあり、歴史的にはセルビア王国発祥の地とされているが、1981年の人口調査では域内のアルバニア人の人口が77%(122万6736人)に達し、13%(20万9498人)のセルビア人は圧倒的な少数派になっていた。

こうした人口構成の変化は、アルバニア人の出生率がセルビア人よりも高かったことと、貧しいコソボから人口流出が進んだためだった。コソボのセルビア人はセルビア共和国本土に比較的容易に移住できたが、アルバニア人はどこにも行き場がなかったのだ。

多数派となったコソボのアルバニア人は、補助金の増額や自治州の地位向上を要求してたびたび暴動を起こし、そのたびに自治州の権限が拡大されてきた。だが1981年の暴動では、自治州から共和国への“独立”を要求したことで逆にユーゴ中央政府から激しい弾圧を招くことになった。

その後、コソボのセルビア人が、独立を企むアルバニア人から迫害を受けているとの報道がセルビア本土のメディアで流されるようになり、両者の緊張は高まっていた。まさにそのときに、セルビア人の農夫が異常な状況で病院に運ばれてきたのだ。

当初、マルティノヴィチはアルバニア人2人に襲撃されたと証言したため、これにメディアが飛びついて大騒ぎになった。だが彼の証言は二転三転し、襲ったというアルバニア人も特定されなかったことから、コソボ自治州政府の捜査官は特殊な性癖による自傷事故で、アルバニア人犯人説はそれを隠すための狂言だと判断した。

ふだんならたんなる笑い話としてすぐに忘れ去られるはずのこの出来事は、しかし、思いもよらない展開を見せる。 続きを読む →

リストカットは自己セラピー(週刊プレイボーイ連載659)

日本だけでなく欧米諸国を中心に、若者の自傷行為が大きな社会問題になっています。しかしなぜ、リストカット(リスカ)のような無意味な(すくなくとも、なにひとつ利益がなさそうに見える)ことをするのかよくわらず、自己顕示欲が強すぎてかまってもらいたいのだとか、薬物の使用の影響とか、ある種の精神疾患によるものとか、さまざまな否定的なレッテルを貼られてきました。

この謎を解くために、2010年から13年にかけてハーバード大学の研究者グループが、自傷行為の経験がある被験者を対象に、両手を氷水につけたり、電気ショックの痛みを与えたりする実験を行ないました。

その結果発見されたのは、痛みが止んだときの安堵感のために、その痛みが与えられる前に感じていたよりも気分がよくなることでした。この効果は、「痛み後の多幸感」と名づけられました。

興味深いのは、同じ効果が自傷行為をしたことのない対照群でも確認されたことです。どうやらほとんどのひとが、痛みを感じたあと、それが消失するとともに心地よさを感じるようなのです。

イヤなことがあったときに、無意識に腕や足の皮膚を引っかいたりすることはありませんか? 自傷行為もこれと同じで、より強い「pain-offset relief(痛み消失による心地よさ)」の効果を得るために、カミソリやカッターの刃を使っているのです。

脳は、身体的な痛みと感情的な痛みを区別しません。だから、身体的な痛みが治まると、こころの痛みも治まったように感じるのです。いじめや失恋などをきっかけに自傷行為は始まりますが、それは自殺衝動の一種ではなく、痛みに対処しようとする行動だったのです。

問題を深刻にするのは、脳が原因(刺激)と結果を結びつけようとすることです。

「痛みが緩和された心地よい状態」を得るために毎回同じ刺激(リストカット)を用いていると、やがてその刺激と痛みの緩和が関連づけられます。そうなると、ささいな不安(こころの痛み)でも自傷行為で軽減せずにはいられなくなり、腕が傷跡だらけになってしまうのです。いわば「リスカ依存」です。

その後の研究で、自傷行為の経験者はそうでないひとに比べて、両手を氷水に長い時間つけていられることがわかりました。自己評価が低く、自分自身を批判的に見ているひとほど、より長い時間痛みを我慢しようとするばかりか、痛みそのものが気分を改善させるという研究もあります。

痛みへの耐性が強いことは、痛みを感じる経験をすることへの心理的なハードルの低さを説明します。「自分は罰を受けて当然だ」と思っているのなら、自分に痛みを与えること自体がある種の快感になってしまうのかもしれません。

これらの研究が示唆しているのは、自傷行為の最中に経験される痛みと、それにつづく痛みの緩和が、ネガティブな気分の減少とポジティブな気分の増加をもたらすという不穏な結果です。リストカットは、つらい日常をすこしでも生きやすくするための自己セラピーの一種だったのです。

参考:モンティ・ライマン『痛み、人間のすべてにつながる 新しい疼痛の科学を知る12章』塩﨑香織訳/みすず書房

『週刊プレイボーイ』2025年10月6日発売号 禁・無断転載