「加速するテクノロジーの融合」がすべての社会問題を解決する? 「合理的な楽観主義者」の論理

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年1月14日公開の「「加速するテクノロジーの融合」によって あらゆる格差はなくなり、すべての社会問題は解決できるのか?」です(一部改変)。

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「世界はどんどんよくなっているのか、それとも、どんどん悪くなっているのか?」この問いがいま、深刻な思想的対立を引き起こしている。世界がどんどんよくなっているのなら、その流れを加速させればいい。どんどん悪くなっているのなら、体制(システム)を根本的につくり変える必要がある。どちらを信じるかによって政治的立場が正反対になるのだ。

アンドリュー・マカフィーはマサチューセッツ工科大学(MIT)スローン大学院首席リサーチ・サイエンティストで、同僚のエリク・ブリニョルフソンとの共著『機械との競争』( 村井章子訳、日経BP)で、「人間はコンピュータとの競争に負けはじめている」と述べて大きな衝撃を与えた。ところがそのマカフィーは、新著の『MORE from LESS(モア・フロム・レス) 資本主義は脱物質化する』( 小川敏子訳、日本経済新聞出版)では、悲観から楽観へと大きく展望が変わったようだ。その理由は、より少量の資源(LESS)から、より多くのもの(MORE)を得られるようになったからだ。

経済成長すると資源消費量が減る

30年前(1991年)の家電量販店ラジオシャックの広告には15種類の携帯端末型の電子機器が並んでいた。ところがいまや、計算機、ビデオカメラ、クロックラジオ、携帯電話、テープレコーダーなど13種類がポケットサイズの1台のスマホに収まっている。そればかりか、コンパス、カメラ、気圧計、高度計、加速度計、GPS機能、あるいは大量の地図帳やCDまで、広告に出ていなかった多くのものが加わっている。

産業革命から1970年代まで、工業化にともなって、エネルギーや資源(鉄、アルミニウム、肥料など)の消費量は一貫して経済成長のペースを上回っていた。ひとびとがよりゆたかになろうとすれば、より多くの資源を消費することになるのだから、いずれは地球の有限の資源を使い尽くしてしまうだろう。こうして1970年に第1回アースデイが開かれ、72年にローマクラブが「人間は幾何級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」として「成長の限界」を警告し、リサイクルや環境保護運動(「大地に帰れ」)がブームになった。

ところが奇妙なことに、1970年頃を境にして、アメリカでは経済成長は続いているのに資源の消費量が減りはじめた。のちに他の先進国や、中国のような新興国でも同じことが起きていることがわかった。

最初にこのことに気づいたのは経済学者のジュリアン・サイモンで、1981年の著書で「私たちは『窮乏時代に突入』したのだろうか? 水晶玉の占いなら、なんとでも言えるだろう。だが最高水準のデータは、ほぼ例外なく……その正反対を示している」として、稀少であればあるほど価格が上がるという経済の基本的な事実を指摘した。

価格の急騰は創意工夫をかきたて、より多くの資源を探すか、代替できる新たな資源を見つけようとするだろう。利潤を最大化しようとするこうした努力によって、稀少性が緩和されて価格が下がる。資源価格は上昇と下落を繰り返すだけで、枯渇するようなことにはならないのだ。

次いで環境科学の専門家ジェシー・オースベルが、資源の「価格」ではなく「量」に注目した。1987年のある晩、仕事仲間の物理学者から「建物は軽くなっているだろうか?」と尋ねられたことをきっかけ調査を始めたオースベルは、建物の重量だけでなく多くのものの「物質集約度」が高まっていることを発見し、これを「脱物質化(dematerialization)」と呼んだ。

建築家で発明家のバックミンスター・フラーは1968年の著書で、「多くの計算を重ねた末に、私は確信を抱くようになった。ごくごく少量で非常に多くの目的を果たせるようになり、すべての人のニーズを満たせる可能性がある。1921年、私はこれを『エフェメラリゼーション』と名づけた」と記している。これは「より少ない物的資源を――より少ない分子を――取り出して、人類の欲求を満たせる」ことで、「脱物質化」の発見とされる。

オースベルはその後も調査を重ね、2015年の論文「自然の復活――テクノロジーはいかに環境を解放するか」で、アメリカ人がより少ない資源を消費するようになったことと、スチール、アルミニウム、銅、肥料、スズ、紙などの消費量が減少していることを、じゅうぶんな証拠をあげて明らかにした。「それ以外のすべてをひっくるめたアメリカの年間総消費量は、1970年の第1回アースデイ以前は年々急増していたが、それ以降はいったんピークに達し、それから減少に転じていた」というのだ。

その後、イギリスの研究者が同様の傾向を確認し、「経済活動で使われるものの重量と最終的に廃棄される重量はどちらも、2001年から2003年にかけて、どこかの時点で減少に転じた」と指摘した。

オースベルの論文を読んだとき、マカフィーは「まさか、これが正しいはずがない」と思った。経済が成長すれば資源消費量が増えるに決まっているからだ。だがこれをきっかけに自分の思い込みに疑問を抱くようになり、「結局きっぱりと考えを改めた」のだという。

環境保護運動は環境を悪化させる

本書にはMORE from LESSの実例がたくさん出てくる。たとえば、1982年にはアメリカの農地の合計は約3億8000万エーカーに達したものの、その後の10年で農地は減少の一途を辿っている。1982年から2015年までに自然に戻った農地は4500万エーカーで、ワシントン州に匹敵する広さになるが、それにもかかわらず作物の総重量は35%あまり増えた。より多くの肥料を投入したからだと思うかもしれないが、同じ時期、三大肥料のカリウム、リン酸、窒素はいずれも絶対的な使用量が減少している。

同じ広さの土地、同じ量の肥料と殺虫剤、同じ量の水からより多くの作物が得られるという“奇跡”をもたらしたのは、遺伝子組み換え作物の普及だ。マカフィーは、環境保護派の主張(思い込み)に反して、遺伝子組み換えのテクノロジーは地球環境の保全に大きな貢献をしていると述べる。

その一方で、環境保護活動家やネイチャリスト(自然主義者)に評判のいい「大地に帰れ」運動は、実際には環境にやさしくない。小規模農業は産業化・機械化した大規模農業に比べ資源を効率的に使えないし、田舎に移り住んで昔ながらの方法で石炭や薪を家の暖房や炊事に使えば、さらに環境に害を及ぼすことになる。田舎暮らしよりも都市や都市近郊での暮らしのほうが、環境に与える負荷はずっと少ないのだ。

遺伝子組み換え作物の安全性については、強力な科学的コンセンサスがある。2016年、米国科学アカデミー委員会は、およそ1000の研究を精査したうえで、「こうした(遺伝子組み換え)作物は、従来作物と比べて健康被害のリスクが高いとは認められない」と結論づけた。イギリス王立協会、フランスやドイツの科学アカデミーなどの組織も同様の調査を行ない、いずれも同じ結論に達している。

「遺伝子組み換え作物はウイルスや害虫への耐性が高く、日照りと暑さに耐え、肥料は少量ですむなど、さまざまな特徴がそなわるように開発されてきた。緑の革命を継続するために大いに役立ち、近年の農業の脱物質化――より少ない土地、水、肥料、除草剤からより多くの収穫を得る――を進めるためにも力を発揮する」

それにもかかわらず、EU加盟国を筆頭に38カ国もが、農家が遺伝子組み換え作物を栽培することを許可していない。ゴールデンライス(ビタミンA前駆体のβ-カロテンをつくるよう遺伝子操作されたコメ)は新興国で普及せず、毎年約50万人の子どもがビタミンA不足から失明し、失明によって1年以内に半数が亡くなっているという。

地球温暖化対策にも同じような矛盾がある。ドイツは国をあげて「エナギーヴェンデ(エネルギー転換)」に取り組み、日本が目指す理想とされるが、「2000年以降、消費者に請求される電気代は倍増し、二酸化炭素排出量は横ばい、むしろ近年は増えている」という。高額な費用を必要とする風力発電と太陽光発電に多大な投資をする一方、原子力発電を着実に減らしてきているためで、風力や太陽光による発電量が足りない分を石炭発電所に頼らざるを得なくなり、その結果、電気代が上がって二酸化炭素排出量が増えるという悪循環に陥っているのだ。

こうした事情は日本も同じで、風力発電は北ヨーロッパの北海沿岸部など強い偏西風が吹くところでないと安定した発電はできないが、この条件に該当するのは北海道最北部だけだ。太陽光発電は日照時間が長いスペインなど地中海沿岸に適しているが、それより北に位置するドイツでは費用対効果が落ちる。日本は緯度は同じだがモンスーン気候のため曇天や雨天が多く日照率は低い。代替エネルギーのなかで日本にもっとも豊富にあるのは地熱だが、これは温泉観光地と利害が対立するため開発が困難になっている。政策的に風力や太陽光にシフトさせようとすれば、ドイツと同様に、電気料金が上がるだけになりそうだ。

だったらどうすればいいのか。ここでもマカフィーの答えはテクノロジーで、二酸化炭素を減らす最良の政策は「核エネルギーの活用・促進」だという。これは奇矯な意見というわけではなく、最近では熱心な環境活動家のなかからも、「風力や太陽光では温暖化問題は解決できないのだから原子力発電にシフトすべきだ」との主張が出てくるようになった。

「平等だが不公平」か「公平だが不平等」か

資本主義と産業革命によって工業化時代に資源消費量が大幅に増えたが、いまやそれと同じもの(資本主義とテクノロジーの進歩)が脱物質化を引き起こし、「セカンド・エンライトメント(第二啓蒙時代)」とも呼ぶべき希望に満ちた世界が到来した。「テクノロジーの進歩と資本主義はたがいを強化し、経済規模はさらに拡大してひとびとはゆたかになっているが、その一方で天然資源の消費量には歯止めがかかり、脱物質化というまったく新しい現象が起きた」とマカフィーはいう。わたしたちは「地球に負荷をかけずにゆたかになれる」のだ。

とはいえ、なにもかもうまくいっているわけではない。なかでも悩ましいのは、一部の(あるいはかなり多くの)ひとたちが、「資本主義とテクノロジーの好循環」から脱落しつつあることだ。これが中間層の崩壊であり、経済格差の拡大だ。マカフィーは、次のような“MORE from LESSの未来”を描いている。

 経済成長は堅調で包括的制度を維持する。テクノロジーの進歩は目覚ましく、その破壊的な威力で既存の業界をひとつまたひとつと崩壊させる。さまざまな形で集中が進み、より少ない土地からより多くの作物の収穫を、より少ない天然資源でより多くの消費を、より少ない工場でより高い生産性を、より少ない企業で売上と利益のアップを実現する。スーパースター企業の経営陣は莫大な富と収入を得る。中流層の収入はかなり減る。そして一部の労働者は困難に直面する。働いていた工場と農場が閉鎖され、新しい工場も農場もオープンしない。働き口は都市とサービス業に集中する。富と収入の不平等は大きくなる。

じつはこのシナリオでは、不当なことはなにも起きていない。一部の(リベラルな)エリートが結託して制度やシステムを好き放題にしているわけではないし、グローバル資本主義(あるいはフリーメーソンやディープステート)の「陰謀」が世界を支配しているわけでもない。

しかしその一方で、多くのひとの仕事がなくなり、コミュニティが衰退し、これまでの生き方を維持できなくなる現実がある。彼らの「こんなはずではなかったと」いう思いは、スマホの性能がいくらよくなっても埋め合わせられないだろう。

これについてマカフィーは、「公平」と「平等」は異なるという。これを50メートル競走で説明してみよう。

  1. 公平:全員が同じスタートラインに立ち、一斉に走り出すが、足の速い子から遅い子まで、結果は平等にはならない。
  2. 平等:足の遅い子は前から、速い子は後ろからスタートし、全員が同時にゴールするが、競争の条件は平等ではない。

子どもたちの足の速さ(身体能力)に生得的なちがいがあるならば、公平と平等を両立させることはできない。公平にしようとすると不平等になり、平等にしようとすると不公平になるのだ。

近年の経済学や心理学は、「問題は不平等が大きくなることではなく、不公平のほうだ」とする。心理学者たちは、「経済的な不平等が人を苦しめることを示す根拠はない……人間は生まれながらに、平等ではなく公平な配分を好む。平等か公平かのどちらかを選ぶとしたら、平等だが不公平な状態よりも、不平等だが公平な状態を選ぶ。これは臨床研究、異文化研究、乳幼児の実験結果で明らかだ」と述べている。問題なのは経済格差の拡大ではなく、多くの人が「自分は公平な扱いを受けていない」と感じていることなのだ。

それに加えて、移民の増加、ジェンダーの平等、同性婚合法化など、社会の多様化が進んでいることがさらなる混乱を招いている。「最近の一連の研究で、調査対象とした国すべてでこうした多様性の増加にどうしても耐えられない人々がかなりの割合で存在することがあきらかになった」からだ。このひとたちは、「すべての場所で何もかもが同じでなければ気がすまない。信条、価値観、習慣などが揃っていることを重視する。中央が強い権限を持ち、それに皆が従順にしたがうことを支持する傾向が強い」とされ、「権威主義的人格」と呼ばれる。アメリカ社会を見ればわかるように、分断は「多元主義(リベラル)」と「権威主義(保守)」の対立から生じるのだ。

このやっかいな問題についてマカフィーは、「この流れを変える方法は、まだ見つかっていない」とするだけで、態度を保留している。「工場が閉鎖され農場が休閑地になったコミュニティに、よい仕事と社会関係資本をどうしたら取り戻せるのか。はっきりとした答えはない」というのだ。

これから100年で2万年分の技術変化を経験する

ピーター・ディアマンディスはシンギュラリティ大学創立者で、最先端のテクノロジーを使ったさまざまなコンテストを行なうXプライズ財団CEOでもあり、「アメリカを代表するビジョナリーの1人」とされる。そのディアマンディスとジャーナリストのスティーブン・コトラーの共著が『2030年 すべてが「加速」する世界に備えよ』( 山本康正、土方 奈美訳、NewsPicksパブリッシング)で、原題は“The Future Is Faster Than You Think: How Converging Technologies Are Transforming Business, Industries, and Our Lives(未来はあなたが思っているよりも速い テクノロジーの融合はどのようにビジネス、産業、そしてわれわれの人生を変えるのか)”。

この本のキーワードは「エクスポネンシャル(指数関数的)」と「コンバージェンス(融合)」だ。これによって、10年後にはサイエンス・フィクションが「サイエンス・ファクト」になるという。

量子コンピュータ、人工知能(AI)、ロボティクス、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、材料科学、ネットワーク、センサー、3Dプリンティング、拡張現実(AI)、仮想現実(VR)、ブロックチェーンなど、テクノロジーのさまざまな領域で指数関数的な進歩が続いている。だがそれだけではなく、こうしたテクノロジーが融合することで、驚くような変化が引き起こされる。

「空飛ぶ車」がこれまで実現できなかったのは、ヘリコプターのような単一の巨大なローター(回転翼)では騒音がひどく安全性にも問題があるからだった。しかしいまでは、機械学習の進歩、材料科学のブレークスルー、3Dプリンティングなどテクノロジーのコンバージェンスによって、複数の小さなローターを組み合わせる「分散型電気推進力(DEP)」が可能になった。機能性の面では、ガソリンエンジンの熱効率が28%なのに対して、この電気エンジンは95%だ。

超高精度のセンサーでギガビット単位のデータを取り込み、AI革命によってその膨大なデータをマイクロ秒単位で処理し、機体を安全に制御する。新世代のリチウムイオン電池は大きな出力と長い持続時間を可能にし、3Dプリンターによる大量生産は価格を大幅に引き下げるだろう。映画『ブレードランナー』のような世界が目の前にあるのだ。

「エクスポネンシャル+コンバージェンス」は仮想現実、拡張現実、ブロックチェーン、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー(CRISPR-Cas9)などの分野で加速を「加速」させており、やがて「すべてが生まれ変わる」世界がやってくる。小売業、広告、エンターテインメント、教育、医療、金融、農業(食料)まで、わたしたちの生活を取り巻くすべてにとてつもない大変化の波が押し寄せてくるのだ。

人間の脳はローカル(地域的)でリニアな環境で進化してきたが、「われわれが生きている世界はグローバルでエクスポネンシャルだ」だとディアマンディスはいう。シンギュラリティ(技術的特異点)を唱える未来学者レイ・カーツワイルは、「われわれはこれから100年で、2万年分の技術変化を経験することになる」と述べる。「これから1世紀で、農業の誕生からインターネットの誕生までを2度繰り返すくらいの変化が起こる」のだ。

さらにディアマンディスは、これから「5つの大移動」が始まるという。気候変動による7億人の移住、都市への大規模な移住、バーチャル世界(仮想現実、拡張現実)への移住、宇宙への移住、「個人の意識」のクラウドへの移行だ。

こうしたとてつもない変化に適応するのは、誰にとっても容易なことではない。だからこそ、「荒っぽいドライブ」で振り落とされないようにシートベルトをしっかり締めて、未来世界に備えなければならないのだ。

全人類が一つになって思考する「メタ知能」の誕生

「加速するテクノロジーの融合」によってこれからいったいなにが起きるのかは本書を読んでいただくとして、ここで気になるのはやはりその「負の側面」だ。

これに対してディアマンディスは、テクノロジーの影響で雇用が消滅したとしても、それを上回る新たな雇用が創出されるとして、「これからの10年で、これまでの1世紀を上回る富が創造される」と楽観的な予想を述べる。

チェスのチャンピオンはもはやAIにかなわないが、人間のチェスプレイヤーとAIのチームは、AI単体を打ち破ることができる。AIによって人間の仕事が置き換えられるのではなく、もっとも生産性が高まるのは、人間が機械の性能を引き出したときなのだ。だからこそ労働者を迅速に再教育し、高度な知能を持つ機械を使いこなすことのできる人材を養成しなければならない――とされる。

だがこの話はすでに30年ちかくいわれ続けており、アメリカの社会状況を見てもわかるように、教育はさしたる成果をあげていない。仕事を失ったトランプ支持の白人労働者をいくら「再教育」しても、シリコンバレーで働けるようにはならない。

そこでディアマンディスは、脳に直接働きかけることで知能を強化するテクノロジーに期待をかける。たとえば、経頭蓋直流電気刺激法(tDCS)でフロー状態の変化を人工的に生み出すと、通常であれば正答率は5%に満たないテストで被験者の40%が問題を解くことに成功した。脳刺激療法で学習や記憶保持にかかわる神経回路を刺激することで、記憶能力を30%増強できるとの研究もある。

だが現在行なわれている脳深部刺激法は、「小型トラックぐらいの大きさの指で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番を弾こうとするようなもの」だという。電極を外科手術で埋め込むと、脳がそれを異物と認識するため、相当な薬物投与が必要になるという問題もある。

チャールズ・リーバーは、エレクトロニクス材料を使ってナノスケールのメタルメッシュ(金網)をつくった。このメッシュを丸めてシリンダーの中に詰め、それを注射器に吸い込んでマウスの海馬に注射したところ、1時間も経たずにメッシュは元の形に広がり、周辺組織へのダメージはいっさいなく、マウスの脳の状態が手に取るようにわかるようになった。マウスの免疫系はメッシュを異物として攻撃するのではなく、ニューロンがそこに取りついて増殖しはじめたのだ。

これがブレイン・コンピュータ・インターフェイス(BCI)で、「バイオテクノロジー、ナノテクノロジー、材料科学などほぼすべてのテクノロジーの交差点」とされる。BCIによって脳とインターネットを接続できるようにすると、思考がそのまま相手につながるテレパシーが可能になる。

これは夢物語ではなく、EEG(脳波図)をベースとした旧式のBCIでも、フランスとインドにいる被験者はメッセージに相当する光の点滅を正確に読み取ることができた。これは2014年の実験だが、2016年にはEEGヘッドセットを使ってテレパシーでビデオゲームをプレーし、2018年には頭で考えるだけでドローンを操縦できるようになった。

次のステップは、人間の脳をクラウド経由でシームレスにインターネットにつなぐことだ。これによって、「クラウドベースの集合意識への移行」が可能になる。「真の冒険とは宇宙に出ていくことではなく、自らの心に分け入ること」だとディアマンディスはいう。

「自分の脳をクラウドに接続すれば、私たちの処理能力と記憶能力は大幅に高まる。そして少なくとも、理論的には、インターネット上で地球上のあらゆる頭脳にアクセスできることになる」。このようにして、全人類が一つになって思考する「メタ知能」が誕生するのだ。

このようなSF的未来が実現すれば、もはや一人ひとりの生得的な知能の差はなんの意味もなくなり、あらゆる格差は消滅するだろう。あと10年でどこまで進むのかはわからないが、テクノロジーの加速をさらに「加速」させ、「融合」させていくことですべての社会問題は(いずれ)解決できるというのが、「合理的な楽観主義者」の未来予測になるようだ。

禁・無断転載

メディアはなぜ、トランスジェンダーと敵対するフェミニストについて触れないのか? 週刊プレイボーイ連載(582)

トランスジェンダーが戸籍上の性別を変える際に必要とされていた「生殖能力を失わせる」手術を、最高裁が違憲と判断しました。近年、日本の司法はグローバルスタンダードに判断を合わせる傾向がありますが、これもそうした「リベラル化」のケースと考えていいでしょう。

ただし判決では、「生殖腺がないか、その機能を永続的に欠く」という生殖不能要件を不要としたものの、「変更する性別に似た外観を備えている」という外観要件については十分に審理が行なわれていないとして、高裁に差し戻しました。

(生物学的には女として生まれたが性自認が男の)トランス男性は、これまでも男性器の形成を求められておらず、生殖不能要件を否定したこの判決によって、身体に大きな負担をかける手術なしで「自分らしい」ジェンダーで生きることができるようになりました。

これには多くのひとが同意するでしょうが、メディアは「トランスジェンダー問題」の核心に触れるのを避けているようです。トランスジェンダーの権利を否定するのは頑強な保守派とされていますが、リベラル対保守のわかりやすい対立の構図では、手術なしのジェンダー移行に強硬に反対しているのが(一部の)フェミニストであるという事実が理解できません。「反トランスジェンダー」の活動家は、「トランス排除的ラディカルフェミニスト(TERF:ターフ)」という蔑称で呼ばれています。

TERFは左派(レフト)なので、すべてのひとが「自分らしく」生きることを当然としています。それにもかかわらずなぜトランスジェンダーと敵対するかというと、手術なしのジェンダー移行が女性(とりわけ10代の少女など)への性暴力の脅威になると考えているからです。

これは逆にいうと、女性に対する脅威がなければ、トランスジェンダーの権利は完全に認められるということです。トランス男性(その多くは元レズビアン)の場合、性自認が女から男に変わったとしても、性暴力の脅威が増すことはありません。

(生物学的には男として生まれたが性自認が女の)トランス女性でも、性的指向が男性(ゲイ)なら、ジェンダー移行後は「異性愛者」になるので、女性にとってなんの脅威もありません。トランス男性と、「異性愛者」のトランス女性は、TERFにとっては「問題」ではないのです。

だとしたらどこで揉めるかというと、トランス女性のなかに、結婚して子どもを何人もつくったあとに自分のアイデンティティが「女」であることに気づくひとたちがいることです。こうしたケースを研究者は、「オートガイネフィリア(自分に向けられた女性への愛)」と名づけました。

オートガイネフィリアは学問的に確立された概念ではなく、この言葉を使うこと自体が「トランス差別」とされることもありますが、トランス女性のなかに性的指向が(おそらく)女性の「同性愛者」のタイプがあることは否定できません。

更衣室や公衆トイレが欧米で深刻な論争になっているのは、トランスジェンダーすべてではなく、オートガイネフィリアが「悪魔化」されているからです。この事実を「差別」や「偏見」として黙殺するのではなく、そろそろ日本のメディアも、この難しい問題についてちゃんと論じるべきでしょう。

参考:アリス・ドレガー『ガリレオの中指 科学的研究とポリティクスが衝突するとき』鈴木光太郎訳、みすず書房

*オートガイネフィリアについては『世界はなぜ地獄になるのか』でより詳細に論じたので、あわせて参考にしてください。

『週刊プレイボーイ』2023年11月6日発売号 禁・無断転載

わたしたちはなぜ、知能の遺伝を認められないのか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2019年1月31日公開の「「学力は教育によって無限に開発できる」というのはフェイクニュース 一般知能は77%という高い遺伝率を誇る「遺伝的な宝くじ」である」です(一部改変)。

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日本における行動遺伝学の第一人者、安藤寿康さんとの対談『運は遺伝する 行動遺伝学が教える「成功法則」』が発売されました。

ここで書いたことはその後、『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』として まとめています。

あわせてお読みいただければ幸いです。

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知能についての(誰もが知っている)「不都合な真実」は、それが人生において大きな影響力を持つことだ。あらゆるデータが、社会的・経済的成功が一般知能(IQ)と強く相関することを示している。

このことは近刊の『もっと言ってはいけない』(新潮新書)で書いたが、もちろんIQですべてが決まるわけではない。社会知能(コミュ力)や感情知能(共感力)など、生きていくのに大切な「知能」はほかにもある。

だが、ここにも「不都合な真実」がある。社会知能=SQ(Social IQ)や感情知能=EQ(Emotional IQ)は、一般知能と強く関連づけられているのだ。

アメリカの進化心理学者ジェフリー・ミラーは、このことを『消費資本主義!』( 片岡宏仁訳、 勁草書房)で論じている。ミラーはニューメキシコ大学准教授で、創造的知能=CQ(Creative IQ)が性淘汰で進化したとする『恋人選びの心 性淘汰と人間性の進化』( 長谷川眞理子訳、 岩波書店)などの著作があり、SNSでは「リベラル」の神経を逆なでするような発言で知られる。

*その後、ジェフリー・ミラーとタッカー・マックスの共著『モテるために必要なことはすべてダーウィンが教えてくれた 進化心理学が教える最強の恋愛戦略』(寺田早紀、 河合隼雄訳、 ‎ SBクリエイティブ)の日本語版を制作した。

 「いいね!」の数で性格がわかる

ミラーは、人間の行動は6つの尺度で予測できるという。これが「中核6項目」だ。

中核6項目は、心理学でいうビッグファイブに一般知能(g因子)を加えたものだ。ビッグファイブは現代心理学の中心理論で、パーソナリティ(人格/性格)は「経験への開放性(O:Openness to experience)」「堅実性(C:Conscientiousness)」「外向性(E:Extraversion)」「同調性(A:Agreeableness)」「神経症傾向(N:Neuroticism)」の組み合わせで構成されているという。――その頭文字をとって「OCEAN」とも呼ばれる。

ミラーはここに一般知能(G)を加え、神経症傾向を「安定性(S:Stability)」に変えて「GOCASE(ゴーケイス)」という略語をつくった。

――と、ここまで読んで「人間の性格が5つの因子で説明できるなんてうさん臭い」と思っただろう。じつは私も、ずっとビッグファイブ理論には懐疑的だった。性格の特徴なんていくつもあるのだから、アカデミックな装いをした性格診断の類ではないだろうか。

だがこの疑いは、ある出来事によって粉砕された。それが、ケンブリッジ・アナリティカ事件だ。

ケンブリッジ・アナリティカ(Cambridge Analytica)はデータ分析を専門とする選挙コンサルティング会社で、EU離脱の是非を問うイギリスの国民投票やアメリカ大統領選で、Facebookから不正に取得した個人情報を利用してEU離脱派やトランプ陣営にアドバイスを行なったとして大問題になり、2018年5月に破産・解散した(これによってFacebookの時価総額は一瞬にして1000億ドル吹き飛んだ)。

選挙分析でケンブリッジ・アナリティカが用いたのが「マイクロターゲティング」で、SNSなどの個人情報から一人ひとりのパーソナリティを解析し、もっとも影響力を行使しやすい有権者=ターゲットを抽出して集中的に広告予算を投入する戦略を立案・実行したとされている。その理論的支柱として注目されたのが心理学者マイケル・コジンスキーだ。

2011年、ケンブリッジ大学で心理学を専攻していたコジンスキー(現在はスタンフォード大学ビジネススクール准教授)は、オンラインデータから回答者のパーソナリティを判断できるなら、面倒な心理テストは不要になるのではないかと思いついた。そして、ビッグファイブを使った標準的な性格診断テストをいくつか用意するとFacebookに投稿し、質問に答えてくれるようユーザーに呼びかけた。

この性格テストはまたたくまに拡散して何百万というデータが集まった。このビッグデータを統計的に解析したコジンスキーは、彼らの回答と「いいね!」のあいだに強い相関関係があることに気づいた。そして、心理テストを受けていなくても「いいね!」だけでユーザーの詳細な性格を診断できるアルゴリズムを開発したのだ。

コジンスキーは2013年、研究結果を論文にまとめて発表し、容易にアクセスできるデジタルの行動記録を利用することで、ユーザーの性的指向、民族、宗教的信条、政治的見解、さらには個人的特徴、知性、幸福度、薬物の使用、親の離婚の有無、年齢、性別まで迅速かつ正確に予測できると主張した。

コジンスキーによると、アルゴリズムを使った「人格」の理解は10の「いいね!」で同僚、70の「いいね!」で友人、150の「いいね!」で両親、250の「いいね!」で配偶者のレベルに達する。

なぜこんな奇妙なことになるのだろうか。それを知るには、「そもそも人格=性格とは何か?」から考えなくてはならない。

性格とは、相手について「気になること」の統計的平均

私たちはごく自然に、人格は自分の内面にあるものだと思っている。「当たり前じゃないか」というだろうが、これはほんとうだろうか。

「氏が半分、育ちが半分」というように、性格の背景に生得的な要因があることは間違いない。行動遺伝学によれば性格の遺伝率はおおよそ50%で、残りは環境要因だ。そして子どもの人格形成においては、親の子育て(共有環境)より友だち関係(非共有環境)の方がはるかに影響力の大きな「環境」であることがわかっている。

人格は、遺伝的要因と環境要因(友だち関係)の「相互作用」によってつくられていく。

「楽天的」な子どもや「おとなしい」子どもは、それぞれ親から受け継いだ異なる遺伝子を持っている。子どもは、外見や能力などの生得的な特徴をフック(手がかり)にして友だち関係のなかで固有のキャラをつくっていく。

その結果、「あの子は真面目だ」という評判が広まると、それが内面化されて真面目な性格になるし、「陽気で頼りがいがある」と評判の子どもはその期待を裏切らないように振る舞うだろう。「わたし」は、遺伝と環境(友だち関係)の「共進化」から生まれるのだ。

このように考えれば、性格というのは、他者の評価の「統計的平均」を内面化したものだということになる。

初対面の相手と会ったとき、評価するのはなんだろう? それはもちろん、「気になること」だ。

もともとビッグファイブは、1930年代に心理学者が収集した「人間の性格を記述する英語の形容詞」4500語から始まった。この大量の形容詞を分析すると、およそ5つにグループ分けできることがわかったのだ。

ミラーはこの5つに一般知能を加えるが、それは、他者があなたに(あなたが他者に)ついて、(外見を除けば)以下の「中核6項目」しか気にしないからだ。――それ以外にも「性格」はあるのかもしれないが、誰も興味がないから「言葉(形容詞)」にならない。

① 頭がいいか悪いか(一般知能)
② 新しいものに興味があるか、保守的か(経験への開放性)
③ 信頼できるか、あてにならないか(堅実性)
④ みんなといっしょにやっていけるか、自分勝手か(同調性)
⑤ 正気か、どうかしているか(安定性)
⑥ 明るいか、暗いか(外向性)

どうだろう。あまりにかんたんすぎると思うかもしれないが、この「中核6項目」以外に、相手についてどうしても知りたいことがあるだろうか?

はじめてのデートで「どんな曲が好き?」と訊くのはなぜ?

コジンスキーのアイデアは、フェイスブックの「いいね!」をこの「中核6項目」に関連づけることだった。これは、音楽の好みを使った実験がわかりやすい。

研究者は、アメリカの大学生74人に、ビッグファイブ性格質問票に回答してもらってから好きな曲上位10曲をあげさせた。次いでその10曲をCDにまとめ、8名の判定者に聴かせて、選曲した学生の性格を評価してもらった。この実験では、判定者は学生の性別や年齢、出身地や人種などについてなんの情報も与えられていない。

すぐにわかるように、これは音楽について「いいね!」10個を与えられたのと同じだ。

その結果は、ビッグファイブ特徴のうち4つで、判定者の評価は学生が自己申告した性格に有意に相関していた。相関係数は開放性0.47、外向性0.27、安定性0.23、同調性0.21で、堅実性は音楽からは予測できなかった。こうした相関は低く思えるかもしれないが、判定者が音楽の好み以外なにも知らないことを考えれば驚くべきものだ。

この高い精度をもたらしたのは、選曲者の好む音楽ジャンルと、曲の音響的特徴だという。情動の安定した学生はカントリー音楽を好んだし、外向的な学生はエネルギッシュで歌唱の多い音楽を好んだ。

このことは、演歌、Jポップ、オペラ、フリージャズが好きなひとを思い浮かべると、自然にその人物像が浮かび上がってくることからもわかるだろう。私たちはさまざまな手掛かりを使って、相手が何者かを読み取ろうとしている。初対面の異性に会ったとき「どんな曲が好き?」と訊くのは、それが相手の性格を知るよい指標になるからだ。

コジンスキーはこのアイデアをビッグデータを使って大規模に行ない、中核6項目と「いいね!」を結びつけるアルゴリズムを開発した。その結果、SNSのデータだけでほぼ完璧に性格(人格)が判定できるようになったのだ。

ちなみにこのアルゴリズムはケンブリッジ大学が公開しており、「Apply Magic Sauce」のホームページに自分のSNSのデータをアップロードすることで体験できる。

残念なことに日本語には対応しておらず、私が自分のTweetを読み込ませたところ「年齢24歳」となった。英語ベースでSNSを使っているひとは、試してみたら面白いだろう。

似ている相手と一緒にいると楽しい

ミラーは、中核6項目のなかで一般知能には際立った特徴があるという。それは、誰もが例外なく賢い相手を高く評価することだ。

古代や中世はわからないが、少なくとも産業革命以降の「知識社会」では、一般知能は相手を評価するもっとも重要な指標になった。「頭のいい」親族や友だちは社会的・経済的に成功する可能性が高く、彼ら/彼女たちと近しい関係にあることは生き延びるうえでとても有利なのだ。――これは新興国も同じで、たとえばフィリピンでは、自分の子どもよりきょうだいの子どもの成績が(際立って)高いと、甥や姪の学費を出して自分の子には進学をあきらめさせる(これは実際にフィリピンの大家族から聞いた)。

それに対してビッグファイブの性格には単純な優劣はなく、その代わり「類は友を呼ぶ」がはたらく。これは「引き寄せの法則」とも呼ばれていて、自分と性格特徴が似ている相手に魅力を感じる性向のことだ。

「経験への開放性」が高いと新奇なグッズや珍しい体験に強い関心を抱き、同じように開放性が高い相手と交際したり結婚したりする。同様に、開放性が低く保守的なひとは、自分と似ている保守的な相手を選ぶ。

なぜこのようになるかというと、自分と性格が似ている相手といっしょにいると楽しいからだ。開放性が高い者同士だと、最先端のガジェット、突飛なファッション、前衛的な音楽、芸術系の映画から海外の秘境まで、一般のひととは成り立たないような会話ができる。

開放性が低い(保守的な)ひとがそんな場に紛れ込んだら、ものすごく気まずい雰囲気になるだろう。このひとたちは、アメリカンフットボール(日本ならプロ野球)をテレビ観戦しながら家族や友人とだらだらビールを飲むような関係が心地いいのだ。

同様に、外向的なひとは活発なグループに、内向的なひとは図書館で長い時間を過ごすようなグループに入るし、同調性が高いひとは、自分たちのグループに同調性の低い(自分勝手な)人間が入ってくることを嫌う。

私たちは無意識のうちにビッグファイブの性格特徴を理解していて、TPOに合わせて(一定の範囲で)使い分けている。「学校では真面目そうなのに、街で友だちといるところに会ったらぜんぜんちがうキャラで驚いた」というのは、誰もが思い当たるはずだ。これが「印象操作」で、子ども時代から思春期にかけて習得する必須の対人技能だ。

相手や場面、目標に合わせてビッグファイブ特徴をあれこれ変えて提示することで円滑なコミュニケーションが成立する。これが困難だと「コミュ力が低い」といわれるのだろう。

現代社会で重要なのは一般知能と堅実性

ビッグファイブの性格には一般知能のような単純な優劣はないが、それでも現代社会での適応度にちがいはある。そのなかでも重要なのは「堅実性(真面目さ)」で、一般知能とならんで雇用主が従業員に求める二大特徴のひとつだ。

堅実性が低いと約束を守らないし、あっさり他人を裏切る。極度に低くなると、後先を考えない衝動性(疾患)の色合いが濃くなり、犯罪歴を重ねたりする。だったらなぜ堅実性の低い人間がいるかというと、ビッグファイブが形成されたであろう旧石器時代には、裏切りや衝動的行動は「利己的な遺伝子」にとってなんらかのメリットがあったからだろう。

次いで重要なのは「(情動の)安定性」で、これが低いと神経質になり、極端になるとうつ病や不安障害、パニック障害などのリスクが高くなる。それに対して安定性が高いと、「たいていいつも楽観的で、穏やかで、ゆとりがあり、挫折や失敗からすぐ立ち直る」。より重要なのは、高い安定性が幸福感と正の相関を示すことで、先進国では、所得や中核6項目の他のどの特徴よりも情動の安定性から全体的な人生の満足度が予想できる。

「外向性」は自尊心につながりリーダーシップに向いているが、内向的だから不利なのかというとそうでもなく、研究者やエンジニアなど一人でする専門職に向いている。

「同調性」は他人といっしょにやっていける能力で、共感などと相関する。同調性が低いのは一匹オオカミタイプで、「利己的」「自分勝手」などといわれることもあるが、芸術家や起業家に向いている。

「経験への開放性」が高いと新しもの好きで、政治的にはリベラルになる。開放性が低いと変化に抵抗し、伝統を尊重する保守主義になる。

知能(偏差値)は正規分布(ベルカーブ)するが、ビッグファイブの性格特徴も、多くは平均付近に集まり、極端なものほど頻度が下がる。精神的にものすごく安定しているひとと、とんでもなく不安定なひとに二極化しているわけではなく、私たちの多くはたいていは精神的に安定しているものの、ときどきパニックを起こしたりする。それに加えて、知能を含む中核6項目がかなりの程度独立していることもわかっている。

味覚には、甘味、塩味、酸味、うま味、苦味の5つの「因子」しかない(脂肪味、金属味を加えることもある)。だがその味は(微かな甘みからものすごく甘いものまで)正規分布しており、その組み合わせによって多様な味が生まれる。因子の数が少ないからといって、単純だということにはならない。

性格もこれと同じで、きわめて複雑でさまざまなタイプがある。正規分布する中核6項目には無数の組み合わせがあり、その微妙なちがいを私たちは(無意識のうちに)見分けて、一人ひとりに独立した人格(A君とB君はよく似ているけど、やっぱりちがうね)を与えるのだろう。

最強の性格の組み合わせとは?

ビッグファイブの性格には一長一短があるが、ミラーのいう「不都合な真実」とは、それらが一般知能と組み合わされたときに顕著な特徴を示すことだ。

現代社会でもっとも成功するのは、知能が高く、外向的で、堅実性と安定性が高いタイプだ。この組み合わせはリーダーに最適で、政治や経済の世界で大きな影響力をもつことになる。その一方で、知能が高く、内向的で、堅実性と安定性が高いタイプは研究者に向いており、ノーベル賞を取るような学者になるかもしれない。

同様に、知能と同調性が高いタイプは組織のなかで出世し、知能が高く同調性が低いタイプは起業家として成功する。知能と開放性が高いタイプはアーティストに向いており、知能が高く開放性が低いと(保守的だと)宗教など伝統的社会で頭角を現わすだろう。

最近登場した新種の知性も、一般知能にビッグファイブのなんらかの特徴を組み合わせたものとして理解できる。

社会知能(SQ)は「コミュ力」のことだが、これは一般知能・外向性・同調性の組み合わせでかなり予測できる。自閉症では一般知能はほんのわずか平均を下回るだけだが、外向性と同調性はひどく低下している。

感情知能(EQ)は「共感力」や「自己制御力」のことだが、情動の理解は一般知能と相関し、状況に合わせて自己を的確に制御する能力はそれに堅実性・安定性を加えたものだ。

創造的知性(CQ)は基本的に一般知能に開放性を加えたものに等しく、堅実性(勤勉さ・向上心)や外向性(社会的ネットワーキング)が加わると芸術家として大きな成功が期待できる。

さらにいうと、アメリカの認知科学者ハワード・ガードナーのいう「多重知能」も、一般知能と才能の組み合わせに分解できる。

運動知能は「一般知能+高い運動能力」、音楽知能は「一般知能+高い歌唱力・演奏力」の組み合わせで説明できるだろう。素晴らしい身体能力をもっていたとしても、それをどのように使えばいいかを教えてくれる「一般知能」がなければ、超一流のアスリートにはなれない。

このように「知識社会」においては、どのような性格・能力も高い一般知能と組み合わせることでなんらかのアドバンテージ(優位性)を獲得できる。

その影響力があまりに大きすぎるからこそ、現代社会(知識社会)では知能の(生得的な)ちがいに触れることはタブーになり、知能の高いリベラルほど「一般知能などない」と強弁するようになった。それは、自分たちの社会的・経済的成功が努力によるものではなく、たんに「遺伝的な宝くじ」に当たっただけだという事実(ファクト)を暴露されたくないからだろう。

知能のちがいを「学力」に偽装するのは、「学力は教育によって無限に開発できる」というドグマがあるからだ。これはもちろん欺瞞だが、「良心的」なリベラルはこのフェイクニュースを手放すことができない。一般知能が高い遺伝率を持つこと(行動遺伝学では60~70%とされている)を認めると、彼らが大切に守ってきた「政治的に正しい(ポリティカリー・コレクトな)」世界観が崩壊してしまうのだ。

このことをよく示しているのが、ミラーが出会ったというリベラルな理論物理学者だ。彼はミラーにこういった。

「どんな人間でも超ひも理論や量子力学が理解できますよ。しかるべき教育機会さえあれば」

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