大震災のあとに、人生について語るということ

東日本大震災から3週間が過ぎ、福島第1原発事故は予断を許さない状況ながら、街はすこしずつ平静を取り戻してきたように思えます。その一方で、いまだ多くの被災者の方が避難場所で不自由な生活を強いられており、その方々が1日も早く平穏な日常を取り戻せるよう祈るばかりです。

今回の震災とそれにつづく原発事故は、私にとっても衝撃的な出来事でした。

私はこれまで、自由とは選択肢の数のことだと、繰り返し書いてきました。なんらかの予期せぬ不幸に見舞われたとき、選択肢のないひとほど苦境に陥ることになる。立ち直れないほどの痛手を被るのは、他に生きる術を持たないからだ、というように。

私はこのことを知識としては理解していましたが、しかし自分の言葉が、想像を絶するような惨状とともに、現実の出来事として、目の前に立ち現われるなどとは考えたこともありませんでした。

津波に巻き込まれたのは、海辺の町や村で、一所懸命に生きてきたごくふつうのひとたちでした。彼らの多くは高齢者で、寝たきりの病人を抱えた家も多く、津波警報を知っても避難することができなかったといいます。

被災した病院も入院患者の大半は高齢者で、原発事故の避難指示で立ち往生したのは地域に点在する老人福祉施設でした。避難所となった公民館や学校の体育館で、氷点下の夜に暖房もなく、毛布にくるまって震えているのも老人たちでした。

被災地域は高齢化する日本の縮図で、乏しい年金を分け合いながら、農業や漁業を副収入として、みなぎりぎりの生活を送っているようでした。そんな彼らが、配給されるわずかなパンや握り飯に丁重に礼をいい、恨み言ひとつこぼさずに運命を受け入れ、家族や財産やすべてのものを失ってもなお互いに助けあい、はげましあっていたのです。

私がこれまで書いてきたことは、この圧倒的な現実の前ではたんなる絵空事でしかありませんでした。私の理屈では、避難所で不自由な生活を余儀なくされているひとたちは、「選択肢なし」の名札をつけ、匿名のままグループ分けされているだけだったからです。

大震災の後、書きかけの本を中断し、雑誌原稿を断わり、連載も延期して、そのことだけを考えてきました。いまだこたえは得られませんが、ブログを再開したのは、それでもまだ自分には伝えたいことがあると気づいたからです。

これからメディアでも、ネット上でも、復興支援のあり方や原発事故の責任問題、日本経済の先行きや財政問題などをめぐってさまざまな議論がたたかさわれることになると思います。もちろんそれは大切なことでしょうが、そうした賑やかな論争からはすこし距離を置いて、この大災害が私たち一人ひとりの人生に与える意味について考えてみたいと思っています。

ブログ休止中も、たくさんのコメントをお寄せいただき、ありがとうございました。これからも、忌憚のないご意見をお聞かせください。

橘 玲

お悔やみとお見舞い

東日本大震災でお亡くなりになられたみなさまのご冥福をお祈りします。

またご家族、ご友人を失われたみなさまに心よりお悔やみ申し上げます。

被災された多くの方々が、1日も早くこれまでどおりの生活に戻れますように。

あまりの惨状に言葉もありません。

日本の政治はなぜ痛々しいのか?

民主党政権がますます迷走している。個々の政治家の資質にはいろいろ言いたいことがあるだろうし、実際にいろいろ言われているので、ここではもうすこし構造的な問題を考えてみたい。

日本の政治でみっともないことがつづいているのは、そのいちばんの理由として、景気がさっぱりよくならないからだろう。これは、業績が低迷する会社(や部署)で、責任の押しつけ合いや足の引っ張り合いが起こるのと同じで、身につまされるひとも多いんじゃないだろうか。

そもそも「王」というのは、共同体を支配すると同時に、生贄として神に捧げられる存在でもある。ひとは因果律に基づいてものごとを判断するから、あらゆる災厄には原因があり、その原因を取り除けば不幸は去るはずだと考える。古代の農耕社会では、凶作がつづくと王は民衆によって殺されてしまった。文字どおり首をすげかえて、神に許しを請うたのだ。

日本社会では、不景気や円高、デフレ、格差社会、毎年3万人の自殺者など、ずっと災厄がつづいている。首相の首がどんどんすげかえられるのは、日本がいまだブードゥー社会だと考えれば当然のことだ。景気が回復するまで、私たちはこれから何十人もの首相の顔を見ることになるかもしれない。

もうひとつ見逃せないのは、小選挙区制の導入と時代の変化によって、派閥がなくなったことだろう。

「市場の倫理と統治の倫理」で書いたけれど、私たちの社会にはふたつの異なる倫理(行動規範)がある。このうちより根源的なのは統治の倫理で、ようするに戦国時代や三国志の世界なのだけれど、人間集団(くに)を階層化し、そのトップに「王」が座り、集団同士が覇権(なわばり)をめぐってあい争う。この構図は人類社会に普遍的なだけでなく、チンパンジーやニホンザルでも同様に観察できるし、イヌやオオカミなど集団で狩りをする動物も同じ行動原理に従っている。

「政治」というのは統治の倫理が支配する場だから、そこではボスを頂く集団同士が権力の座を奪いあうのが基本形だ。自民党と社会党が補完しあった55年体制では、どちらも党内に複数の派閥があり、合従連衡しながら骨肉の争いを繰り広げてきた。その様子は伊藤昌哉の『自民党戦国史』に活写されているけれど、つい30年前までは、日本の政界は戦国時代とまったく同じことをやっていたのだ。

中選挙区制では複数の派閥が候補者を擁立することができるから、候補者は党(幕府)よりも派閥(藩)に忠誠を誓う。この幕藩体制を小選挙区制の導入によって“近代化”しようとしたのが小沢一郎で、派閥を解体して党への中央集権化をはかる一方で、アメリカにおける共和党と民主党のように、党と党が異なる理念を掲げて対決する政治を目指した。私には小選挙区制が最良の選挙制度なのかどうか判断がつかないが、“派閥政治”の耐用年数がとっくに切れていたのは事実だろう。

ところがいざ派閥が機能を失うと、日本社会にはそれに代わる行動規範がないから、政治は大混乱に陥った。その間隙を突いて、天性のマキャベリストたる小泉純一郎が世論の支持を背景に「大統領型首相」という新しい統治のかたちを示したが、民主党はそれを全否定することで政権を奪取したため、従来の派閥政治に戻ることもできず、かといって小泉型のリアリズムを踏襲することもなく、「友愛」という無意味な標語(みんな友だちなんだから、話せばわかるよ)で政治を運営することになった。こうして予定調和的に、統治なき政権は崩壊していくことになる。

本来の二大政党制であれば、アメリカやイギリスのように政党は理念によって差別化されなくてはならないが、日本では政治家は理念よりも利害によって所属政党を選んでいるので、民主党も自民党も、構造改革派、伝統保守派、平等主義派など、本来であれば相容れるはずのないひとたちの寄り合い所帯になっている。そのため政権党内部で意見がまとまらず、その敵失を野党が利用しようとするから、すべてが底なしの混沌に落ち込んでいく。この構図は自民党が政権をとっても同じだから、なんど選挙をやってもむなしい茶番劇が繰り返されるだけだろう。

日本の政治が痛々しいのは、ゲームのルールが変わってしまったにもかかわらず、政治家たちが戦国時代のままの(あるいはチンパンジーと同じ)権力ゲームに必死にしがみついているからだ。彼らがそうするほかはないのは、そもそも日本社会が「理念によって覇を争う」などということをやったことがないからで、どうすればいいのかもわからないし、変わるのが怖いからでもある。

そしてさらに痛々しいのは、政治家たちの無様な姿が、日本人の行動原理そのものだ、ということだ。私たちが政治の現状にいいようのない怒りを感じるとしたら、それは鏡に映った自分自身の姿を見せられているからなのだろう。