放漫財政なのに緊縮財政を批判する「財務省解体デモ」の不思議 週刊プレイボーイ連載(639)

「財務省解体デモ」という奇妙な現象が起きています。報道によればSNSを通じた呼びかけで集まった1000人を超すひとたちが霞が関の庁舎前に集まり、「罪務省解体!」「天下りやめろ!」などの手製のプラカードを掲げ、「消費税をぶっこわーす!」「明日からやめろ、コラっ!」などと叫んだとされます。

この運動の背景に、アメリカで起きている行政機関の解体・リストラがあることは間違いありません。トランプはUSAID(アメリカ国際開発庁)につづいて教育省を解体する大統領令に署名しました。

米共和党がこのような政策を推進するのは、アメリカが「州(State)」の連合体で、教育は連邦政府ではなく、それぞれの州政府の自治に任せるべきだと考えているからです。大統領令の効果は限定的で、議会の承認を得て実現する可能性は低いとされますが、仮に教育省が解体されても公教育は州によって提供されることになります。

それに対して、国の予算をつくったり、国債の発行・管理をする財務省の役割は、他の行政機関が肩代わりすることはできません。財務省を解体すれば、第二財務省ができるだけなのです。

もうひとつの背景は、一部のインフルエンサーなどが財務省を「緊縮財政の元凶」として批判してきたことでしょう。しかし不思議なのは、日本の政府債務残高がGDP比で240%と、先進諸国で最悪なことです。「緊縮財政」をしているのに国と地方を合わせた「借金」が1200兆円も積み上がるというのは、なにかの超常現象か、そうでなければ、日本は「バブル崩壊後これまで緊縮財政だったためしがない」のです。

こうした「放漫財政」批判に対しては、「主権通貨をもつ国は(インフレになるまで)無制限に財政を拡張できる」と反論されます。これは「いくら放漫財政をしても問題ない」という主張ですが、そうなると財務省が「緊縮財政」をしているという話と矛盾してしまいます。「放漫財政なのに緊縮財政」とは、いったいどういうことなのでしょうか。

とはいえ、財務省解体デモの参加者は、こうした理屈にはさしたる関心はないようです。コロナ禍とロシアのウクライナ侵攻を機に日本は長いデフレから「脱却」しましたが、期待されたような「日本経済の大復活」が起こらないばかりか、物価の上昇が賃金の上昇率を上回り、日本人はどんどんビンボーになってしまいました。最近はコメや生鮮食料品が値上がりして、それが家計を直撃しています。

「一生懸命働いているのに、どんどん貧しくなるのはなにかがおかしい」と思うのは当然です。そんなときにSNSを見ると、「国民の生活が苦しいのは、財務省の緊縮財政のせいだ」と説明する動画が次々と出てきます。こうして「答え」を見つけたひとたちが財務省前に集まっているのだと考えれば、この現象が理解できるでしょう。

ここで重要なのは、「財務省解体」論に根拠がないとしても、ひとびとの怒りや不満は本物だということです。昨年の衆院選では与党が過半数割れに追い込まれましたが、今年7月の参院選では、その怒りが日本の政治をさらに大きく変えていくことになりそうです。

参考:土居丈朗「日本は「緊縮財政」だったためしがない」日経ヴェリタス2025年3月30日

『週刊プレイボーイ』2025年4月14日発売号 禁・無断転載

ブレグジット(イギリスのEUからの離脱)の論理をあらためて考える

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2016年7月公開の記事です(一部改変)

ロンドンで見かけたEU残留派の広告。ドナルド・トランプと離脱派のリーダー、ボリス・ジョンソン前ロンドン市長がキスをしている。 (Photo:ⒸAlt Invest Com)

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イギリスのEU離脱が決まった6月24日はロンドンにいた。そこからEU本部のある「ヨーロッパの首都」ブリュッセルを経由し、フランスでヨーロッパサッカーの祭典EURO2016を観戦して先週帰国したのだが、正直、日本でのブレクジット(Brexit)の報道には違和感があった。

日本ではなぜか、EU(欧州連合)は無条件に「善」で、そこからの離脱を求めたイギリスのナショナリストは「悪」にされている。この善悪二元論はヨーロッパやアメリカの論調で、イギリスではEU残留派も、国民投票の結果が出たあとは民主的な決定を受け入れ、国益を損なわないかたちで有利な離脱を達成する現実的な方策を議論していた。

しかし日本に伝えられるのは、「スコットランドがEU残留を求めてイギリス(グレートブリテン)が解体する」とか、「(EU負担金がなくなれば財政難の国民保険サービスに出資できる、などの)離脱派の「公約撤回」に怒った残留派が国民投票のやり直しを求めてデモをしている」とかの、「EU離脱=大失敗」のステレオタイプばかりで、なぜEUがこれほどまで嫌われるのかはわからないままだ。

離脱派のプロパガンダに問題があることは間違いないとしても、「EU=善」の一方的な視点では、イギリス国民の半分は「主権回復」を煽り立てるポピュリストに騙された「馬鹿で間抜け」になってしまう。アメリカやヨーロッパのメディアといっしょになって「大英帝国の栄光にしがみつく時代錯誤のイギリス人」を嘲るのは気分がいいかもしれないが、それだけではいまヨーロッパで起きていることは理解できないだろう。

そこでここでは、ロジャー・ブートルの『欧州解体 ドイツ一極支配の恐怖』(町田敦夫訳/東洋経済新報社)に拠りながら、「離脱派の論理」を見てみたい。ちなみに著者のブートルは下院財務委員会の顧問を務めるなどイギリスを代表するエコノミストの一人で、いちはやく「EU離脱」の経済合理性を主張した離脱派の理論的支柱でもある。原題は“The Trouble With Europe(ヨーロッパというトラブル)”。邦訳の副題は「ドイツ一極支配の恐怖」となっているが、内容は「イギリスはなぜEUから離脱すべきか」の首尾一貫した主張で、いまならこちらのほうがタイムリーだろう。

ヨーロッパの「大国クラブ」からの拡大が混乱を生んだ

『欧州解体』でブートルは、政治的・制度的なEUの構造的問題(第1部)、共通通貨ユーロに象徴される経済問題(第2部)、EU変革の可能性(第3部)を論じている(原著は2014年発売なので、その後に大問題となった難民については主要なテーマとしては扱われていない)。そのうえでブートルは、イギリスはヨーロッパとともに繁栄すべきだが、EUこそが欧州の成功を阻む最大の障害になっているとして、次善の策として離脱を主張するのだ。 続きを読む →

多様性は「やさしい社会」をつくるのではなく、社会を分断させる 週刊プレイボーイ連載(638)

DEIは「Diversity(多様性)Equity(公平性)Inclusion(包括性)」の略で、「意識高い系」の企業などが導入してきましたが、トランプ政権がこれを敵視したことで逆に有名になりました。ここではそのなかで、「多様性」について考えてみましょう。

近年の進化人類学では、家父長制の起源を「男が結託して女を分配する仕組み」と考えます。

ヒトの近縁種である類人猿のなかでもゴリラは一夫多妻で、シルバーバックと呼ばれるオスがメスを独占するため、若いオスは生まれ育った群れを出て、なんとかして自分の群れをつくる以外に交尾の機会をもつことができません。

一方、チンパンジーの社会は乱婚型で、上位のオスはより多くのメスと交尾できますが、下位のオスにもメスと交尾するチャンスが与えられます。チンパンジーのオス同士は、協力して他の群れからなわばりを防衛しなければならないのです。

それに対してヒトは、より緊密に協同して自分たちの共同体を守るとともに、言語と(石器のような)強力な武器を手に入れたことで、ひ弱な男たちでも共謀して独裁的なリーダーを簡単に排除できるようになりました。

このようにして、旧石器時代の祖先たちはきわめて「平等主義的」な社会をつくります。一夫一妻とは、男たちが暴力で共同体を支配し、女を平等に分配することなのです。このとき順位によって男と女をマッチングした名残が、現在の「スクールカースト」でしょう。

人間は徹底的に社会的な動物で、ごく自然に「マジョリティ(支配者グループ)」と「マイノリティ(支配される者たち)」を生み出します。これが共同体を統制するもっとも効果的な方法で、いったん権力を手にした者たちはそれを維持しようとするため、永続的な社会構造になっていきます。

ところが近代になって、すべてのひとが平等の人権をもつとされたことで身分制が解体し、これまで抑圧されてきたマイノリティの権利が重視されるようになりました。多様性とは、「マイノリティがマジョリティと対等になること」と定義できるでしょう。

これはもちろんよいことですが、問題は「社会が多様化すればみんなが幸福になるはずだ」という信念(というか願望)が間違っていることです。

社会の多様性が増し、利害の異なる個人同士が直接ぶつかれば、世の中はぎすぎすしていきます。同時に社会が流動化すると、マジョリティとマイノリティの区別もあいまいになります。

トランスジェンダー活動家とフェミニストの衝突や、「弱者男性」や「プアホワイト」など、これまでマジョリティとされたなかから(自称)マイノリティが登場したことなど、いくらでもその例をあげることができるでしょう。

「リベラル」は、多様性がやさしい社会をつくると信じています。しかし現実には、多様性は社会の分断を生み出すのです。これが保守派がDEIを目の敵にする理由で、そこには一定の正当性があります。

とはいえ、トランプがなにをしたところで、「自分らしく生きたい」というリベラル化の巨大な潮流を押し戻すことはできないでしょうが。

『週刊プレイボーイ』2025年4月7日発売号 禁・無断転載