グローバリズムによって人類は幸福になり、ウォール街は占拠された 週刊プレイボーイ連載(24)

「ウォール街を占拠せよ」という若者たちの運動が、アメリカの政治を揺るがしています。FacebookやTwitterなどのSNSを通じてまたたくまに広がり、ニューヨークのブルックリン橋を占拠し、700人が逮捕・拘束される騒ぎにまでなりました。

アメリカやヨーロッパでデモや暴動が頻発するのは、グローバリズムによって人類が幸福になったからです。もちろんこれではなんのことかわからないので、順を追って説明してみましょう。

冷戦がつづいた80年代までは、一部のゆたかな国と、それ以外の貧しい国の経済格差が大きな問題となっていました。一人あたりの名目GDPで比較すると、1990年の中国の所得は、日本人の約70分の1しかなかったのです。

グローバルな市場経済というのは、かんたんにいうと、同じトヨタの車をつくるのなら、日本のサラリーマンも中国の工員も最終的には同じ賃金になる、という世界です。アジアだけでなく、アメリカと中南米や、西ヨーロッパと東ヨーロッパの間でも同様の関係が成立しています。

こうしたことが起きるのは、北(先進国)と南(発展途上国)の経済格差があまりにも大きかったからです。そのため、安い人件費で商品をつくるだけで、企業家は法外な利益を手にすることができたのです。

経済のグローバル化によって、貧しい国のひとたちの所得が大きく増えました。たとえば中国では、一人あたりGDPはこの20年間で約15倍になり、日本との差も9分の1にまで縮まっています。それに対して先進国はどこも低成長にあえいでおり、所得も頭打ちです。

ところで、先進国のひとたちの所得が1割減るかわりに、中国(13億人)やインド(12億人)のひとたちの所得が倍になれば、人類全体としての幸福の総量は明らかに増えています。これが、「グローバリズムによって人類は幸福になった」という理由です。

しかしこれは、バラ色の未来というわけではありません。市場の富はみんなに平等に分配されるわけではなく、北と南の(マクロの)経済格差が解消する一方で、先進国でも発展途上国でも、国民のあいだの(ミクロの)経済格差が拡大してきたのです。

その結果アメリカでは、一部の富裕層に富が集中し、世界一ゆたかだった中流層が没落しはじめました。こうして、さまざまな政治的軋轢が生じるようになったのです。

ティーパーティーと呼ばれる保守的な白人中流層は、移民を制限すると同時に、貧しいひとたちへの所得の再分配を拒否します。彼らが「小さな政府」を求めるのは、自分たちがゆたかさから脱落しつつあることに怯えているからです。

一方、「ウォール街を占拠せよ」の若者たちは、金融機関の救済を批判し、富裕層への増税によって社会保障を充実させる「大きな政府」を求めています。アメリカの若者(20~24歳)の失業率は15パーセントを上回り、7人に1人が無職のままで、彼らは将来の貧困に怯えています。

このように、ティーパーティーとウォール街を占拠する若者たちは、グローバル化のなかでの「中流の没落」という同じコインの裏表です。問題は両者の主張に妥協の余地がないことで、だとすればアメリカの分裂は歴史の必然だったのです。

 『週刊プレイボーイ』2011年10月24日発売号
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女子高の生徒はなぜ望まない妊娠をしないのか?

「男女七歳にして席を同じうせず」は封建道徳の象徴のような扱いを受けてきましたが、アメリカではいま男女別学が見直されているようです。

アメリカの心理学者、レナード・サックスの『男の子の脳、女の子の脳』に、「女子高の生徒はなぜ望まない妊娠をしないのか?」という興味深い記述があります。私は女子高のことはなにもわかりませんが、関心のあるひともいると思うので紹介しておきます。

男女共学では、男の子と女の子はごく自然に、性別によって自分の役割を決めてしまいます。だから男女共学校からは、男性のフルート奏者や女性の物理学者は生まれません。ここまではしばしば指摘されることですが、サックスは共学と別学では男女のつき合い方も異なると指摘します。

ほとんどのひとは、女子高では男子生徒と知り合う機会が少ないから、妊娠のようなトラブルも起きにくいのだと考えるでしょう。しかし実態を調査してみると、女子高と共学校で、ボーイフレンドのいる割合やデートの回数にほとんど差はありませんでした。となると、女子高の生徒が妊娠しないのには、なにか別の理由があるはずです。

サックスによれば、共学校での男女のカップリングは、個人的な関係というよりも、それぞれのグループ内での役割分担によって決まります。ようするに、グループでいちばん人気のある男の子は、やはりグループでいちばん人気のある女の子とつき合うのです。

こうした環境では、男女関係はグループ同士の関係になります。カノジョは男の子グループの一員となり、カレシは女の子グループの一員になって、なにをやるにもいっしょという親密な関係が生まれるのです。

これは逆にいうと、もしカレシと別れるようなことがあれば、同時に、女の子グループ内での立場も危うくなる、ということです。これは女に子にとってきわめて大きな打撃なので、できるだけカレシとの関係を継続したいと考えるでしょう。

このとき、女の子グループの一人が男の子グループの一人とセックスしたとします。当然、男の子は、その“成果”を仲間内で自慢するでしょう。

それを聞いたカレシは、グループ内での自分の地位を守るために、カノジョにセックスを求めます。こうなると女の子は、たとえ気乗りしなくても、その要求を拒むことがきわめて難しくなります。

このようにして、共学校では女の子の望まない妊娠が多くなるのだととサックス博士は考えます。

一方、女子高では女の子同士の友だちグループと、カレシとの関係は切れています。カレシと別れても、女の子の友だちがさして気にしないのなら、無理な要求を断わることもできるでしょう。このように、男女別学では女の子が性的な意思決定に対して主導権を持てるので、望まない妊娠をすることが少なくなるのです。

もっとも日本では、女子高の生徒は特定の男子校のグループとつきあうことが多いので、その場合は、この“効果”はあまり期待できないかもしれません。

第8回 ほんとうは幸福だった20年?(橘玲の世界は損得勘定)

用事があって九州の地方都市に出かけた。ホテルに着いて、着替えの下着を忘れたことに気がついたので、近くのスーパーに買いにいった。

都合のいいことに、入口の横で下着類の特売をしていた。Vネックのメッシュの半袖シャツ(フィリピン製)2枚組580円が480円に値引きされていて、それがさらに半額になっていた。支払額は240円、シャツ1枚あたりわずか120円だ。

そのあとスーパーの中を覗いてみたのだが、ワインのフルボトルは500円前後のものがほとんどで、いちばん高いオーストラリアワインが1050円だった。アーモンドやカシューナッツなどは1袋98円のコーナーに並んでいた。経営者は、それ以上高いものを置いても意味がないと考えているようだった。

80年代に東南アジアを旅行すると、物価の安さに度肝を抜かれた。バブルの頃は、若いOLが週末を利用して香港やシンガポールにブランドものを買いにいくのが当たり前だった。OECD(経済協力開発機構)の統計を見ても、当時の日本は世界でいちばん物価の高い国で、住居費や食費、衣料費、水道光熱費などなにからなにまで国際平均の倍以上した(アメリカと比べると3倍以上だった)。

ところが90年代になると、日本の物価が上がらなくなった(というか、下がりはじめた)。これによって海外との価格差も縮小していったのだが、私がこのことにはじめて気づいたのは、世紀が変わる頃に、日本にブランドショッピングに行く香港女性に会ったときだった。「日本のほうが安い」という言葉は衝撃だったが、それから10年もしないうちに、香港や台湾だけでなく、中国本土からもたくさんの観光客が日本に買い物にやってくるようになった。

1ドル=120円台の円安だった4年ほど前は、オーストラリアなどに移住した日本人のUターンが相次いだ。値上がりした現地の不動産を売却して日本に戻れば、これまでよりずっといい暮らしができたのだ。

私が大学入学で東京に出てきた70年代末は、食堂の定食が500円前後だった。それから30年たった現在、ビジネス街を歩けばランチ500円の看板をあちこちでみかける。ジーンズは1本4000円以上したが、いまでは1980円だ。統計上の物価指数は上がっているものの、生活必需品のコストは逆に下がっているのだ。

1990年の大卒初任給は約17万円。それが2000年代になって約20万円になったから、所得は2割ちかく増えている。生活費がほとんど変わらないとすると、「失われた20年」で日本人はゆたかになったことになる。

日本で暴動やデモが起きないのも、日本人が内向きで海外に行きたがらないのも、この(相対的な)ゆたかさを考えれば当たり前だ。後世の歴史家は、この時代を「希望はないが、ほんとうは幸福だった20年」と呼ぶかもしれない。

ただしその代償として、私たちは1000兆円を超える莫大な国の借金を背負うことになったのだけれど。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.8:『日経ヴェリタス』2011年10月16日号掲載
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