いずれ君たちは思い知るだろう

東京電力の損害賠償をめぐる政府支援の枠組が決まった。私は日本国の一介の納税者として、また東京電力の一利用者として、この決定にささやかな疑問を持っている。

政府の決定では、東京電力の賠償額に上限は設けないのものの、株式の上場を維持し、社債などの債権もすべて保護されることになった。それでどうやって莫大な賠償資金を捻出するかというと、東京電力の毎年の利益から国に返済するのだという。

ところで東京電力の商品は電力しかないのだから、「利益」というのは利用者が支払う電気料金のことだ。電力は地域独占なので、電気料金が値上げされれば利用者には抵抗する術がない。すでに多くのメディアで、「電力料金の大幅な値上げは不可避」と報じられている。

ここで、私の最初のささやかな疑問だ。

これは要するに、東京電力が利用者から原発事故の賠償資金を取り立てて、それを被害者に分配するということではないのか。

もちろん政府はこうした批判も承知していて、「電気料金の値上げは最小限にとどめる」と繰り返している。だとしたら、賠償資金はどこから生まれるのだろうか。

この枠組では、驚くべきことに、誰も金銭負担を負わなくていい。そうなると、国から電力会社(新機構)への貸付が増えていくだけだ。これはかたちを変えた国債の増発で、そのツケはいずれ納税者に回されることになるはずだ(国の簿外債務になるからもっと始末に悪い)。

原子力損害賠償法では、原子力事業者に無過失・無限責任を負わせている。ということは、東京電力は福島原発事故に対して、過失の有無にかかわらず無限の責任をとらなくてはならない。

ところで、会社の責任というのはなんだろう。資本主義には明快なルールがあって、これは株主の責任と債権者の責任のことだ。私のつたない会社法の理解では、これ以外に責任の主体は存在しない。

ところが今回の政府決定では、東京電力は無限責任を負うのに、株主も債権者も保護されるのだという。だったら、いったい誰が責任をとるのか。

あっ、そうか。だから、利用者や国民が無限責任を負うのか。

そこで、私のふたつめのささやかな疑問だ。

雪印乳業は2000年の集団食中毒事件で近畿地方を中心に約1万5000人の被害者を出し、子会社の牛肉偽装事件もあって、株券は紙くずになり、社員や債権者も大きな損失を被った。

雪印乳業はこれまで北海道経済のために頑張ってきたし、アイスホッケーやスキージャンプなどのスポーツで日本じゅうに夢を与えてきた。それに食中毒を出したのはごく一部の工場で、ほとんどの社員はなにも悪くない。だったら集団食中毒の賠償は牛乳やチーズの値上げで支払うことにして、株主や債権者、社員を守ってあげればよかったのに(雪印乳業は独占企業ではないけれど、牛乳とチーズの値段を法律で決めて他社と競争しなくてもいいようにしてあげればいいのだ)。

消費者金融大手の武富士は経営破綻して会社更生法を申請したが、これによって過去に利息を過払いしたひとたちが返済を受けられなくなってしまった。消費者金融の利用者は低所得者層が多く、彼らにとってこれは死活問題だ。

この場合も武富士の損失に上限を定め、経営を続けられるようにすればよかったのだ。毎年の利益から過払い利息を返済できるようにすれば、消費者金融市場は安定し、社会的な効用はずっと大きくなっただろう。

でもそうなると、東京電力や武富士や雪印乳業だけを救済するのは不公平だから、いっそのこと会社法を改正して、日本では株主責任も債権者責任も問わないことにしてしまえばいい。この寛大な措置に世界じゅうの投資家が感激して、日本に投資したいと殺到することだろう。

でも現実にはこんなことにはならず、雪印乳業や武富士は理不尽なまでに責任を追及され、東京電力は救済されることになった。ここで、私の最後のささやかな疑問だ。

これは要するに、1万5000人に食中毒を出すと(ただし症状は比較的軽く死者は出なかった)株主や債権者や社員はヒドい目にあい、何十万人ものひとから家や財産や仕事や大切なたくさんのものを奪い取り、国土を放射能で汚染し、何十年(もしかした何百年)も回復できない傷を負わせたら、誰も責任を取らなくてもいいということだ。だったら健全な株主の経済合理的な行動とは、中途半端な不祥事ではなく、どうせなら日本を破滅させるような大災害を起こすことだろう。

でも、ほんとうにこれでいいのかい?

日本の政治家は正義や道徳について語るのが大好きだ。そこで訊きたいのだけれど、これが君たちの目指す「正義」なのかい? 責任をなすりつけることが責任をとることになるような、そんな社会をつくるために君は政治家を目指したのかい?

東京電力がなくなっても、電力の安定供給を確保する方法はあるだろう。株価が暴落したり、債券市場が機能不全になったって、しばらくすれば復活する。だいたい日本の金融市場の規模なんて、グローバル市場のほんの一部にすぎないのだ。

でもいずれ、君たちは思い知ることになるだろう。いったん失われてしまった社会正義への信頼は、二度と取り戻すことができないということを。

PS

誤解のないように追記しておくと、私は野口悠紀雄氏が繰り返し述べているように、政府が電力需要を抑制する「統制経済」よりも、電力料金引き上げで市場の調整機能を利用する方がはるかにマシだと思っている。だが今回の政府支援案は、電力料金の引き上げを政治的に不可能にしてしまったから、今夏は(おそらくは今年の冬も)非効率な統制経済でしのぐしかないだろう。

電力料金を引き上げるためには、法と資本主義のルールに則って、まずは東京電力の株主責任と債権者責任を問わなくてはならない。それができなければ、電力需給の混乱で日本社会はさらなる損失を被ることになるだろう。

モーニングスター社インタビュー(3)財政問題はさらに深刻化、被災免れた層が既得権を手放すべき

<震災がきっかけで目を背けていた問題が浮上>

――日本人の雇用や住宅などの人生設計のあり方について、今回の震災が改めて考えさせる機会になったということか。

「その通りだ。統計学的には、今回の地震は『ブラックスワン(まれに起こる予測不能な事象のこと)』と呼ばれるものだ。だが、日本では98年の金融危機の際にも、倒産するはずのない山一證券や北海道拓殖銀行などが次々とつぶれるブラックスワン現象が起きている。この言わば『見えない大震災』をきっかけに、それまで年間2万2000-2万4000人程度だった自殺者が3万人を超え、日本はロシアなど旧社会主義圏と並ぶ世界有数の『自殺大国』になってしまった。今回の震災の死者・行方不明者の合計は3万人に近づいている。一方、98年の金融危機以降、それまで命を絶つ必要のなかった人が毎年8000人死亡し、それが12年続いているから、『見えない大震災』の死者はおよそ10万人になる」

「98年以降に増えた自殺者は40代、50代の男性が中心だ。日本の不況はこれまで若者の非正規雇用やニートを中心に語られてきたが、一番大きなしわ寄せは中高年の男性に来ている。40代を過ぎて倒産やリストラで仕事を失うと、人的資本も一緒になくしてしまうため、借金に依存しないと生活できなくなる。問題の本質は年功序列や終身雇用といった閉鎖的な日本の労働慣行にあるのだから、金利規制で消費者金融を経営破たんに追い込んでも何も解決しないのは当たり前だ。安定した会社で定年まで勤め上げるという、戦後の高度成長で最も理想的な人生設計とされてきたものが根底から崩壊してしまった。震災をきっかけに日本の社会が変わっていくのではなく、今まで目を背けていた問題がいよいよ水面下から浮上してくる」

<税金を多く払っても日本の社会制度は変わらない>

――復興のための財政支出拡大により、財政健全化を達成することがより難しくなるとの見方がある。

「高齢化にともなって財政問題がこれからますます厳しくなるのは避けられない。増税をするにしても国債を増発するにしても、これまでの既得権をすべて守ったまま被災者を援助することが果たして可能なのか。幸いにも被災しなかった人達が少しずつ既得権を手放すことの方が、日本の社会にとって好ましく、より『正義』にかなうと思う」

「復興のために国民が税金を余分に払うのもよいが、それによって震災前に顕在化していた財政危機が解決するわけではない。日本の社会保障制度の最大の問題は、若者から高齢者に莫大な所得移転が行われていることだ。この世代間格差はどのような理屈でも正当化できないから、被災者を支援しながら財政を維持するには、社会保障制度や雇用制度などこの国の根幹をなすシステムを抜本的に変えていかなくてはならない。年金制度を維持するには受給年齢の引き上げは不可避だろうが、それ以前に物価水準に合わせて年金支給額を減額すべきだ。さらには米国のように定年制を禁止し、ヨーロッパ諸国のように同一労働・同一賃金を法で定め、金銭解雇を可能にすれば、今よりもずっと風通しのよい社会になるだろう」

<次なるブラックスワンに備え、「マイクロ法人」は有力な選択肢>

――震災後に一個人としてすべきことは何か。

「被災者のために何かをするのも大事だが、自分自身がいかにリスクから自由になれるかを考えるのも重要だ。日本のような流動性のない労働市場を前提にすれば、会社にしがみつくことが最適戦略になることは理解できる。だが、今回の大震災で明らかになったように未来はあまりにも不確実なのだから、今の仕事や会社がなくなっても自分と家族の生活を守るための戦略を立てておかなくてはならない。一人ひとりがリスク耐性を高めていくことが、いずれやってくる次のブラックスワンに対して、この社会を守ることにつながるのではないだろうか」

――会社に雇われない個人事業主のような生き方が1つの選択肢となるか。

「自営業になれば必ず成功するわけではないが、日本で最も裕福な人達が成功した自営業者であるのは間違いない。会社法の改正で法人化が容易になったのだから、自分1人で株式会社を設立・運営する『マイクロ法人』も有力な選択肢の1つだ」

「また、サラリーマンであってもスペシャリスト(専門家)としての経験や能力があれば、会社組織を離れて生きていくことができる。以前書いた本で日本の閉鎖的なムラ社会を『伽藍』、それとは対照的なオープン社会を『バザール』と表現したが、伽藍の世界のなかにもバザール空間はある。ITや金融などの業種に能力が高い人材が集ってくるのは、バザール空間の方が自由で生きやすいことに人々が気づき始めているからだろう」

インタビュー/構成:坂本浩明

モーニングスター社(2011/04/20配信)
禁無断転載

モーニングスター社インタビュー(2)震災で露呈、日本人のリスク「極大化」ポートフォリオ

<人的資本の喪失を懸念、会社依存に警鐘>

――震災が日本の経済・雇用などに与える影響が懸念されているが、どう考えるか。

「震災の経済への影響はこれから出てくるだろう。懸念すべきは、膨大な数の人達が家や車などの物的資産だけではなく、労働市場から利益を得るための『人的資本』をすべて失ってしまったことだ。例えばサラリーマンは、安定しているように見えても、会社や工場が津波で流されてしまえばこれまでの職業人生はゼロにリセットされてしまう。日本のような労働市場に流動性がない社会では、中高年は転職の可能性が閉ざされている。サラリーマンは、株式投資で1つの銘柄に全財産を投じるのと同じく、人的資本のリスクを極大化している」

「経済的な側面から見れば、人生設計とは、自分が持っている『人的資本』と『金融資本』のポートフォリオをいかに管理するかという問題としてとらえられる。一般に個人で500万円の貯金があればかなりの額だと思うが、それに比べてサラリーマンの生涯年収の合計は3億円と言われている。それを人的資本と考えれば、金融資本よりも圧倒的に大きい。500万円の貯金をどうするかを真剣に考えるよりも、人的資本をどのように守り、増やすかを考えるべきだ」

「戦後の日本社会において、人生設計の最適ポートフォリオは、大きな会社に就職し、住宅ローンを借りてマイホームを購入し、定年まで勤め上げたあとは退職金と年金で優雅に生活することだとされてきた。しかし、今やこれはリスクを『極大化』したポートフォリオになってしまった。90年代以降、『会社神話(会社はつぶれない)』と『土地神話(地価は上がり続ける)』が崩壊し、『年金神話(国は破たんしない)』が揺らいでくると、これまで隠されていたリスクがあらわになってきた。だがそれに代わる人生設計が見つからないから、人々はいまだにこの危険なポートフォリオにしがみついている」

「原発事故を含めた東日本大震災の被災者は岩手、宮城、福島3県を中心に20万-30万人と言われている。日本の人口は1億2000万人だが、本当に恐ろしいのはこの1億2000万人の大半がリスクを極大化した生活を送っていることだ」

<マイホームの保有リスクが顕在化>

――個人がマイホームを持つことのリスクについてはどう考えるか。 「住宅ローンでマイホームを買うのは、経済的に見れば、レバレッジをかけて不動産に投資することだ。不動産投資でもREIT(不動産投資信託)は投資対象が分散されているが、マイホームは卵を1つのかごに盛っているようなものだから、信用取引で個別株を買っているのと同じで極めてハイリスクな投資法だ」

「今回の震災では、マイホームのリスクが如実に現われた。家が津波で流されたり、液状化で土台が崩れたり、放射能に汚染されて住めなくなれば不動産の価値はゼロになるから、住宅ローンで投資にレバレッジをかけていると債務超過に陥ってしまう。もちろんこれは、マイホームを買った人を批判しているわけではない。だが、経済的に見れば、現在起きている事態は投資リスクの顕在化として理解することが可能だ」

「ここでも問題は、リスク耐性の低い個人が不動産投資のリスクを最大化していることにある。被災地の不動産をREITなどの機関投資家が保有し、個人に賃貸していたとすれば、震災の損害は多数の株主(REITの保有者)に分散されることになる。このように考えれば、個人にとっては持家より賃貸の方が経済合理的だが、マイホームの夢を諦めるのはなかなか難しいだろう」

インタビュー/構成:坂本浩明

モーニングスター社(2011/04/20配信)
禁無断転載