“劣等人種”と“劣等産業” 週刊プレイボーイ連載(26)

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)についての論戦がヒートアップしています。協定の内容や各分野での利害得失などさまざまな論点があるでしょうが、それを脇に置いておけば、あらゆる国がすべての関税を一斉に撤廃するのがもっとも理想的であることは明らかです。

なぜ「明らか」なのかは、アダム・スミス以来の近代経済学が200年余の歳月をかけて築いた膨大な知の遺産が証明しているわけですが、ここではもっと簡単に説明してみましょう。

関税をかけることが常に有利であれば、(たとえば)静岡県は、県内のみかん業者を保護するために和歌山県産のみかんに高率の関税を課すべきです。でも真剣にこんな主張をするひとがいたとしたら、あなたはきっと、いちど病院で診てもらったほうがいいと思うでしょう。

日本でも江戸時代までは関所で商品の流通を管理していましたが、いまでは県境での〝関税〟を撤廃して国内市場を完全自由化しています。それなのになぜ、国境では自由貿易を制限するべきなのでしょうか。国内ではみんなを幸福する「自由貿易」が、世界規模に拡張されると一転してみんなを不幸にする、などということがあり得るのでしょうか。

“反自由貿易主義者”は、このシンプルな問いに答えることができません(もしそれができたなら、経済学の根底を全否定する世紀の大発見になるでしょう)。

理屈で勝てないときは、ひとは感情に訴えます。“鎖国”派も、人間のもっとも原初的な感情を利用しようとします。それが、「なわばり」です。

ひとは(というよりも、ほとんどの生き物は)「なわばりを死守する」というプログラムを遺伝子に組み込まれています。この感情はあまりにも強力なので、「“奴ら”が“俺たち”のなわばりを荒らしている」というプロパガンダは、常に素晴らしい効果を発揮します。これは理屈ではないので、国際経済学の比較優位の理論などを持ち出してもなんの意味もありません。

さらに困ったことに、人間の脳には、自分が感情的に魅かれるものを「正しい」と合理化する機能が備わっています。残念なことに、どれほど理をつくしても、理解したくないひとは説得できないのです(そうでなければ、ソクラテスが毒杯を仰ぐことはなかったでしょう)。

“鎖国”か“開国”かは、日本においては幕末の頃からずっと争われてきました。明治時代の論争では、愛国的な“鎖国”派の主張は、「日本人は劣等人種なのだから、安易に開国すれば欧米人の奴隷になるだけだ」というものでした。現代の“鎖国”派は、「日本の農業は“劣等産業”なのだから、TPPに参加すれば農業は壊滅する」と力説しています(「競争力がない」というのは、「劣等産業」を“政治的に正しく”言い換えたものです)。

ひとの遺伝子は、1000年や2000年では変わりません。だから私たちは、いまでも150年前の明治維新の頃と同じことをしているし、これからもずっと同じ論争をやり続けるのでしょう。

そもそも、ひとは「進歩」しないのです。

参考文献:小熊英二『単一民族神話の起源』

 『週刊プレイボーイ』2011年11月7日発売号
禁・無断転載

ティーパーティのひとたち

ティーパーティと呼ばれる中流白人層が、アメリカの政治で大きな存在感を持つようになっています。日本のメディアでは、彼らのことを「リバタリアン」と呼ぶようですが、これについては異論があるので、ここで述べておきます。

リバタリアニズムLibertarianismは自由Libertyを至上のものとする政治思想で、世界じゅうのすべてのひとが、人種や国籍、性別、宗教のちがいなどにかかわらず、「自由に生きる権利」を平等に有していると考えます。

リバタリアンによれば、ひとはどこで生まれても、自分の才能や能力をもっとも活かせる場所で働くことができるべきです。「メキシコに生まれたからアメリカでは働けない」というのは、「黒人に生まれたから一流企業には就職できない」というのとまったく同じ差別だからです。

このようにリバタリアンは、人種差別や性差別に反対するのと同様に、「国籍差別」による移民規制に反対します。

ところである国が手厚い社会保障制度を有しているとして、同時に移民規制を撤廃したとすれば、生活保護や医療保障を目当てに貧しい国々からの移民が殺到して財政は破綻してしまうでしょう。このシンプルな例からも明らかなように、社会保障と移民自由化は両立しません。

リバタリアンは原理主義ですから、すべての国境をなくし、世界じゅうのひとが、どこでも自分の好きな場所に移住し、仕事を見つけ、生活できるべきだと考えます。このような移民自由化を理想として選択するならば、必然的に、国家による社会保障をあきらめるほかはありません。

このようなロジックで、リバタリアンは「小さな政府」を主張します。「国民」という特権的な集団への手厚い社会保障は、「国民」に属さないひとびとの排除を前提としているからです。

それに対してティーパーティは、増税や社会保障の拡充に反対しますが、それと同時に、移民規制の強化も強く主張しています。これは中流白人層の家計が逼迫し、これまでと同じ「ゆたかな」生活を維持することが困難になったことで、彼らの怒りが、「自分たちの職を奪う」移民や「税金でいい思いをしている」社会的弱者に向かうようになったためでしょう。

このように、ティーパーティの主張する「減税」「社会保障縮小」「財政均衡」がリバタリアンの求める「小さな政府」と重なるとしても、両者の思想は根本的に異なるものです。

それでは、ティーパーティの“怒りの政治”とはどのようなものなのでしょうか。

ここでは、アメリカを代表するリベラル派の論客ロバート・ライシュの分析を紹介しておきます(『余震 アフターショック』)。

以下は、ティーパーティを支持基盤とする「独立党」という架空の政党の綱領(マニュフェスト)です。

  • 不法移民に対するゼロ・トレランス(いかなる例外もなく取り締まる)
  • ラテンアメリカ、アフリカ、アジアからの合法移民の凍結
  • 全輸入品の関税引き上げ
  • 米国企業の外国への事業移転や海外へのアウトソーシングの禁止
  • 海外の政府系ファンド(ソブリン・ウエルス・ファンド)による米国への投資の禁止
  • 国連、世界貿易機関(WTO)、世界銀行、国際通貨基金(IMF)からの脱退
  • 中国に対する負債の利子支払の拒否(債務不履行)
  • 中国が変動相場制に移行しないかぎり、同国との取引を停止
  • 利益の出ている企業による労働者の解雇や給料カットの禁止
  • 連邦政府予算の恒久的な均衡
  • 連邦準備制度の廃止
  • 銀行は預金と融資のみを扱うこととし、投資銀行は廃止
  • インサイダー取引、株価操作、証券詐欺に関与したものは10年の禁固刑
  • 個人の年収は50万ドルを上限とし、それを超える場合は税率100%で課税(没収)
  • 25万ドルを超える収入は税率80%で課税
  • キャピタルゲインも税率80%で課税
  • 10万ドルを超える純資産には一律年間2%の財産税を課す
  • 海外での資産隠しが発覚した場合は米国籍を剥奪する

ライシュの本では、2020年に「独立党」が、「大きな政府、大企業、大手金融機関からアメリカを取り戻す」べく大統領選に挑み、勝利することになっています。かなり戯画化されていますが、共和党の大統領候補指名争いを見ていると、たんなるお話とは思えなくなるところが不気味です。

“富”は不正がなくても集中する 週刊プレイボーイ連載(25)

「ウォール街を占拠せよ」の運動では、「私たちは99%」のスローガンが掲げられました。貧富の差が拡大したことによって、米国社会は1パーセントの富裕層とそれ以外の貧困層に二極化してしまったというのです。

ところで、富はなぜ少数の人間に集中してしまうのでしょうか。ほとんどのひとは、ここにはなにかの不正がはたらいているにちがいない、と信じています。しかしいまでは、市場が公正で効率的であるならば、みんなが真っ当に商売したとしても、富の一極集中と経済格差の拡大はごく自然に発生すると考えられています。それは、市場が複雑系のスモールワールド(小さな世界)だからです。

スモールワールドでは、それぞれの要素がお互いにフィードバックしあうことで、わずかな初期値のちがいから大きな差が生まれます。

といっても、これはぜんぜん難しい話ではありません。私たちにとってもっとも身近なスモールワールドは人間関係で、友だち同士がお互いにフィードバックしあうことで、ちょっとしたひと言が思わぬ波紋を呼んだりします。

スモールワールドのもうひとつの特徴は、ときどきとんでもないことが起きることです。プレート同士が衝突する地球内部は活断層が複雑につながりあったスモールワールドで、そこでは微小な地震が日常的に起きていますが、私たちはそのほとんどを体感できません。そしてある日突然、プレートの歪みが臨界点に達して巨大地震が襲ってくるのです。

これは、スモールワールドにはとんでもない場所がある、ということでもあります。インターネットはホームページ同士がリンクしあう典型的なスモールワールドですが、そこではヤフーのような、膨大なリンクを持つ特権的なサイトが存在します。インターネットユーザーは、こうしたハブ(中継点)を上手に利用して、興味のある情報を探していきます。逆にいえば、ひとびとのこうした(無意識の)行動によって、ネットの世界にハブが自然に生まれるのです。

私たちの社会はスモールワールドですから、人気(評判)は特定の人物に一極集中していきます。アマチュアリーグの野球選手とイチローを比較すると、実力差は10倍(あるいは100倍)くらいかもしれませんが、評判の差は無限大です。このように、能力(野球のうまさ)によって富(評判)が均等に分配されるわけではないことも、スモールワールドの特徴です。

市場も、ひととひととがお金をやりとりするスモールワールドです。そうであれば、市場のハブとなる特定の企業や人物に富が集中するのは当たり前です。このことに最初に気づいたのは数学者のブノア・マンデルブロで、税制や規制、利権や陰謀などに関係なく、市場が拡大すれば(全体のパイが大きくなれば)必然的に富の一極集中は進むと考えました。

私たちは、評判市場において歌手やスポーツ選手が人気を独占することを不公平とは感じませんが、貨幣市場において超富裕層に富が集中することを不正義と考えます。しかしこれは、いずれもスモールワールドから生まれる同じ現象なのです――だからといって、それが正しいというわけではありませんが。

参考文献:ブノア・マンデルブロ『禁断の市場―フラクタルでみるリスクとリターン』

 『週刊プレイボーイ』2011年10月31日発売号
禁・無断転載