学校の運動部はすべて廃止したらどうだろう 週刊プレイボーイ連載(86)

大阪の市立高校で、バスケットボール部の男子生徒が顧問教諭からの体罰を理由に自殺した事件の余波も収まらないうちに、こんどはロンドン五輪代表を含む柔道女子の選手が代表監督の暴力行為を日本オリンピック委員会(JOC)に告発し、代表監督が辞任するという前代未聞の事件が起きました。

一連の体罰問題を受けてマスメディアは「暴力行為は許されない」と大合唱していますが、石原慎太郎日本維新の会共同代表を筆頭に、政治家や文化人のなかにも体罰肯定を公言するひとはいくらでもいます。彼らは「体罰は暴力ではない」といっているのですから、いくら暴力を否定しても話はすれ違うばかりです。

街頭インタビューなどでも、「体罰は許されない」との正論が多数派の一方で、「本人がきびしい指導を望むなら認めてもいい」という意見も多く、日本の社会に体罰容認の文化が深く根づいていることを示しています。

体罰容認派の主張は、「信頼や愛情に裏打ちされた体罰は子どもを成長させる」というものです。女子柔道の代表監督も記者会見で、「選手に乗り越えてほしいという思いから手を上げた」と述べています。私はこれを、日本の社会に典型的な「体育会系マネジメント」だと考えています。

「体育会系マネジメント」の基本は、あらかじめ閉鎖的な社会(ムラ)をつくっておいて、そこに生徒や選手を精神的に「監禁」することです。

運動部は学校単位なのでバスケを続けたければ体罰に耐えるしかありませんし、代表監督に逆らえば五輪代表はあきらめるほかありません。こうして逃げ場をなくしたうえで、愛情と暴力を交互に与えることで相手を服従させ、支配していくのは洗脳の典型的な手法で、カルト宗教だけでなく、日本では学校や会社でごく当たり前に行なわれています。

「体育会系マネジメント」は、集団を統率するうえできわめて強力な管理手法ですから、その信奉者が現われるのは当然です。運動部やオリンピックチームで体育会系マネジメントが好成績を収めているのなら、「暴力はよくない」と全否定してもなんの効果もありません。

石原氏とともに日本維新の会の共同代表を務める橋下大阪市長は、体罰自殺問題で市立高校体育科の入試中止と部活動の停止を指示しましたが、体罰が日本の文化から生まれてくるものならば、特定の学校や教師に懲罰を加えたところでなにも解決しません。

体罰問題の本質は、学校別運動部という閉鎖社会にあります。これを抜本的に解決するには、すべての学校の運動部を廃止して、Jリーグの下部組織のようにスポーツは地域のクラブが担うようにするしかありません。

生徒の側に選択の自由が与えられているのなら、「きびしくも愛情あふれる指導」を売りものにするクラブがあってもいいでしょう。体罰がたんなる指導者の自己満足だと思えば、子どもたちは別のクラブに移っていくだけです。

そのうえで優秀なスポーツ指導者が、「体育会系マネジメント」でなくても勝てるチームはつくれるし、金メダルを取れる選手を育てられることを事実として示さないかぎり、この国の「体罰神話」はなくならないでしょう。

 『週刊プレイボーイ』2013年1月12日発売号
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日本的雇用からブラック企業が生まれた 週刊プレイボーイ連載(85)

2008年12月末、東京・日比谷公園の一角に突如、巨大なテント村が姿を現わしました。

世界金融危機に端を発した景気後退で製造業を中心に多くの派遣社員が職を失い、社員寮からも追い出されてしまいました。彼らが路上で年を越すのは政府の責任だとして、NPO法人が厚生労働省の目の前に「年越し派遣村」を開設したのです。

これをきっかけに、マスメディアは派遣社員の過酷な労働環境を連日のように報道し、経済格差が大きな社会問題になっていきます。そこでの論調は、「派遣社員はかわいそうだから正社員にするべきだ」というものばかりでした。こうして、年功序列、終身雇用を理想とする“正社員神話”が蔓延していきます。

解雇がきびしく制限されている日本では、新卒で正社員として就職すれば定年までの約40年間「終身雇用」が保証されると考えられています。これは一見すると、労働者にとって法外に有利な契約です。だからこそ企業は派遣などの非正規雇用を増やそうとし、正社員の地位はますます稀少になって、宝くじに当たったように扱われることになります。

しかし、正社員が労働者にとって一方的に有利な契約なら、企業はなぜそんな不利な雇用形態をいまだに続けているのでしょうか? 正社員として採用するかどうかは企業の自由なのですから、全員を「非正規」にすることもできるはずです。

もちろん正社員で募集しないと優秀な人材が採れないからでしょうが、日本的雇用が生き残る理由はそれだけではありません。日本の会社は、終身雇用と引き換えに、正社員に対して絶対的な権力を持つことができるのです。

日本の裁判所は、解雇については労働者の味方ですが、転勤や配置転換などを不服とした訴えにはきわめて厳しい態度で臨みます。「生活の面倒を見てもらっているのだから、多少理不尽なことをされてもガマンしなさい」というわけです。最低賃金や有給など、法に定められた最低限の労働条件を満たしていれば、会社は正社員に対してどんな無理な要求をしても許されるのです。

ところがここ数年、会社と正社員のこの歪な関係を利用した新しいビジネスモデルが登場してきました。飲食やアパレルなど多数の働き手を必要とする業界で、新卒を大量に正社員で採用し、最低賃金とサービス残業で徹底的に酷使すれば、アルバイトを時給で雇うよりずっと人件費コストが安いことが発見されたのです。もちろんこんな労働条件ではみんな辞めていきますが、「正社員」に憧れる新卒はいくらでもいるので、翌年また大量に採用すればいいのです。

日本的雇用とは、会社と労働者との間で「生活保障」と「会社への従属」を交換することでした。しかしこれはたんなる慣習なので、正社員の形式さえ整っていれば、「会社への従属」だけを要求したとしてもなんの問題もないのです。

いまでは名だたる大企業でも社員が過労死したり、「追い出し部屋」で退職を強要されることが社会問題になっています。このようにして、うるわしき日本的雇用からブラック企業が誕生し、増殖していくのです。

参考文献:今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』

 『週刊プレイボーイ』2013年2月5日発売号
禁・無断転載

累進課税は才能への懲罰? 週刊プレイボーイ連載(84)

民主政治の本質はポピュリズムですが、それでもなんとかやっていけているのは、大衆受けのする政策はヒドい結果をもたらすだけ、ということが繰り返し証明されているからです。それも、日本だけでなく世界じゅうの国が同じような失敗をしているので、これを冷静に評価すると、なにをしてはいけないかがわかります。

フランスでは昨年5月、新自由主義的な改革を目指していたサルコジを破って、格差是正を掲げたオランドが大統領に就任しました。オランド政権は富裕層への所得税増税を選挙の公約にしていましたが、年収100万ユーロ(約1億1500万円)を超える個人の所得税率を40%から75%へと大幅に引き上げようとしたため大混乱を引き起こします。反発の大きさに驚いた新政権は増税を2年間の時限措置にすることで理解を得ようとしますが、高級ブランドを展開するモエヘネシー・ルイヴィトンの最高経営責任者(CEO)がベルギー国籍を申請するなど、富裕層の国外脱出が止まりません。

もっとも過激なのは、カンヌやヴェネチアの映画祭で男優賞に輝いたフランスを代表する映画俳優ジェラール・ドパルデューで、「フランス政府は成功を収めたひとや、才能があるひとを罰しようとしている」として、ロシアのプーチン大統領から直接パスポートを受け取ります。ドパルデューほどの有名人ならスイスやモナコの国籍を取得することも可能でしょうから、これはオランド政権に対する強烈な皮肉です。

ヨーロッパの知識層のあいだでは、19世紀の農奴制以来ロシアははもっとも遅れた国として扱われてきました。冷戦の終焉でロシアは民主化しましたが、プーチン大統領は実質的な独裁者だと思われています。だからこそドパルデューは、オランド大統領に対して「プーチンの方がずっとマシだ」といってみせたのです。

フランスは1789年のバスティーユ襲撃から始まる革命によって誕生した近代国家で、その国是は自由・平等・友愛の三色旗に象徴されています。ドパリュデューの外国籍取得は税金逃れのように見えますが、その批判はより根源的で、「平等とはなにか?」を問いかけています。

そもそも近代の理念は、人種や国籍、宗教、性別にかかわらずすべてのひとは平等に人権を有しているというもので、近代国家には国民を無差別に平等に扱うことが求められます。だからこそ、極端な累進課税で一部の富裕層を「差別」することは建国の理念に反する、という批判が出てくるのです。

オランド政権は、経済格差という不平等を正すために、所得によって国民を「差別」します。ところがEUのような移動の自由な社会でこうした政策を強行すると、国外に脱出することで課税を免れようとするひとたちが出てきます。それも日本と違ってヨーロッパは地続きで、モナコはもちろん、隣国のベルギーやスイスの一部でもフランス語が使われています。

その結果、富裕層に対する懲罰的な課税は国外脱出を誘発するだけだとして、福祉国家として知られるスウェーデンは相続税を廃止してしまいました。こうした国が増えてくれば、富裕層に重税を課す国には貧乏人しか残りません。

改革とは一種の社会実験ですから、フランスにおけるポピュリズムの行方を見れば、日本で同じ失敗をする愚を冒さずにすみます。もっとも、日本の国民や政治家にそれを学習する能力があれば、の話ですが。

 『週刊プレイボーイ』2013年1月28日発売号
禁・無断転載