文庫『日本人というリスク』発売のお知らせ

 

こんにちは。

『日本人というリスク』が講談社+α文庫から発売されます。2011年7月に刊行した『大震災の後で人生について語るということ』の文庫版です。

本書は、東日本大震災と福島原発事故を受けて、人生における(主に経済的な)リスクにどのように対処すべきかを考えたものです。本書の「おわりに」に書いたように、これが私の人生設計論の完成形です。

東日本大震災から2年が経ち、安倍政権が未曾有の金融緩和政策に乗り出すこの時期に、本書を文庫版のかたちでより多くの方に手にとっていただけるのは著者として大きなよろこびです。

同時期にダイヤモンド社から『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』が刊行されました。本書が「日本人というリスク」についての総論だとするならば、こちらは将来の経済的な混乱をどのように生き延びるのか、その具体的な方法を述べたものです。

合わせてお読みいただければ幸いです。

*本書の電子書籍版は4月下旬になるようです。

橘 玲

「追い出し部屋」を必要としているのは誰なのか? 週刊プレイボーイ連載(90)

 

ブラック企業の次は、大手企業の「追い出し部屋」が社会問題になっています。

正社員を最低賃金以下で働かせるブラック企業は飲食やアパレルなど一部の“特殊な”業界の話だと無視できたとしても、「追い出し部屋」で名指しされたのはパナソニックやソニー、東芝、NECなど日本を代表する大企業ですから、日本的な労働慣行の異常な現実からもはや目をそらすことはできません。

この問題が広く知られるようになったのは90年代末で、大手ゲーム会社が窓のない地下室を「自己研修部屋」にし、始業から定時までなんの仕事も与えず待機を命じたとして、解雇権濫用で敗訴しています。さらには通信教育大手が、「人財部付」となった社員に自分で受け入れ先を探す「社内就職活動」を命じ、退職を強要したとされる訴訟でも、「人事権の裁量の範囲を逸脱している」との判決が出ています。

もっとも労働紛争では、仮に裁判で勝ったとしても会社に復職するケースはまれで、大半は金銭賠償で和解しています。訴えた会社でこれから何十年も働きつづけるのは、よほど強靭な意志の持ち主でなければ無理だからです。

この問題が難しいのは、他の社員や労働組合からの支援がほとんどないことです。いったん「追い出し」の対象にされると、孤立無援で会社とたたかわざるを得なくなります。

多くの会社は、個人だけでなく部門ごとにノルマを課しています。粗利ベースでは、家賃・人件費などの固定費に一定の利益率を加えた金額が目標で、それをクリアしないとボーナスなどの査定で減額されます。

こうした共同責任制では、部門のトップはふたつの方法でノルマを達成しようとします。ひとつは、業績を拡大できる優秀な社員をメンバーに迎えること。もうひとつは、人件費の安い社員を集めてノルマ自体を引き下げることです。

ノルマが人件費を基準に算出される以上、給料ばかり高くて仕事のできない社員は重荷でしかありません。こうした社員を排除して負担を軽減しようとする“パワハラ”は、それによって利益を得る他のメンバーの暗黙の支持を受けているのです。

これはもちろん、「追い出し部屋に送られるのは自己責任」という話ではありません。あらゆる仕事を人並み以上にこなせる万能人間などいるはずはなく、ささいなことで上司や同僚と感情的にこじれることもあるでしょう。会社という閉鎖的な組織では、「使えない」という烙印をいちど押されると、どこにも行き場がなくなってしまうのです。

かつての日本企業は、こうした社内失業者を「窓際」に置いたり、発注と引き換えに子会社に出向させて養う余裕がありました。しかし業績の悪化とともに“社会福祉事業”は不可能になり、かといって受け入れを嫌がる部門に強制的に配属することもできず、退職を強要するほかなくなったのです。

「追い出し部屋」問題は、会社や経営者をいくら批判しても解決しません。

日本企業の強さは、ボトムアップの現場主義にあるといいます。その現場が追い出し部屋を求めているのですから、権力基盤の脆弱なサラリーマン社長は、社員大衆の声に従うほかはないのです。

 『週刊プレイボーイ』2013年3月11日発売号
禁・無断転載

「高金利・円安・インフレ」のアナザーワールドにようこそ

 

本日発売の『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』の「まえがき」をアップします。

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「強い日本経済を再生する」と宣言した安倍自民党政権の誕生で、「株価や地価が上昇するのでは」という期待と、「なにかとてつもなくヒドいことが起きる」という不安が交錯しています。

安倍首相が信奉する経済政策、すなわちアベノミクスは、どんな手段をとってでも日銀に2%のインフレを実現させる、というものです。

これから実施されるであろう史上例を見ない大規模な金融緩和(リフレ政策)の効果については、経済学者のあいだでも10年以上にわたってはげしい論争(というか罵り合い)が続いています。ある高名な経済学者は、「日銀が市場に大量のマネーを供給しさえすれば日本経済は復活し、経済成長による増収によって財政問題も解決に向かう」と主張します。それに対して別の高名な経済学者は、「デフレは日本経済の構造的な問題で、日銀はすでにじゅうぶんすぎるほど金融緩和をしており、これ以上なにをやっても効果はない」といいます。なかには、「いずれ国債が暴落して財政が破綻し、ハイパーインフレになる」と警告する経済学者もいます。

アベノミクスによって私たちは早晩、この「神学論争」の決着を見ることになるでしょう。いずれの論者が正しくても、そこに待っているのはこれまで経験したことのない新しい世界にちがいありません。

本書では、「アベノミクスによって日本経済はどうなるのか」という問題はいっさい扱いません。神学論争は経済学者にとっては意味があるかもしれませんが、私たちのようなごくふつうの生活者がアカデミズムの迷宮に足を踏み入れたところで仕方がないからです。

大地震や原発事故、戦争や内乱など、未来にはさまざまな不確実性が潜んでいます。経済的な混乱もそのひとつですが、そこにはふたつの大きな特徴があります。

第一に、市場で起きる出来事は将来のシナリオをかなり限定できることです。日本経済の未来には、次の3つに可能性しかありません。

①楽観シナリオ アベノミクスが成功して高度経済成長がふたたび始まる
②悲観シナリオ 金融緩和は効果がなく、円高によるデフレ不況がこれからも続く
③破滅シナリオ 国債の暴落(金利の急騰)と高インフレで財政は破綻し、大規模な金融危機が起きて日本経済は大混乱に陥る

ふたつめは、経済には強い継続性(粘性)かあることです。

仮に③の「破滅シナリオ」が現実のものになったとしても、それは次のような順番で進行するでしょう。

第1ステージ 国債価格が下落して金利が上昇する
第2ステージ 円安とインフレが進行し、国家債務の膨張が止まらなくなる
最終ステージ(国家破産) 日本政府が国債のデフォルトを宣告し、IMFの管理下に入る

書店に行けば「国家破産」のタイトルのついた本が並んでいます。日本国が抱える1000兆円の借金を考えれば、誰も財政破綻の可能性を否定することはできません。

しかしここで指摘したいのは、別の単純な事実です。“危機”は第1ステージから第2ステージ、最終ステージへと順に悪化していくのですから、ある朝目覚めたら日本円が紙くずになっていた、などということはぜったいにありません。

だとすれば私たちは、いたずらに「国家破産」を心配する必要はありません。仮に日本国がデフォルトするとしても、それまでの間に自分と家族を守るための時間はじゅうぶんに残されているのです。

それでは、不確実な未来を前にして私たちはなにをすればいいのでしょうか。

本書のテーマは「リスク」と「ヘッジ」です。

天変地異のような自然災害以外にも、戦争や内乱・テロなど私たちはさまざまな政治的・社会的リスクに晒されています。国家の債務が膨張して制御不能になる財政破綻も、私たちの人生に大きな影響を与える将来のリスクのひとつです。

しかし経済的なリスクには、政治的・社会的リスクとは異なる大きな特徴があります。

あらゆる経済的リスクは、金融市場でヘッジする(保険をかける)ことが可能です。

資産に対して最適なヘッジをかけさえすれば、「国家破産」はなにもこわくありません。

この本は金融取引の経験のあまりない保守的なひとたち、すなわちほとんどの日本人に向けて書かれています。

こうした「臆病な」投資家への私の提案は、日本経済の未来のうち、①「楽観シナリオ」と②「悲観シナリオ」、および③「破滅シナリオ」の第1ステージまでは普通預金こそが最強の資産運用だということです。

もちろん、「破滅シナリオ」の第2ステージである大規模な経済的混乱が起きれば、普通預金だけで資産を守ることはできません。しかしその場合でも、プライベートバンクやヘッジファンドなど「高度な資産運用(といわれているもの)」に頼らなくても、近所の銀行や証券会社(もしくはネット銀行・ネット証券)で売っている3つの金融商品だけでじゅうぶん対応可能です。

金融市場の正しい知識と資産運用の原則さえ知っていれば、「最悪の事態」が起きたとしてもなにひとつ慌てることはないのです。

本書でお伝えしたいことは、第2章から第5章の本文に書かれています。そこだけ読めば基本的な論点はすべてわかるはずですが、疑問な点があれば関連するコラムも合わせて参照してください。コラムはファイナンス理論の基礎を解説したもので、私のこれまでの著作と重なるものもあるので、既読の方は読み飛ばしていただいてかまいません。それと同時に、本文中で紹介した金融商品の詳しい説明をコラムでしています。実際に投資を始める前には、こちらは必ず目を通していただきたいと思います。

金融業は市場を通してデータをやり取りする情報産業で、20世紀後半のICT(情報通信技術)の急速な進歩によって大きく様変わりしました。私が「金融2.0」と呼ぶテクノロジー革命によっていまでは個人投資家と機関投資家の差はほとんどなくなり、どのような相場からでも利益を得ることができます。日本国の財政破綻は株価や為替相場を大きく動かしますから、理論的にはそこから莫大な富を獲得することも難しくありません(その代わり大きな損失を被る可能性も増しました)。

第6章では、ある程度の経験のある投資家を対象に、FXや先物・オプションなどのデリバティブを使って経済的なリスクを“奇跡”に変える戦略を解説しました。初心者にはすこし難しいかもしれませんが、このような方法もあるということを頭に入れておけばいずれ役に立つこともあるでしょう。

なぜなら、未来になにが起きるかは誰にもわからないからです。

それでは、「高金利・円安・高インフレ」のアナザーワールドにようこそ。

『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』「まえがき」より