ベトナム2012

ベトナム(ホーチミン)の写真をアップします。

SSI(サイゴン証券)の店内。かつては投資家がフロアを埋め尽くす熱気だったのに、ずいぶんとさびしくなった
新市街には高層マンションが次々と建設されている
高級住宅街はまるでアメリカ西海岸のよう。結婚式の撮影をするカップル
ホーチミンのランドマークになったビテクスコ・フィナンシャルタワー
展望台からの風景はこんな感じ

ハシズムとネオリベ 週刊プレイボーイ連載(44)

橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」が、次期衆議院選挙の事実上の公約となる「維新八策」で、不動産を含む遺産の全額徴収を検討しています。私たちは、この「相続税100パーセント」をどのように考えればいいのでしょうか。

「維新の会」とは逆に、世界には相続税のない国がたくさんあり、先進国のなかではカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどがよく知られています。これらの国が相続税を廃止したのは、それが不公平な二重課税とされたからです。

私たちは働いて得た収入から所得税を払い、預金や株式投資、不動産賃貸などの利益にも税金がかかります。相続税の課税対象になるのは、これらの税金を納めたあとに手元に残った財産です。

税制の基本は、「いちど課税した所得に再び課税することはできない」という二重課税の禁止です。これが、納税後の資産に相続税を課すことのできない根拠とされています。

相続税に反対するひとたちは、「財産を放蕩で使い果たせば課税せず、子孫に残そうとすると高率の税を課すのは、国家が家族を愛することに懲罰を加えているのと同じだ」と主張しています。実際に相続税を廃止する国があるように、この批判はかなりの説得力を持っています。

それに対して、北朝鮮など特殊な例を除けば、国民の財産を没収する国家は存在しません。しかしそれでも、「維新の会」の主張にはそれなりの理屈があります。それは、「権利と義務は個人にのみ帰属する」という究極の個人主義です。そうであれば、持ち主が死んでしまえば財産権も消滅しますから、遺産は国家に回収されるのが当然、ということになります。

「維新の会」が遺産の全額徴収という過激な政策を掲げるのは、「高齢者がお金を貯め込むのがデフレの原因」と考えているからでしょう。「生きているあいだに全財産を使い切れば景気はよくなる」との理屈です。

これが“デフレ対策”になるかどうかは別として、興味深いのは、「遺産没収」の公約に思ったほど反対の声が上がらないことです。「ただの話題づくり」というのもあるでしょうが、じつは高齢者自身が、「維新の会」の主張にどこか共感しているのかもしれません。

高齢者が資産を手放さないのは、年金制度が破綻して一文無しで街に放り出されることを恐れているからです。老後の不安がなくなれば、子どもや孫に残すより、人生を思い切り楽しむことに使いたい、というのが本音ではないでしょうか。

もちろん現実には、遺産の没収などできるはずはありません。中小企業の経営者なら、財産の大半は工場や店舗の不動産か自社株ですから、これを取り上げてしまうと会社が倒産して従業員が路頭に迷ってしまいます。そうかといって適用除外をつくれば、誰もが節税に血眼になって大混乱になるでしょう。

「維新八策」は実現可能な公約というよりも、日本人の政治意識のリトマス試験紙のようなものです。

橋下市長の政策の基本は、市場原理に基づく自由主義(ネオリベ)です。それが圧倒的な人気を博するのは、日本人がもともとネオリベ的な個人主義にきわめて親和性が高いからなのかもしれません。

 『週刊プレイボーイ』2012年3月26日発売号
禁・無断転載

第14回 同じ島のリゾートと最貧国(橘玲の世界は損得勘定)

カリブ海の島々は、壮大な社会実験のようだ。

キューバはカリブ最大の島で、15世紀末からスペイン人の入植が始まり、砂糖きびプランテーションの労働力としてアフリカから大量の奴隷が送り込まれた。

現在の人種構成はスペイン系とアフリカ系がそれぞれ4分の1で、国民の過半が双方の血を受け継いでいる。子どもたちは全員が公立学校で教育を受け、人種の融合が進んで、肌の色のちがいを意識することはほとんどない。

1959年の革命以来、カストロによる一党独裁の社会主義政権がつづき、街には50年代のアメリカにタイムスリップしたようなクラシックカーが走っている。教育も医療も無料だが、公共交通機関はほとんど機能しておらず、長距離の移動はヒッチハイクするしかない。旧ソ連からの援助がなくなって、いまはすこしずつ経済の自由化に向けて歩みはじめたところだ。

キューバの東にはカリブ海第2の大きさのイスパニョーラ島があり、東側が旧スペイン領のドミニカ共和国、西側が旧フランス領のハイチに分かれている。

ハイチはアフリカ系指導者のもとカリブ海ではじめて独立を勝ち取った輝かしい歴史を持つが、その後の政治的混乱で、現在では北朝鮮やジンバブエなどと並ぶ“失敗国家”の烙印を押されている。それに対してドミニカは、コロニアル建築の残るカリブ海屈指の観光地だ。

グーグルアースで見ると、同じ島なのにハイチとドミニカでは地面の色がちがう。鬱蒼とした熱帯雨林がハイチに近づくにつれてまばらになり、地肌が露出している。貧しい人々が、山の樹々を薪として伐採し尽くしてしまったのだ。

ハイチの悲劇は、隣のドミニカが観光業の優等生になるにつれて、ダークサイドに落ちていったことだ。

独裁や内戦などの混乱の後、政治が安定すると、ドミニカはファミリーに人気のリゾートに変貌した。後れをとったハイチの観光業者は、集客のため麻薬や同性愛を売り物にするようになった。一時は欧米からの観光客で賑わったが、80年代にエイズが蔓延すると社会全体が崩壊してしまったのだ。

2010年の大地震でハイチは30万人を超える死者を出し、その惨状が全世界に報じられた。だがほとんどのひとは、荒廃した最貧国のすぐ隣にゆたかな観光立国あるなどとは思いもしなかっただろう。

ヨーロッパ諸国の植民によって、カリブの原住民は疫病などで死に絶えてしまったから、どこもほぼ同じ条件で国づくりをスタートした。それにもかかわらず、独立から100年あまりでこれほどまで大きなちがいが生じたのだ。

歴史は個人の意志や努力によってつくられるのではなく、偶然の積み重ねだ。生まれた時と場所によって、人生の大半は決まってしまう。それでも私たちは、自分にできることを精一杯やるほかはない。

南の島で、そんなことを思ったのだった。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.14:『日経ヴェリタス』2012年3月18日号掲載
禁・無断転載

ドミニカとハイチで地面の色が明らかにちがう