スタンダード銀「イラン不正取引」疑惑・完全版〈日経ヴェリタス〉

日経ヴェリタス2012年9月2日号に掲載された「ありふれていたイラン不正送金」を、編集部の許可を得てアップします。

8月6日、ニューヨーク州金融サービス局は英銀大手スタンダード・チャータードを、イランとのあいだで総額2500億ドルの不正取引を行なっていたとして告発しましたが、世界を驚かせたこの事件は、わずか8日後にスタンダード銀が3億4000万ドルの罰金を支払うことで急転直下の和解が成立しました。しかし、「不正送金」とはそもそもなんのなのか? スタンダード銀とHSBCに対する米当局・議会の資料をもとに、この不可解な和解の背後にある事情を読み解いてみました。

行数の都合でカットした部分を入れた「完全版」で、小見出しなども一部変更しています。

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2006年10月5日、英銀大手スタンダードチャータード銀行のアメリカ部門を統括するCEOが、ロンドンにあるグループ本部の役員に1通のEメールを送った。CEOは、イランとの取引継続が「きわめて深刻かつ破滅的なダメージをグループに与える可能性がある」と述べ、さらには「(責任者である)君も僕もこのままでは刑事訴追されるかもしれない」と強い懸念を示した。

このメールを受け取った本部役員は、後に世界じゅうで知られることになる“You fucking Americans.(くそアメリカ野郎)”で始まる返事を書く。「米国になんの関係もない俺たちに、どの面下げて、イランと取引するなと命令するんだ?」

12年8月6日、ニューヨーク州金融サービス局は、9カ月にわたる調査の結果、スタンダード銀が2001~10年にニューヨーク支店を通じておよそ6万件、取引総額にして2500億ドル(約19兆5000億円)のイランとの不正取引を行なっていたと発表した。“くそアメリカ野郎”のEメールは、これが「意図的かつ許し難い」違法行為である決定的な証拠とされたのだ。

金融サービス局のロースキー局長はスタンダード銀に出頭を命じ、適切な釈明ができなければ銀行免許を取り消すと文書で通知した。この報道に市場は衝撃を受け、株価は1日で20%も暴落した。それに対してスタンダード銀はただちに声明を発表、「ささいな事務上のミス」としてイランとの不正取引疑惑を否定するとともに、一時はニューヨーク州当局を相手に訴訟を起こす構えを見せた。

だが発表からわずか8日後の14日、金融サービス局は、スタンダード銀がニューヨーク州に3億4000万ドル(約265億円)の罰金を支払うことで和解したと発表した。核兵器を秘密裡に開発し、テロリストに資金を提供している(と米国が見なす)イランとの不正取引にしては、きわめて軽い処分だ。不可解な決着の背後にはいったい何があったのだろう。

ありふれた違法行為 

イランとの不正取引は、じつは“ありふれた”違法行為だ。下表にあるように、2009年~12年の3年間で、スタンダード銀以外にもヨーロッパの大手銀行5行が不正送金を理由に多額の罰金を支払わされている。さらには7月16日に公表された英銀大手HSBCに対する米上院常設小委員会の報告書でも、イランとの不正取引が大きく取り上げられている。

イランとの不正取引にかかわった金融機関と罰金

“許し難い”のはスタンダード銀だけではなかった。なぜ世界の一流銀行は、こぞって「不正」に手を染めることになったのだろうか。

1995年、クリントン政権はイランとの貿易・投資・金融取引の禁止を発表する。これにともなって、米財務省・外国資産管理局(OFAC)は米国内の金融機関に対し、イラン関連口座の資産を凍結するよう命じた。この措置に違反すると1件あたり5万~1000万ドルの罰金が課され、意図的な違法行為は10~30年の懲役に処せられる。スタンダード銀幹部が刑事訴追を怖れたのはこのためだ。

ところで厳密にいうと、OFACの規制はイランと米国人(個人・法人)との金融取引を禁止するものだから、米国外で行なわれる取引には制限は及ばない。イランは原油と天然ガスの輸出国だが、それをヨーロッパやアジアの国が購入することにまで米国政府は介入できないのだ。

しかしこの取引がドル建てで行なわれると(実際イランの金融取引の8割がドル建てだった)、やっかいな問題が発生する。ドル資金を決済する米国の金融機関は、その取引が適法(オフショア)か違法(オンショア)かを峻別しなければならないのだ。

愛国はめんどくさい 週刊プレイボーイ連載(65)

竹島と尖閣諸島の領有権問題が、暑い夏をさらに不愉快にしています。

領有権というのは、「なわばり」のことです。この問題がやっかいなのは、ヒトのOSが「なわばりを侵されたら激昂せよ」とあらかじめプログラミングされているからです。

なわばりによって自分と家族の生存領域を確保するのは、哺乳類だけでなく、昆虫や爬虫類、両生類、魚類、鳥類にも共通する進化の大原則です。このプログラムは生き物が子孫を残すのにものすごく有効な戦略だったので、なわばりを守れないような個体は淘汰されて進化の歴史から消えてしまったのです。

しかし、たんになわばりを閉じこもっているだけでは遺伝子は途絶えてしまいます。メスは、相手のなわばりにいるからです。こうして進化という巧緻なプログラマーは、「相手のなわばりを侵せ」という命令を書き加えました。私たちは生まれながらにして、自分のものを守り、相手のものを奪うよう「設計」されています。

尖閣諸島に香港人の活動家らが不法上陸すると、日本人は無条件に怒りの感情が湧いてきます。同様に、都議や県議を含む日本人が尖閣諸島に無許可で上陸すると、中国の反日デモに火がつきます。これは無意識の衝動なので、歴史的経緯をどれほど説明しても双方が納得することはあり得ません。

そもそもヒトは、相手(中国人や日本人)が間違った行動をとったから怒りを感じるわけではありません。因果関係はこの逆で、まず衝動的な怒りがあり、その感情を正当化するために、「悪いのは奴らだ」という理屈が“理性によって”構築されるのです。このことから、なわばり問題では対話はなんの役にも立たず、火に油を注ぐだけなのがわかります。

生物の進化とともに育ったなわばり感情はものすごく強力なので、手っ取り早く大衆の支持を獲得したいときにしばしば利用されます。李明博大統領は、次期大統領選を年末に控え、選挙参謀でもあった実兄が贈収賄罪で逮捕されて窮地に陥っていました。失うものがなければ、「竹島上陸」というギャンブルに打って出る決断はさして難しいものではなかったでしょう。だがこれは典型的な“なわばりプロパガンダ”で、一時的には支持率は上がるかもしれませんが、ひとたび一線を越えると退けなくなる強い副作用を持っています。李大統領が天皇への謝罪要求にまで“暴走”したのも、愛国のボルテージを上げ続けるしかなくなったからでしょう。

尖閣に上陸した香港の活動家はテレビ局のカメラマンを同行させており、宣伝と資金目当てなのは明らかです。しかしそれでも、日本の領土を侵犯する以上、逮捕・拘禁は覚悟していたでしょう。いっぽう、無許可で尖閣に上陸した日本の都議や県議にはなんのリスクもなく、その行動は売名以外のなにものでもありません。

国家が存在する以上、領土問題は原理的に解決不可能ですから、私たちはそれを慎重に扱わなければなりません。しかし困ったことにいずれの国も、衝動を正義と勘違いする自称「愛国者」と、それを売名に利用しようとする政治家が溢れているのです。

PS:エントリのタイトルは、まついなつきの『愛はめんどくさい』からの借用です。

『週刊プレイボーイ』2012年9月3日発売号
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