既得権を守るために「日本人はバカだ」という 週刊プレイボーイ連載(125)

楽天の三木谷浩史社長が、医薬品のネット販売規制に抗議して、政府の産業競争力会議の民間議員を辞任すると表明しました(慰留され11月18日に撤回)。この会議はアベノミスクの三本目の矢である成長戦略の要とされていましたが、その象徴的存在だった三木谷氏に三行半を突きつけられたことで、安倍政権の規制緩和への本気度が問われています。

楽天の子会社などが原告となった行政訴訟では、医薬品のネット販売を禁止した厚労省令を、最高裁が「薬事法の趣旨に適合せず違法で無効」と判断しました。これでようやく自由化が進むかと思えば、厚労省は薬事法を改正して一部の市販薬のネット販売を禁止するほか、処方薬については対面での販売を法律で義務づけるといいだしました。これでは三木谷氏が激怒するのも当たり前です。

厚労省は、ネット販売を禁止する五つの市販薬は「劇薬」で、医師が処方箋を出して薬剤師が提供する処方薬については「ネットでは安全が保証できない」と説明しています。

一見するともっともらしい理屈ですが、規制について考える場合は二つの視点が大事です。ひとつは「その規制は誰の利益を守っているのか」ということ。もうひとつは、「規制に科学的な根拠があるのか」ということです。

患者のなかには、身体が不自由で薬局まで行くことができないひともいます。病名を知られるのが嫌で、薬を買うのを躊躇しているひともいるでしょう。処方薬のネット販売が解禁されれば、こうした患者の利便性が大きく向上することは間違いありません。

厚労省や薬剤師の業界団体は「ネット販売は危険だ」と繰り返しますが、対面販売の強制によって不利益を被っているひとたちの存在についてはいっさい口にしません。また一部の市販薬への規制では、そもそも「劇薬」が町の薬局で誰でも買えること自体がおかしいのですが、これについての説明もありません。

規制緩和をめぐる議論でいつも不思議に思うのは、なんの根拠も示さずに情緒に訴える主張がいまだにまかり通っていることです。

アメリカやイギリス、ドイツなどでは薬のネット販売が解禁されています。もし厚労省や薬剤師の団体がいうように処方薬のネット販売が患者の安全を脅かすのなら、これらの国ではトラブルが頻発し、消費者団体などがネット販売の禁止を求めているはずですが、そのような動きはありません。日本ではニセ薬の問題ばかりが取り上げられますが、「薬を処方してもらうためだけに病院に出向く手間がなくなり、医療費の削減にもつながっている」と評価されてもいます。

前回、マリファナや売春の自由化について書きましたが、冷戦が終わって自由経済の中で生きていくほかないとわかってから、さまざまな国が効率的な制度を模索して社会実験を行なっています。だとしたらもっとも費用対効果の高い政策立案とは、他の国でうまくいっている政策を取り入れて改良していくことです。

既得権にしがみつくひとたちは「日本の事情」ばかりを強調しますが、欧米で成功したことが日本できないというのは、「日本人はバカだから規制が必要だ」といっているのと同じです。薬局の利益を守るためだけにこういう「自虐的」な主張が横行するのは、そろそろ終わりにしたいものです。

『週刊プレイボーイ』2013年11月25日発売号
禁・無断転載 

第37回 シンガポールの芝は青く見える(橘玲の世界は損得勘定)

シンガポールに注目が集まっている。日本の富裕層やベンチャー起業家たちが、続々とこの小さな国を目指しているのだという。一人あたりGDPが日本を抜いてアジアでもっともゆたかになったことで、「シンガポールを見習うべきだ」という論調もしばしば目にする。

シンガポールの大胆な経済政策には参考になるものも多いが、どう頑張っても日本はシンガポールにはなれない。国としての条件があまりにも違いすぎるからだ。

シンガポールは香港と並ぶアジアのタックスヘイヴンとして、グローバル金融機関の誘致に成功した。それを可能にしたのは、国内に主要産業がなく、税率の引き下げで失うものよりも、海外からの資本移転で得るものの方が大きいからだ。欧米や日本のような大規模で複雑な経済ではそうはいかない。

金融はITと並ぶ知識産業で、製造業やサービス業より賃金がずっと高い。金融が主要産業になれば高収入のひとが集まってくるから、一人あたりGDPが高くなるのは当たり前だ。このことは、世界でもっともゆたかな国がヨーロッパのタックスヘイヴン、ルクセンブルクだということからもわかる。

ルクセンブルクの知人に「この国はみんな金持ちでいいね」といったら、彼は笑いながら「リストラされたら暮らしていけないから、貧乏人が出て行って平均年収が高くなるんだ」と教えてくれた。

シンガポールのもうひとつの特徴は、食糧やエネルギーをすべて近隣諸国に依存していることだ。農業部門を持たないから都市と農村の経済格差もないし、政治的な利害対立も起きない。そのかわり生殺与奪の権を他国に握られて、安全保障は不安定になる。

シンガポールは富裕層に最適化された都市国家で、教育水準も医療水準もきわめて高い。アジアでもっとも暮らしやすい国のひとつであることは間違いないが、それでもシンガポール人と話をすると、みんな「日本はいいよね」と口をそろえる。

シンガポール人の不満のひとつは、国が狭すぎることだ。人口は540万人と東京の半分ほどだが、島の中央部は熱帯雨林で、山手線の内側ほどの場所にひしめきあって暮らしている。

もうひとつの不満は、暑すぎることだ。赤道に近いからどうしようもないのだが、1年じゅう高温多湿で、サウナのような屋外と冷蔵庫の中のような屋内を出入りすることになる。春の桜や秋の紅葉、冬の雪景色に憧れる気持ちはよくわかる。

シンガポールでは、寿司や鉄板焼きからラーメンまで日本食が大ブームで、本場の味が安く食べられるというのも日本観光の大きな魅力になっている。

シンガポールは「明るい独裁国家」ともいわれるが、政治についての不満は聞いたことがない。私が外国人だからかもしれないが、うまくいっているうちは文句をいう理由もないのだろう(最近は移民問題で抗議集会が開かれるようになった)。

隣の芝はいつだって青く見えるのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.37:『日経ヴェリタス』2013年11月10日号掲載
禁・無断転載

マリファナも売春も合法化が進んでいる 週刊プレイボーイ連載(124)

アムステルダムに泊まったとき、部屋に置いてあった観光客向けのガイドブックに仰天したことがあります。そこは一流ホテルだったにもかかわらず、ガイドブックには「売春の仕方」や「マリファナの買い方」が載っていたからです。

よく知られているように、オランダでは売春とマリファナが合法化されています。

マリファナはコーヒーショップと呼ばれる専門店で購入でき、ヨーロッパじゅうから度胸試しの若者たちが集まってきます。とはいえマリファナの栽培や製造・販売がすべて合法化されているわけではなく、治安の悪化を懸念する声もあって試行錯誤が続いているようです(アメリカでも医療用大麻の合法化は進んでいますが、娯楽としての使用については意見が割れています)。

それに対して売春は世界的に合法化されつつあり、ドイツ、オランダ、デンマーク、ベルギー、スイス、オーストリアなどでは売春斡旋業(置屋)も認可制です。

売春合法化は女性の人権団体からも支持されています。国家が売春を犯罪化すると、反社会的集団にビジネスの余地が生まれ、売春婦(セックスワーカー)の労働環境が劣悪なものになってしまうからです。

売春合法化の流れは、90年代のエイズの蔓延で決定的なものになりました。禁止しようがしまいがセックスを金銭でやり取りするひとはいるわけですから、それなら認可制にして衛生管理やコンドームの使用を義務づけたほうが、当事者だけでなく社会全体の利益もずっと大きくなるのです。

もっとも売春をどこまで認めるかは国ごとに異なります。オランダでは赤線地帯に「飾り窓」と呼ばれる売春宿が並んでおり、顧客と直接、料金交渉をするシステムです(アムステルダムの飾り窓は観光客でものすごい賑わいです)。デンマークではサロンやマッサージ店で売春が行なわれ、オーストリアでは街娼にも営業免許が交付されます(売春を目的とした移民には「売春ビザ」が発行されます)。

スイスのチューリッヒでは街娼への苦情が増えたため、今夏から「売春ドライブイン」の実験が始まりました。道路脇の空き地を柵で囲んでセックスボックを並べ、警備員を常駐させて車に乗っているのが一人かどうかを確認するほか、売春婦が危険を感じたら警報ボタンで知らせることもできます。施設には医師や社会福祉士も常駐するといいます。

なかなかよく考えられた仕組みのように思えますが、当の売春婦は売上げの減少を恐れて利用を躊躇しているとのことで、みんなを納得させる売春制度というのはなかなか難しいようです。しかし世論調査でも、「売春は本人の自由で禁止はできない」と考えるひとが圧倒的で、政府や自治体も過度な規制をするつもりはないと述べています。

日本では大麻所持は覚醒剤と同様の犯罪で、売春も建前上は違法とされています。日本人はこれをまるで普遍的なルールのように思っていますが、暴力団の下で働かされている売春婦や、大麻でしか鎮痛作用を得られない患者の存在は無視されたままです。

世界の流れについていけずにガラパゴス化するのは、携帯電話だけではないようです。

  『週刊プレイボーイ』2013年11月18日発売号
禁・無断転載