『バカが多いのには理由がある』発売のお知らせ

こんにちは。

集英社から単行本『バカが多いのには理由がある』が発売されます。Amazonではすでに予約が始まっています。発売日は26日ですが、都内の大手書店では明日には店頭に並ぶところもあるようです。

『週刊プレイボーイ』の連載をまとめた単行本の2冊目で、前作『不愉快なことには理由がある』と同様、長いプロローグとエピローグを加えています(プロローグの「私たちはみんなバカである」は書き下ろしです)。

このブログを訪れていただいている方には既読の記事も多いと思いますが、本書のプロローグをお読みいただければ、私がなぜこのような奇妙な主張をするのか、その背景がご理解いただけると思います。

書店で見かけたら手にとっていただければ幸いです。

「新しい統治」ではなく「正しい統治」があるだけ 週刊プレイボーイ連載(151)

日本維新の会が国政選挙に乗り出した2012年10月、「地方の支店長が社長に命令する組織」というコラムを書きました。維新の会は「日本の統治を立て直す」と主張しますが、党首である橋下徹氏が首相を目指さないのでは国政政党として体をなさないのでは、と疑問に思ったのです。

当時、橋下大阪市長はまだTwitterをやっていて、「自分の政党の統治すらできない人物に国家の統治などできるはずはない」という拙文に対し、「(これからやろうとしている)新しい統治がわかっていない」というツイートをもらいました。それからどんな改革があるのかずっと楽しみにしていたのですが、1年半の迷走の末に共同代表だった石原慎太郎氏と袂を分かち、維新の会は元の姿に戻ってしまいました。今後は結いの党と合流するのでしょうが、このままでは誰が代表になるのかという問題がまた出てきそうです。

橋下市長のいちばんの魅力は、ネオリベを前面に押し立てて暴力的に地方政府に改革を迫ったことです。

ネオリベラルの思想は、リベラルな福祉国家への批判として1960年代のアメリカで生まれました。経済学者のミルトン・フリードマンは、ケインズ型の福祉国家は有権者への歯止めのないばらまきを招き、いずれ破綻すると批判しました。橋下市長は2008年1月に大阪府知事に当選しますが、その当時の大阪は非効率な行政、破綻寸前の財政、既得権にしがみつく公務員など、まさにネオリベが描いた「腐敗し、肥大化した(地方)政府」そのものでした。

ネオリベの思想は一朝一夕につくられたのではなく、半世紀に及ぶリベラル派との熾烈な論争のなかで経済学者(その多くがノーベル賞受賞者)を中心に鍛え上げられてきたものです。このグローバル思想で武装した橋下市長は、当時、140文字のTwitterであらゆる批判を叩きのめす無敵の政治家でした。右往左往する公務員相手の勧善懲悪の見世物に観衆が熱狂したのも当然です。

ところが橋下市長はその後、ネオリベの思想とはまったく関係のない領域に踏み込みます。それが13年5月の従軍慰安婦発言で、沖縄米軍司令官に「もっと風俗を活用してほしい」と進言したことでアメリカを巻き込んだ国際問題になりました。ネオリベは功利主義と経済合理性によって制度改革を目指す政治思想で、外交や軍事、歴史問題は対象外ですから、これは橋下市長独自の考えが表に出たものでしょう。

太陽の党との合流や石原代表との共同統治も、ネオリベ的な統治理論からはあり得ない話です。橋下市長が大阪を離れるわけにはいかないという事情からの窮余の策でしょうが、その結果、誰が統治しているのかわからない組織ができあがってしまいました。

「これまでにない」というのは、ほとんどの場合、試したひとが誰ひとり成功しなかったということです。この教訓からわかるのは、「考えるべきことはすでに誰かが考えている」という単純な事実です。橋下市長であれ誰であれ、「まったく新しい」ものを生み出すことなどもはや不可能で、自分だけの特別な考えを実行しようとすれば失敗するのが当然なのです。

今後、橋下市長は大阪の改革に専念するようですが、それならなぜ国政に進出したのかと思うのは私だけではないでしょう。

「新しい統治」などどこにもなく、「正しい統治」があるだけなのです。

『週刊プレイボーイ』2014年6月16日発売号
禁・無断転載

ソロスから学んだこと(『月刊文藝春秋』6月号「自著を語る」)

『月刊文藝春秋』6月号「自著を語る」で『臆病者のための億万長者入門』について書きました。編集部の許可を得て、「ソロスから学んだこと」を転載します。

***********************************************************************

「ヘッジファンドの帝王」ジョージ・ソロスは1930年にブダペストのユダヤ人家庭に生まれた。

第一次世界大戦で敗戦国となり領土の大半を失ったハンガリーでは民族主義が高揚し、ナチス・ドイツに与して領土回復を目指していた。第二次世界大戦が勃発したのはソロスが9歳の時で、ブダペストのユダヤ人も次々と収容所に送られていった。

そんな彼らを救うために尽力したのがソロスの父親だった。第一次世界大戦後、シベリアの収容所から脱走し、ロシア革命のなか8000キロを逃げ延びて帰還した父親は幼いソロスのヒーローだった。弁護士となった父はナチスという新たな脅威を前にして、「非常事態には法は適用されない」と宣言してソロス家の指揮をとり、家族全員の身分証を偽造し避難先を手配するとともに、助けを求める同胞に偽の身分証明書類を提供した。

敗色濃厚となったドイツ軍がブタペストを占領すると、市街戦とユダヤ人虐殺が始まった。路上には人間や馬の死体が転がり、ソ連の戦闘機が機銃掃射を繰り返すなか、13歳のソロスは秘密部屋を出て街を探索し、近くの井戸から水を汲み上げて家に運んだ。ソロスは後年、ブダペストが炎に包まれたこの年を「人生でもっとも幸福な日々」と回想している。

勉学のためイギリスに渡ったソロスは科学哲学の大家カール・ポパーに憧れて学問の道を志すが挫折し、26歳でアメリカに渡って株の取引を始めた。だがソロスが求めたものは、経済的な成功ではなかった。じゅうぶんな富を得て33歳でビジネスの第一線から退いたソロスは学問に戻り、哲学書を書き上げるために3年を費やした。ソロスがヘッジファンドの運用者として再登場するのは、その試みを放棄した後だ。

大富豪となってからも、ソロスは贅沢にはまったく興味を示さなかった。ある晩餐会の席で、隣に座った婦人から、「お金儲けが好きだと気づいたのはいつか」と訊ねられ、「金儲けは好きではありません」とソロスは答えた。「ただ、うまいだけです」

ドイツ生まれの妻とのあいだに3人の子どもをもうけ、莫大な富を手にしながらも、ソロスは自らの人生に満足することができなかった。48歳で家を出て小さな家具つきアパートを借りると、そこに服を詰めた数個のスーツケースと何冊かの本を運んだ。

その後、ソロスは近くのテニスコートで若い女性と知り合った。その女性と再婚することになるのだが、ソロスから「自分はウォール街で成功した富豪だ」と打ち明けられたとき、彼女は「絶対ペテン師だと思ったわ。小銭も持っていない男だってね」と決めつけた。

1992年、ソロスは大規模な通貨取引を仕掛け、ポンドの暴落で10億ドル(当時の為替レートで1200億円)の利益をあげ、「イングランド銀行を打ち負かした男」として世界に衝撃を与えた。1997年のアジア通貨危機では、マレーシアのマハティール首相から通貨暴落の元凶として名指しで批判されてもいる。

その一方で世界有数の富豪となったソロスは「開かれた社会(オープンソサエティ)」のための財団を設立し、冷戦終結後の東欧の民主化に貢献した。ソロスが慈善事業に投じた資金は80億ドル(約8000億円)を超えている。

ソロスは金融市場で大きなリスクをとることで、とてつもない成功を手にした。彼が投機を恐れなかったのは、少年時代のブダペストでの体験があったからだ。ヒーローである父の指揮下で死体の散乱する街を駆け回ったあのわくわくする日々を、ソロスは取り戻そうとしていた。

だが金融市場からどれほどの富を得ても、ソロスの渇望が癒されることはなかった。金融取引のリスクなど、ほんものの戦争と比べればしょせんまがいものでしかないのだ。

この数奇な体験を紹介したのは、ソロスが“ふつう”ではないからだ。一生使い切れないほどの富を得た後で、さらに血眼になって金儲けをしたいとは私たちは思わない。ソロスが投機を求めるのは、それなくしては生きていけないからだ。

金融市場は人類が生み出した史上最大のギャンブル場で、そこでは“ふつう”でない人々が仮想取引(ヴァーチャルゲーム)に己の実存を賭けている。だがその絢爛豪華な舞台装置にばかり目を奪われていると、大切なことを見落としてしまう。金融市場は、私たちの人生の経済的な土台(インフラ)をつくるものでもあるのだ。

それが、“ふつう”のひとのための「億万長者入門」を書こうと思った理由だ。

参考文献:マイケル・T・カウフマン『ソロス』(ダイヤモンド社)
『月刊文藝春秋』6月号
禁・無断転載