『ブレンダと呼ばれた少年』解説

ジョン・コラピントの『ブレンダと呼ばれた少年』が再刊されることになって解説を書いたのですが、版元の事情で刊行されなくなったため、もったいないのでブログにアップします。古書はネットで購入可能です。

この本を再刊したいという版元さんがあったら、この解説を使っていただいてかまいません。

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“完璧な作品”というのは、本書のことをいうのだろう。ここでの“完璧”とは、主人公はもちろん、その両親、一卵性双生児の弟、男性器を失った赤ん坊に“性転換”手術をさせた高名な性心理学者など、すべての関係者にインタビューし、心理療法の面接記録なども活用して、著者の想像を加えることなく事実を積み重ね、作品をつくり上げていることだ。

これは、ノンフィクションとして(とりわけ本書のような“悲劇”では)稀有なことだ。重要な人物(加害者や被害者)が証言を拒否することもあれば、そもそも当事者が死亡していることもある。多くのノンフィクション作家は、このような得難い事例に遭遇することなくキャリアを終えていくのだから、これが著者にとって最初の(そして現在まで唯一の)ノンフィクション作品というのは、信じがたい幸運というほかない。

だがこれは、著者のジョン・コラピントを貶めているわけではない。この幸運を逃さず、徹底した取材を行ない、男として生まれ、少女として育てられ、男に戻るというブレンダ/デイヴィッドの数奇な運命を見事に描き切ったことに、その傑出した才能がいかんなく示されている。

だがこの作品がいまも欧米で繰り返し参照され、今回、日本でも復刊されることになったのには、たんに「傑作ノンフィクション」という以上の意味がある。LGBTIQ+と総称される性的マイノリティのうち、本書はインターセックス(性分化疾患〈DSD〉)とトランスジェンダーについての議論に大きな示唆を与えているからだ。 続きを読む →

イスラーム原理主義者からCIAのスパイになったデンマーク人

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2017年10月12日公開の「デンマークの白人男性・モーテンがイスラム教に改宗し、 やがてスパイとなった理由」です(一部改変)。

Mohammad Bash/Shutterstock

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アンナ・エレルの『ジハーディストのベールをかぶった私』(本田沙世訳/日経BP)は 、フランス人の女性ジャーナリストがジハーディストとの結婚に憧れる若い(白人)女性に扮し、インターネット上でIS(イスラム国)幹部と接触を試みた稀有な記録だ。

参考:イスラム国を目指すヨーロッパの若い女性たち

それに対してモーテン・ストームの『イスラム過激派二重スパイ』(庭田よう子訳/亜紀書房)は、デンマークの地方都市に生まれた白人男性がイスラーム原理主義に傾倒し、ウサーマ・ビン・ラーディンとつながるアルカーイダ幹部と接触をもち、その結果、イギリスの情報機関MI5(軍情報部第5課)やアメリカのCIA(中央情報局)にスパイとして雇われることになった経緯を語った、これもまた稀有な証言だ。 続きを読む →

民主政治の基盤である納税を会社に一任して、不思議とも思わない国 週刊プレイボーイ連載(617)

自民党総裁選に出馬表明した河野太郎デジタル相が、年末調整を廃止し「すべての国民に確定申告していただきます」とSNSに投稿をしたことが、ネットニュースで話題になっています。

よく知られているように、会社員は給与から税・社会保険料を源泉徴収されています。このうち、社会保険料は支払額が確定していますが、所得税は扶養家族が増えたり、生命保険料控除などの各種控除を受けることで、払い過ぎが生じることがあります。年末調整はこれを計算し、還付を請求する手続きです。

アメリカでも給与からの源泉徴収は行なわれていますが、還付の計算は年度末に各自が行ない、タックスリターン(確定申告)は国民の一大イベントになっています。アメリカ人はこれによって、納税者としての自覚をもつようになるのです。

ところが日本では、サラリーマンの確定申告を会社に丸投げするという“イノベーション”によって、経理部に必要書類を提出するだけで還付の計算をしてもらえます。しかしこれでは、「納税者」であるにもかかわらず、自分の納税額すらちゃんと把握していないことになってしまいます。

それ以外にも、年末調整にはさまざまな批判があります。

ひとつは、国が会社をタダで使っていることです。徴税は国の仕事なのだから、それを民間事業者にアウトソースするのなら、相応の対価を支払うべきだというのです。

計算を簡便にするために、仕事の内容にかかわらず、給与所得控除を一律に決めているのも大きな矛盾でしょう。働き方が多様化すれば、仕事に必要な経費は一人ひとりちがってくるはずです。

より重要なのは、控除を受けるためには、家庭の状況を会社に伝えなければならないことです。結婚や出産ならいいではないか、と思うかもしれませんが、離婚したり、家族が障害者になったり、知られたくないこともあるでしょう。しかし、こうした情報がないと会社は正しい計算ができません(年末調整せずに、確定申告で還付を受けることは可能です)。

これが問題にならなかったのは、日本社会では会社は「イエ」であり、“家族”である社員のプライベートな情報を集めることに違和感がなかったからでしょう。しかしこうした価値観は、大きく変わっています。

近代的な市民社会は、有権者が民主的な手続きによって税金の使い方を決めることで成り立っています。そのため税の専門家からは、これまでも「源泉徴収はともかく、年末調整は廃止すべきだ」という意見がありました。「国民全員が確定申告する」という河野氏の主張は、その意味ではきわめてまっとうです。

それにもかかわらず、ネットには「面倒くさい」「裏金を暴かれた仕返し」などの批判があふれ、メディアもそれを面白おかしく報じるだけということに、日本の「民主主義」のレベルが象徴されています。

もうひとつ、やはり総裁選に出馬した石破茂氏が富裕層の金融所得課税を提案して批判されましたが、富裕税はアメリカでいうなら民主党左派(レフト)の主張です。そのような政策が自民党から出てくるのも、この国の不思議なところでしょう。

『週刊プレイボーイ』2024年9月16日発売号 禁・無断転載