覚醒剤じゃなくても、みんななにかに依存している 週刊プレイボーイ連載(231)

元有名野球選手が覚醒剤所持・使用容疑で逮捕されました。報道によれば選手時代から覚醒剤を常用していた疑いもあり、近年は完全な依存状態になっていたようです。

健康への影響がタバコよりも少ないマリファナが欧米で解禁されつつあるのに対し、覚醒剤(アンフェタミン)やヘロイン、コカインなどはハードドラッグと呼ばれ、強烈な快感と強い依存性から法できびしく取り締まるのが当然とされてきました。ところがノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンやゲイリー・ベッカーらは、マリファナはもちろんハードドラッグも合法化して酒やタバコと同様に市場で取引できるようにすべきだと主張しています。

彼らはもちろん、ドラッグの危険性を軽視しているわけではありません。しかしアメリカにおけるドラッグ・ウォーズを振り返るなら、規制や取締りはほとんど効果がなく、麻薬組織はあいかわらず莫大な利益をほしいままにし、供給側の中南米の国々の治安を破壊しています。また近年のきびしすぎる量刑は、巨額の税金を投じて末端のドラッグディーラーを大量に刑務所に収監することで、黒人やヒスパニックなどマイノリティのコミュニティを危機に陥れました。黒人女性の未婚率や母子家庭の割合が極端に高いのは、若い黒人が刑務所にいるからなのです。

米国での調査では、ハードドラッグ体験者のうち95%は中毒になる前に使用をやめており、依存症になるのは5%程度です。このひとたちはさまざまな理由から依存状態になりやすく、ドラッグを禁止すれば非合法な手段で手に入れようとするか、大量飲酒など他の有害な行動をとるようになります。医師のなかにも、ドラッグよりも酒(アルコール)の方が有害だと考えるひとはたくさんいます。だとすれば、ハードドラッグを合法化し、法の下で製造・販売を管理して、そこからの税収を依存症への治療に充てたらどうでしょうか。

麻薬を合法化すれば地下組織は壊滅し、刑務所に収監される犯罪者の数も激減し、高価な麻薬を入手するための衝動的な犯罪も減るでしょう。麻薬供給国の治安は劇的に改善し、アフガニスタンのタリバーンのようなテロ組織がケシを資金源にすることもできなくなります。麻薬依存症はアルコール依存症などと同じく、犯罪ではなく治療の必要な病気として扱われるべきです。

依存症を引き起こすのは、酒や麻薬だけではありません。セックスや恋愛でも脳内にドーパミンなどの快楽物質が分泌されることがわかっており、セックス依存症や恋愛依存症が社会問題になりつつありますが、これを法で禁止すれば国民がいなくなってしまいます。過激なナショナリストはアイデンティティを国家に依存していますが、国家が国家を禁ずることはできません。IS(イスラム国)のテロが明らかにしたようにもっとも危険な依存の対象は宗教でしょうが、神を違法にすることもできません。

けっきょくのところ、すべてのひとが、多かれ少なかれなにかに依存して生きているのです。私たちは、そんなに強いわけではありません。

だとすれば、必要なのは特定の依存症患者を袋叩きにすることではなく、彼らが社会復帰できるよりよい仕組みをつくっていくことでしょう。このような視点があれば、退屈な芸能ニュースにも多少は深みが出ると思うのですが。

参考:ゲーリー・S. ベッカー『ベッカー教授の経済学ではこう考える』

『週刊プレイボーイ』2016年2月22日発売号
禁・無断転載

誰もが不道徳を知っているが、誰もそれを説明できない 週刊プレイボーイ連載(230)

人気バンドのボーカリストと女性タレントの不倫が話題になっていますが、見ず知らずの男女の浮気で被害を受けるひとなどどこにもいないのですから、なにがこれほどひとびとを興奮させるのか不思議です。ほめられたことではないとしても、もし知り合いが同じ状況なら「バレるようなことをしたのがマズかったね」と同情するか、「そこまでこじれたら元の鞘に戻るのは無理だから、弁護士に相談しなよ」とアドバイスする類の話でしょう。「既婚者の3割は浮気している」といわれるくらい、不倫はありふれた出来事なのです。

社会的な動物であるヒトは、噂を極度に気にするように進化してきました。いつもテレビで見ている芸能人を近しい存在のように錯覚するのも、自分を「被害者」と一体化して「加害者」に怒りをぶつけるのも人間の本性です。芸能人はこうした錯覚を利用して富と名声を得ているのだから、相応の代償を払うのは当然との意見もあるかもしれません。しかしそれでも、一般人の浮気には寛容で、芸能人が不倫すると社会的に抹殺するのではとうていフェアとはいえません。

「道徳」の特徴は、なにが不道徳かを知っていても、その理由を説明できないことです。ある心理学者が、「実の姉妹と避妊したうえでセックスすること」「捨てられていたアメリカ国旗でトイレ掃除をすること」「自動車事故で死んだ犬を飼い主が食べること」が道徳的かどうか訊いたところ、すべてのひとが「不道徳」と即答しました。しかしなぜそれをやってはいけないのか質問すると、説明できたひとは一人もいなかったのです。

こうした「不道徳な行為」に共通するのは、他人になんの迷惑もかけていないことです。しかしそれでも、ひとびとはそれが断罪されて当然だと考えます。だとしたらそこには、なんらかの人為的な基準があるはずです。

不道徳な行為に制裁を加えることはすべての社会に共通しますが、なにを不道徳とするかは文化によって異なります。宗教的な社会では、不倫は死によってあがなう大罪とされます。保守的な社会では、一夫一妻制を守るために不倫には民事上の罰を与えるべきだとするでしょう。しかし個人主義を徹底した社会は、誰を好きになるかは個人の自由で、トラブルは当事者間で解決すればいい(第三者には関係ない)と考えるかもしれません。道徳の基準が曖昧だからこそ、他者を断罪するのに自分以外の多くの人間の同調を必要とするのです。

一般に、道徳は宗教的なものから保守的(共同体的)な段階を経て個人主義的なものへと「進歩」していくとされます。だとしたら、「不倫は悪」という古い道徳に対抗するには、事実を素直に認めたうえで、「これは自分たちの問題だから自分たちで解決します」と個人主義の道徳でこたえればよかったのかもしれません。

とはいえ、退屈したひとたちが刺激を求めている社会では、これもどれほど効果があるかは疑問です。

他人を道徳的に攻撃すると、脳の快感を司る部位がはげしく活性化することがわかっています。道徳は最大の娯楽のひとつですが、それを認めるのは不都合なので、ひとびとは怒りによって自分の「不道徳」を正当化しようとするのです。

『週刊プレイボーイ』2016年2月15日発売号
禁・無断転載

「非正規」への身分差別は世界の恥 週刊プレイボーイ連載(229)

安倍首相が施政方針演説で「同一労働同一賃金の実現に踏み込む」と発言しました。同じ仕事をしているひとに同じ賃金を支払うのは当たり前に思えますが、驚くべきことに日本ではこれまで非常識とされてきました。労働者を「正規」と「非正規」の身分に分けて、正社員のみを会社共同体の正式なメンバーにしているからです。

人種によって異なる扱いをすることが人種差別(レイシズム)で、男女の性別で待遇を変えれば性差別です。それと同様に、正規と非正規(あるいは親会社からの出向とプロパーの社員)で異なる給与体系を押しつけることは身分差別以外のなにものでもありません。

さらに問題なのは、終身雇用・年功序列の日本的労働慣行が新卒一括採用や定年制という年齢差別を前提としていることです。これは日本国内だけで通用するガラパゴス化した制度なので、日本人(本社採用)と外国人(現地採用)で国籍差別までしています。これほどまで重層化した差別が社会の根幹にあることを日本は官民あげて必死に隠してきましたが、ILO(国際労働機関)の勧告など国際社会の圧力をいよいよ無視できなくなったということでしょう。

非正規を差別して正社員という特権階級をつくるのは、「日本人」「男性」「中高年」「高学歴」という属性を持つひとたち(いわゆるオヤジ)の既得権を守るためですが、残念なことにオヤジ予備軍の高学歴の若者や、オヤジに扶養されている家族の暗黙の支持があるのでなかなか変わりません。

自分たちが「差別主義者」であることは大企業の経営者や労働組合も気づいていて、「同一価値労働同一賃金」の実現を提唱しています。「同一労働」だとパートも正社員も労働時間以外は完全に平等という北欧型の労働制度になってしまうので、正規と非正規では労働の「価値」がちがうと強弁しているのです。

連合によれば、正社員の高い給与は「転勤や配置転換にともなう精神的苦痛」の代償とのことですが、自分たちが虐待されているという被害者意識丸出しです。経団連の主張は「労働者のキャリアや責任」で、こちらはサービス残業や長時間労働を厭わない便利な働き手を手放したくないという底意が見え透いています。

日本的労働慣行を擁護するひとたちは文化や伝統の素晴らしさを滔々と語りますが、彼らがぜったいに触れないことは、日本の労働者の労働生産性が先進7カ国で20年連続で最下位という不都合な事実です。一足早くリベラルな労働環境を整備した欧州はもちろん、“ネオリベの陰謀”で労働者が不幸なはずのアメリカですら、日本の労働者より5割以上も効率よく稼いでいます。

日本がどんどん貧しくなっているのは日銀がお金を刷らないからではなく、労働生産性が低いからで、それを埋め合わせるために長時間労働が必要になるのです。海外にはずっとうまくやっている国がいくらでもあるのですから、ふつうに考えれば、さっさとよりよい仕組みに乗り換えればいいだけです。

安倍首相が目指すのは「日本を世界に誇れる国にする」ことだそうです。それならなおのこと、この恥ずかしい前近代的な「差別制度」を廃止して、すべての労働者が平等に働ける当たり前の社会を実現してほしいものです。

『週刊プレイボーイ』2016年2月8日発売号
禁・無断転載