知識社会は“人種ポピュリズム”から”リベラルなポピュリズムへ 週刊プレイボーイ連載(234)

アメリカ大統領選の候補者選びの中盤の天王山スーパーチューズデーで、不動産王ドナルド・トランプが7州を制したことで、この稀代のポピュリストが共和党候補として大統領選に臨む“悪夢”が現実的なものになってきました。すでに多くの識者が述べているように、これは米国社会の分断を象徴しています。ところで、いったいなにが「分断」されているのでしょうか。

これまでの通説では、共和党支持の「赤いアメリカ(保守)」と民主党支持の「青いアメリカ(リベラル)」が対立し、ティーパーティのような偏狭な保守主義が台頭してリベラル派が退潮しているとされてきました。ところが今回の選挙戦は、こうした見方に疑問を呈しています。

トランプは「メキシコとの国境に壁をつくる」とか、「ムスリムを入国禁止にする」などの排外主義的な主張で知られていますが、その一方で自由貿易より国内雇用を重視し、福祉政策は必要だと論じ、妊娠中絶に理解を示すなど、共和党主流派の政治イデオロギーを真っ向から否定することも平然と口にします。これが「トランプは隠れ民主党員だ」との批判を招くのですが、選挙結果をみるかぎり共和党員はこうした“変節”をまったく気にしていないようです。

分断の基準がイデオロギーでないとしたら、それは何でしょうか? これは各種投票調査において、トランプが新たに開拓した支持層が「じゅうぶんな教育を受けておらず、低い賃金の白人男性」とされていることから明らかです。アメリカの経済格差は、「知能」の格差のことなのです。

なぜこのようなことが起きたのでしょうか。それは「グローバル資本主義」の本質が知識社会化だからです。そこではヒトの多様な知能のなかで、言語的知能と論理数学的知能のみが特権的に優遇されます。

20世紀末からアメリカは「知識大国」へと大きく舵を切り、高等教育を通じて世界じゅうの優秀な人材がウォール街やシリコンバレーの「知識産業」に供給されるようになりました。この好循環によってアップルやグーグルはグローバル経済の覇者になっていきます。

しかしこれは、「知能」において競争力を持てないひとびとの生活に破壊的な作用をもたらします。知識社会化が進めば進むほど脱落者は多くなり、ついには「1%の富裕層と99%の貧困層」(より正確には「人口の1%が富の3割を保有する社会」)に至ったのです。

トランプが予備選で人種差別的な発言を繰り返すのは、共和党員のなかでは、知識社会から脱落したのが圧倒的に白人が多いからでしょう。しかし黒人やヒスパニックの支持がなければ本選で勝つのは難しく、このままではただのトリックスターに終わりそうです。

知識社会化にともなう富の二極化は、人種や民族を問わずこれからも拡大していくでしょう。そう考えれば、人種的なポピュリズムより、「知能によって排除されたすべての有権者の側に立つ」候補者の方がずっと強力です。

4年後(もしくは8年後)には、いまはトリックスター扱いされている「民主社会主義者」バーニー・サンダース型の“リベラルなポピュリスト”が大統領の座に就いたとしても不思議はありません。

参考:チャールズ・マレー『階級「断絶」社会アメリカ  新上流と新下流の出現』

『週刊プレイボーイ』2016年3月14日発売号
禁・無断転載

「皇国」と「国家はビジネス」の差は70年たっても埋まらない 週刊プレイボーイ連載(233)

ひさしぶりの沖縄で平和祈念公園を訪ねました。ここは第二次大戦の沖縄戦で追い詰められた日本軍の玉砕の地で、近くにはひめゆりの塔があります。米軍の銃撃と砲撃にさらされたひとびとは壕のなかで集団自決し、摩文仁(まぶに)の丘の断崖絶壁からつぎつぎと身を投じました。

戦前の日本は国家(国体)を神聖なものとし、すべての国民が天皇(皇統)に殉じることを当然とする“カルト宗教国家”でした。いまの北朝鮮のような社会ですから、当時のひとびとの価値観や選択を平和でゆたかな現在から批判しても仕方ありません。しかしそのなかにも、理不尽な現実に煩悶したこころあるひとはいました。

八原博通は沖縄戦を戦った第32軍の高級参謀として、制海権・制空権を失った圧倒的不利な状況で、地形を利用した戦略持久戦を指揮して2カ月にわたって米軍を苦しめますが、大本営から無茶な決戦を求められて戦線は崩壊、最南端まで撤退するも戦闘継続不能に陥ります。このとき牛島満司令官、長勇参謀長は自決しますが、ナンバー3の八原は大本営への報告を命じられて壕を脱出、米軍の捕虜として終戦を迎えました。戦後八原は、沖縄戦の第一級資料となる手記を刊行し、劣勢を認めることができない大本営の愚策で兵士や沖縄県民が無駄に死んでいったことをきびしく批判します。

八原は陸軍大学校を抜群の成績で卒業し、アメリカ駐在の経験もある超エリートで、合理的思考の持ち主でした。その八原は、刀折れ矢尽き丸腰同然で米軍に突撃していく将兵を見て、なぜ降伏してはならないのか自問します。そして、「(軍の最高権力者たちは)降伏に伴う自らの生命地位権力の喪失を恐れる本能心から、口実を設けて戦争を続けているのではないか」とまで考えるのです。

しかしそれでも、八原は参謀として降伏を進言することができません。司令官も参謀長も、日本の滅亡を避けるには無条件降伏以外の道はないと確信しますが、そのことにいっさい触れないまま、美しい辞世の句と漢詩を残して自決してしまいます。これが6月23日のことですから、司令官を失った日本軍は戦闘を継続する能力もなく、かといって降伏することもできず、終戦まで1カ月以上、多数の住民や学徒兵を巻き込んでむごたらしい自決と玉砕を重ねることになったのです。

終戦後、米軍の捕虜収容所にいた八原のもとに1人の米兵がやってきます。ミルウォーキーで技師をしていたという一等兵で、日本軍がなぜ自決するのか不思議に思って、高級参謀にそのことを尋ねようと思ったのです。

「これ以上戦っても効果がない、自分は十分に義務を果たしたと思えば降伏するのが当然ではないか」と米軍一般の見解を述べたあと、一等兵は、天と地ほど身分の違う高級参謀に向かって次のようにいいます。

「国家、政府、戦争、これらはすべてビジネスです。ビジネスにならぬ国家、政府、戦争は有害無益です」

八原は米軍の一兵卒のこの言葉を聞いて、日本軍の神がかりの論理とのあまりのちがいに愕然とし、言葉を失います。

それから70年たちましたが、この米兵と同じように国家を語れる日本人がいったいどれほどいるでしょうか。

参考:八原博通『沖縄決戦 – 高級参謀の手記』
稲垣武『沖縄 悲遇の作戦―異端の参謀八原博通』

『週刊プレイボーイ』2016年3月7日発売号
禁・無断転載

摩文仁の丘
摩文仁の丘

マイナス金利で「不思議の国のアリス」の世界がやってくる? 週刊プレイボーイ連載(232)

マイナス金利は、日銀のリフレ政策をさらにパワーアップし、日本経済をデフレから脱却させる秘密兵器だそうです。黒田日銀総裁がマイナス金利を宣言した直後はたしかに円安が進みましたが、その後は急速な円高・株安になり金融市場の動揺が収まる気配はありません。金利がマイナスになるという奇妙な出来事は、私たちの暮らしにどのような影響があるのでしょうか。

マイナス金利を最初に導入したのは2009年7月のスウェーデンで、12年7月にデンマークが続き、14年にはユーロ圏(ECB)とスイスがマイナス金利に踏み切りました。ヨーロッパでは、マイナス金利はもはや日常です。

それでどうなったかというと、結論は「たいして変わらない」です。

マイナス幅が0.65%ともっとも大きいデンマークではお金を借りると利息がもらえる住宅ローンが登場し、コペンハーゲンなどの不動産価格がバブル期以上に高騰しています。マイナス成長だった経済も14年以降は1%台前半の成長を取り戻しました。このように一部の住宅市場を過熱させる効果はあるようですが、それがたんなるバブルなのか、実体経済に波及して経済成長を後押しできるのかは、マイナス金利導入から3年以上経っても結論が出ていません。

マイナス金利の政策上の問題は、下げ幅に限界があることです。預金金利がマイナス10%の世界を考えてみましょう。銀行にお金を預けていると毎月1%ちかくお金が減っていくのですから、こんなバカバカしいことをするひとはいないでしょう。預金がすべて引き出され、自宅の金庫などにしまわれてしまうと、金融機能が停止してしまいます。

その一方で、大金を自宅に置いておくためには、頑丈な金庫を購入するなどのコストがかかります。それを考えれば、多少のマイナス金利は「貸し金庫代」としてしかたがないと思うひともいるでしょう。

だったら、金利の下限はどこにあるのでしょうか。スイス銀行はこれをマイナス1.25%とし、そこまで短期金利を誘導しようとしています。これが普通預金に適用されると、100万円の預金に対して年1万2500円、月額約1000円の「保管料」がかかることになります。

一般の預金金利までマイナスにするのは劇薬なので、“先進国”のデンマークですらごく一部の銀行を除いて「お金が減っていく」ことはありません。その代わり金融機関は、ATM使用料などさまざまな手数料を引き上げて収益減を補おうとしています。

マイナス金利に政策として限界があるのは、現金という代替手段があるからです。電子マネーのみにして、短期金利に合わせて減価していくようにすれば、どこまでも金利をマイナスにできます。実際、「実験国家」であるノルウェーでは、大手銀行が政府に対して「現金廃止」を要請したとのことです。

もしそうなれば、「お金を預けるとお金が減り、お金を借りるとお金が増える」という『不思議の国のアリス』のような世界がやってくるでしょう。もっとも、これまだずっと先のお伽噺でしょうが。

『週刊プレイボーイ』2016年2月29日発売号
禁・無断転載