歴史を弄ぶ者は歴史によって復讐され、正直者はいつもバカを見る 週刊プレイボーイ連載(136)

NHKが新会長の就任会見での「個人的見解」や保守派の経営委員の一連の発言、さらには「現代のベートーベン」騒動で窮地に立たされています。とりわけ、経営委員の長谷川三千子氏が天皇を現御神(あきつみかみ)として人間宣言を否定したことと、作家の百田尚樹氏が都知事選の応援演説で、原爆投下や東京大空襲は大虐殺であり、東京裁判はそれをごまかすためのものだったと述べたことが、「不偏不党」の原則に反すると批判されています。

NHKや民放など放送事業者の業務を規定した放送法では、「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」が定められています。しかしNHKには、それ以前に不偏不党でなければならない事情があります。

放送法では、テレビ受像機を持つ全世帯に受信料の支払義務がありますが、かねてから不払いによる不公平が指摘されてきました。NHKによる都道府県別調査(2012年度末)でも、9割以上の世帯が受信料を払っている地域もあれば、沖縄県(44.3%)、大阪府(58.0%)、東京都(61.6%)のように支払率が極端に低い地域もあります。全国平均は73.4%で3割が不払いなのですから、「正直者がバカを見る」といわれても仕方のない数字です。

NHKの経営を支える受信料制度は、「特定の勢力や団体に左右されない独立性を担保するため」に必要だと説明されますが、この理屈は危うい均衡の上に成立しています。不払いは経済的な理由がほとんどだとしても、この制度では思想信条においてNHKの立場を認めないひとにも受信料の支払義務を課すことになるからです。

これはNHKにとってパンドラの箱で、受信料制度を維持するにはぜったいに手を触れてはならないものでした。特定のイデオロギーを持つ党派に加担すれば、別の党派から偏向報道との攻撃を受け、制度の根幹が揺らいでしまうからです。

NHKは2001年、ETV「問われる戦時性暴力」で、左派の市民団体が主催した「女性国際戦犯法廷」を取り上げます。従軍慰安婦など旧日本軍の戦争犯罪の責任が昭和天皇にあるとして、活動家を中心とした検事団が弁護士抜きで天皇の犯罪を裁くという民衆法廷劇で、内容の当否は置くとしても、主催者が極端に偏った立場なのは明らかです。

案の定、放映前から右派の市民団体の強硬な抗議で社会問題化し、事態の深刻さに驚愕した経営幹部によって番組は大幅に編集されて放映されました。その後、朝日新聞が安倍晋三氏と故・中川昭一氏がNHK上層部に圧力をかけて番組が改変されたと報じ、NHKがそれを否定したことで泥沼の争いになっていきます。

今回の問題の根源は、NHKがこの事件の検証を怠り、「不偏不党」の原則をないがしろにしてきたことにあります。その結果、安倍政権に報復人事的な経営委員の任命をされ、こんどは「右に偏向している」との攻撃を浴びることになったのです。

NHKに社会的批判が集まると、受信料を払いたくないひとはそれを利用して不払いを続けることができます。歴史を弄ぶ者は歴史によって復讐され、正直者はいつもバカを見るのです。

 『週刊プレイボーイ』2014年2月24日発売号
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「現代のベートーベン」は自分マーケティングの天才 週刊プレイボーイ連載(135)

「現代のベートーベン」と呼ばれた全聾の人気作曲家が、すべての曲をゴーストライターにつくらせていたという驚愕の事実が日本じゅうに衝撃を与えました。

ネット上に掲載されていたプロフィールによれば、4歳から母親の厳格な英才教育でピアノを学び、5歳でソナチネを作曲し、小学校4年生でベートーベンを弾きこなす神童だったといいます。その後の人生も凄絶で、17歳で原因不明の聴覚障害を発症し、上京して作曲家を目指したが失職して路上生活者となり、ロック歌手としてデビューしたもののバンドは解散、道路清掃のアルバイトで生計を立てていたところ、33歳の時に映画音楽の仕事が舞い込んできます。この映画は「HIVに感染した少女が周囲の差別と偏見と戦いながら強く生きていく姿を綴った青春ドラマ」ということなので、聴覚障害の“自称”作曲家を起用することになったのでしょう。

ゴーストライターの証言によれば、この最初の作品から“偽装”が始まり、絶対音感を持つとされる本人がつくった曲は1曲もなく、ピアノは初歩的なものが弾けるだけで譜面すら書けないとのことです。打ち合わせではごくふつうに会話し、録音されたモチーフを聞いて曲づくりを指示したというのですから、全聾というのもウソなのでしょう。

もっとも有名な『交響曲1番』は「全盲の少女から霊感を得てつくられた」もので、自身が被爆二世だとして、平和への祈りをこめて「HIROSHIMA」と名づけられました。この“美談”をNHKが大きく取り上げて一躍有名になり、マスコミが祭り上げた結果、広島で行なわれた「G8サミット記念コンサート」で演奏され、広島市民賞を受賞します(事件によって取消し)。すべてが明らかになってから振り返れば、荒唐無稽な人生も、都合のよすぎる偶然も、典型的な虚言癖ということなのでしょう。

人並み以上の野心だけはある若者が社会の最底辺から抜け出し、スポットライトを浴びるために思いついたのは差別を利用することでした。彼にとって幸運(もしくは不運)だったのは、都合のいいゴーストライターと出会ったことでしょう。無名の現代音楽の作曲家がアルバイト感覚でつくった大衆受けするクラシックは、“障害”と“被爆者”という魔法の言葉によって「奇跡の大シンフォニー」へと変貌したのです。

5万円の懐石料理、50万円のブランドバッグ、500万円の高級時計というのは、原価からはあり得ない値段です。たんなる革製品にロゴがつくだけで値段が10倍になるのは、その背後にある物語(というか幻想)に付加価値があるからです。その物語は広く知られているので、ブランドを持つと周囲の評価が高まります。ひとびとがブランドを好むのは、お金で社会的な評判を買えるからです。

凡庸な楽曲を美談で飾り立てると名曲に変わるのもこれと同じです。消費社会では、モノではなく物語が消費されます。ほとんどのひとはクラシック音楽に興味があるわけではなく、手っ取り早く感動を手に入れたいのです。

「現代のベートーベン」は、“障害”や“被爆者”でマスコミを躍らせれば、音楽的な才能がなくても大きな成功を手に入れられることを実証しました。その意味で彼は、“自分マーケティング”の天才だったのです。

『週刊プレイボーイ』2014年2月10日発売号
禁・無断転載 

都知事選“泡沫候補”の声に耳を傾けてみたら  週刊プレイボーイ連載(134)

この原稿が掲載される時には新しい東京都知事が決まっているでしょうが、今回も“泡沫候補”と呼ばれるひとたちがたくさん出馬していました。世の中に訴えたい主張と強い信念を持ちながらもマスメディアから相手にされず、選挙活動以外に自らの真実を伝える方途はないと思いつめたひとたちで、都知事選はとりわけこうした候補者が多く集まることで知られています。“泡沫”とはいえ知事選の供託金は300万円で、それをドブに捨てる覚悟なのですから、その思いが真剣なのは間違いありません。

選挙公報をちゃんと読んでみると、“泡沫候補”が売名目的でデタラメばかりいっているわけではないことがわかります。

たとえば“スマイル”を旗印にする候補のマニュフェストには、「うつ病革命」として、副作用のある抗うつ剤の全面禁止と、抗うつ剤を多剤大量投与している悪徳精神科医の医師免許剥奪が掲げられています。

欧米や日本で、大手製薬会社が開発した新型抗うつ剤SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の導入とともに、うつ病患者が激増するという奇妙な現象が確認されています。「製薬会社が利益率の高いSSRIを販売するために“うつ病を投薬で治す”というキャンペーンを展開し、それに精神科医が協力したからだ」と批判する専門家もいますから、これはけっして奇異な主張ではありません。

ただしこの候補者は、抗うつ剤に代わる「スマイルセラピー」への保険適用強化を訴えていて、これがどんなものなのかもうひとつわかりません。またホテル、レストラン、受付などの接客スタッフに「スマイルトレーニング」をし、それでもスマイルができないと接客ロボットに代えるという公約もあり、このあたりが“泡沫”と扱われる理由と思われます。

それ以外にも、「原発をいますぐ廃止して、LNGを燃料とするガスコンバイントサイクル発電所を増設せよ」とか、「日本とマレーシアの虹の架け橋になる」という公約を掲げて立候補したひとがいました。いずれも立派な主張ですが、都政とどうかかわるかが見えないと得票にはつながらないでしょう。

「直参旗本の家系で東京四百年在住」という発明家(この方は有名です)の「科学で渋滞を解消する」という提言や、「東京を『天国の首都』に」「トップガン政治」などのキャッチフレーズも気になりますが、今回いちばん目を引いたのは「新憲法で未来へのチャレンジ」という立候補の趣旨でした。

この候補者は現憲法を、敗戦という極限状況のなかで日本がGHQを通して連合国世界に最大限の譲歩をさせた「奇跡的な憲法」と高く評価し、「押しつけ」との批判を一蹴します。そのうえで、自衛隊の位置づけが曖昧なままでは米軍に依存せざるを得ないことと、政教分離の規定がある以上靖国問題が解決できないことを理由に、憲法の建設的な改正を説くのです。

同じく「憲法改正」掲げる“泡沫”でない候補者より、こちらの方がずっと説得力があるような気がします。あっ、このような比較をするのは〝泡沫〟に失礼かもしれませんが。

  『週刊プレイボーイ』2014年2月10日発売号
禁・無断転載