依存症になるのは理由がある 週刊プレイボーイ連載(263)

ドーパミンはもっとも有名な脳内の神経伝達物質のひとつですが、その発見は偶然でした。

1953年にモントリオールの若い2人の科学者が恐怖反応を再現しようとラットの脳に電極を埋め込んだのですが、ラットは電気ショックを嫌がって逃げ回るどころか、もういちど同じ刺激を欲しているかのように、何度も電気ショックを受けた場所に戻ってしまいます。ラットにとって幸運(もしくは不幸)だったのは、科学者の実験スキルが未熟で、電極を間違って側座核と呼ばれる脳の古い部位に埋め込んでしまったことです。ここは現在では「報酬中枢」として知られており、刺激によってドーパミンが放出されると、ラットは同じ刺激を何度も欲するようになるのです。

その後の実験で、ドーパミンの「快感」がとてつもなく強烈なことが明らかになります。ラットが自分でレバーを押して側座核を刺激できるようにすると、食べることも、水を飲むこともせず、交尾をする機会にも興味を示さずに、1時間(3600秒)に2000回近くもひたすらレバーを押しつづけました。また電流を流した網の両端にレバーを設置し、それぞれのレバーで交互に刺激が得られるようにすると、ラットたちはひるむことなく電流の通った網の上を行き来し、足が火傷で真っ黒になって動けなくなるまでやめようとしなかったのです。

こうした結果を見て1960年代に、同じことを人間の脳で実験しようとする研究者が現われました。現在の人権感覚では考えられませんが、当時は、重度の精神病患者の前頭葉を切断して廃人同然にするロボトミー手術が世界じゅうの病院で当たり前のように行なわれていたのです。

実験対象となったのは長年にわたりひどい抑うつに苦しむ若い男性でしたが、側座核に電流が流れたとたん、「気持ちがよくて、暖かい感じ」がし、自慰や性交をしたいという欲望を感じました。そしてラットと同様に、3時間のセッションで1500回以上も電極のスイッチを押したのです。

研究者たちはドーパミンが抑うつの治療に使えるのではないかと期待しましたが、すぐに不都合な事実が明らかになります。憂うつな気分を晴らす効果は一時的で、すぐに消えてしまうのです。

ドーパミンが生じさせるのは快感ではなく、きわめて強い「快感の予感」でした。即座核を刺激すると、被験者は「頻繁に、ときには気が狂ったように」ボタンを押しますが、そのときの気分を尋ねると、「もうすこしで満足感が得られそうで得られず、焦るばかりですこしも楽しくなかった」とこたえるのです。

報酬中枢の役割は、「あらゆるリスクを冒しても欲しいものを即座に手に入れたい」と思わせることにあります。ヒトが進化の大半をすごした旧石器時代には、食べ物を獲得したり性交をする機会はきわめてまれだったので、生き延びて子孫を残すには強い衝動で死に物狂いにさせる必要があったのです。

ところがゆたかな時代になると、私たちは食べ物、セックス、買い物からゲームまで、ありとあらゆる「報酬の機会」に囲まれて暮らすようになりました。これがさまざまな依存症を引き起こし、人生を困難なものにする理由になっているのです。

参考:エレーヌ ・フォックス『脳科学は人格を変えられるか?』

『週刊プレイボーイ』2016年10月24日発売号
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二重国籍の日本人はたくさんいる 週刊プレイボーイ連載(262)

民進党の代表選で浮上した蓮舫氏の国籍問題では、「日本国籍と外国籍を共に保有するのは言語道断」という話になっています。国会議員(それも日本国首相を目指す野党第一党の党首)ならそのとおりでしょうが、実は「国籍」の実態はずっと複雑です。

第二次世界大戦後、失業問題の解決のため南米などに多くの移民が送り出されましたが、第一世代(日本生まれの両親と子どもたち)の多くは日本国籍を保持したままで現地の国籍は取得していません。その理由は日本が二重国籍を認めていないからで、国籍法11条に「日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」とあるように、現地の国籍を取得すると(法的には)日本国籍を喪失してしまうのです。

移民第一世代が「日系人」ではなく「日本人」でも、彼らの子どもの世代になると事情が変わります。日本の国籍法は「血統主義」で、日本人の父親もしくは母親から生まれた子どもが日本国民になりますが、アメリカのような「出生地主義」では国内で生まれた子どもに自動的に国籍が与えられます。しかしこれでは、出生によって外国籍を取得した日本人の子どもが日本国籍を持てなくなってしまうので、国籍を留保する届出をすることで、外国籍と日本国籍の両方を持つことができるようになっています。

国籍法では、22歳までにいずれかの国籍を選択して二重国籍を解消することになっています。しかし日本国籍を選択し、外国の国籍を放棄する宣言をしても、「選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない」との努力義務があるだけで、外国籍を離脱しないと日本国籍を失うわけではありません。出生地主義国のなかでもフィリピンなどは、国籍を放棄する手続きそのものがありません。このため外国に暮らす日本人の二世、三世のなかには、成人後も二重国籍のままというケースは少なくないのです。

外国に住む日本人/日系人が二重国籍になるのは、新興国よりも日本のパスポートの方がはるかに旅行の自由度が高い一方で、現地の国籍を持つことで税金や社会保障などで有利な扱いを受けられるからです。

現地の日本大使館もこうした事情はわかっていますが、国籍法の趣旨に則って外国籍の離脱を求めるようなことはしていません。大使館の重要な役割のひとつに現地の日本人/日系人社会との親睦を深めることがありますが、「外国籍を捨てろ」と迫れば強い反発を受け、日本国籍を放棄させれば現地の日本人社会を破壊するだけで、なにひとついいことはないのです。

多くの日本人は、日本国内で日本人の両親から生まれていますから、「国籍はひとつ」という原則を当たり前のように受け入れています。しかしひとたび周縁(海外)に目をやれば、日本人の二重国籍は珍しいことではないのです。

「国籍」は特別なものではなく、国際社会においてどの国に所属するかのたんなる指標に過ぎません。しかし「中心」しか知らないと、複数の国籍を使い分けるのが当たり前という「周縁」の実態が見えなくなってしまうようです。

『週刊プレイボーイ』2016年10月17日発売号
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第61回 眠れる巨体の恐ろしい正体 (橘玲の世界は損得勘定)

映画『シン・ゴジラ』が観客動員500万人を超える大ヒットを記録している。話題を集める理由はいろいろあるだろうが、いちばんの要因は、ようやくリアリティのあるゴジラ映画の条件が整ったことだろう。

ゴジラ第1作の公開は1954年で、終戦から10年も経っていなかった。東京湾にゴジラが上陸すると空襲警報が鳴り響き、ひとびとは防空頭巾をかぶって逃げ惑うが、当時、映画館に押し寄せた観客の誰もが、まさにこれと同じ体験をしていた。広島・長崎への原爆投下の傷痕も生々しく、遠洋マグロ漁船第五福竜丸がビキニ環礁の水爆実験で「死の灰」を浴び、乗組員が死亡したことは社会に大きな衝撃を与えた。放射能を撒き散らしながら東京を襲う巨大な怪獣は、ものすごいリアリティを持っていたのだ。

その後、経済成長のなかで戦争の記憶が薄れるにつれてこうした現実感もなくなり、子ども向け怪獣映画へと変わっていく。何度か「ゴジラ復活」が試みられたものの、新宿の超高層ビルを見上げるのでは、第1作の迫力には遠く及ばなかった。

だが東日本大震災と福島原発事故によって、ゴジラの「リアル」は復活する。観客は津波によって壊滅した街や、原子炉建屋の爆発で飛散する放射能、メルトダウンした原発に命懸けの放水を行なう消防隊員らの記憶と重ね合わせながら、この映画を観ているのだ。

こうしてゴジラは、「危機管理映画」として見事によみがえった。政府や官庁は平時を前提に動いているため、大地震や原発事故、ゴジラ襲来といった「有事」にうまく対応することができない。映画化にあたっては3.11当時の民主党政権幹部にも徹底した取材を行なったようだが、組織の論理にがんじがらめになりながら、最悪の事態を防ごうと苦闘する様子は真に迫っている。

(以下、ネタバレ注意)映画の最後に、ゴジラはポンプ車から血液凝固剤を注入され、体内の核反応が阻害されて活動を停止する。その場所は、爆薬を搭載した山手線、京浜東北線がゴジラに突っ込んでいく「無人在来線爆弾」からすると、新橋から有楽町あたりになるだろうか。

ところで、東京の中心で活動停止したシン・ゴジラとはなんなのか。再稼動が決まった原発の比喩だと思うひとも多そうだが、これではあまり面白くない。

倒れたゴジラの巨体は、丸の内、霞ヶ関、あるいは日本橋本石町をも覆っているかもしれない。国連(第二次大戦の「連合国」)はゴジラもろとも東京を消滅させる熱核攻撃を「一時停止」したが、ゴジラが目覚めれば「カウントダウン」も再開される。

だとすれば、こたえは明らかだろう。

2010年代に登場したゴジラとは、戦後日本がひたすら膨張させ、日銀の非伝統的な金融政策によって制御不能になりつつある1000兆円を超える巨額の借金のことなのだ。滅亡へのカウントダウンがいつ始まってもおかしくないと思えば、この映画がよりリアルになってくるにちがいない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.62:『日経ヴェリタス』2016年10月9日号掲載
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