第77回 日本的雇用 年齢差別の不合理(橘玲の世界は損得勘定)

日本ではあまり理解されていないが、グローバルスタンダードでは「差別とは合理的に説明できないこと」と定義されている。

欧米ではジェンダーギャップ(社会的性差)を論じるとき、たんに男性社員と女性社員の収入の差を比べるのではなく、そのなかに「合理的に説明できない」ものがどれだけ残っているかが問題になる。北欧でも女性が子育てを優先して公務員などを希望することはあるが、これは彼女の自由な選択であって、それによって男女の平均給与に差がついても社会的な差別とはいえない。

そしてじつは、この原則はすでに日本でも導入されている。

2013年4月、民主党政権が労働契約法20条を成立させ、パートや契約社員など有期契約で働く労働者と正社員のあいだで、賃金や手当、福利厚生などの労働条件に不合理な差をつけることを禁じた。それにともなって司法も、「正社員」と「非正規」の合理的な根拠のない待遇のちがいを「差別」と認定するようになった。

2017年9月、日本郵政の契約社員が正社員との格差解消を求めた訴訟で、東京地裁は年末年始手当、住居手当、休暇制度などの格差を不合理と判断し、日本郵政は労働組合との合意のもとに正社員2万人のうち約5000人に支給していた住宅手当を10年かけて廃止することにした。

また2018年6月、浜松市の物流会社の契約社員が6種類の手当の格差是正を求めた裁判で、最高裁は4種類の手当を不合理とした高裁判決を支持するとともに、正社員に支給される皆勤手当も「出勤者を確保する必要性は非正規社員も変わらない」として不合理と認定した。

しかしその一方で、横浜市の運送会社に定年後再雇用された嘱託社員が賃金の減額を不当と訴えた訴訟では、すでに退職金を受け取り、近く年金が支給されることなどを理由に、基本給や大半の手当の格差が「合理的」とされた。これはどう考えればいいのだろうか。

じつはアメリカでは定年制は年齢差別として違法で、2010年にイギリスがそれにつづいた。高齢化が進むなか世界の趨勢は「生涯現役」で、これからは年齢にかかわらずいつまでも働ける権利が重視されるようになるだろう。

ところが日本の会社は、いまだに年功序列・終身雇用が当たり前で、60歳(ないしは65歳)になれば「強制解雇」され、その代償として退職金が支払われる。勤続年数が長くなるほど給与に年齢相応の上乗せがあるのは、逆にいえば若いときは安く働かせるためだ。

これはすなわち、日本的雇用そのものが「年齢差別」だということだ。それを放置したまま定年後再雇用に同一労働同一賃金を適用すると、逆に「差別」を助長することになると最高裁は危惧したのだろう。

定年退職したというだけで、同じ仕事をしている同僚より安い報酬に甘んじなくてはならないのはたしかに理不尽だ。この不合理を是正しようとすれば、日本の経営者と労働組合はまず、年功序列・終身雇用と決別しなくてはならない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.77『日経ヴェリタス』2018年6月24日号掲載
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トランプに学ぶ「安倍3選」の必勝戦略 週刊プレイボーイ連載(342)

「なんの成果もないじゃないか」とさっそくいわれているトランプ大統領と金正恩委員長の「歴史的」会談ですが、私たち日本人にとっては、とりあえず北朝鮮からミサイルが飛んでこなくなって、Jアラートで右往左往しないだけでも大きな成果でしょう。

「モリカケ」問題で逆風下の安倍首相ですが、その言動を見るとトランプ大統領をじつによく研究していることがわかります。その安倍首相は米朝首脳会談後にトランプ大統領と電話会談を行ない、「拉致問題について取り上げていただいたことに感謝申し上げた」と述べ、金委員長との直接対談に意欲を示しました。

アメリカの政界を揺るがすロシアゲートでは、2016年の大統領選でトランプ陣営が、ロシアの情報機関に依頼してヒラリー・クリントンに不利な電子メールを大量流出させたり、SNSでフェイクニュースを流すなどの世論工作を行なったと疑われています。特別検察官(元FBI長官)の捜査ですでに関係者が起訴されており、その深刻さは「モリカケ」の比ではありません。しかしそれにもかかわらず、トランプの支持率は40%を大きく下回ることはなく、最近は逆に上昇しています。

社会心理学はこれを、「部族」同士のアイデンティティの衝突で説明します。アイデンティティは「社会的な私」の核心にあるもので、それを攻撃されると脳は実際に殴られたのと同じ痛みを感じます。

アメリカの白人保守派は自らのアイデンティティをトランプと一体化させているので、「リベラル」のトランプ批判を自分への攻撃とみなし、理屈もなにもなく衝動的に反発します。これはヒトが旧石器時代から、さらにはその前のサルと未分化の頃からもちつづけてきた部族同士の殺し合いの感情です。

トランプはこのことを(本能的に)よく知っているので、「リベラル」からの批判をすべて「フェイクニュース」と切り捨てます。敵に弱みを見せれば味方の信頼は失われますから、部族抗争ではこれは正しい戦略です。その代わり今回の米朝首脳会談のような大掛かりなショーを実現させ、成果があってもなくても、支持者に「俺たちの大統領がデカいことをやった」と思わせればいいのです。

アメリカは共和党と民主党に二極化しているといわれますが、両極のあいだには広大なグレイゾーンがあります。このひとたちは「保守的」ないしは「リベラル的」かもしれませんが、政策ごとに是々非々で判断し、なによりも自分と家族の生活がいちばんだと思っています。トランプはこの中間層を引きつけるために、どれほど世界から批判されても「アメリカファースト」の保護主義を貫き、「雇用」と「治安」を強調しますが、これもきわめて理にかなっています。

これを安倍政権に当てはめれば、「モリカケ」で譲歩することになんのメリットもなく、ただ頭を低くして嵐が過ぎ去るのを待てばいいということになります。その代わり経済の好調をアピールし、日朝首脳会談で「デカい」ショーを演出することが、3期目の自民党総裁を確実にするもっとも合理的な戦略になるのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2018年6月25日発売号 禁・無断転載

「朝日」はなぜこんなに嫌われるのか? 週刊プレイボーイ連載(341)

「朝日」はなぜこんなに嫌われるのか? そう訊ねれば、たちまちいろいろな答えが殺到するでしょう。かつては慰安婦問題で叩かれていましたが、最近は「どうでもいい話を針小棒大に報道する」というのが定番の批判のようです。それを「ネトウヨの遠吠え」と嘲笑するひとたちもいて、この話題は収拾のつかない罵り合いになっていきます。

それぞれ言い分はあるでしょうが、議論の泥沼から一歩退いて眺めれば、世界じゅうで同じような憎悪の応酬が起きていることがわかります。典型的なのはアメリカで、「親トランプ」の(白人)保守派と「反トランプ」のリベラルの衝突のはげしさは日本の比ではありません。

「朝日」は戦後民主主義という日本独自のサヨク思想を代表しています。冷戦の終焉によってソ連、中国共産党、北朝鮮、マルクス主義を礼賛するこの奇怪なイデオロギーは破綻しましたが、それにもかかわらず「むかしの名前」でへたくそな歌をうたいつづけているというのが、「朝日ぎらい」の標準的な説明でしょう。

しかし、理屈が間違っているのなら、それを指摘すればいいだけですから、「しょーもないなあ」と呆れることはあっても、SNSなどに見られる底知れぬ憎悪は説明できません。そこには、なにか別のちからがはたらいているようです。

「安倍一強」に象徴されるように、日本の「右傾化」が止まらないといわれています。しかしもしこれが事実だとすると、「右」方面のひとたちは、自分たちが望む社会にどんどん近づいているのですから、毎日を気分よく過ごしているはずです。しかしネットを見るかぎり(個人的な知り合いはいないので)、彼らはなぜかいつも怒っています。

この奇妙な現象のもっともシンプルな説明は、世界は「右傾化」しているのではなく「リベラル化」しているというものです。声をかぎりに「正論」を叫んでも思いどおりにならないからこそ、抑えようのない怒りが込み上げてくるのです。

21世紀を迎えて、AI(人工知能)などのテクノロジーの急速な進歩を背景に、私たちは「グローバル化・知識社会化・リベラル化」の巨大な潮流に飲み込まれることになりました。しかし残念なことに、すべてのひとがこの急激な変化に適応できるわけではありません。こうしていたるところで、「アンチグローバリズム・反知性主義・右傾化」というバックラッシュ(反動)が起きるようになったのです。

しかしこれを、レイシズム(人種差別)と結びつけるのは誤りです。トランプ支持者は白人の優越を主張するのではなく、自分たちを「見捨てられた白人」だといいます。これが「白人アイデンティティ主義」で、「白人という以外に誇るもののないひとたち」のことです。同様にネトウヨは、「日本人という以外に誇るもののないひとたち」と定義できるでしょう。

アイデンティティは「社会的な私」の核心で、これを心理的に攻撃されると、脳は物理的な攻撃と同じ痛みを感じます。いま世界のあちこちで(もちろん日本でも)起きている事態は、「リベラル化」と「アイデンティティ化」の衝突と考えるとすっきり理解できます。

そんな話を書いた『朝日ぎらい』が、朝日新聞出版社から発売されました。「私たち、そんなに嫌われてますか?」という帯を書店で見かけたら、手に取ってみてください。

『週刊プレイボーイ』2018年6月18日発売号 禁・無断転載