専門家は「わかったような気にさせてくれる」ことに意義がある 週刊プレイボーイ連載(347)

「おっさんジャパン」「思い出づくり」とさんざん酷評されていたサッカー日本代表ですが、ワールドカップ・ロシア大会のベスト16で強豪ベルギーをあと一歩のところまで追いつめる善戦を見せ、日本じゅうを沸かせました。大会前に「1勝すらできない」と断言していたサッカー評論家は、慌てて「手のひら返し」に走っています。なぜ彼らは間違えたのでしょうか?

じつはその理由はすでに明らかになっていて、予想を外したサッカー評論家を責めてもしかたありません。なぜなら、あらゆる分野において専門家の予想は当てにならないからです。

この不都合な事実は、株式投資の予測において繰り返し検証されています。どの銘柄が値上がりするかの専門家の予測は、壁に貼った銘柄一覧にサルがダーツを投げたのと同じ程度にしか当たらないのです。

しかしこれは、“サル並み”であるだけまだマシです。経済予測の分野では、ほとんどの専門家がリーマンショックのような重大な出来事をまったく予想できません。なぜ“サル以下”になってしまうかというと、「今年は去年と同じで、来年も今年と同じ」と考えるからです。経済には粘性がありますからこの予想はかなりの確率で当たりますが、その代償として景気の転換点を(ほぼ)確実に外してしまうのです。

サッカーのようなスポーツ競技では、「世間の空気を読む」影響もありそうです。

4年前のブラジル大会でザックジャパンは「史上最強」といわれ、ひとびとの期待は大きく高まりました。こんなときに「グループリーグを突破できるわけがない」などといえば、「選手の足を引っ張るのか」と格好のバッシングの対象となるでしょう。

一転して今回は、突然の監督交代と大会前の練習試合の低調なパフォーマンスもあり、「どうせダメ」というネガティブな空気が支配していました。そのなかで「ベスト8も目指せる!」などと強気の予想をすれば、「素人以下」とバカにされるのは目に見えています。あとから「手のひら返し」と批判されようと、みんなと同じことをいっていたほうがはるかに賢いのです。

だとしたら、専門家の意義はどこにあるのでしょうか。それは、素人が漠然と感じていることを言語化する能力です。

高級な赤ワインを飲んでも、素人は「いつものテーブルワインとはちょっとちがう」という感想しか持てません。そこでソムリエが、「エレガントな味わいでミネラル感が強く、かすかにナッツの香りがする」などと説明すると一気に納得感が増します。

ところがベテランのソムリエでも、ボルドーワインと、ラベルを張り替えた新興国ワインを区別できません。それでも、「わかったような気にさせてくれる」ことに価値があるのです。

同様に株式専門家は「なぜこの株が上がるのか」を、サッカー専門家は「なぜ日本代表は弱いのか」を高い納得感で説明できます――それが正しいかどうかは別として。

ちなみに私は、「グループリーグを勝ち抜ける可能性は3割くらいあるのでは」と思ってベスト16のチケットを買い、日本サッカーの歴史に長く語り継がれるであろうベルギー戦をスタジアムで観戦できました。専門家の意見は話半分に聞いておくのがよさそうです。

『週刊プレイボーイ』2018年7月30日発売号 禁・無断転載

ベルギー戦の試合終了後にサポーターに挨拶する日本選手・スタッフ(2018/7/3)

「きれいごと」はなぜうさんくさいのか? 週刊プレイボーイ連載(346)

「きれいごとはうさんくさい」と、多くのひとは内心思っているでしょう。現代の心理学は、これを「道徳の貯金」理論で説明します。

アメリカの一流大学の白人学生に、企業の採用担当者になったつもりになって、5人の応募者を評価させました。履歴書の内容はどれも同じで、いずれのグループも有名大学で経済学を専攻し、優秀な成績で卒業した4番目の応募者がもっともすぐれていました。異なるのはこの“スター応募者”の属性で、第一グループは白人女性、第二グループは黒人男性、第三グループ(対照群)は白人男性です。ほとんどの被験者が、この“スター応募者”をもっとも高く評価しました。

次の課題では、被験者は地方の町の警察署長になります。住民のほとんどが白人で、警察内部でも人種的なジョークが口にされ、何年か前に黒人の巡査を採用したことがあるのですが、職場でのいやがらせを理由に1年で辞めてしまいました。あなたはこうした状況を変えたいと思っていますが、その一方で、警察本来の仕事を優先するには警官たちに不安を生じさせるようなことをしたくはありません。今年の新人を採用するにあたって、あなたは人種を考慮すべきしょうか?

被験者はランダムに3つのグループに分けられたのですから、「黒人だという理由で採用しないのは差別だ」という回答と、「この状況では白人警官を選ぶのもしかたない」との回答はほぼ同じになるはずです。

しかし実際は、グループのあいだにはっきりとしたちがいがありました。第一の課題(企業の採用担当者)で“スター応募者”が白人だった学生は「人種を考慮すべきではない」とこたえ、“スター応募者”が黒人だった学生は「しかたない」とこたえることが多かったのです。

研究者はこれを、「道徳は貯金のようなもので、増えたり減ったりする」からだと説明します。

企業の採用担当として黒人の応募者を選んだ学生は、「自分は人種差別主義者ではない」と自信をもってアピールできたので、警察署長になったときに白人を優先する「人種差別」ができます。それに対して白人の応募募者を採用した学生は、道徳の貯金ができなかったので、警察署長の課題では「人種を考慮してはならない」とこたえるのです。

この実験の結論をわかりやすくいうと、次のようになります。「きれいごとをいうひとは、道徳の貯金箱がプラスになったように(無意識に)思っているので、現実には差別的になる」のです。

興味深いのは、企業の採用担当のときに“スター応募者”が女性だった場合でも、白人警官を選ぶ割合が高くなることです。これは、「自分は女性差別をしない」というアピールが、人種差別を正当化するための「貯金」になったことを示しています。「きれいごと」はなんにでも使えるのです。

「だからきれいごとをいう人間は……」

おっと、これ以上いうと「道徳の貯金」がプラスになって、差別的になってしまうかもしれないので、これくらいでやめておきましょう。

出典:Benoit Monin and Dale T. Miller (2001) Moral Credentials and the Expression of Prejudice. Journal of Personality and Social Psychology 近刊『朝日ぎらい』(朝日新書)でより詳しい説明をしています。

『週刊プレイボーイ』2018年7月23日発売号 禁・無断転載

世界じゅうが”中国化”するまであとすこし 週刊プレイボーイ連載(344)

仕事場のあるビルの1階でエレベーターを待っていると、ドアが開いてなかに40歳前後の女性がいました。降りるんだろうと思ってちょっと脇にどいたのですが、彼女は私を見て、いきなりドアを閉めたのです。エレベーターはそのまま上がっていって、鍼灸院のある5階で止まりました。

なにが起きたのかとっさには理解できなかったのですが、どうやらその女性は鍼灸院に行こうとして上の階まで行ってしまい、下りボタンを押したものの5階で降りることができず、また1階まで戻ってきたようです。

同じビルに入っている美容院の若い男性がいたので、「待っているのに気づいたのにヒドいよね」と文句をいいました。するとその若者から、「最近、おかしなひとが多いから相手しないほうがいいですよ」と諭されてしまったのです。

新幹線の車内で刃物を振り回したり、ネットのアカウントを閉鎖されたことを逆恨みして復讐したり、警察官を襲って拳銃を奪い小学校で発砲するなど、常軌を逸した犯罪がたてつづけに起こっています。障害者施設の大量殺人や、自殺願望の若い女性をネットで誘って殺していく事件もありました。

「若者の犯罪が凶悪化している」とか、「外国人が増えて治安が悪化した」と思っているひとは多いようですが、あらゆるデータが犯罪は減少し、非行少年率が低下し、日本はどんどん安全になっていることを示しています。

警察の安全相談は1990年代は年間30万件程度で安定していましたが、2000年代から上昇しはじめ、近年は150万から180万件と高水準で推移しています。殺人など重大犯罪の割合は一貫して低下しているのに、体感治安は逆に悪化しているのです。

しかしこれは、考えてみれば不思議なことではありません。世の中が安全になればなるほど特異な犯罪が目立ち、それが大きく報道されることでひとびとの不安が煽られます。こうして、「面倒そうなひとにはかかわらないほうがいい」という常識がつくられていくのでしょう。

じつはこれは、日本だけのことではありません。アメリカでは犯罪の厳罰化で30代の黒人の10人に1人が刑務所に収監され、母子家庭が増えて黒人コミュニティが崩壊してしまいました。イギリスでは「危険で重篤な人格障害(DSPD)」法が2006年に成立し、「潜在的な危険性のある人格障害者」を、法を犯していなくても逮捕・拘束し、治療施設に送ることができるようになりました。

現在では、スマホやネットで収集したビッグデータからテロリスト予備軍などの危険人物を割り出し、犯罪が起きる前に対処する「プリクライム」の技術がアメリカ、イギリス、フランスなどの警察に導入されています。映画『マイノリティ・リポート』の世界が現実になったのです。

しかしなんといっても監視技術で先行するのは中国で、14億の国民を「統一的社会信用コード」で管理し、信用度の低い個人は航空機や高速鉄道の利用を制限されています。日本や欧米でも「絶対安全」を求める声はますます高まっており、世界じゅうが“中国化”する日も遠くないでしょう。

『週刊プレイボーイ』2018年7月9日発売号 禁・無断転載