自民や維新は「リベラル」、立憲民主や共産党は「保守」? 週刊プレイボーイ連載(395)

7月の参院選は自民、公明の与党で改選定数の過半数を上回ったものの、日本維新の会と合わせた「改憲勢力」は憲法改正に必要な3分の2の議席に届きませんでした。自民は8つの選挙区で現職が落選しており、有権者の判断は、長期政権の安定は評価したものの全面的に信任したわけではない、という微妙なものになったようです。

これを受けて安倍首相は憲法改正を「加速」させたい意向ですが、そもそも国民の多くは改憲に興味があるわけではないので、前途多難が予想されます。対する野党も、「年金2000万円不足問題」で攻勢をかけようとしたものの、「消費税増税反対」との股割きで一貫した主張ができませんでした。高齢者の関心はいまの年金収入を守ることで、「増税しなければ社会保障の財源が枯渇する」との主張を覆すのは容易ではありません。

私はこれまで繰り返し、「日本社会は“リベラル化”しており、右傾化と呼ばれるものは“日本人アイデンティティ主義”だ」と述べてきました。はからずも今回の選挙では、このことがはっきり証明されました。

安倍政権は同一労働同一賃金など「働き方改革」で年功序列・終身雇用の日本的雇用制度を「破壊」し、「すべての女性が輝く社会づくり」を掲げて女性が家で子育てに専念する性役割分業を否定し、「事実上の移民政策」ともいえる外国人労働者受け入れ拡大に舵を切りました。いずれも「世界標準」ではリベラルな政策で保守派は反発していますが、これによって得票が減ったという話は聞いたことがありません。

象徴的なのは、ハンセン病患者の家族と韓国の元徴用工への扱いのちがいです。

安倍首相は選挙前に、ハンセン病患者の家族への賠償を命じた地裁判決への控訴を断念するという「リベラル」な決断をしました。その一方で韓国に対しては、半導体などの製造に使う材料の輸出規制を断行しています。政府は否定していますが、これが元徴用工への賠償を求める韓国への報復であることは間違いないでしょう。

世論調査を見ても、ハンセン病患者家族への謝罪と、元徴用工への謝罪(賠償)の拒否は、ともに高い支持を得ています。慰安婦や徴用工で植民地時代の「歴史問題」を蒸し返す韓国の「反日」は「日本人というアイデンティティ」を傷つけますが、それ以外のことはリベラルでかまわないのです。――河野太郎外務大臣は原発廃止を主張するなど自民党のなかではかなりの「リベラル」ですが、徴用工判決を「国際法違反」と強く批判したことでいまやネットの保守派にも大人気です。

共同通信の出口調査をもとに、18歳から30代だけの投票行動から割り出せば「改憲勢力」の議席は3分の2を超えることになり、安倍政権が一貫して若者の支持を受けていることは明らかです。さまざまな意識調査が示しているのは、その若者の価値観が、夫婦別姓や同性婚、外国人労働者の受け入れなどで高齢者よりもずっとリベラル化していることです。

リベラルな若者によって支持されているのだから、自民や維新は「リベラル(改革政党)」で、高齢者が投票する立憲民主や共産党などの野党が「保守(守旧政党)」です。この逆転現象もこれまで何度か書きましたが、それも今回の選挙で証明されたようです。

『週刊プレイボーイ』2019年8月5日発売号 禁・無断転載

知識社会におけるもっとも不愉快な事実(ファクト) 週刊プレイボーイ連載(394)

ひとはみな、さまざまな能力をもって生まれてきます。それにもかかわらず、私たちが生きている「知識社会」では、言語運用能力と論理・数学的能力が高い者だけがとてつもなく有利になります。

子どもたちの知的能力を評価し選抜するのが学校システムで、ノーベル賞を取るような天才でなくても、よい大学を卒業すればおおむねよい生活が保証されます。それに対して足が速い(運動知能)とか歌がうまい(音楽知能)とかは、きわだって高い能力をもち、圧倒的な努力をし、なおかつ幸運に恵まれなければ成功できません。

誰もが知っていながら口を閉ざしている事実(ファクト)とは、「知識社会における経済格差は“知能の格差”の別の名前」ということです。

知識社会のもうひとつのタブーは、「すべてのひとが一定以上のリテラシー(知的能力)をもっている」という「虚構」を前提に社会が成り立っていることです。

福祉国家は、身体的・精神的障がいなどで生きていくのが困難になったひとたちに生活保護を提供します。その原資は国民の税金ですから給付の基準にはさまざまな議論があるでしょうが、生活保護をはじめとするあらゆる行政サービスのもっとも大きな特徴は「申請主義」だということです。

生活保護を受けるには、自治体ごとに定められた詳細なルール(どの程度の資産なら保有を認められるか、など)を熟知し、障害者手帳など公的書類を添えて、自らの境遇が受給基準に合致していることを文書化できなければなりません。行政の窓口で、どれほど困っているかを大声で訴えても相手にされないのです。

これだけの事務作業を一人でできるのは、それなりの知的能力をもったひとでしょう。だとすれば、よほどの不運が積み重なったりしなければ、生活保護を申請するような事態にはならないともいえます。これは、「生活保護を申請する必要のあるひとは生活保護を申請できない」というカフカ的状況です。

このギャップを埋めるのが生活保護の申請をサポートするボランティア団体ですが、同じことを収益事業にすると「貧困ビジネス」になります。とはいえ、ボランティアにも最低限の収益は必要なのですから、両者のあいだには広大なグレイゾーンがあり、しばしば深刻な対立を引き起こします。しかしその背景に、「行政手続きを行なうだけのリテラシーがない」ひとたちが膨大にいることは常に隠蔽されています。

このことは、かんぽ生命の不祥事でも同じです。保険の不正な乗り換えを勧誘した営業マンは、「郵便局というだけで、高齢者の場合、だましやすい」と述べています。年金で生活できる高齢者に保険は必要なく、金融リテラシーの高いひとはそもそも保険に加入しません。だからこそ、保険の内容を理解できないリテラシー(知的能力)の低い顧客を集中的に狙うのです。

そんな話を、新刊『事実vs本能 目を背けたいファクトにも理由はある』(集英社)に書きました。ますます高度化する知識社会では、直感や本能だけ頼っていると、ほとんどの場合、「ぼったくられる」側に追いやられてしまうのです。

週刊プレイボーイ』2019年7月29日発売号 禁・無断転載

『上級国民/下級国民』あとがき

出版社の許可を得て、新刊『上級国民/下級国民』の「あとがき」を掲載します。電子版も発売されました。

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知識社会化・リベラル化・グローバル化の巨大な潮流のなかで、現代世界は、国や歴史・文化、宗教などのちがいにかかわらず、ますますよく似てきました。なぜなら、すべてのひとが同じ目標──よりゆたかに、より自分らしく、より自由に、より幸福に──を共有しているからです。

「後期近代」になって人類史にはじめて登場したこの価値観は、今後もますます強まって私たちの生活や人生を支配することになるでしょう。

その結果、欧米や日本などの先進国を中心に、社会の主流層(マジョリティ)が「上級」と「下級」に分断される現象が起こるようになりました。アメリカではグローバル化にともなって白人中流層が崩壊し、日本では1990年代後半からの「就職氷河期」によって若い男性の雇用が破壊され、中高年のひきこもり(8050問題)が深刻化するなど、国によって「分断」の現われ方は異なりますが、その行きつくところは同じです。

このような未来をどのように生き延びていけばいいのか。すべてのひとに向けた万能の処方箋はありませんが、今後のトレンドは大きく2つに分かれていくでしょう。

ひとつは、高度化する知識社会に最適化した人的資本を形成する戦略。エンジニアやデータサイエンティストなどの専門職はいまやアスリートと同じになり、10代で才能を見出され、シリコンバレーのIT企業などに高給で採用され、20代か遅くとも30代前半までに一生生きていけるだけの富を獲得するのが当然とされるようになりました。

こうした生き方をするには、大学でのんびり一般教養を学んでいる暇はありません。いまでは高度なプログラミング技術を教え、「ナノディグリー」という学位を発行するオンライン大学出身の人材がテック業界で争奪戦になっています。

もうひとつは、フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどで多くのフォロワーを集め、その「評判資本」をマネタイズしていく戦略で、SNSのインフルエンサーやユーチューバーなどがその典型です。高度化する知識社会では、テクノロジーが提供するプラットフォームを利用して、会社組織に所属することなくフリーエージェントとして自由な働き方をすることが可能になりました。

もちろん、年収数千万円のエンジニアも、有名ブロガーやユーチューバーもごく一部でしょう。しかし、私たちが生きている「とてつもなくゆたかな社会」では、「最先端の技術を理解してわかりやすく説明する」「新商品やサービスなど新しい情報をSNSで発信する」といったスキルでも、それなりの(あるいはひとなみ以上の)収入を得られるようになるでしょう。「知識経済」と「評判経済」は一体となって進化し、地球を覆う巨大な経済圏を形成しつつあるのです。

そうはいっても、この潮流からこぼれ落ちてしまうひとたちが生まれることは避けられません。民主政治では、有権者の総意≒ポピュリズムでこの問題に対処する以外ありません。

それはユートピアなのか、ディストピアなのか、私たちはこれから「近代の行きつく果て」を目にすることになるのです。

本書は2019年4月13日(土)に東京大学・伊藤国際学術研究センター伊藤謝恩ホールで行なわれた日本生物地理学会の市民シンポジウムの講演「リベラル化する社会の分断」をもとに加筆修正し、新書のかたちにまとめたものです。PART1「「下級国民」の誕生」の一部は、「令和の「言ってはいけない」不都合な真実」として、月刊『文藝春秋』2019年6月号に掲載しました。

シンポジウムを主催した日本生物地理学会会長の森中定治さん、司会をしていただいた副会長の三中信宏さん、講演に「論評」していただいた文筆家の吉川浩満さん、哲学者の神戸和佳子さん、生物地理学会会員の春日井治さん、および会場を満席にしていただいた400名を超える参加者のみなさまに感謝いたします。本書の執筆にあたっては、会場で集めた質問や、講演後の懇親会でのご意見なども参考にさせていただきました。

2019年7月 橘 玲