『女と男 なぜわかりあえないのか』発売のお知らせ

文春新書より『女と男 なぜわかりあえないのか』が発売されます。発売日は6月20日(土)ですが、早ければ明日(19日)から大手書店などに並びはじめると思います。

Amazonでは予約が始まりました(電子書籍も同日発売です)。

『週刊文春』の連載をまとめたもので、男と女の性愛のちがいについて、誰でも楽しんで読める研究を選んで紹介しました(なかには不愉快になるものもあるかも)。

幸いなことに新型コロナも一段落し、「トイレ不倫」で世間は盛り上がっているようですが、「男はなぜいつも不倫で人生をだいなしにするのか?」もわかります。

ベストセラー『言ってはいけない』の著者が男女のダブーに切り込む!

「美人はいじわる」は本当だった!?
男は52秒にいちど性的なことを考える
女は純愛、男は乱婚?
女の8割は「感情的な浮気」に傷つく
男のテストステロン・レベルは女の100倍
女は合理的にリスクをとる
父親の10人に1人は知らずに他人の子を育てている
女は身体が感じても脳は感じない
男は「競争する性」、女は「選択する性」

書店でこの表紙を見かけたら、手に取ってみてください。

わたしたちは「リベラルな監視社会」に向かっている? 週刊プレイボーイ連載(434)

テレビのリアリティー番組に出演していた22歳の女子プロレスラーが、SNSの誹謗中傷に悩んで自殺したとされる事件が波紋を広げています。この問題を受けて政府・与党が、ネット上で他人を中傷する悪質な投稿者を特定するための制度の検討をはじめたと報じられました。

ここでまず確認しておかなくてはならないのは、これは「国家による国民の監視」とか、「権力が表現の自由を踏みにじる」という話ではないことです。そもそも政府・行政関係者は、こんな面倒なことをやりたいとはまったく思っていないのですから。

だとしたらなぜ、ネットを規制しようとするのか。それはもちろん、国民が求めているからです。

近代とは、経済的なゆたかさを背景に、個人の自由が大きく拡大した時代です。それは宗教(教会・寺社)やムラ社会(身分制)、イエ(家父長制)など、結婚や職業選択に際して個人の人生にきびしい枷をはめていた中間共同体の影響力が縮小したことで実現されました。とはいえ、誰も一人で生きていくことができない以上、安全な暮らしを保障してくれる共同体は不可欠です。こうして、個人が自由になるほど国家がより大きな役割を果たすようになりました。

近代社会では、戦争でも犯罪でも、自分たちに危害をおよぼすような事態が起きると、ひとびとは国家に対処を求めます。その結果、軍隊や警察・司法が肥大化し、ヤクザのような民間団体による私的制裁・解決は不正なものとして排除されるようになりました。自分たちで(自生的に)問題を処理できなければ、ますます国家に多くを依存するしかないという構図がこうしてできあがるのです。

街頭に設置された不気味な監視カメラには、当初、「プライバシー侵害」とのはげしい反発がありましたが、それが安全に役立つとわかると、たちまち商店街に監視カメラ設置の要望が寄せられ、いまでは未解決の凶悪犯罪が起きるたびに「なぜ監視カメラがないんだ」との批判が行政に殺到します。

監視によって社会を統制しているのが中国で、欧米など「民主国家」から批判されますが、実態を見ればさしたるちがいはありません。ロンドンでは至るところに監視カメラが設置されており、日本でも住宅街で犯罪が起きれば、近隣家庭の監視カメラの映像を警察に提供するのが当然とされています。

中国では監視によって犯罪が減り、社会が安全になったことに多くのひとが満足しているといいますが、これは私たちも同じでしょう。現代では、ひとびとは自ら監視されることを求めているのです。

このような社会では、不愉快なことや許しがたいことが起きると、国民はごく自然に国家の介入を求め、権力による解決を期待します。SNSへの規制論議でもまさにそのとおりのことが起きており、「自主的に解決すべきだ」との声はほとんど聞こえてきません。

「リベラル」な世の中では、「ひとを傷つける表現の自由はない」とされます。だとしたら、「ひとを死に追いやるような表現の自由はない」のは当然のことです。もはやこの潮流に抗することは不可能でしょう。

中国やロシアのような独裁国家でなくても、自由な市民によって「リベラルな監視社会」は実現するのです。

参考:梶谷懐、高口 康『幸福な監視国家・中国』 (NHK出版新書)

『週刊プレイボーイ』2020年6月8日発売号 禁・無断転載

「政界を揺るがせた賭け麻雀」の背後にある権力とメディアの癒着の構造 週刊プレイボーイ連載(433)

検察庁法改正に反対するSNSの盛り上りで安倍政権が今国会での法案提出を断念したかと思ったら、疑惑の当事者である東京高検検事長が新聞記者宅で賭け麻雀をしていたことが週刊誌で暴露され、辞職するというまさかの展開となりました。

とはいえ、これは日本のメディアの実態を知っていればさほど驚くようなことではありません。新聞社もテレビ局も、社会部記者は警察・検察幹部、政治部記者は有力政治家や高級官僚の自宅に夜討ち朝駆けして、公私混同のつき合いでネタを取ってくるのが仕事だからです。

これが白日の下にさらされたのが2018年の「財務省事務次官セクハラ疑惑」で、このときは官僚機構の頂点にある財務省事務次官が、記者のなかから気に入った若い女性を選んで、「タダで遊べるキャバ嬢」として夜中に呼び出していました。今回は「次期検事総長」と噂される検察庁幹部が気の合った新聞記者を集めて賭け麻雀をしていたのですから、これがまったく同じ構図なのは明らかです。

こうした不祥事の背後にあるのが日本独特の記者クラブ制度です。賭け麻雀に呼ばれた新聞記者はいずれも司法記者クラブで検事長と懇意になり、新聞社のハイヤーで送り迎えするなど便宜を図ってきたとされます。記者クラブに所属していないジャーナリストには、重要人物と接触するこんな機会は得られません。

日本の大手新聞社・テレビ局にとって死活的に重要なのは、記者クラブの既得権を守ることです。なぜなら、日本にしかないこの異習によって情報を独占し、外国メディアやフリーのジャーナリストなど「よそ者」を排除できるのですから。

記者クラブ制度はメディアと権力の癒着の温床になるとして、言論・表現の自由に関する国連特別報告者である法学者デイヴィッド・ケイ氏から繰り返し批判されていますが、「リベラル」なメディアですらこれを無視し「排外主義」に固執しています。「自由な言論」を否定するひとたちが「自由な言論」を主張するというかなしい日本の現実が、ここに象徴されています。

今回の事件で驚いたのは、新聞社が渦中の記者らへの取材を、「記事化された内容以外は取材源秘匿の原則に基づき、一切公表しておりません」などと拒んでいることです。第三者の批判を受けつけず、信用できるかどうか検証しようのない「内部調査」で好き勝手な説明と謝罪をするだけでいいのなら、今後、この新聞社から不都合な取材を受けた個人・組織は同じ対応をするようになるでしょう。

皮肉なのは、疑惑の人物と麻雀卓を囲んだのが、安倍政権を擁護する「保守」の新聞社と、政権批判の急先鋒に立つ「リベラル」の新聞社の社員だということです。一見、対立しているように見えても、裏では「仲間」同士でつながっているメディアの内情が、これよってはからずも明らかになりました。

同業者の非常識な対応を批判できない他のメディアも含め、自分たちの信用がこうして毀損していくのだということを、もうすこし真剣に考えたほうがいいのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2020年6月1日発売号 禁・無断転載