政治家の仕事は「国民のための政治」ではなく、次の選挙で当選すること 週刊プレイボーイ連載(491)

【9月16日執筆のコラムです。29日の総裁選で岸田文雄氏が新総裁に選出されましたが、記録のためそのままアップします。】

菅首相が自民党の総裁選出馬を断念したことで、政治が大きく動き出しました。いったいなにが起きたのかは、政治家という「自営業」の特徴を考えるとよくわかります。

すべての政治家が身に染みて感じているのは、再就職がきわめて困難なことです。ワイドショーのコメンテーターや大学の教員になれるのはごく一部で、公務員のような天下り先もなく、落選した元国会議員を雇ってくれるような会社もありません。アメリカでは議員からロビイストに転身するケースがあるようですが、日本にはそのような仕事は存在せず、「選挙に落ちればただの人以下」です。

これほどまでつぶしがきかないと、政治活動の大半が「次の選挙に勝つこと」になり、天下国家のことにはたいした興味をもたなくなるでしょう。実際、官僚が政治家に政策の説明をすると、二言目には「それは選挙に有利になるのか?」と訊かれるそうです。

衆院選が近づくなか、メディアはさかんに安倍政権の検証をしていますが、長期にわたる「一強」を維持できたいちばんの理由は支持率が高かったことです。安倍氏の「看板」で当選した議員が安倍政権を支持し、次の選挙でも勝つという好循環によって、盤石の権力基盤がつくられました。

その安倍氏から権力をそのまま引き継いだ菅首相は、なぜ政権を維持できなくなったのか。「コミュ力が足りない」「説明責任を果たしていない」などといわれていますが、そんな難しい話をしなくても、「新型コロナの感染者数と支持率が連動しているから」で説明できてしまいます。

菅首相の目論見は、東京五輪を無事に終わらせ、ワクチン接種を進めながら緊急事態宣言を解除し、再選を目指すことだったはずです。ところが変異種の感染力が予想外に強く、感染者が急増して医療崩壊が起こり、入院できないまま自宅で死亡するケースが相次いできびしい批判を浴びることになりました。

ワクチン接種で先行する欧米諸国を見ても、菅政権のコロナ対策が間違っていたわけではありません。医療機関が感染症に対応できないのは構造的な問題で、かんたんに解決できる話ではないでしょう。――厚労省は病床確保のために1兆円を超える補助金を投入しましたが、ほとんど役に立ちませんでした。

その意味では運がなかったともいえますが、政治は「結果責任」です。とはいえこの責任は、国民のためによい政治をするというより、自党の議員が選挙で勝てる「看板」であり続けることです。

自民党には、選挙基盤が安定しない当選3回以下の「安倍チルドレン」が半分ちかくいます。「衆院選に勝てるなら誰でもいい」という若手議員の発言が報じられましたが、これが彼らの本音でしょう。

そのように考えれば、政権の支持率が30%を切った時点で、選挙に向けて看板を掛けかえる以外の選択肢は残されていませんでした。総裁選も、「誰がいちばんいい看板になるか」をめぐって争われています。

政治家も人間ですから、「“ただの人以下”になりたくない」と思うのは当然です。これまでも、これからも、民主政治はこの不安によって動いていくのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2021年9月27日発売号 禁・無断転載

1940年代の日本とイラク・アフガニスタンは同じじゃないのに 週刊プレイボーイ連載(490)

米軍がアフガニスタンから撤退し、イスラーム原理主義組織タリバンが全土を掌握したことで、2001年10月の空爆以来20年続いた戦争はアメリカの「敗北」に終わりました。

米大学の試算では、アメリカがこの戦争に投じた費用の総額は2兆2600億ドル(約250兆円)で、20年間、毎日3億ドル(約330億円)を費やしたことになります。これをアフガニスタンの人口4000万人で割れば、1人当たりGDPがわずか500ドル(約5万5000円)ほどのこの国で、1人5万6000ドル(約600万円)を配ることができました。

それに加えて、これまで2500人の米国軍人、4000人ちかくの米国民間人、10万人を超えるアフガニスタンの軍・警察関係者や民間人が死亡しています。このとてつもない損害に対し、得たものはさらなる混乱だけなのですから、すべてが最初から間違っていたと考えるほかありません。

なぜアメリカは、ベトナム戦争以降つねに失敗しているのか? それは日本占領の成功体験が大きすぎるからでしょう。

9.11同時多発テロのあと、ニューヨークに滞在していて、毎日ニュース番組でブッシュ(子)大統領の演説を聞きながら不思議に思ったことがあります。大統領は米国民に向かって、日本を引き合いに出し、「かつての敵国がいまでは最良の友人になったように、アメリカの介入によって、イラクもアフガニスタンもリベラルデモクラシー(自由民主政)の国に生まれ変わる」と力説していたのです。

しかし、1940年代の日本と、イラク、アフガニスタンでは条件があまりにもちがいます。

日本が近代化に成功して欧米と並ぶ「帝国」になったのは、明治時代に国民国家(「日本民族」という想像の共同体)の確立に成功したからです。日本社会にもマイノリティとして排除される集団は存在したものの、ほとんどの国民は、自分が「日本人」だと当たり前のように考えていました。

それに対して、イラクはイスラームのスンニ派とシーア派が対立し、それにクルドという民族問題が加わって、「国民(イラク人)」という意識は希薄でした。山岳地帯のアフガニスタンは多数の部族に分かれており、それを植民地時代のイギリスが、ロシアの南下を抑えるために便宜的に「国」の体裁を整えただけです。

さらに戦前の日本では、1910~20年代にかけて「大正デモクラシー」と呼ばれるリベラルな文化・政治運動が盛り上がりました。敗戦は45年ですから、30代以上の国民はこの体験を覚えていて、占領軍がなにを求めているかをすぐに理解できたでしょう。自由主義や民主政は、当時の日本人にとってけっして奇異なものではなかったのです。

前提となる条件がこれほどちがえば、軍事的な占領が自動的に同じ結果を生み出すと考える方がどうかしています。この程度のことは、日本なら歴史に興味がある高校生だってわかるでしょう。

現在の無残な事態は、ブッシュ以降の政権の失政というより、歴史学者や軍事専門家を含むアメリカのエリート層の無知と傲慢によってあらかじめ運命づけられていたのです。

参考:「アフガン戦争のコストは20年間で「250兆円」、米大学が試算」Forbes Japan2021年8月17日

『週刊プレイボーイ』2021年9月13日発売号 禁・無断転載

第98回 待ってもタクシーは来ないのに(橘玲の世界は損得勘定)

ずいぶん前の話だが、那覇から東京に戻る最終便が大幅に遅れて、羽田空港に着いたときは公共交通機関の終電はとうに終わっていた。しかたがないのでタクシー乗り場に行くと、案の定、長蛇の列ができている。

列の先頭で拡声器をもった係員が、「ここで待っていても車は来ません。自分で手配してください」と叫んでいた。そのとき不思議に思ったのは、列に並んでいたひとたちがまったく動こうとしないことだ。

たまたまタクシーの共通チケットをもっていたので、そこに載っている番号に順に電話してみた。2件目の会社で運よく空港に向かっている車が見つかって、10分ほどで乗ることができた。その間、タクシー乗り場に車は1台も来なかった。

そのとき思ったのは、私のようにタクシー会社に電話する者がいれば、空港に向かう車はすべて押さえられてしまうのではないかということだった。だとしたら、列に並んでいるひとたちはいつまで待つことになるのだろうか。

近所のスーパーに自動レジができたときも、似たような体験をした。

最初の頃は自動レジはがらがらなのに、数を減らされた対面レジには長い列ができていた。自動レジにはスタッフが待機していて、使い方がわからなければ親切に教えてくれるのだから、なぜわざわざ時間のかかる対面レジに並ぶのだろうか。

そのスーパーでは1階が雑貨、地下が食料品で、どちらでも精算できるようになっていた。あるとき、雑貨を買いにいったらレジスターが故障したらしく、1つのレジに長い列ができていた。そこでエスカレーターで地下に降りて、がらがらの自動レジで精算し、1階に戻ったら列はさらに長く伸びていた。

この奇妙な現象について考えてみると、多くのひとはそもそも問題解決に興味がないのではないだろうか。なぜなら、自分で判断することにはコストとリスクがともなうから。

近年の脳科学では、認知的資源はきわめて貴重なので、ひとは無意識にそれを節約しようとしていると考える。なにか問題が発生したときに、もっとも確実でコストが低いのは、ほかのひとを真似ることだ。なぜなら、たくさんのひとが同じ問題に直面して考えた結果だから。

これは一種の集合知で、たしかに理にかなっている。個人の乏しい知識と情報で思いついた解決策よりも、多くのひとが試行錯誤してたどり着いた解答の方が正しいことは間違いない。

これなら、タクシーの来ない乗り場に長い行列ができる理由も説明がつく。並ぶのはみんながそうしているからで、自分からタクシー会社に電話しないのは、誰もそんなことをやっていないからだ。そのうえ「みんなと一緒にいる」ことに安心感があるのかもしれない。

だがこの原則をすべてに適用すると、簡単に解決できることに膨大なコストをかける事態にならないだろうか。まあ、行列することをコストと感じないひともいるだろうから、私がとやかくいう話ではないだろうが。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.98『日経ヴェリタス』2021年9月4日号掲載
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