経済破綻しても政権が崩壊するとはかぎらない 週刊プレイボーイ連載(516)

【3月24日執筆のコラムです。状況は刻々と変わっていますが、記録のためアップします】

ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会で演説し、国民の苦境を訴え、一日も早い平和の実現のためにロシアへのより強力な経済制裁を求めました。武力介入が核戦争(第三次世界大戦)に直結する以上、国際社会の圧力で戦争を終わらせる以外の方途がないのは明らかですが、問題は、経済制裁がどこまで実行でき、どれほど効果があるのかわからないことです。

サハリン2は日本が参加するLNG(液化天然ガス)プロジェクトで、輸入価格は単位熱量当たり10ドル前後とされています。この事業から撤退すると、一時60ドルまで上がったスポット価格でLNGの不足を補わなくてはならず、その追加負担は1.8兆円と試算されています。

日本人は(当然のことながら)ウクライナに同情していますが、電気・ガス料金が大幅に値上げされても経済制裁を支持できるでしょうか。さらには、日本が撤退すれば、この利権は中国がそのまま引き継ぐことになるでしょう。とはいえ、各国がそれぞれの事情で「裏口」を設けていれば、ロシアは戦争を継続できるかもしれず、扱いを間違えれば日本はきびしい批判を浴びかねません(その後、岸田首相が「わが国として撤退はしない方針だ」と述べました)。

国際社会の圧力が実を結んだ最大の成功例が、南アフリカのアパルトヘイト廃止です。ネルソン・マンデラという偉大な政治家の存在もあって、いまもひとびとに強い印象を残していますが、南アが人種隔離政策を批判されるようになったのは1960年代で、民主的な選挙で平和裏にマンデラ政権が誕生するまで30年かかりました。国連による経済制裁の要請は1985年で、それを起点にしても5年以上たっています。

それ以外では、キューバ、イラン、北朝鮮、ベネズエラなどに経済制裁が行なわれましたが、期待されたような成果は得られていません。その最大の理由は、ロシアや中国が政治的思惑から制裁に参加しなかったからで、今回も、中国を引き込めなければ「一人勝ち」を許す可能性があります。

もちろん、経済制裁になんの効果もないということではありません。しかしさらなる疑問は、経済が破綻しても政権が崩壊するとはかぎらないことです。

「反米」を掲げたベネズエラのチャベス独裁政権は、アメリカを中心にきびしい経済制裁を受けました。その結果、チャベス病死後のマドゥロ政権では、戦争や内乱、革命が起きたわけでもないのにGDPはわずか3年で半減し、1000億円が1円になるハイパーインフレが起きました。

しかしこの異常事態にもかかわらず、政権交代の試みはすべて失敗し、マドゥロは10年ちかく政権を維持しています。なぜこれが可能かというと、独裁時代に不正に富を得た政治家、軍幹部、実業家らが、ひとたび政権交代すると、既得権を奪われるだけでなく、投獄・処刑の危機に直面するからです。事態があまりに悲惨になると、その状態を維持する以外に選択肢がなくなってしまうのです。

プーチンと取り巻きのオリガルヒ(新興財閥)にとっても、政権を失うことは「確実な破滅」です。現時点(3月24日)では、残念なことにいまだに出口は見えません。

参考:坂口安紀氏『ベネズエラ 溶解する民主主義、破綻する経済』中公選書

『週刊プレイボーイ』2022年4月4日発売号 禁・無断転載

ロシアのウクライナ侵略でグローバルな「リベラル化」が進む 週刊プレイボーイ連載(515)

【3月18日執筆のコラムです。状況は刻々と変わっていますが、記録のためアップします】

ロシアのウクライナ侵攻は大方の軍事専門家の予想に反して膠着状態に陥り、「数日でキエフを占領して傀儡政権を樹立する」というプーチンの当初の戦略は破綻しました。

ウクライナには「祖国を守る」という大義がある一方で、ロシアは奇矯な主張を繰り返すばかりで、この戦争を正当化することができません。SNSで世界中にメッセージを発し、各国の国会で演説するなどすっかり「ヒーロー」となったゼレンスキーに対して、プーチンがいまだに国際社会に向けてなにひとついえないことに、この戦争の「道義的な非対称性」が象徴されています。

断続的に停戦協議は行なわれているものの、このまま撤兵すれば政権の存続が危ぶまれるプーチンが安易に妥協するとは思えません。かといってロシア兵の士気は低く、ポーランド経由で最新式の兵器が大量に運び込まれているウクライナにも降伏する理由はありません。だからこそ、この状況を打開するためにプーチンが戦術核を使用するのではないかとの警戒感が高まっているのでしょう。

今後、なにが起きるかは予断を許しませんが、これまでにわかったことをまとめてみます。

ひとつは、ロシアの存在感が思ったよりも小さかったこと。プーチンは、ウクライナのような小国の運命など欧米は気にしないと高をくくっていたのでしょうが、そのロシアすら、石油や天然ガスなどの産出国としては一定の影響力はあるものの、経済制裁で国債がデフォルトしそうになっても金融市場はまったく反応せず、逆に株価が上がったりしています。ロシアのGDPは世界11位(2020年)で韓国より小さく、アメリカの7%、中国の10分の1しかありません。プーチンはロシアの威信を取り戻そうとしたのでしょうが、もともと威信などなかったのです。

もうひとつは、デモクラシー(民主政)の復権です。コロナ禍の初期には、大量の感染者・死者を出しながら右往左往する欧米諸国に対し、中国のような権威主義国家が効果的に感染を抑制しました。移民問題や経済格差の拡大を背景に、イギリスのEU離脱やアメリカでのトランプ大統領誕生などの混乱が起きたこともあり、「西欧の民主政は耐用年数を過ぎ、機能不全に陥っている」との危惧が広まりました。

そのとき提起された問題はまったく解決できていないものの、それがいまでは、「戦争を勝手に始める独裁政より、政治家が有権者の顔色をうかがう民主政のほうがずっとマシだ」と誰もが思うようになりました。ひとびとがもっとも大切にするのは、自分と家族の安全なのです。

ウクライナの凄惨な状況や市民の英雄的な抵抗がメディアで報じられ、SNSで拡散されることで、平和や自由、人権などのリベラルな価値観が再評価されています。とりわけ最大の権威主義国家である中国の脅威を感じるアジアの国々は、台湾を筆頭に、リベラルな政治・社会体制をつくることで中国と差別化し、欧米と連帯しようとするでしょう。

このようにしてグローバルな規模で「リベラル化」が進み、この潮流は東アジアや東南アジアにも大きな影響を及ぼすことになるはずです。日本がこの「リベラル化の競争」から脱落しないとよいのですが。

『週刊プレイボーイ』2022年3月28日発売号 禁・無断転載

ロシアへの経済制裁はどれほど効果があるのか? 週刊プレイボーイ連載(514)

【3月10日執筆のコラムです。状況は刻々と変わっていますが、記録のためアップします】

ロシアがウクライナに侵攻してから2週間がたちましたが(3月10日現在)、いまだに状況は混沌としたままです。欧米の軍事専門家は当初、ロシア軍は短期間でキエフを攻略し傀儡政権を樹立すると想定していましたが、いまは「(プーチンは)全ての点で間違っていた」と考えています。

ロシア軍が占領した都市では市民のはげしい抗議行動が続き、それが撮影されてSNSで世界じゅうに配信されています。仮にキエフが陥落し、ロシアがウクライナ全土を掌握したとしても、安定した統治を長期にわたって維持するのは不可能でしょう。問題は、それにもかかわらず、どこに落としどころがあるのか誰にもわからないことです。

米欧はきびしい経済制裁で対抗していますが、もうひとつの問題は、これがどこまで効果があるのかわからないことです。「このままではロシアはいずれ経済破綻する」と識者はいいますが、同様の経済制裁の対象となったイランや北朝鮮は破綻していないし、ベネズエラはたしかに経済が崩壊しましたが、それでも政権は倒れませんでした。――産油国のイランとベネズエラは、ロシア産原油の輸入禁止措置にともなって、国際社会への復帰の可能性が取り沙汰されています。

ロシアは2014年のクリミア編入で、地域限定の経済制裁をすでに経験しています。私は18年のロシアワールドカップのときにクリミアを訪れましたが、VISAやマスターなどのクレジットカードが使えないばかりか、ATMから現金を下ろすこともできず、国際SIMにつながらないため携帯通話もネットへのアクセスもできませんでした。

ところが不思議なことに、ロシア各地からやってくる観光客は、みんなスマホで楽しそうにおしゃべりし、レストランの食事代金をクレジットカードで支払っています。経済制裁に対抗して国内の金融決済網や通信ネットワークを整備したからで、「クリミアの暮らしに不便はなく、ヒドい目にあうのは外国人観光客だけ」と説明されました。

19年には同じ経済制裁下のイランを旅しました。通貨リアルのレートは暴落し、100ドル(約1万2000円)を両替すると5000万リアルを渡されます。一般に使われる高額紙幣は10万リアルなので、10万円を両替すると5000枚のリアル紙幣が返ってきて、レンガ2、3個分の厚さになります。

とはいえ、通貨が大きく下落してもハイパーインフレになるわけではなく、ひとびとは「経済制裁で生活が苦しい」と訴えますが、それでも市場は賑わい日々の生活は続いていました。分厚い札束を持っておろおろしているのは外国人観光客だけで、イランでは個人商店にもカード端末があり、地元のひとはクレジットカードやデビットカードで支払いをしていました。

核戦争につながる武力行使ができない以上、経済制裁でロシアに対抗するしかないことは間違いありません。ただ気になるのは、私がイランで出会った(海外で暮らした経験がある)ひとたちがみな、「この国の政治はヒドいけれど、アメリカがやったことはもっとヒドい」と口々にいっていたことです。

『週刊プレイボーイ』2022年3月21日発売号 禁・無断転載