成人は18歳ではなく25歳にした方がいい? 週刊プレイボーイ連載(519)

4月から成人年齢が18歳に引き下げられ、高校生でも父母の同意なく、「携帯電話を契約する、一人暮らしの部屋を借りる、クレジットカードをつくる、高額な商品を購入したときにローンを組む」(政府広報)ことが可能になりました。結婚ができる年齢も男女一律で18歳となり、これまで16歳だった女性の婚姻年齢が引き上げられました。こちらも父母の同意は必要ありません。

とはいえ、飲酒や喫煙はこれまでどおり20歳からで、成人としての完全な権利が認められるわけではありません。だとしたら「成人」とはいえないのではないか、との疑問は当然ですが、18歳から大人としての自覚をもたせるようにするのが国際社会の流れなので、日本もそれに合わせたということでしょう。

ただ、大人としての権利を与えることと、大人として振る舞えることは別の問題です。早くも、「18歳、19歳がアダルトビデオ(AV)出演を強要されるのではないか」との不安の声があがり、政府や与党のプロジェクトチームが緊急対策をとりまとめる事態になりました。

AV業界は健全化に取り組んでおり、今後も10代の女優を出演させない方針は維持されますが、団体に加盟していない業者が成人扱いになる10代の女性と契約した場合、それが強制されたものでないかぎり、取り消すことはできないというのが法律家の解釈です。

思春期になると、女の子は自分が大きな「エロス資本(エロティック・キャピタル)」をもっていることに気づきます。援助交際やパパ活など、その「資本」を簡単にマネタイズする方法はいくらでもあります。高校生の娘の裸がネットにアップされているのを見て、親が仰天することがないとはいえません。

同様に、思春期の男の子はリスクを好むようになります。高校生がローンを組んで車やバイクを購入したり、一攫千金を狙ってネットワークビジネスに手を出したりすることもありうるでしょう。

思春期とは、男にとっても女にとっても「パートナー獲得競争」に放り込まれる時期です。この熾烈な競争に勝ち残るには、男は友だち集団のなかで目立たなくてはならず、一発勝負で大きく当てる「ハイリスク・ハイリターン」を狙います。それに対して女は、自分のエロスを最大化して、そんな「勝ち組」の男から選ばれることが最適戦略になるのです。

近年の脳科学は、大脳辺縁系など情動を司る部位が先に発達し、前頭葉など制御系は遅れて完成することを突き止めました。進化のプログラムは、まずは冒険的になってパートナーを獲得し、子どもを産み育てる頃に落ち着くよう脳を設計したのです。

脳の発達は従来の常識よりずっと長く続き、制御系の成長が止まるのは25~35歳だということもわかりました。この知見を取り入れるなら、成人年齢は引き下げるのではなく、逆に引き上げなくてはなりません。

脳科学者のなかには実際、このような主張をするひともいますが、それが受け入れられることはないでしょう。ということで、今後さまざまな場面で混乱が起きることは避けられそうもありません。

『週刊プレイボーイ』2022年4月25日発売号 禁・無断転載

第102回 年金、繰り下げ過ぎは不利 (橘玲の世界は損得勘定)

2020年2月のこの欄で、「年金受給の70歳への繰り下げは有利だが75歳への繰り下げは意味がない」と書いた。この私見はずっと無視されていたのだが、田村正之編集委員が本紙「お金を殖やすツボ」(3月13日付)でこのことに触れてくれた。

それによれば、受給開始の年齢が上がるほど年金の繰り下げが不利になることを、厚労省は知っていた。それにもかかわらず、「60代後半は増額率を下げ、70代は高くするとややこしいので、いわば『えいや』で、どの年齢でも(増額率を年)0.7%にした」のだという。

厚労省の説明では、年金は受給開始年齢にかかわらず、全体の受給額が同じになるように設計されている。しかしこれは、ファイナンス理論の基本からして間違っている。

目の前のある1万円か、1年後にもらえる1万円か、どちらか選べといわれたら、よほどの変人でもないかぎり来年まで待とうとは思わないだろう。年金も同じで、後払いの選択にはそれに見合うメリットを提示しなければならない。

この利得は、銀行預金と同じく、年利に換算できる。簡易生命表を使ってそれを試算すると、65歳から70歳への繰り下げには年2.2%のプレミアムが与えられている。これは現在のゼロ金利に比べてかなりの大盤振る舞いだから、いますぐ年金を必要としないひとは繰り下げた方が得だ(お金を年利2.2%の元本保証で運用できる)。

ところが70歳から75歳への繰り下げを同様に計算すると、プレミアムは年0.7%に下がってしまう。これなら、さっさと受け取って自分で運用した方がいいと思うひとも多いだろう。

なぜこんなことになるかというと、(田村編集委員も指摘するように)平均余命は指数関数的に(複利で)短くなっていくのに対し、繰り下げは年0.7%の単利でしか増えないからだ。その結果、年齢が上がるほどプレミアムは低くなり、理論上は81歳でマイナスになる。

私はファイナンスの専門家ではないが、この程度のことはExcelでちょっと計算すればすぐにわかる。逆にいえば、なぜこれまで専門家が指摘しなかったのかが不思議だ。そこにはなにかの「陰謀」があるのだろうか。

年金をいつから受け取るかには、もうひとつ大事なポイントがある。ここまでの議論は、金利が変わらないことを前提にしていた。日本はデフレとゼロ金利がほぼ30年続いたが、戦争や円安、エネルギー政策の転換などさまざまな要因で物価が上がりはじめている。それにともなって、「金利のある世界」が戻ってくるかもしれない。

65歳から5年間の繰り下げは年利2.2%の預金と同じだが、市中金利がそれ以上なら不利になってしまう。ただし繰り下げた年金はいつでも受給申請できるし、プレミアムを放棄すれば、65歳以降にもらうはずだった全額を受け取ることもできる。

いまは想像もできないが、インフレ率も金利も高騰する世界になれば、いますぐ年金を受け取って銀行に預け直した方が合理的になるかもしれない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.102『日経ヴェリタス』2022年4月16日号掲載
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『笑ゥせぇるすまん』と「公正世界信念」 週刊プレイボーイ連載(518)

漫画家の藤子不二雄A(本名・安孫子素雄)さんが88歳でお亡くなりになりました。このコラムをまとめた単行本『不愉快なことには理由がある』のカバーに喪黒福造(もぐろ ふくぞう)のイラストを使わせていただいたことは大切な記念です。

『笑ゥせぇるすまん』(当時は『黒ィせぇるすまん』)を知ったのは高校生のときで、クラスの友人が持っていたものを読んで衝撃を受けました。登場人物はサラリーマン、学生、老人などさまざまですが、共通するのは小さなこころの「きず」を抱えていることで、それを喪黒福造がグロテスクなまでに拡大し、(ほとんどの場合)破滅へと追い込まれていきます。

10代の頃は理解できませんでしたが、いまなら「どんなに幸福に見えても、ひとはみな転落の縁を歩いている」という「不愉快」な事実が、このダークなキャラクターが長く愛された理由であることがわかります。「人間はこんなにこわれやすいんだよ」というメッセージに、逆に安心感を覚えた読者も多かったでしょう。

もうひとつ、初期の作品を読み返して気づいたのは、その巧妙な設定です。

わたしたちは無意識のうちに、世界は「公正」であるべきだと思っています。「悪は滅び、最後には正義(善)が勝つ」ことは、神話・宗教からハリウッド映画まですべての物語の本質で、もちろんマンガも例外ではありません。

因果応報は「善行は正当に評価され、悪行は報いを受ける」ことで、これも「公正さ」の重要な要素です。仏教(正しくはヒンドゥー教)の輪廻とは、いちどの人生で因果応報が達成されない矛盾を解消するために、時間軸を過去と未来に引き延ばしたものです。

なぜここまでして「公正さ」にこだわるかというと、「不公正な世界」がものすごく不安だからです。悪がはびこり、どれほど正しい行ないをしても裏切られるだけなら、そんな社会は苦しくて誰も生きていくことはできないでしょう。――これは社会心理学で「公正世界信念」と呼ばれます。

『笑ゥせぇるすまん』のなかにも、因果応報の話はたくさんあります。競馬で一発当てて借金を返そうとしたり、売れはじめた役者が水商売の女と縁を切ろうとしたり、そんな弱さを喪黒福造は見逃しません。

しかしより印象に残るのは、こうした因果応報では説明できない物語です。

最初期の「ともだち屋」では、内気で人見知りのため彼女はもちろん友だちさえないない22歳の独身サラリーマンが、喪黒福造に絶世の美女の写真を見せられ、彼女とつき合えるかもしれないという希望に胸をふくらませます。「化けた男」では、29歳の妻子のいる真面目なサラリーマンが、通勤電車で読む週刊誌の記事でちょっとした非日常(アバンチュール)を空想し、息抜きにしています。

どちらも本人になんの非もありませんが、それでも喪黒福造の「いたずら」によって闇へと堕ちてしまいます。「人生は不条理で、世界は公正につくられているわけではない」のです。

誰もが夢を求めていた1960年代に、マンガでこの「真実」を描いたのは途方もない慧眼でした。ご冥福をお祈りいたします。

『週刊プレイボーイ』2022年4月18日発売号 禁・無断転載