イギリス議会下院は6月20日、終末期の成人が死を選ぶ権利を認める歴史的な法案を可決しました。それに先立つ5月27日にはフランス国民議会(下院)でも、終末期患者に厳格な条件のもとで致死量の薬の投与を認める「死への積極的援助」を導入する法案が賛成多数で可決しています。
フランスでは2022年9月にマクロン大統領が、人生の終え方について幅広く議論する市民会議の設立を発表。年齢や居住地、学歴、職種など社会構成を反映するように調整したうえで、電話番号による無作為抽出で184人の一般市民を選出し、毎週金曜日から日曜日の3日間の議論が9週間にわたって続けられました。
この市民会議はネットで中継されて大きな反響を呼び、賛成・反対の立場からさまざまな議論が交わされたすえに、賛成多数で積極的安楽死が支持されました。意見が分かれる重要な問題について、市民に徹底的に討論させるというのは、さすが「デモクラシー発祥の国」だけのことはあります。
ヨーロッパではオランダ、ベルギー、スイスなどの小国で積極的安楽死の導入が先行し、とりわけスイスは、国外居住者に対しても自殺ほう助の提供が認められているため、22年に91歳で安楽死した映画監督のジャン・リュック・ゴダールのように、自らの意思で人生を終えたいひとたちが世界中からやってきます。
ヨーロッパの大国で安楽死の議論がなかなか進まなかったのは、死の自己決定権を行使したいのならスイスの「デス・ツーリズム」を利用すればいいと考えられていたからでしょう。
しかしこれでは、経済的な理由や身体的障害などの事情で渡航が困難なひとたちから安楽死の権利を奪うことになってしまいます。この不平等(なぜゴダールに認められることが、自分には許されないのか)が、イギリスやフランスの安楽死法制化の背景にあります。
リベラルな社会では、「自分らしく生きる」ことが神聖かつ不可侵の価値とされます。成人年齢に達すれば、どのように生きるかは個人の選択に任せるべきで、その決定に家族や社会、国家が介入することは許されません。だとすれば、すべてのひとに「自分らしく死ぬ権利」が与えられるのは当然ということになります。
こうした安楽死容認の主張に対しては、ナチスの優生学を引き合いに出して、障害者など社会的弱者が「生きるに値しない生命」として、周囲の圧力で死を選ぶ状況に追い込まれるという定番の反論があります。これが「すべりやすい坂」で、オランダやベルギーでは認知症患者や未成年の安楽死も認められるようになっています。しかしこれは、優生学というよりも、死の自己決定権の拡張と理解すべきでしょう。
日本でも2010年に朝日新聞が死生観についての世論調査を行ない、74%が安楽死の法制化に賛成(反対は18%)という結果が出ています。ところがその後、政治家はこの問題に口をつぐみ、メディアも積極的に取り上げようとはしなくなります。
このようにして日本では、死の自己決定権を行使したいひとが、縊死や溺死、墜落死、二酸化炭素中毒死のような、むごたらしい死に方をする以外ない状況が続いているのです。
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