香港・深圳から東南アジアを3週間かけて旅しました。
最初に訪れた香港は、民主化運動(時代革命)の活動家たちが亡命するか逮捕され、数年前の熱気はあとかたもなくなっていました。不動産価格が下落して景気は減速しているとされますが、それでもマンションの平均価格は1億円以上ですから、道行くひとたちのほとんどが「億万長者」です。
そのかわり物価は上昇し、ワンタン麵が2000円、お洒落なカフェでのランチが5000円くらいで、日本の1.5倍という感じです。そのため週末は、高速鉄道で物価の安い中国本土の深圳や広州に行くのがブームになっていました。
「中国のシリコンバレー」と呼ばれる深圳は、オートバイが我が物顔で歩道を疾走しているものの、自動車の8割近くがEVで、残りの2割のシェアを日本車とドイツ車で分け合っていました。ホテルから空港までの道路沿いにガソリンスタンドはなく、日本の自動車メーカーが中国市場から撤退を余儀なくされるのも当然だと実感させられます。
印象的だったのは、香港でも深圳でも日本人をほとんど見かけなかったことです。香港の知人は、「ホテルもレストランも高いので、日本人の観光客はもう来ない」といっていました。
ところがホーチミンの空港に着くと、あちこちから日本語が聞こえてきて、空港の出迎えで掲げるボードの名前も大半が日本人でした。日本人街として知られるレタントン通りには居酒屋や寿司屋、ラーメン屋などの日本食レストランが集まり、夜はカラオケ(日本でいうキャバクラ)の呼び込みの女性たちが通りにあふれます。
さらに驚いたのはバンコクで、ここでは日本の駐在員が集まるスクンビットだけでなく、いたるところに牛丼やラーメン、回転寿司の大手チェーンの店舗があります。価格も日本とさほど変わらず、定食が1000円から1500円くらいですが、それでも若者たちで賑わっています。
タイは都市と地方の経済格差が大きく、大卒の給与も日本の7割程度ですが、経済的に余裕のある中間層が着実に増えています。人口減で成長余地の乏しい日本の外食産業が、それに目をつけて東南アジアに活路を見出そうとしているのでしょう。
バンコクのホテルで部屋まで案内してくれた女性は、「日本が好きで、毎年秋に旅行している」といいました。雪を見たことがないので、冬の北海道なども人気です。
私がはじめてタイを訪れた20年前は、日本はもちろん海外旅行の経験のあるタイ人はほとんどいませんでした。その10年ほど前のバブルの時期は、ふつうのOLが金曜の夕方の便で香港に行き、ペニンシュラホテルに泊まってブランドものを買いあさっていました。
ところがいまでは、国民のゆたかさを示す1人あたりGDPは香港が5万4000ドル(20位)で、3万2000ドル(38位)の日本を7割ちかく上回っており、香港の観光客が「安いニッポン」を楽しんでいます。そればかりか日本は、いつの間にか韓国や台湾にも抜かれました。
もちろん、ひとびとがゆたかになるのはよいことです。だったらなぜ、日本だけがゆたかさを失っていったのか。そんな「失われた30年」の現実を突きつけられた旅になりました。
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