日本だけがなぜゆたかさを失ったのか? 週刊プレイボーイ連載(649)

香港・深圳から東南アジアを3週間かけて旅しました。

最初に訪れた香港は、民主化運動(時代革命)の活動家たちが亡命するか逮捕され、数年前の熱気はあとかたもなくなっていました。不動産価格が下落して景気は減速しているとされますが、それでもマンションの平均価格は1億円以上ですから、道行くひとたちの多くが「億万長者」です。

そのかわり物価は上昇し、ワンタン麵が2000円、お洒落なカフェでのランチが5000円くらいで、日本の1.5倍という感じです。そのため週末は、高速鉄道で物価の安い中国本土の深圳や広州に行く「北上消費」がブームになっていました。

「中国のシリコンバレー」と呼ばれる深圳は、オートバイが我が物顔で歩道を疾走しているものの、自動車の8割近くがEVで、残りの2割のシェアを日本車とドイツ車で分け合っていました。ホテルから空港までの道路沿いにガソリンスタンドはなく、日本の自動車メーカーが中国市場から撤退を余儀なくされるのも当然だと実感させられます。

印象的だったのは、香港でも深圳でも日本人をほとんど見かけなかったことです。香港の知人は、「ホテルもレストランも高いので、日本人の観光客はもう来ない」といっていました。

ところがホーチミンの空港に着くと、あちこちから日本語が聞こえてきて、空港の出迎えで掲げるボードの名前も大半が日本人でした。日本人街として知られるレタントン通りには居酒屋や寿司屋、ラーメン屋などの日本食レストランが集まり、夜はカラオケ(日本でいうキャバクラ)の呼び込みの女性たちが通りにあふれます。

さらに驚いたのはバンコクで、ここでは日本の駐在員が集まるスクンビットだけでなく、いたるところに牛丼やラーメン、回転寿司の大手チェーンの店舗があります。価格も日本とさほど変わらず、定食が1000円から1500円くらいですが、それでも若者たちで賑わっています。

タイは都市と地方の経済格差が大きく、大卒の給与も日本の7割程度ですが、経済的に余裕のある中間層が着実に増えています。人口減で成長余地の乏しい日本の外食産業が、それに目をつけて東南アジアに活路を見出そうとしているのでしょう。

バンコクのホテルで部屋まで案内してくれた女性は、「日本が好きで、毎年秋に旅行している」といいました。雪を見たことがないので、冬の北海道なども人気です。

私がはじめてタイを訪れた20年前は、日本はもちろん海外旅行の経験のあるタイ人はほとんどいませんでした。その10年ほど前のバブルの時期は、ふつうのOLが金曜の夕方便で香港に行き、ペニンシュラホテルに泊まってブランドものを買いあさっていました。

ところがいまでは、国民のゆたかさを示す1人あたりGDPは香港が5万4000ドル(20位)で、3万2000ドル(38位)の日本を7割ちかく上回っており、香港の観光客が「安いニッポン」を楽しんでいます。そればかりか日本は、いつの間にか韓国や台湾にも抜かれました。

もちろん、ひとびとがゆたかになるのはよいことです。だったらなぜ、日本だけがゆたかさを失っていったのか。そんな「失われた30年」の現実を突きつけられた旅になりました。

『週刊プレイボーイ』2025年7月7日発売号 禁・無断転載

SNSは免疫力をもつ有機体なので、進化のためにいっさい規制すべきではない

参院選が始まり、SNSの誤情報をどのように規制するかが議論になっていますが、「そんな規制などいっさいいらない」という極論について書いたことを思い出したので、再掲載します。

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ネット生態系の原理は「より自由になること」

『ソーシャルメディアの生態系』(森 薫訳/東洋経済新報社)は、ウォルト・ディズニーのイノベーション部門のトップを務め、動画共有プラットフォームの会社を起ち上げたアントレプレナーのオリバー・ラケットと、MITメディアラボのシニア・アドバイザーでジャーナリストのマイケル・ケーシーの共著だ。

著者たちはここで、インターネット(SNS)はひとつの巨大な有機体(オーガニズム)で、生き物と同様に「進化」しているという刺激的な主張をしている。

「利己的な遺伝子」の原理は自己の複製を最大化することだが、ネット生態系の原理は「より自由になること」だ。このように考える著者たちは、自由な言論に対するあらゆる制約を拒否し、Facebookを「思想警察」と呼ぶ。

「フェイスブックは、監査不可能な中央統御プログラムによって、独自の主観的なヴァージョンの真実を創造」している。――これは著者の一人ラケットが、医学書から引っ張ってきた「ミクロ・ペニス」の絵を友人に冗談で送ったところ、「国際児童ポルノ」だとしてアカウントを即座にシャットダウンされた経験からきているようだ(ラケットはゲイであることをカミングアウトしている)。

同様にUberやAirbnbのようなシェアエコノミーも、「中央制御プログラム」によって監視・制御されていることから、「進化」の過渡的な形態だと見なされる。いずれはフリーエージェント同士がブロックチェーンを使ったスマートコントラクトで“ギグ”的に協働し、国家や金融機関を介さずにクリプト(暗号資産)を交換し、プロジェクトが終われば解散する「自由」な関係へと変わっていくだろうし、そうなるべきなのだ。

しかし、あらゆる言論を自由の名のもとに解き放てば、荒らしや炎上によってネット空間は壊死してしまうのではないだろうか。だが著者たちは、これを杞憂だと一蹴する。「つねに自分で自分を育て、成長し、進化する」ソーシャル・オーガニズム(社会的有機体)は、生き物と同じように“免疫力”を持っているからだ。

たとえどんな憎悪に満ちた言論であっても、それにふれる機会を完全に遮断すると、文化によい影響を与える方向にソーシャル・オーガニズムが進化する能力が削がれてしまう可能性がある。

それがスパムだろうとヘイトメッセージだろうと「荒らし」の物言いだろうと、これらのただ醜いだけに見える反社会的コミュニケーションの洪水は、社会の免疫系統を強化するために必要なものなのだ。

興味深い意見ではあるものの、この「免疫系統」がどのように機能するのかについての説明は残念ながら書かれてはいない。進化を「よい方向」に導く鍵が「共感力」というのでは、いささか心もとない気がする。

もちろん著者たちは、この欠点に気づいているだろう。だがそれでも、「ネットに自由を」の旗を降ろすことはできない。なぜなら、「進化」の向こう側にすこしでも早く行きつかなくてはならないからだ。

テクニウムとインフォニウムの「進化」が不死のトランスヒューマンへと“最終進化”を遂げる

『ソーシャルメディアの生態系』で著者たちは、「増え続けるアイデアを有機的に相互接続させるソーシャルメディアと、それとともに発達するスーパーコンピュータの強力なネットワークが結びついたとき、人間という種が生き残るうえでの分岐点が訪れるかもしれない」と書く。これはトランスヒューマニズム(超人間主義)の思想そのものだ。

トランスヒューマニストにとっての最大の障害は、熱力学の第二法則(エントロピー増大の法則)だ。宇宙が「熱的死」に向かっているのなら、永遠の生命は原理的に存在しえない。

そこで彼らは、生命の進化がエントロピーを減少させると考える。生き物は、乱雑な世界に秩序をつくりだしていく。より複雑な生き物がより多く秩序化できるのなら、進化はその結果にかかわらず、「よいこと」なのだ。

さらにここに、「生命とは情報である」というアイデアが接続された。コンピュータの登場でテクノロジーは情報科学に統合されたが、DNAの二重らせんが明らかにしたのは、生命も情報として記述できるということだ。

これは、情報こそが「アンチ・エントロピー」だということでもある。「情報はつねに何かと何かを関連させ、つながりを確立し、たがいを強く結びつける」。すなわちネットワークの中のノード(中継点)や複雑性が増せば増すほど、世界は散逸するのではなく秩序化されるのだ。

これがおそらく、ラケットとケーシーが、あらゆる検閲や規制を拒絶しネットに投入される情報量を最大化しようとする理由だろう。シンギュラリティ=分岐点を超えるためは、どんなことをしてでも「進化」を加速させなくてはならないのだ。

雑誌 Wired の設立者で編集長を務めたケビン・ケリーは『テクニウム テクノロジーはどこへ向かうのか? 』(服部桂訳/みすず書房)で、人間がテクノロジーを発展させているのではなく、テクノロジー生態系(テクニウム)が、スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクのような天才を“ヴィークル”にして自らを「進化」させているのだと論じた。それと同様に、ラケットとケーシーは『ソーシャルメディアの生態系』で、インフォニウムともいうべき情報生態系が、人間をヴィークルにして、荒らしや炎上を含む膨大な情報を「オーガニズム(生命体)」に取り込みながら「進化」しているのだと主張する。

テクニウムとインフォニウムの「進化」が生命の進化と統合されたとき、人類(の一部)は不死のトランスヒューマンへと“最終進化”を遂げるのかもしれない。

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なぜ減点、自分の信用スコアを調べてみた 日経ヴェリタス連載(122)

信用情報機関のCICはクレジットカードや消費者ローンの信用情報を収集し、業者間で共有している。新規のカードやローンの申し込みがあると、加盟会社はCICに信用情報を照会し、契約内容や支払状況、残債額などから諾否を判断している。

CICは新しい試みとして、昨年11月から信用力を指数化した「信用スコア」を個人に開示し、今年4月からはそのスコアを加盟約800社に提供しはじめた。信用情報がどのように登録されているかは個人でも確認でき、私も以前やってみたことがあるが、せっかくなので自分の信用スコアがどのくらいか調べてみることにした。

信用情報の確認にはインターネットと郵送の2つの方法があるが、現在はネット開示が休止中だったので、郵送で申し込むことにした。

手続きとしては、CICのサイトで信用情報開示申込書を作成して印刷し、住民票か印鑑登録証明書、およびマイナンバーカード、運転免許証などの本人確認書類のコピーを用意する。コンビニのマルチコピー機でチケット(JTBレジャーチケット)525円分(税込)を購入し、それらをまとめて郵送すると10日ほどで簡易書留が送られてきた。

私の場合、メインで利用しているクレジットカードは1枚で、それに加えて交通系カードや家電量販店などで使用するカード何枚かを使い分けている(財布に入っているカードは5枚だ)。ところがCICに登録されている情報は19件もあり、そのなかにはずいぶん前につくったのだろうが、すっかり忘れていたものもあった。

登録されているクレジットカード情報は、氏名・住所・電話番号・生年月日・勤務先・運転免許証番号などの個人情報のほか、保有しているカードの極限度額やキャッシング枠、残債額や遅延の有無などで、過去2年間(24カ月)の入金状況が記号で示されている。請求額全額が入金されている場合は「$」マークで、一部入金や未入金の場合はケースごとに他の記号がつけられる。

肝心の信用スコアは200~800点で、私は637点だった。中央値は620~709点で、710点以上のハイスコアも約2割いる。

私は支払いのほぼすべてをクレジットカードで行ない、延滞したこともないので、正直、もっと高いスコアになると思っていた。「算出理由」として4つが挙げられているが、プラスの影響を与えているものばかりで、なぜ満点から140点以上も引かれたのかはわからない。

「平均」の範囲に収まっていればとくに問題はないのだろうが、今後、こうした信用スコアはクレジットカードや消費者ローンの申込以外にも、住宅ローンや学生ローン、不動産の賃貸契約など広い用途で使われるようになる可能性がある(実際、アメリカではずいぶん前からそうなっている)。

自分の点数にちょっとがっかりしたというのもあるが、そんな未来を考えれば、どのような理由で減点されたのか、スコアを上げるにはどうすればいいのか、もうすこし詳しい説明があってもよいように思った。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.122『日経ヴェリタス』2025年6月28日号掲載
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