ストレスが脳に炎症を起こすことがわかってきた 週刊プレイボーイ連載(560)

ストレスが身体だけでなく心の健康にも悪いことはむかしから知られていましたが、その仕組みはずっと謎に包まれていました。

ウイルスや細菌に感染しているわけでもないのに免疫系が過剰に活性化し、白血球が正常な細胞を攻撃して臓器や組織に炎症が起きるのが自己免疫疾患で、典型的な現代病とされています。研究者は、各種の臓器に炎症が生じている患者はうつ病など、さまざまな精神疾患を併発しやすいことや、炎症性物質であるサイトカインの数値が高いと、うつ病や双極性障害、統合失調症などを発症する危険性が高くなることに気づいていました。

しかし、このようなエピソードをいくら集めても、医学的にはあまり意味がありませんでした。これまで、脳には免疫機能がないとされていたからです。

ところが2010年代になって、「ミクログリア」と呼ばれる脳内の細胞が免疫の役割を果たしていることがわかってきました。グリア細胞は神経系(ニューロン)を含まないため、これまでさほど注目されてこなかったのですが、この発見(ミクログリア革命)によっていまや精神医学は根底から書き換えられようとしています。

なんらかの理由で身体の免疫反応が高まると、それが頭蓋骨の裏側にあるリンパ管を通して脳内の免疫細胞であるミクログリアに伝わります。するとミクログリアは、緊急事態が起きていると「誤解」してサイトカインを放出し、付近にあるニューロンを片っ端から攻撃しはじめるのです。――脳が炎症を起こすと副腎からストレスホルモンを放出させ、さらに身体の免疫反応が高まるという悪循環も考えられます。

ラットを使った動物実験では、ミクログリアを意図的に「破壊モード」にすると、脳が縮小してアルツハイマー認知症のような症状が出ました。人間でも、うつや不安障害、認知症などの患者は、記憶や感情に関連する脳の部位である海馬が縮んでいることが脳画像で確認されています。

従来の精神医学は、精神疾患はドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質の欠乏や過剰が原因だとして、向精神病薬でその濃度を調整しようとしてきました。しかしこれは副次的な症状に過ぎず、さまざまな精神疾患や発達障害、認知症などに共通するのは、ミクログリアの暴走による脳の炎症かもしれないのです。

最近では、「疑似絶食療法」で身体の免疫反応を下げ、ミクログリアの活動を抑制する治療法が注目されています。今後、精神障害の治療は大きく変わっていくことになるでしょう。

近年の脳科学では、脳は身体的な暴力と心理的な攻撃を区別できないと考えます。強いストレスにさらされることは、日々、殴る蹴るの暴行を受けているのと同じことなのです。

この知見が広く知られるようになれば、いじめやハラスメントがますます大きな社会問題になるのは間違いありません。それと同時に、個人としては、健康と幸福のために、ストレスのない環境をいかに構築するかが重要になっていくでしょう。

参考:ドナ・ジャクソン・ナカザワ『脳のなかの天使と刺客 心の健康を支配する免疫細胞』 夏野徹也訳、白揚社

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