日本人は合理性を憎んでいる。 だからこそ、合理的に生きることが 成功法則になる

新刊『シンプルで合理的な人生設計』のあとがき「日本人は合理性を憎んでいる。 だからこそ、合理的に生きることが 成功法則になる」を、出版社の許可を得て掲載します。昨日発売で、多くの書店さんにはすでに並んでいると思います。見かけたら手に取ってみてください。

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じつは本書は、最初の構想では「成功」についての本の前半部分だった。後半では成功とパーソナリティの関係を論じ、これで成功法則の一般論と個別論が一冊にまとまる予定だったのだ。

それがなぜこうなったのかというと、「合理的」とはなにかをちゃんと考えると、かなり大変だとわかったからだ。

書きはじめたときは、「論理的・数学的な知能が重視される高度化した知識社会では、合理的な方が成功しやすいことは明らかなのだから、幸福の土台(金融資本、人的資本、社会資本)を合理的に設計しよう」というシンプルな話をすればいいと思っていた。

しかし、この原則がかなりの程度通用するのは金融資本だけだし、金融資本の大きさと幸福度がつねに相関するわけでもない(無限の富を獲得できれば無限に幸福になれるわけではない)。

人的資本(仕事)では、「やりがい」という心理的価値が大きな比重を占めるようになる。社会資本になると、愛情や友情に合理性(損得勘定)を持ち込むのは冒涜だと見なされている。とはいえ、人間関係にはコストがともなうのだから、意識しているかどうかは別として、わたしたちはコスパやタイパを考えて、誰とつき合い、誰とつき合わないかを決めているはずだ。

本書で述べたように、合理性の根本には、「人生に投じることができる資源は有限」という冷酷な法則がある。人類史上、ありえないほど「とてつもなくゆたかな」社会を実現したわたしたちは、物質的・金銭的な資源制約から(ある程度)解放されたが、それに代わって、「1日は24時間」という時間資源の制約を強く意識するようになった。

それと同時に、社会的な動物として進化してきたわたしたちは、ものごころがついたときから共同体(社会)のなかに埋め込まれている。ヒトという種の最大の特徴は、自分と同じくらい賢い生き物に囲まれていることだ。それは幸福の源泉であると同時に、不安や脅威を引き起こす元凶でもあった。

こうした人間的な特徴を無視して「合理的な人生設計」を説いても、それは「機械(ロボット)のように生きなさい」という話にしかならない。しかしそれでも、合理的に考えることは、ビジネスだけでなく人生のさまざまな場面で役に立つだろう。

それに加えて日本社会では、コロナ禍の対応で露呈したように、政府から個人まで「合理性」を嫌うひとがものすごく多い。

日本人は合理性を憎んでいる。だからこそ、合理的に生きることが成功法則になる。そのようなことを考えているうちに、この分量になってしまった。

書店にはさまざまな成功哲学を説く自己啓発本が並んでいるが、それぞれの本に熱烈な支持者がいる一方で、「役に立たない」「期待はずれだ」という批判も多い。その理由(のひとつ)は、個人によってパーソナリティ(性格)にちがいがあるからだ。

政治家や起業家、芸能人、スポーツ選手など、世間的に「成功者」とされるひとたちの性格を調べると、外向的なひとが圧倒的に多い。ここから「外向的な性格になりなさい」という成功法則が導き出されるが、生来、内向的なひとにとっては、このようなアドバイス(強要)は苦痛なだけだろう。

それに加えて、「成功者のなかに外向的な性格のひとが多い」ことと、「外向的な性格なら成功できる」ことは同じではない。

近年の脳科学では、外向性とは「刺激に対する感度の閾値が高い」ことで、それによって強い刺激を求めるようになると考える。それに対して内向的なひとは、「刺激に対する感度の閾値が低い」ため、強い刺激を避けるようになる。そう考えれば、「成功者」のなかに外向的なパーソナリティが多いことは当たり前で、刺激を避けるひとは政治家や芸能人になろうなどとは思わないだろう。

強い刺激を求めることは、つねに成功を約束するわけではない。ドラッグやギャンブルの依存症者には外向的なパーソナリティが多い。外向的なひとは社交的で魅力があるが、浮気しやすく、離婚と再婚を繰り返すというデータもある。その結果、最近では「内向的な方が(専門職などで)経済的に成功しやすい」といわれるようになった。

パーソナリティには遺伝と環境がかかわっているが、思春期までに「キャラ」が決まると、それ以降はほとんど変わらないとされる。だから本書の続編は、「成功するためには、人生の土台を、あなたのパーソナリティに合わせて合理的に設計せよ」という話になる。

本書はできるかぎり一般的・汎用的な「合理性」について論じたが、そこに私自身のパーソナリティが反映されていることは述べておくべきだろう。

自営業者になって以来、1年のうち3カ月ほどは海外を旅し、それ以外は「本を読む、原稿を書く、ときどきサッカーを観る」という生活を20年以上続けてきた。感染症が広まると、自宅と仕事場を毎日、徒歩で往復するだけの生活になり、それが3年ちかくになるが、この新しい日常を苦痛と感じたことはない。

これはもともと私が内向的なパーソナリティで、年齢とともにそれが強まっているからだろう(若い頃は、もっと刺激的な体験を求めていたと思う)。編集者との打ち合わせやインタビューの多くはリモートになり、会食の機会もほぼなくなって、気がつくと私のライフスタイルはミニマリストに近いものになっていた。

本書で「シンプルで合理的な人生設計」を提案したが、それがこうした「コロナ体験」に影響されていることも間違いない。その意味で、私とは異なるパーソナリティのひとには「役に立たない」と思われるかもしれないが、その場合はご容赦いただきたい。――逆にいえば、私と似ている読者にはきっと役に立つはずだ。

この本を書きながら繰り返し考えたのは、「どれほど合理的に人生を設計しても、それでも不合理なことはしばしば起こる」ということだ。

それが人生だし、だからこそ面白いのだろう。

2023年2月 橘 玲