大震災のあとに、人生について語るということ


東日本大震災から3週間が過ぎ、福島第1原発事故は予断を許さない状況ながら、街はすこしずつ平静を取り戻してきたように思えます。その一方で、いまだ多くの被災者の方が避難場所で不自由な生活を強いられており、その方々が1日も早く平穏な日常を取り戻せるよう祈るばかりです。

今回の震災とそれにつづく原発事故は、私にとっても衝撃的な出来事でした。

私はこれまで、自由とは選択肢の数のことだと、繰り返し書いてきました。なんらかの予期せぬ不幸に見舞われたとき、選択肢のないひとほど苦境に陥ることになる。立ち直れないほどの痛手を被るのは、他に生きる術を持たないからだ、というように。

私はこのことを知識としては理解していましたが、しかし自分の言葉が、想像を絶するような惨状とともに、現実の出来事として、目の前に立ち現われるなどとは考えたこともありませんでした。

津波に巻き込まれたのは、海辺の町や村で、一所懸命に生きてきたごくふつうのひとたちでした。彼らの多くは高齢者で、寝たきりの病人を抱えた家も多く、津波警報を知っても避難することができなかったといいます。

被災した病院も入院患者の大半は高齢者で、原発事故の避難指示で立ち往生したのは地域に点在する老人福祉施設でした。避難所となった公民館や学校の体育館で、氷点下の夜に暖房もなく、毛布にくるまって震えているのも老人たちでした。

被災地域は高齢化する日本の縮図で、乏しい年金を分け合いながら、農業や漁業を副収入として、みなぎりぎりの生活を送っているようでした。そんな彼らが、配給されるわずかなパンや握り飯に丁重に礼をいい、恨み言ひとつこぼさずに運命を受け入れ、家族や財産やすべてのものを失ってもなお互いに助けあい、はげましあっていたのです。

私がこれまで書いてきたことは、この圧倒的な現実の前ではたんなる絵空事でしかありませんでした。私の理屈では、避難所で不自由な生活を余儀なくされているひとたちは、「選択肢なし」の名札をつけ、匿名のままグループ分けされているだけだったからです。

大震災の後、書きかけの本を中断し、雑誌原稿を断わり、連載も延期して、そのことだけを考えてきました。いまだこたえは得られませんが、ブログを再開したのは、それでもまだ自分には伝えたいことがあると気づいたからです。

これからメディアでも、ネット上でも、復興支援のあり方や原発事故の責任問題、日本経済の先行きや財政問題などをめぐってさまざまな議論がたたかさわれることになると思います。もちろんそれは大切なことでしょうが、そうした賑やかな論争からはすこし距離を置いて、この大災害が私たち一人ひとりの人生に与える意味について考えてみたいと思っています。

ブログ休止中も、たくさんのコメントをお寄せいただき、ありがとうございました。これからも、忌憚のないご意見をお聞かせください。

橘 玲

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41件のコメント

  1. ブログの再開を待っていました。橘さんの文章 少し涙がでました。人生って 人って? 僕も考えてます。また 読ませてください。

  2. 橘さん「絵空事」では決してありませんよ。
    今回の震災で、今までの主張を変えてしまうのであれば、それは、ちょっとおかしいと思います。

    津波の危険性が高い地域に住み続けてきたのは、彼らなりの合理的な選択を積み重ねてきたことの結果だったともいえるわけです。

    将来世代に請求書をまわす形で、スーパー堤防と称するコンクリートの塊や、漁港や港湾を整備し、また交通網の整備を行い、さらには手厚い介護医療年金福祉で、本来であれば(とりわけ老人は)生産性の観点から居住不可能、もしくは災害的な観点から居住すべきでない地域を、あたかも居住可能であるかのように見せかけてきた政治家・行政それに寄生してきた住民たちが招いた惨事だったともいえるわけです。

    つまり国家の介入がより軽度であったならば、ここまで被害が広がらなかったはず、というロジックも成り立ちます。

    人として被災者の方々を援助したいと思うのであれば、各自の立場でできる援助をすればよいはずです。私も自分の所得相応の援助をさせていただきました。

    今回の災害でも、リバタリアニズムの主張はひとつも色褪せないはずです。

    忌憚のない意見を述べさせてもらいました。

  3. あなたの文章から、また今日を生きる力をもらいました。

    充電が終わったら、またいつものように
    思索に富む文章をお願いします。

  4. 橘さんの答えが見つかったら、また、教えて下さい。
    それまで待ってますので。

  5. >自由とは選択肢の数のこと
    今回の大震災で、この言葉の大切さを再度実感しました。

    最初の地震と津波を生き延びるのは半分は運です。
    でもその後は違いますよね。
    自由があれば、選択肢があれば、被災しても立ち直りやすい。
    自らの力で選択肢を選ぶことができない人はダメージが大きい。
    残酷ではありますが現実です。
    阪神大震災の時もそうでした。
    できるだけ選択肢の多い人生を歩めるよう、努力したいと思っています。

  6. うーん。
    私は、住処を決めるのに地盤とかも気にする人なので、
    とっても冷たい言い方をしてしまえば、
    「天災リスクも承知の上で住んでたんでしょ?」
    という気持ちも、ないわけではありません。

    もちろん、今回被災された方々には、同情の気持ちがあるのとともに、ある程度の額の義捐金も出しましたが・・・・・・。
    環太平洋火山帯の日本国にあって、東京が首都であるからには、天災に見舞われる数が少ないという理由があるのだろうと判断して(生活物価は高く、住みにくい街だと思いながらも)、私は東京に住んでいるわけですし・・・・・・。
    (「それなら日本を離れろよ」って議論もあることは承知ですが)

    そうは言っても、生まれたときから親が農業や漁業をしていたら、相当のエネルギー(や開拓精神)がなければ、生まれた土地に留まって、同じ仕事を選ばざるを得ないでしょうね・・・・・・。
    小さいときから、ノウハウを知っているわけですし。

    (ここは、よけいな方が口をはさむことが多く、それは私の望まない現象なので)
    私の気持ちの中では、そういった「自分の選択でしょ?」という気持ちよりも、同情の気持ちの方が強いことを、もう一度申し添えておきます。
    そういうわけで、私のコメントに対するコメントは不要です。あらかじめご了承ください。

    橘さんの本・ブログは、「書こう」と思えたタイミングに書くので、まったくかまわないと思います。
    静かに待ってます。

  7. 東京が首都なのは単に江戸から引き継いだだけなんじゃないですかね。東海地震の危険はずっと言われていますし、特に東京が天災が起こりにくい場所ってわけじゃないような。しかし原発が福島にあるのは明らかに首都を守る為なので、そういった意味では東京は安全だと思ってます。

    今回の地震で「住宅ローンは信用取引なのでハイリスク」を実感する人が大勢いそうですね。
    通常の火災保険では保険はおりない上に仕事もなくなれば完全に返済不能になり、破産するか、自殺して住宅ローンを組んだ時に加入させられた生命保険で返済するかの二者択一を迫られる事になります。そしてこの様な事が大量に起こっても、不動産業界にとって都合が悪いので、殆どマスメディアでは報じられることはないでしょう。

  8. このエントリを拝読し、自分が橘さんのファンであると再確認できました。
    これほどのリアルが眼前で展開しても、合理性の呪縛に囚われ、机上の思想に逃避し空理空論を玩ぶ者が蔓延る中で、橘さんの言葉には魂魄を抉る誠を感じます。

    その苦悩の果てに橘さんが辿り着く、国や社会や人の在り方を、ファンとして心待ちにしております。

  9. 私の愛読書(すべての著作を読んでいる作者)は、橘先生と小林よしのり氏だけなのですが、その共通点のようなものを垣間見た気がいたします。
    ブログが再開されてホッとしています。

  10. 貴殿の書いてきた事は、少なくとも私の中では絵空事ではない。
    貴殿の中では「選択肢なし」属性の匿名抽象型(クラス)だったかもしれないが、読み手各個人は明確なインスタンスを持っていたのではないか。
    文章に宿った魂は読み手各個人に語りかけ、それぞれの中では名前も人格も人生も持っていたのではないか。例えば身近な死や悲しい別れをきっと誰もが持っているように。
    今まで貴殿の文を読み、決して盲信することなく何度も異を唱え何度も賛同し、呼吸するように考えてきた。
    これからも貴殿がどう感じ、どう考えてゆくのかを待ち、読み、そしてまた考えてゆく。
    同じ時代、同じfactを共にした橘玲という作家と共に自分なりの真実を探してゆく。

  11. 橘さんの著書で、人生に向かう考え方の指針を見つけた人間もいます。あなたには、ファンがついています。ブログの再開、良かったです。ありがとうございます。

  12. 橘 様

    まずは久しぶりの更新を拝見し安心致しました。
    私も橘さんの著作に大きな影響を受けた一人です。

    大きな出来事を前にしてこれまでとは異なる新たな考え方に変化すると言う事は、柔軟な考えを備えていると言う意味で、素晴らしい事だと思います。
    特に年齢を重ねると難しい事ですので・・・。

    いつもいわゆる世間一般的な他の方とかなり異なる視点、着眼点による議論の展開が橘さんの魅力と思っています。
    (これ自体が自由を尊重しているからこそ可能な事と思います。時にはデリケートな領域(politically incorrectの問題)に入る事となるため。)
    既に新しい思索の道が始まっているご様子とお見受けしましたので、これまでの一連の著作からどの様な変化(橘ワールドの新しい展開?)を見させて頂けるのか、今回のエントリを見て大変楽しみになりました。

  13. 橘 様
    まずは本サイトコメント欄で数々の批判的なコメントを書き散らかした無礼をお許しください。先生の著作には多くの影響を受けてきましたが、今回の震災を受けて、僕も「自由」というものが何なのかよくわからなくなってきました。

    何か納得できるような答えが得られないかとあえて挑発的なコメントを繰り返してきましたが、期待したような答えは得られませんでした。

    失礼ついでにもう少し書かせて頂きます。
    「自由とは選択肢」、きっとそうなのでしょう。
    制限があればあるほど、生き方の選択肢は狭まり、人生の可能性は小さくなる。

    では、人生における制限など、全く無くなった方がいいのだろうか?
    生まれた場所や家族、友人、恋人、生まれ持った性格や遺伝的な特質など含めて、自分と自分を取り巻く環境の全てが制限となりうるなら、そうしたものを全て捨て去って、より自由になった方が幸福になれるのだろうか?

    もちろんコミュニタリアン対リバタリアンなどという、矮小な対立軸で語られるべき問題ではないことは重々承知していますが、いずれそう遠くない日に、橘先生の手によって、全く新しいリバタリアン像に目から鱗が落ちる日を楽しみにしています。初めて僕が「臆病者のための株入門」を読んだときのように。

  14. 初めてコメントさせて頂きます。

    ブログの再開、心待ちにしておりました。ありがとうございます。
    学生時代に著書を拝見して以来、ずっと愛読させてもらってます。

    今回の震災にて、当方は身体の影響こそありませんでしたが、経済的に打撃を被りました。
    その対応に追われる中で、改めて「自由」や「経済的独立」について考えております。

    また橘さんの文章が読める事が本当に嬉しいです
    応援してます

  15. はじめてコメントさせていただきます。

    社会人になりたての頃に橘さんの著書を読んでファンになったものです。
    橘さんの本から投資の世界に興味を持ち始めて、他にも本をたくさん読みました。
    今では少ないながらも自分で貯蓄したお金を運用に回しております。
    また、投資だけじゃなく、人生論等の話もとても好きです。
    橘さんにはとてもよい影響を受けていると本当に感謝しております。

    近著の「残酷な~」を読んでみて橘さんはとても優しい人なんだろうなと思いました。
    今日はそのことを確信しました。
    こんなにも橘さんの活動を心待ちにしているファンが大勢いるということも、です。

    私たちには橘さんが必要です。
    これからもブログを更新したり執筆活動を行ったりしてください。
    静かにお待ちしております。

  16. 橘 様
     はじめまして。
     3月11日の地震・津波にかかわらず、予定通り3月中旬~下旬に、インドネシア・シンガポールの旅をしてきました。両国民に「地震・津波で大丈夫でしたか」とよく聞かれましたし、日本への募金をしている場面も目にしました。
     インドネシアは若者と老人の比率が日本と逆のため、非常にエネルギッシュでしたし、シンガポールでは高層高級マンションの建築ラッシュで、好景気という感じでした。
     そして、久しぶりに、日本へ帰ってきたら、まだ、通夜が続いており、ますます内向きに向かっているように感じました。こんなことをしていては、ヘッジファンドの餌食になってしまいます。(もうすでに少し餌食にされています。)
     橘氏の「永遠の旅人」、「マネーロンダリング」などの小説を読ませていただきました。日本と海外を舞台にした小説で、いろいろな生き方をする日本人や外国人が登場しておもしろく読ませていただきました。日本は豊かになったといっても、たかが30年~40年の歴史しかありません。もっといろんな生き方ができることを小説を通じて提案してください。
     ちなみに、私は、54歳で早期退職し、2年間バイクでユーラシア大陸を旅し、現在、契約社員として働いています。あと1年働いたら、年金をもらいながら、再びバイクで世界を走り回る予定でいます。

  17. 地震は天災だけど、原発事故は人災。国や企業に関係なく自由勝手に生きていけなくなった今こそ、リバタリアンがいろいろ発信していく必要があると思う。

  18. 福島県南相馬市出身。東京在住です。

    現在の私が考える大きな南相馬市の問題は子供の教育問題です。
    学校へ行きたくても、学校がやってない。

    大人はお金がなくて生活出来なかったとしても自己責任です。
    でも子供に責任はないと思います。

    父は原発で働き、母は総合病院の看護師。
    子供は南相馬市に残る選択肢しかありません。

    全てはしょうがないのですが、子供の教育だけはなんとかしてほしいです。

  19. 橘さんのおっしゃる、「将来は基本的には不可知なので、不可知を前提として、起こりうる不幸に対してヘッジをかけておく。中核となるのは経済的自由の確立であり、そのためには経済的合理的に行動する必要がある。」にとても感銘を受けました。
    私が日ごろ漠然と感じていた思いがきわめて明確に定義されています。

    特別に秀でた能力を持たない一個人が、自分と自分の周りにいる人のささやかな幸せを守るためにどのように思考し行動していけばよいのか。
    これからも橘さんの独特の見地からの鋭い考察を、このサイトや著書を通じて御教示頂けることを願っております。

  20. 橘様
    再開を大変うれしく思ってます。

    今は日本はチャンスです。制限が無くなり、新しい世界を創造する可能性に満ちていると信じています。

    こんな時こそ、たくさん文章を書いていただきたいと思っています。

  21. 橘様
    ブログの再開、嬉しいですよ。
    あなたの本を何冊も本当に楽しみながら読ませていただいています。
    (マネーロンダリング第三章は少し血と肉が飛び過ぎていましたが・・・)
    あなたの本に誘われて香港も訪れ、競馬も楽しんできました。
    子供は「こんな国にはいられない」といって7年前に台北にでかけ今は仕事も家庭も台北がベースです。
    下の子は大学卒業後某メーカー勤務。
    長時間残業で体調を壊し、1年休職。
    その後、またまた別の某大手メーカーの子会社に勤務。
    様々な理由から、「やってられない、とにかくマネージャーは気が狂っている」とて、希望退社にいち速く応募、退社。
    今は、マイクロ法人を立ち上げちょぼちょぼ仕事をしている。
    自由な身ゆえ、台北暮らしのきょうだいから「日本にいると放射能で死んじゃうぞ!」の脅迫。
    強力な誘いを断りきれず、今は台北イソーローの身。
    老人夫婦は「政府によればプルトニウムを食っても安全らしいぞ」と悪いジョーダンを言い合いながら基準超えた地域から運ばれてくる「無農薬野菜」を食する毎日です。
    橘さん、ブログで、小説で、あなたがそうしてきてくれたように、「こんなふうに考え、こんな風に行動することも可能なのだよ」のメッセージを途切れることなく発してください。

  22. ゴミ投資家時代からの読者です。
    常に物事を等身大で見る橘さんならではのエントリですね、共感します。
    私の親、近親者も被災しましたが、全ての理屈を覆い尽くす圧倒的な現実の前に、自分の周り・ミクロな視点で右往左往する自分がいます。
    日本経済や政治に直接、しかも大きくコミットしているのならともかく、私自身が被災することなく生きている今、自分の仕事、生活をより良く生きる事を通して物事を見つめ直さざるをえません。
    とはいえ、橘さんのブログ、著書は常に楽しみにしております。

  23. 橘先生

    「黄金の羽根」を書店で偶然手にして以来、先生の著作を10年近くに渡り読ませていただいて来ました。経済的自由の確立に始まり、色々な事を学ばせていただきました。今では、先生の著作集は私の座右の書の1つとなっています。このブログの存在は最近知ったばかりですが、更新がしばらくなかったので心配しておりました。再開は大変喜ばしいことです。

    さて、今回の震災と原発問題は大変重く、苦しいことだと思います。亡くなった方や被災された方々の痛みや苦しみを、我々被害に遭わなかった者がどうこう論ずるのは憚られますが、ただ、今回の被害の悲惨さを報道等で目にするにつけ、先生がおっしゃっていた「選択肢」を数多く確保することの大切さを改めて認識させられた思いです。被害に遭われた方々には確かに「選択肢」が乏しかったのでしょうが、被害を免れた我々こそ、今こそしっかり「選択肢」を確保すべきだと思います。それが、結果的に被災された方々に救いの手を差し伸べ、ひいては日本の復興と復活に繋がって行くものと信じています。

    先生には今後とも、我々の道標として、示唆に富んだメッセージを発信して行っていただきたいと思います。ファンの一人として。陰ながら応援させていただきます。

  24. この震災のあと真っ先に開いたのが橘さんのブログでした。どんなコメントをよせているか興味があったからです。

    橘さんが絵空事だったとお思いになるのは今回の震災が全くの前例のない、まさに想像を絶するものだったからだと思います。

    今まで日本人は国が無くなる住めなくなると考えた人はいないのではないかと思います。今回の事でその危機感を持つ事ができました。その時にどう行動するかどう備えておくかはまさにいままで橘さんが書いてこられた事だと思います。

    「国にも会社にも頼らずいかにして自分と大切な人を守っていくか」です。そして「もう少し手を伸ばして隣の人に手を差し出してあげられるか」が加わったような気がします。

    今回被災された方々の様に土地や資産をもっていても流され、汚染され、住めなくなれば全く意味がありません。それよりも大切な「何か」があるのではないかという新しい価値観のパラダイムシフトは起ってくると思います。

    また自由の数は選択肢の数というのは間違っていないと思います。ただどんな選択肢があるのか分からない子供達には大人が手を差し伸べてあげなくてはいけません。放射性廃棄物の問題を次代に持ち越して子供達の自由の選択肢を奪っている場合ではありません。

    経済的基盤を整えたうえでの「何か」探しが人生なのかもしれません。
    すぐに答えがでてくるものではないと思いますがここに書き込みされた方々は橘さんとの「人生とは?」探しを楽しみにしていると思います。

  25. 再開しましたね。

    今回の震災は、非常に大きなマイナスですが、天災である以上、折込み済みでもあったと思う。
    だが原発事故だけは洒落にならない。
    これから放射能汚染とエネルギー問題が数年に渡り続いていくこととなるため、
    負のスパイラルが継続的に続いていく。
    しかも日本が抱えていた積年の問題がさらに加速度的にマイナスを噴出させるため、
    経済を大津波以上の衝撃波が襲うのではないかと思う。

    いまの我々の状態は、鍋に入ったカエルのようなもの。
    薄々気づいている者もいるだろうが、どうしようもない無間地獄に堕ちて行く。

    悲観ばかりしていても仕方ないので、新たな道を求めたいと思う毎日です。

  26. 私、関西出身で東京に就職、家庭をつくり、生活している者です。出身が関西ということと、こどもが小さく放射能が心配ということで、関西に転職して家族で引っ越そうかと真面目に考えていました、というか、考えています。嫁は生まれも育ちも東京(郊外)で、私たちは嫁の実家の近くにすんでいます。嫁に相談すると、曰く、一生ここから出て行かないそうです。結局震災から3週間、自分の中で葛藤しつつも、客観的には普通に生活していることになります。

    なぜこんなことを書くかというと、被災地の方々の中で避難生活を余儀なくされようと思わなければ余儀なくされない(裕福な)方々はいると思うのですが、その裕福な人達は今どうしているのか、今後どうするのかが非常に気になるからです。
    家は流され、放射能で地元に帰ることができないかもしれない、でも銀行にはたんまりお金がある、という仮定ですが、この人達は今頃ホテル住まいをしているのでしょうか?または縁もゆかりも無い関西や九州に移住しているのでしょうか?または避難生活を送っているのでしょうか?

    結局のところ、自由(選択肢)を増やそうとがんばって来て、実際に選択肢を持っていたとしても、実際にそのカードを切る覚悟があるか無いかで全て決まるのではないかと思います。

    私の提案に対し、嫁のあっさりした覚悟を聞いて、そう思いました。

  27. 多くの人はこの地震を「想定外」といいます。
    でも人生は想定外の出来ごとで満ちていて
    いつ何どき自分の身にそれが降りかかるか分かりません。
    不条理が起こりうること、それは「想定」すべきなのかも知れません。

    経済的な独立を通じ国家や生まれなどの運命からの「自由」のあり方を描いてきた橘さんなら
    こうした「想定外」で「不条理」な運命に見舞われても色あせない
    「自由」な人生のあり方を改めて描いてくれると信じています。

  28. 先生のショックは大変なものだと思いますが。
    私なりに理解している先生の本の骨子は「何かに頼らない自立」だと思います。
    そしてそれは「正解」だと思います。
    地震に右往左往する政府、東電の姿を見ればさっさっと見限って政府などの情報を信用せずに、自分の身を守る為に「疎開」をする、過敏なくらいに放射能に気をつけても普通に生活する強かさとふてぶてしさを身につけるのが一番効果的なんでしょうね‥‥‥嫌な結論ですが。

  29. 私は日経225先物・オプションのトレーダーです。
    今回、プットの売りで退場になった方が大勢います。
    証券会社もそれらの顧客の証拠金の立替で何百億も損失を出しています。

    逆に、
    私は地震の最中、屑プットを買っていました。
    考えて買ったというよりも、なんとなく条件反射的に買っていました。
    グラグラ揺れてるのに、マウスをカチカチしていました。

    しばらくして、凄い大災害になっていることを知りました。

    『頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない』
    というブログが、被災者の本音じゃないかということで話題になっています。
    http://anond.hatelabo.jp/20110407001402

    自分でも今回のことが頭の中でよく整理出来ずに、
    今でもふわふわした状態です。
    そして自分のことが怖いと思いました。

    『自由とは選択肢の数のこと』
    私がもし被災者だったなら、
    証券会社の口座番号と暗証番号の入ったUSBメモリだけを持って、
    一刻も早く被害の及んでいない他県に逃げ出し、
    パソコンのあるホテルでプットを買い、建設会社の株を買っていたでしょうか?
    それとも、何も出来ずに呆然と避難所でうずくまっていたでしょうか?

    そして、どっちの行動が正しいのでしょうか?
    よくわかりません。

  30. 本当に言葉に出来ないショーゲキ(大震災)でした。橘玲先生の筆も止まるほどの衝撃だったとは…。恐るべき影響です。これからの日本の生き方も、日本人の生き方も変わる、そんな事態なのでしょうか??…。

  31. 僕は橘さんの著作に触れたときの衝撃を忘れません。
    橘さんほどの頭脳がないため同じようには考えられていないと思います。しかし。こんな僕でも橘さんのメッセージは「これこそが学問だ」と感じられました。
    橘さんのメッセージは多くの方の期待を背負っていることは間違いありません。メッセージを出していただくことが被災した方々への応援になるのだと思います。

  32. 初めて投稿します。

    今回の震災後、私も自分なりに色々考えました。
    自分は関西という安全圏にいて、お風呂に毎日入って、家族そろって温かい食事を食べながらTVで地震報道を見る。そしてフワフワの暖かい布団で寝る。
    いつもと変わらぬ風景があり、仕事がある。

    報道を見て涙を流し、いてもたってもいられない気持ちになる。
    しかし何もできない。
    わずかの義捐金を送り、「被災者の心に早く平和が訪れますように」と祈ることくらいが関の山。

    マザーテレサがノーベル平和賞を受賞した際、インタビューの中で「世界平和のために私たちは今何をすればいいのですか?」と問われ、「家に帰って家族を大切にしてあげて下さい。」と答えたことを思い出した。

    結局、自分は普段通りに仕事をし、株式トレードもやりながら、今までよりも家族を大切にし子供たちとの思い出作りを沢山しよう、家族写真もいっぱい撮っておこう、くらいの結論しか出なかった。

    人生には想定していない悲劇がおこる。
    今回の地震もそうであったであろうし、私にとっては若くして突然の母の死がそうであった。
    人生のあらゆるリスクをゼロにはできない。
    日本という国に居住するのなら地震のリスクは常につきまとう。

    悲劇がおこった時は自分に課せられた運命と思ってあきらめるしかない。
    心の傷は、ただじっと時が解決してくれるのを待つしかない。
    他人がどんな言葉をかけようと自分と同じ目にあった人以外の言葉は耳に入らない。

    私はこれからも神棚に仏壇に「被災された方々の心に平和が訪れますように」と祈り続けようと思う。
    そして自分にとって「まったく惜しくない」金額ではなく「あんなにするべきじゃなかったな・・」と後になって後悔する金額でもなく「ちょっと痛いけど、これくらいならスパッと出せる」という金額をできるだけ長く送り続けようと考えています。

    これからも橘先生の投稿を楽しみにしています。

  33. 橘先生、はじめまして。

    先生の著作に初めて触れて以来ずっと、「選択肢のある人生」こそまさに自分が望む形の幸福な人生ではないかと考えてきました。が、これまでは、「選べる自由」とは何か、自分の実生活の中で特に実感するようなこともなく、日々の仕事と子育てにただただ忙しく追われるだけの毎日でした。

    それが、今回の大災害で、「選択する自由」が、自分の前に現実のものとして現われました。

    東京在住の身にとって、今回の災害で最も恐ろしかったのが、まだ小さな子供への放射能汚染(が大いにあるかもしれない)というワーストシナリオでした。外国人の夫も私も在宅勤務が可能な仕事であり、少しばかりの経済的余裕があることも手伝って、思い切ってアメリカの親戚宅へ一時避難することに決め、震災翌週には渡米していました。あのまま東京で様子見、というオプションもありえましたし、海外逃亡なんて大袈裟な、と後ろ指を指されるんじゃないかなどいろんな不安もありましたが、最終的に「子供の安全の最大化」を最優先にと、人生で初めて「選択する自由」を行使した瞬間だったように思います。

    乳幼児を抱えた友人・知人の中には、我が家同様に海外へ移動したり、一時的に西日本の親戚に子供を預けに行ったりした人がある一方で、たとえ福島原発の状況が不安でならなかったとしても、ご主人やご本人の仕事上の制約や東京以外に地縁・血縁がない、などの理由でずっと東京に残る選択をした人もあります。

    自分の身の回りだけでもこんなに反応が違うということが、自分の中ではちょっとショックでもありました。みんなほぼ同じような教育を受け、同じような年収レベルで、同じような年頃の子供を持つ親なのです。そんな、経済的にはそれほど大差のない集団の中でも、たとえば「子供の安全の最大化」という選択肢を例にとったとき、

    ①選択肢があることを理解し、かつそれを選んで実行
    ②選択肢があることは認識しても、実行はしない(優先順位の違い?or社会的制約?)
    ③そのような選択肢が存在しない(社会的or心理的制約から?)

    と反応がはっきりと分かれるのを見て、「選べる自由」というのは、もちろん経済的下支えがあってのことではありますが、他にも色々な要因から「不自由」になりうるものなのかな、と考え始めています。

    たとえば今回のような、小児癌発症率や子供が成人した後の異常分娩発生率の高低といった、不確実で長期的なリスクに対して、たとえ経済的には移動の自由があっても、こうしたリスクに目をつぶってしまっては何も「見えなく」なってしまうのではないかな、とか。

    確率的に大多数はセーフでも一定人数には必ず負の影響がでる、といったタイプの不利益を前にした時に、「みんな大丈夫だからきっとうちも大丈夫」と何の手だても講じずギャンブルをするか、それとも、最悪シナリオを想定してそれに対策を講じておくというリスクマネジメントの姿勢で臨むべきではないのか、とか。

    どちらかを選ばなければならなくなったときに、経済的な準備に加えて、状況判断の目が濁らないように今後も意識していけたらなと思っています。

    長くなってしまい申し訳ありませんでした。
    最後までお読みいただいてありがとうございました!

  34.  今回の橘さんの文章を拝読して、私がこれまで橘さんのご本を大事な物と思っていたのは間違いでなかった!と確信しました。
     
     それにしても今回の大災害によって、私たちが「次の時代」に放り出されてしまったような気がします。
     そのような中、橘さんのご本からのヒントが私をこれまで以上に助けてくれる、と思っています。
     

  35. ほんの一瞬にしてこれまで蓄え、育み、大切にしてきたもの、そしてしがみついてきたもの達が失われてしまうことを思い知らされました。すべてを洗いさらうように。大災害のあと、意味も分からず津波に飲み込まれることよりも、生きていくほうがよっぽど大変でしょう。そして、なによりも衝撃的であったのが、災害にあったのちどこにも頼ることのできない人々がたくさんいることでした。人々との繋がりというのは幻のようで、ほんのわずかでもつたうことができれば、それはまさに支えを得る最後の蔓のように思えてなりません。橘さんがおっしゃることが痛いほど分かる気がします。

  36. 橘先生の一ファンとして、ブログ再開にほっとしました。
    私は、橘先生は感受性の強い優しいお方だと思っていました(「雨の降る日曜は幸せについて考えよう」のあとがきにある、アパートの一室でお子様と一緒にいるシーンがとても印象的です)。
    今回の震災でのご心痛、お察しいたします。

    1000年に1度の津波で多くの命が消え、私自身、「自分の身体が切り取られたような感覚」があります。
    犠牲者には、「選択の自由」を行使しえなかった幼い子ども多くいます。
    人の世の不条理さ、命の儚さを深く感じている人は多いのではないでしょうか。

    TVで描かれる東北の人々の連帯意識・相互扶助の行動は、敬意を表されてしかるべきとも思います。

    しかし、橘先生のリバタニアンとしての思想は、今回の震災や原発事故によっても決して色あせることはないと思います。

    今回の震災・原発事故は、
    ・国家にどこまで頼れるか(情報の正確性や政府の生命保護への期待度)
    ・日本国や日本政府の運命と自分の運命を切り離せるか
    ・偶然にも被災せず、命を得ている者が考えなければいけない「真に自由な選択肢」とは何か
    といった議論が必要だと思います。

    私にとっては、橘先生がZAITENで書かれていた財政破綻後の困窮する多くの日本国民の姿は、今の避難所で生活する「選択肢のない人々」と重なります。

    東北と違ってコミュニティ機能が喪失した都心での大規模災害の発生時や最悪シナリオでの原発事故などが発生した場合は、「国や地域を捨てる覚悟」が必要になるかもしれません。

    橘先生には、是非、「震災・原発事故後の日本人の生き方」を改めて表現頂ければと思います。

  37. はじめまして。
    先生の苦悩、お察しいたします。
    なぜなら、それは、私たち読者の苦悩でもあるからです。
    私を含め、それなりの年齢に達すると、何となく「世の中のしくみ」がわかったような気になるものですが、今回の震災は、それが単なる思い上がりであることを痛切に感じさせられた出来事でもありました。
    連日、テレビの画面に映し出される悲惨な状況に比べれば、これまで自分が頭の中で思い描いてきた破綻のシミュレーションなど、何と生ぬるいものだったのでしょう。
    このような慰めの言葉も見当たらない状況を目の前にして、私たちはいったいどのような行動をとればいいのか、その答えは簡単には見つからないのでしょう。
    しかし、そのヒントになるかもしれない一文を、恐縮ですが、以下に紹介させていただきたいと思います。
    因みにこれは、今から5,6年前に某巨大掲示板の経済版のスレッドにあった書き込みです。

    「カオスの中で、じっくり目を開け、泳ぎ切る奴が次に水面に上がる感じだ。
    何も考えず、何も出来ない奴は、そのまま沈むが、そういった人々も救わねばならない。
    まわりまわり、いつかそういった人々が今度、助ける側に回る。
    そういう心を日本人が持てれば、日本は助かる。
    沈む奴は死ね、と思う心を持つ奴が増えれば、日本も死ぬ。」

    私は、どこの誰ともわからない、この匿名の書き込みが非常に気になり、コピーして自分のパソコンに保存していました。
    そして今回の震災で、この書き込みのことがすぐに頭に浮かんだのです。

    先生がこれまでの著作の中で訴えてきたことは、決して間違っているとは思えません。
    ただ、今回の震災は、沈みかけている人々を救う心をもつことが、自分も助かる術でもある、と教えているような気がします。
    今、世間の関心は、専ら震災や原発に向けられていますが、その傍らで財政の逼迫は静かに、そして確実に進行しています。
    そんなカオスの中をどうやって泳ぎ切っていくべきか、そのヒントを示していくことこそ、先生のこれからの使命ではないでしょうか。
    より一層のご活躍を祈念しています。

  38. 橘先生

    「黄金の羽根」を機会に、人生の参考書として感慨深く文筆を読ませていただいております。
    立場上、得た知識を試すことができないことが残念です。

    今回の震災は、私が住む仙台市にも多大な被害がありました。9月11日の地震は、経験したことが無いほどの強さで揺れの時間も長く、職場の事務用品は散乱し、電気・水道・ガス・電話・鉄道のライフラインが全て機能停止となりました。直後に津波の情報が入り、20mの津波で沿岸が被災したと耳を疑う情報が次々と入りました。夜は停電で街が真っ暗になり、信号も作動せず、危険で帰宅もままならない状況でした。数日後、インターネットで津波の被災映像を確認しても災害の大きさを実感できない現在です。復旧の邪魔にならない時期に津波の被災地を確認しようと思っています。

    今回の震災では、自衛隊や多くの国々の救援隊、企業、自治体、ボランティアの方々の救援がこれほど頼もしく感じたことはありませんでした。特に、被災直後の食料不足に死線を意識しましたが、救援の食料が各地に届くにつれ安心することができました。皆様の暖かい支援に感謝をしております。

    今回、インターネットサーフィン情報の凄さを実感いたしました。地震4か月前から、漠然と災害の準備(宮城県沖地震ではありません)を個人的に進めることができました。おかげで被災前に食料、水、ガソリン、灯油を家族に用意ができました。参考情報を提供していただいた方々にも感謝しております。

    今後の復興については、財源調達法や復旧設計、生活再建、原発事故対応など課題が山積みです。特にコモンズの悲劇による、経営を無視した再建計画が日本自体の危機とならないか影響が心配です。4月に入り冷静な海外の目が日本の意識するべき問題を暗示していますが、マスコミを含めて分かっていないようで危惧するのは私だけではないでしょう。
    もし、20XX年が今回の震災で早まるとすれば、楽しみにしております。高齢化社会で国際競争力を引き上げる一つの手法として予防的福祉がありますが、これが私のライフワークです。国際競争力は上司からいらないと言われていますが、試す機会が子供たちのためになればと考えています。ただ、その時に経済的に生き残ることが可能か難しさを感じています。震災に生き残った者として頑張らねば。

    長くなりましたが、橘先生が大震災の現実を超えて、より厳しい未来に備えた文筆となることを楽しみにお待ちしております。

  39. すべての人類が滅んだわけではなく、彼らではなくとも新しい世代が社会を形成し同じ営みを続けます。橘玲さんの主張は永続性のある人間の営みに対して意味ある提言であると思います。将来を描くことの出来る世代に対して意味ある提言を続けていただきたい。
     一人の人間が社会すべてを救済することは無理ですし、だからこそ人類は、個としてではなく、社会を形成しているのではないでしょうか。
    お互いが励ましあい将来をより良い物にして行きましょう。

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