サラリーマンはどのように絶滅していくのか?

「アメリカはなぜ銃社会なのか」でナッシュ均衡について説明しましたが、ここでは、日本とアメリカの雇用制度がふたつの解を持つナッシュ均衡であるという観点から、「サラリーマン」がどのように絶滅していくのを述べた『残酷な世界~』の未公開原稿をアップします。

この部分を削るかどうかは最後まで悩んだのですが、論旨が『貧乏はお金持ち』と同じなので、可読性を重視することにしました。

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経済学者の青木昌彦は、日本の会社とアメリカの会社の違いをナッシュ均衡で説明している(『経済システムの比較制度分析』〈東京大学出版会〉)。

日本の大企業の多くは、いまでも終身雇用と年功序列を採用している。これは日本の会社が従業員を長期で働かせたほうがいいと思っていて、同時に日本の労働者が、同じ会社で定年まで働いたほうが得だと考えているからだ。お互いの思惑が一致しているから、日本の労働慣行は相互依存的でなかなか変わらない。

高度成長の時代、日本の会社は実務上の決定権を現場に任せることで従業員のやる気を促し、高品質の製品を安定して生産できる優れたシステムを構築した。メーカーは子会社や取引先を系列化し、“独自仕様”の製品開発を競った。テレビや冷蔵庫のような家電製品でも、メーカーごとに細かな仕様が違っているから、部品を共有することはできなかった。

こうした排他的なシステムで大事なのは、製造現場が培ってきた独自のノウハウや、会社内の人間関係や権力構造についてのマニュアル化できない知識だ。サラリーマンだったらわかると思うけど、現場を実質的に仕切っているのは誰かとか、役員会に稟議を出す前の部門間調整の手順とかの「企業特殊技能(ほかの会社とは共有できない独自の知識や技能)」が、日本の会社ではとても重視されている。

ひとはみんな自分にいちばん有利なように行動するから、日本では経営者も従業員も“独自仕様”に最適な制度をつくろうとしてきた。

従業員はその会社でしか通用しない知識や技能を苦労して習得したのだから、景気が悪いからといって簡単にクビになったり給料をカットされるのは最悪だ。会社としても、悪い評判が立つと優秀な人材が集まらないから、年齢に応じた昇給と終身雇用を約束して社員を安心させようとする。

その見返りとして、会社は従業員に担保を要求する。これが“人質”で、若いときの低賃金労働と多額の退職金のことだ。日本の会社では、従業員は定年まできっちり働かないと正当な報酬を全額受け取れないようになっている。サラリーマンが真面目なのは日本人の気質ではなくて、仕事をさぼって解雇されたときに失うものがあまりにも大きいからだ。

このように考えると、日本の会社が大学院卒や転職者を嫌がったり、サラリーマンが学歴や入社年次にこだわったりする理由がよくわかる。年齢に応じてほぼ一律に昇進させるのが年功序列制度だから、中途採用や年齢の異なる新卒を受け入れるとシステムが壊れてしまう。競争は同期の社員の間で行なわれ、年次を超えて階級が異動することはない(だから日本の会社には降格がない)。

それに対して、どの会社でも共通なマニュアル化できる知識を「一般的技能」と呼ぶ。これはパソコンの部品みたいなもので、プロセッサやメモリ、ハードディスクなどの主要パーツが規格化されていれば、台湾やインドからいちばん安い部品を集めてきて組み立てるだけでいい。同様に会社が一般的技能で運営されていれば、労働市場で必要な経験や知識・資格をいつでも調達できる。これは“汎用仕様”の経営戦略だ。

よくいわれるように、アメリカの会社は一般的技能によって、日本の会社は企業特殊技能によって運営されている。なぜこのようにきれいにふたつに分かれるかというと、日本人とアメリカ人が人種的・文化的に異なっているからではなくて、右側通行と左側通行のように、雇用慣行がふたつの解をもつナッシュ均衡だからだ。