果ての国と月並みの国

ナシーム・ニコラス・タレブは『ブラック・スワン』で、「拡張可能な仕事」「拡張不可能な仕事」という議論をしている。『週刊現代』のインタビューで仕事と幸福について考えているときに、これを「クリエイティブクラス」「マックジョブ」の二極化と組み合わせられることに気がついた。そのときはうまく説明できなかったので、ここで書いてみたい。

劇団の役者よりも映画俳優の方がはるかに大きな富を獲得できるのはなぜだろう。タレブはこれを、映画は拡張可能だが、演劇は拡張不可能だからだと説明する。

どれだけ人気のある劇団でも、出演者の収入は、劇場の大きさ、1年間の公演回数、観客が支払える料金、などの要素によって決まってくる。こうした要素には明らかな上限があるのだから、役者の仕事には富の限界がある(拡張性がない)。

それに対して映画は、大ヒットすれば世界じゅうの映画館で上映され、DVDで販売・レンタルされ、テレビで放映される。映画スターにはそのたびに利益が分配されるから、映画俳優の仕事には富の限界がない(拡張性がある)。

タレブは、拡張可能な世界を「果ての国」、拡張性のない世界を「月並みの国」と呼ぶ。

月並みの国では、平均値の周辺に大半のひとが集まり、ものすごく変わったことはめったに起こらない。たとえば日本人の成年男子の身長分布は、ほとんどが170センチ前後で、190センチを超えるひとはほんの少ししかおらず、身長3メートルのひとは存在しない。これはすなわち、ベルカーブ(正規分布)が支配する世界だ。

それに対して果ての国では、ほとんどがロングテールに分布し、ごく一部だけがショートヘッドを占める。これは、身長1メートルのひとたちが無数にいるなかに、身長10メートルや100メートル、1キロの巨人が歩き回っているような奇妙な世界だ。ここでは、あらゆることがべき乗分布に則っている。

それではなぜ、劇団の役者が月並みの国にいるのに、映画俳優は果ての国の住人なのだろうか。それはテクノロジーの進歩によって、映画がきわめて安価に(ほぼゼロコストで)複製できるようになったからだ。だからいったん流行すれば、世界じゅうの市場で複製されて、巨額の富を生み出すことになる。映画と同様に、本(ハリー・ポッター)や音楽(マイケル・ジャクソン)、ファッション(シャネル、グッチ)やプログラム(マイクロソフト)も果ての国に属している。

マックジョブは時給計算の仕事だから、収入は労働時間によって決まり拡張性はまったくない。だがクリエイティブクラスの仕事のなかにも、拡張性のないものがたくさんある。

たとえば弁護士や会計士などの専門家は、きわめて高い時給で働いているかもしれないが、扱える事件やクライアントの数には上限がある。医師の収入は、手術件数や患者の数によって上限が決まるだろう。これらは平均収入は高いものの、やはり月並みの国の仕事なのだ。

この関係を図にすると、下のようになる。

マックジョブはマニュアル化された拡張不可能な仕事で、自己実現はないけれど責任もない。

専門家とは、クリエイティブクラスのなかで拡張不可能な仕事に従事するひとたちで、大きな責任を担うかわりに平均して高い収入を期待できる。

クリエイターはクリエイティブクラスのなかで拡張可能な仕事に挑戦するひとたちで、いちど大当たりすれば信じられないような富を手にすることができるが、大半は鳴かず飛ばずのままだ。

これは、どれがよくてどれが悪いという話ではない。ほとんどのひとは果ての国での拡張可能な仕事に魅力を感じるだろうけれど、ブラック・スワン(きわめてまれな成功)に出会えるひとはごく一部だ。専門家の仕事は拡張性がないかわりに失敗のリスクも限定されていて、マックジョブは責任がないから仕事や人間関係で悩むこともない(マニュアルどおりにやればいいだけだ)。

このように考えると、職業選択のときにきっと役に立つだろう。就活で悩む学生に、大学で教えてあげればいいのに。